第四章:竹久夢二の画幅と、消えた少女
帝都の画廊に飾られた一枚の美人画が、密かな噂を呼んでいた。
描かれているのは、うなだれる柳の下、柳色の着物に身を包んだ、大きな瞳の少女。その画風は紛れもなく竹久夢二の系譜を継ぐものだったが、描かれた少女の指先は、日を追うごとにその位置を変え、今はまるで、何かに縋るように画面の縁を掴んでいるという。
「……蓮華様、見てはいけません。あれは、魂を吸うための覗き窓ですわ」
画廊の前に立つ蓮華の肩を、栞が外套越しに強く抱き寄せた。
蓮華の瞳には、画幅の中から無数の白い手びれが、溺れる者のように蠢いているのが見えていた。行方不明になった女学校の同級生たちの、声なき叫び。彼女たちは、永遠の美という名の「画」の中に閉じ込められ、異界の住人へと加工されているのだ。
その夜、蓮華は「月下香」の奥座敷で、ピアノに向かうことさえ禁じられた。
栞は、蓮華がこれ以上「視る」ことで命を削るのを恐れ、彼女を店の一室に幽閉したのだ。
「ここなら安心ですわ、蓮華様。外の不気味な絵も、醜い怪異も、貴女を傷つけることはできません」
栞は部屋の鍵を閉め、蓮華の足元に跪いた。
部屋の隅に置かれた幻燈機が、壁にゆらゆらとセピア色の影を映し出す。それは、かつて二人が夢見た「どこにもない幸福な楽園」の幻。
しかし、静寂を切り裂くように、どこからか蓄音機の針が飛ぶような音が響いた。
『待てど暮らせど、来ぬ人を……』
流れてきたのは、童謡運動の影に隠れた、怨念のような『宵待草』。
壁に掛けられた画幅が、じわりと湿り気を帯び始める。絵の中の少女たちが、額縁を食い破り、その長い髪をズルりと現世へと垂らし始めたのだ。
「……お、姉様……助けて……」
画の中から伸びてきたのは、先日の事件で消えた静子の手だった。その指は、かつて蓮華が教えたピアノの旋律をなぞるように、虚空で不器用に動いている。
怪異は「月下香」の聖域さえも、蓮華の持つ霊的な磁力に惹かれて浸食し始めたのだ。
栞は、再びあの銀の剃刀を抜き放った。
だが、今度の敵は「美」そのもの。斬っても斬っても、絵の具のような粘つく黒い液が溢れ出し、部屋の床を埋め尽くしていく。
「蓮華様、ピアノを! 貴女の音で、この偽りの美を粉砕して!」
栞は叫び、蓮華を閉じ込めていた扉の鍵を投げ捨てた。
蓮華は、ピアノの椅子に飛びついた。
選んだ曲は、ショパンの『革命のエチュード』。
大正の抒情を、あえて叩き壊すような激しい打鍵。
一音ごとに、壁の美人画が、ひび割れた鏡のように砕け散っていく。少女たちの魂が、悲鳴と共に画幅から解き放たれ、光の粒となって闇に溶けていった。
しかし、すべてが終わった時、蓮華の手首には、絵の中の少女に掴まれたような「黒い指の跡」が、くっきりと残されていた。
それは、異界との繋がりが、もはやピアノを弾くことだけでは断ち切れないほど深まっている証だった。
「蓮華様……貴女のその手まで、あちら側に連れて行かれるというのですか」
栞は蓮華の手首を握り、狂おしげにその黒い跡を口づけで覆った。
窓の外、帝都の夜風が、季節外れの柳の葉を散らしていく。
二人の運命は、もはや「エス」という名の遊戯では済まされない、血の滲むような救済の物語へと加速していくのだった。
この作品はAI40%、筆者60%で書きました。
原案100%筆者。
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