第1話 父の死、そして新大陸追放
父が死んだ日、俺は泣かなかった。
泣く暇がなかった、というのが正しい。
帝国でも指折りの大貴族、アルヴェイン侯爵家当主レオポルト=アルヴェインの葬儀は、悲しむ場であると同時に、次の当主を示す場でもあったからだ。
黒で統一された大広間。
香の煙と重苦しい沈黙。
そして、泣き崩れる者よりも、誰に取り入るべきかを見極めようとする目のほうが多い。
長男のカイゼル兄上は、父の棺の前でも背筋を崩さなかった。
次の侯爵として相応しい、堂々たる立ち姿だった。
少なくとも、周囲にはそう見えていただろう。
俺、レオは列の端でそれを眺めていた。
アルヴェイン侯爵家三男。
十七歳。
身長は一七五ほど。
侯爵家らしい金髪ではなく、母譲りの栗色の髪をしている。
顔立ちそのものは悪くないらしいが、愛想がないせいで得をした覚えはない。
母は平民出身だった。
父が気まぐれに手をつけ、運悪く子までできてしまった相手。
それが、俺だ。
正妻の子でもなければ、有力な側室の子でもない。
家の中での立場は曖昧で、便利な時だけ血を引く者として扱われ、そうでない時は平民腹の子として遠ざけられる。
慣れたものだった。
使用人の目も、親族の目も、兄たちの目も。
露骨な侮蔑でないだけ、まだ上等な方だ。
ただ一人、そうした目を向けなかった男がいる。
「浮かねえ顔だな、小僧」
背後から聞こえたしわがれ声に、俺は肩をすくめた。
振り返るまでもない、ガレスだ。
五十になる、初老の剣士。
白髪交じりではなく、もうほとんど真っ白な髪をしている。
身長は一六五程度と小柄だが、その体は五十とは思えないほど筋肉の塊だった。
元は傭兵。
昔、戦場で父の命を救ったことが縁で侯爵家の客分となった男だ。
礼法もへったくれもない、傷だらけの老人。
優雅な宮廷剣術ではなく、人を殺し、自分が生き残るための剣を知っている男。
俺に剣を教えたのも、馬の乗り方を教えたのも、野営の仕方を教えたのも、敵の首より退路を見ろと教えたのも、この爺さんだった。
「別に」
「嘘つけ、こういう時の貴族ってのは面倒くせえんだろ」
「よく分かってるじゃないか」
「長くいるからな、腐れ縁ってやつだ」
ガレスは鼻で笑い、壁にもたれたまま大広間の中央を顎でしゃくった。
「で、次の旦那様は、お前をどうすると思う?」
「さあな、見えないところで飼い殺しじゃないか」
「甘えたこと言ってんじゃねえ、あの手合いはもっと利口だ」
利口、確かにそうだ。
兄上は俺を嫌っている。
いや、嫌うというより、目障りに思っている。
平民の血が混じった弟。
当主の子でありながら、家の中で半端な立場にいる存在。
それ自体は脅威ではない。
だが、消しておいたほうが面倒がない。
そう考える程度には、兄は現実的だった。
「なら?」
「厄介払いだ。しかも、綺麗な名目つきでな」
俺は返事をしなかった。
言い返せない時のガレスは、だいたい当たる。
そして、葬儀から三日後。
兄上は俺を執務室に呼び出した。
壁にはアルヴェイン家の紋章。
重厚な机と誇り一つない床。
窓の外には、よく手入れされた庭園。
人が人を切り捨てるには、あまりにも整いすぎた部屋だった。
「レオ、座れ」
兄上は新侯爵として、当主の椅子に座っていた。
まだ父の温もりが残っていそうなその椅子に、もう何の違和感もない顔で。
俺は勧められるまま席についた。
ガレスは扉の外で待っている。
「単刀直入に言おう、お前には新大陸へ行ってもらう」
予想通りだった。
だが、予想していたからといって腹が立たないわけではない。
「…開拓地か」
「そうだ。我がアルヴェイン侯爵家が海の向こうに保有する開拓地」
「そこへ赴き、現地を立て直せ」
立て直せ、か。
言葉だけ聞けば立派な任務だ。
分家を興す誉れある機会、と言い換えることもできる。
だが実情は知っている。
新大陸。
海の向こうに見つかった、莫大な資源の眠る新天地。
希少鉱石、魔力を宿した植物、旧大陸には存在しない巨大な獣と魔物。
夢のような富が眠る一方で、夢を見るだけで食い殺される土地でもある。
実際、帝国の貴族たちはこぞって進出した。
そして、ほぼ全てが失敗した。
理由は単純だ。
旧大陸では、精々オークやオーガ程度を想定していればよかった。
だが新大陸では違う。
森を薙ぎ倒しながら進む獣。
城壁を爪で裂く飛竜。
隊商を丸ごと呑み込む大蛇。
そんなものが、当たり前のように縄張りを持っている。
加えて、現地部族との関係も最悪だった。
最初の接触でどちらが何をしたのかは知らないが、少なくとも今は、帝国人を見れば矢が飛んでくるらしい。
そんな土地へ、兄は俺を送ると言った。
「断る権利は?」
「あると思うか?」
兄上は薄く笑った。
整った顔立ちに浮かぶ笑みは、昔から好きになれない。
「家のためだ、レオ」
「都合のいい時だけ家族扱いだな」
「お前は父上の子だ。だからこそ、働いてもらう」
働いてもらう。
なんとも結構な言い草だ。
「金は」
「最低限は出す」
「兵は」
「現地にも残っている者がいるはずだ」
「はず、か」
「贅沢を言うな。これは侯爵家の温情だ」
温情。
危険極まりない失敗領地に、厄介払いしたい弟を放り込むことがか。
思わず笑いそうになった。
兄上は机の上の書類を複数枚、こちらへ押し出した。
開拓地への委任状、分家設立の許可証。
現地統治の一任を記した文書。
そして、見栄えだけは整えた文言の数々。
体のいい追放状だ。
「お前に任せる。成功すれば、お前の功績にもなる」
「失敗すれば?」
「アルヴェインの名に泥を塗ることになる」
最初から、俺に全部かぶせる気だ。
兄上は続ける。
「父上も、お前に剣を学ばせ、戦場経験を積ませていた。辺境の統治には向いているだろう」
「便利な言い方だな」
「実際、便利だからな」
そこで俺は、ようやく理解した。
ああ、兄上は最初からこうするつもりだったのだと。
俺を鍛えたのも。
戦場へ出すことを許したのも。
家の中で半端な立場のまま泳がせていたのも。
全部、使い道があったからだ。
華やかな社交界では役に立たない。
だが、泥だらけの辺境なら使い潰せる。
そういうことだ。
「分かった」
俺が言うと、兄上は少しだけ意外そうな顔をした。
「聞き分けがいいな」
「泣いて縋れば取り消してくれるのか?」
「まさか」
「なら同じだ」
書類を取る。
羊皮紙は妙に重かった。
執務室を出ると、扉の横で待っていたガレスが一目で察した。
「決まったか」
「ああ、海の向こうだ」
「そうか」
爺さんはそれだけ言った。
驚きも、怒りもない。
予想通りだったのだろう。
「で、爺さんはどうする」
「何を今さら聞いてやがる」
「危険だぞ」
「知るか。誰がお前みたいな半端者を一人で行かせる」
口は悪いが、ありがたい。
俺は小さく息を吐いた。
「…助かる」
「礼は新大陸で言え。生き残れたらな」
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