第一章:蓄音機の嘆きと銀の匙
帝都の黄昏は、熟しすぎた無花果のように、どろりとした紫色の闇を孕んでいる。
銀座の街角、瓦斯燈が心細げに瞬き始める頃、路地の奥底にひっそりと佇む幻燈喫茶「月下香」の扉は開く。蔦の絡まったその洋館は、時代に取り残された巨大な墓標のようでもあった。
鳳蓮華は、高等女学校の濃紺の袴の裾を捌き、重厚なマホガニーの扉を押し開いた。
カラン、と乾いた真鍮の音が店内に響く。
そこは、珈琲の香気と、古い紙の匂い、そして――この世のものではない冷ややかな死の匂いが混ざり合う、狭間の場所だった。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
影のように音もなく現れた老給仕が、深々と頭を下げる。
蓮華は答えず、いつもの隅の席へと歩を進めた。その瞳には、並の人間には決して見えぬ「客」たちの姿が、煤けた幻燈機が映し出す像のように鮮明に映っている。
窓際の席には、頭部の半分を失ったまま、空のカップに口をつける若き将校。
カウンターの端では、真っ赤な手毬を抱えた童女が、音もなく床を転がしている。
蓮華は、店の中央に鎮座する黒檀のアップライトピアノの前に座った。
白く細い指が、冷徹な象牙の鍵盤に触れる。
彼女が奏で始めたのは、中山晋平の『カチューシャの唄』であった。けれど、街角で蓄音機が鳴らす快活なそれとは似ても似つかぬ、地を這うような葬送の旋律。
「……かわい、や。あどけな、や……」
歌詞をなぞる代わりに、蓮華は喉の奥で静かに旋律を転がす。
すると、店内に漂う異形たちが、吸い寄せられるようにピアノの周囲に集まってきた。彼らは蓮華の指が紡ぎ出す音の雫を、乾いた魂で啜り始めるのだ。
霊体と交信できる彼女にとって、ピアノは楽器ではなく、異界の扉を叩くための儀式道具に他ならなかった。
「蓮華様。また、このような悍ましい方々に、御身を削っておいでなのですか」
背後から、氷の針を孕んだような冷ややかな声が届いた。
振り返れば、そこには九条栞が立っていた。
没落した華族の末裔であり、蓮華が通う女学校の「お姉様」と称される、校内一の美貌を持つ少女。彼女の瞳だけが、この店の不気味な気配を正しく「異常」であると認識し、そして同時に、蓮華という孤独な依代を狂信的に愛していた。
栞は、蓮華の肩に、熱を帯びた白い手を置く。
その指先は、蓮華が纏う死の冷気を追い払うように、じわりと制服の布地越しに食い込んだ。
「あの方々に見せてはいけません。貴女のその美しい指も、震える睫毛も。……蓮華様のすべては、私だけのもののはずですわ」
栞の唇が蓮華の耳朶をかすめる。
大正の夜は深く、店内に流れる古い童謡の調べは、二人の少女を閉じ込める鳥籠の軋みのように、どこまでも昏く、重く、響き渡るのだった。
この作品はAI40%、筆者60%で書きました。
原案100%筆者。
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