幕間① エルマー=グライフ
エルマー=グライフは、机の上に置かれた封書をしばらく無言で見つめていた。
差出人の名を見た瞬間、嫌な予感と面倒くささと、それ以上の何かが胸の奥で同時に跳ねたからだ。
「…レオか」
グライフ男爵家の離れ。
三男坊であるエルマーに与えられた部屋は、貴族の子息の私室というより、学者と傭兵と変人が雑に同居した巣だった。
壁際には杖が三本。
長剣が一本。
魔術書が積み上がり、
床には土魔法の触媒石と、焼け焦げた革手袋と、半分ほど読みかけの戦史が散らばっている。
窓辺には乾燥させた薬草。
机の隅には、昨日まで分解していた簡易魔力測定具。
そして中央に、今まさに届いたばかりの手紙。
エルマーは封を切る前に、椅子へ深くもたれた。
金髪を適当に後ろへ流し、やや吊り気味の目を細める。
顔立ちは悪くない。
むしろ整っている方だ。
だが、本人の性格がだいたい全部を台無しにしていた。
「今度は何だ、侯爵家の坊ちゃんが実家を焼いたとかなら笑ってやるが」
皮肉をひとつ漏らし、それからようやく封を切る。
読み始めて三行で眉が上がった。
五行で背筋が伸びた。
そして最後まで読み切った時には、口元がゆっくり吊り上がっていた。
「…は」
乾いた笑いが漏れる。
新大陸。
侯爵家の都合で放り込まれた開拓地。
大型魔物、猿型、三メートル級。
討伐後、体内から出てきた通常の魔石とは思えない巨大な珠。
古龍級記録に似た例あり。
「おいおい…」
エルマーはもう一度、最初から読み返した。
字面だけなら与太話だ。
酒場の酔っ払いでも、もう少しマシな嘘をつく。
だが、差出人がレオなら話は別だった。
あの男は冗談を言わないわけではない。
だが、こういう時に面白半分で話を盛るような性格でもない。
つまり、少なくとも何かとんでもなく厄介で、同時に面白いものを掘り当てたのは本当だ。
「未知の巨大魔石、ねえ…」
その単語を口に出した瞬間、喉の奥が熱くなるのを感じた。
ただの魔石ではない。
長命個体の変質、成熟、あるいは古龍級記録に近い代物かもしれない珠。
魔法使いなら、それを聞いて平然としていられる方がおかしい。
エルマーは立ち上がり、部屋を二歩、三歩と歩いた。
頭の中で可能性が跳ねる。
通常魔石より大容量の蓄魔媒体か。
属性偏重か、自律循環型か。
あるいは術式補助ではなく、魔物固有器官に近い何かなのか。
「…見たい」
声に出た。
見たい、触りたい、測りたい、砕きたい、削りたい、魔力を通したい。
危険?
そんなことは最初から分かっている。
未知の魔石が安全であるはずがない。
むしろ危険である可能性の方が高い。
暴発、汚染、精神干渉、属性暴走。
いくらでも考えられる。
だが、だから何だというのだ。
未知なのだぞ。
未知の魔法、未知の触媒、未知の現象。
そんなものを前にして動かないなど、魔法使いとして怠慢だ。
「魔法を極めるために俺は生まれてきた」
誰にともなく、いつもの口癖が零れる。
「なら、新大陸の巨大魔石を見に行かない理由がないだろ」
理屈はそこで完成した。
いや、最初から理屈など後付けだ。
知りたいから行く。
それだけで十分だった。
エルマーは机の上の手紙を丁寧にたたみ、内ポケットへ仕舞う。
そこで、扉が2回叩かれた。
「エルマー様?お茶を…」
入ってきたのは、屋敷の若い侍女だった。
まだ十代後半だろう。
栗色の髪を後ろでまとめ、小さな盆を抱えている。
その顔を見た瞬間、エルマーの動きがぴたりと止まった。
「…あ、ああ」
「失礼します」
侍女が部屋へ入ってくる。
柔らかい香りがした。
その程度のことで、さっきまで巨大魔石のことでいっぱいだった頭が、一瞬だけ真っ白になる。
「お、お茶ならそこへ置いてくれ」
「はい」
侍女は机の端に盆を置いた。
ちらりと部屋を見回して、小さく苦笑する。
「また散らかしていますね」
「散らかっているんじゃない、配置だ」
「本も杖も床にありますけど」
「必要な時に手が届く位置へだな」
「踏んで転ばないようにしてくださいね」
くすっと笑われた。
その一瞬で、エルマーは少し視線を逸らした。
「…善処する」
「はい、では」
侍女が去っていく。
扉が閉まる。
そこでようやく、エルマーは長く息を吐いた。
「だから若い女は苦手なんだ…」
戦場で火球を叩き込む方がよほど楽だ。
土槍で敵の隊列を崩す方がまだ簡単だ。
未知の魔石に触れることすら、この手のやり取りよりは気楽に思える。
それを自覚しているのがまた癪だった。
「…まあいい」
頭を振る。
今は女相手にどうこう言っている場合ではない。
本題は巨大魔石だ。
エルマーは手早く荷造りを始めた。
まず杖を二本。
普段使いの火属性用と、土魔法の制御に向いた短杖。
次に剣。
戦闘魔術師として前に出る以上、腰の一振りは要る。
魔力記録用紙。
数冊の資料。
着替えは少なめでいい。
どうせ向こうへ着けば泥だらけだ。
準備を進めながら、頭の片隅で一瞬だけ、昔のことを思い出す。
前線の陣地。
敵方の魔術師が残した、妙な青い結晶。
誰も触るなと言われていたのに、エルマーは結局近づいた。
術式痕が珍しかったからだ。
火とも風とも違う、捻じれた残滓が見えた。
今思えば、正気ではない。
触れようとしたその手首を、後ろから掴んだのがレオだった。
『やめろ、死ぬぞ』
『未知の術式だぞ』
『だからだ』
『見れば分かるかもしれん』
『見てる間に爆ぜたら終わりだ』
『……』
『その顔は分かってないな』
あの時のレオの顔を思い出して、エルマーは少しだけ笑った。
自分でも分かっている。
魔法の欲求に逆らうのは苦手だ。
ヤバいと分かっていても、未知の魔法や未知の触媒が目の前にあると、どうしても手を出したくなる。
理性がないわけじゃない。
危険性も理解している。
その上で、欲求が勝つのだ。
だからレオは貴重だった。
止める。
頭ごなしではなく、現実で。
必要なら殴ってでも止める。
そして、本当に必要な時は逆に踏み込ませる。
「…あいつしか無理なんだよな、あの役は」
少しだけ不本意だが、認めざるを得ない。
そして今、そのレオ自身が「来い」と言っている。
なら、ますます行くしかない。
荷をまとめ終えたところで、今度は扉の向こうから太い声がした。
「おい、エルマー!親父が呼んでるぞ!」
長兄だ。
面倒そうな声音からして、もう手紙の件か、あるいはまた家で役に立たない三男扱いでもするつもりだろう。
エルマーは肩を回し、荷袋を持ち上げた。
「ちょうどいい」
扉を開ける。
廊下の先には、二人の兄と、そのさらに向こうに父がいた。
皆そろって、あまり嬉しそうではない顔だ。
「またどこへ行くつもりだ」
父が渋い顔で言う。
エルマーは軽く肩をすくめた。
「新大陸です」
「は?」
「戦友から呼ばれました、魔法使いが必要らしいので」
「家の用事はどうする」
「俺がいたところで大して増えも減りもしないでしょう」
「貴様…!」
兄の一人が声を荒げる。
だが、エルマーは気にしない。
「それに、男爵家の三男が家で大人しくしていても、碌なことにならないのは皆ご存じでしょう」
半分は皮肉で、半分は事実だった。
父は眉間を押さえた。
呆れもある、怒りもある。
だが、この息子が一度こうなった時に止まらないことは、よく知っている顔だった。
「…危険だぞ」
「魔法はだいたい危険です」
「新大陸だ」
「なおさら結構」
その返答に、長兄が舌打ちする。
「本当にどうしようもない魔法馬鹿だな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
エルマーは一礼するふりだけして、踵を返した。
後ろで父が何か言ったが、聞く気はない。
屋敷の門を出る。
夕方の風が、金髪を撫でた。
新大陸。
怪物と巨大な珠。
古龍記録に似た何か。
胸の奥で、魔法使いとしての欲求が笑っている。
危険?上等だ。
死ぬかもしれない?それがどうした。
知らないものがあるなら、見に行く。
触れ、測り、確かめる。
それが自分だ。
「魔法を極めるために俺は生まれてきた」
「なら、行かない理由がないだろう」
そして、少しだけ口元を歪めた。
「せいぜい無事でいろよ、レオ」
「お前がいないと、たぶん俺を止める奴がいない」
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