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また、逢えたね——小さなウソの恋物語——  作者: ゆまみ


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彼女の夕凪(ゆうなぎ)

 アパートの駐輪場で、ブルゾンにジーンズ姿の夕凪が、CBRを入念に点検していた。ウインカー、ブレーキランプも異常なし。シート上のヘルメットに手を伸ばしかけて、ハッとした表情を浮かべた。その途端、夕凪はアパートニ階の自室へと足早に引き返した。

 再び戻ってきた彼女の腕には、もう一つのヘルメットが抱えられている。そのヘルメットを、愛おしそうにポンポンと軽く叩いて、後部座席のボックスに仕舞った。


※ ※ ※


 佐伯インターを降り、大入島の姿が見えてきた。大分市内を出発した頃、雲が低く垂れ込めていた空は、南へ下るにつれてその様相を変えていった。

 シールドを上げ、秋特有の高く澄んだ空を見上げた。潮の香りが鼻腔をかすめる。夕凪はアクセルを一気に開けて、海岸沿いの道を加速した。


※ ※ ※


 昭和の面影を色濃く残した平屋。そのひなびた佇まいから、『高橋』のタイル素材の表札だけが、浮いて出たように目を引いている。

 引き戸の玄関の脇にある牛乳受け箱には、割り箸の先に固定した、ラミネートされたメッセージカードがある。幼い子供の字で『いつもありがとうございます。』と書かれている。

 玄関を挟んだ両脇に、派手さはないが、しっかりと手入れされた花壇があり、家主家族の温厚な人柄を滲ませているようだ。

 低く唸る排気音と共に、夕凪のCBRが高橋宅の前に滑り込み、静かに停車した。夕凪がヘルメットを脱ぐや否や、玄関の引き戸がガラッと勢いよく開き、駿が弾むような足取りで夕凪に駆け寄ってきた。

 「夕凪ねえちゃん! 晴れるって言ったじゃん! ねっ」

 二ヶ月前に会った時と変わらず、元気いっぱいに駿が言う。

 駿は同じ小学五年の子供に比べて小柄で、やや幼い印象を与える。

 以前、髙橋家を訪問してきた教育関係の営業マンに、『ぼくは三年生くらいかな?』と言われた時には、無言で戸をピシャリと閉め、鍵まで掛けたらしい。

 「駿は『晴れ男』だもんね」

 夕凪は黒くツヤツヤとした駿のおかっぱ頭を、くしゃくしゃと撫でたい衝動に駆られたが、抑えた。

 最近の駿は『ぼく子供じゃないし』が口癖らしい。先日、夕凪の伯母・孝子が電話口で言っていた。

 「駿、これ着らんね!」

 駿のジャンバーを手に、孝子がつっかけを履きながら声を掛けてきた。

 「孝子おばちゃん、元気だった?」

 「あん、あん。もうね〜、元気だけが取り柄の五十代よ」

 そう言って、孝子はジャンバーを着せようと、駿の背中にまわった。

 駿は慌てて孝子からジャンバーを奪い、自分で着た。

 「あぁ、そうやったね」

 孝子は少し困ったように笑ってみせた。玄関に戻り、土間に置いてある小さな風呂敷包みを手に取り、夕凪に手渡した。

 「小腹の足しにね」

 「ありがとう。孝子おばちゃん」

 「夕凪ねえちゃん、行こっ!」

 意気揚々とした駿の声に急かされ、夕凪はボックスからヘルメットを取り出し、駿に手渡した。ヘルメットを被った駿は頭でっかちになって、さらに小柄な身体を際立たせた。

 「宇宙人みたいやね」

 孝子の呟きは、ヘルメットのお陰で駿の耳には届かなかったらしい。夕凪だけがクスリと笑った。

 ヘルメットのアゴ紐に手こずっている駿に代わって、夕凪が装着を終えた。ヘルメットを前後左右に動かし、ズレがない事を確認して、「ヨシッ」と夕凪は宇宙人の頭をぽんっと一叩きした。

 「行ってきます!」

 飛び乗るようにしてリアシートに座り、孝子に手を振る駿。

 「落ちんようにね」

 孝子の言葉を合図に、夕凪はバイクを走らせた。


※ ※ ※


 午後二時の波当津海岸。夏の肌を焦がすような日差しと、人々の笑い声は泡沫となり、今はただ、寄せては返す波の音が静寂を際立たせている。

 「海ーっ!」

 波打ち際目掛けて走り寄る駿の甲高い声が、静けさの中を突き抜けていった。人気はなく、風は微かに冷たいが、日差しは暖かい。駿の明るい声に釣られ、夕凪もその空気に気づいた。

 孝子にもらった包みを手に、夕凪はゆっくりと白い砂を踏みしめながら、駿の後に続いた。腰を下ろした視線の先には、水平線と一体化したような群青の空。その空の下、駿が波打ち際で追ったり追われたり、無邪気に波と戯れている。

 そっと目を閉じると、あの頃と変わらない波音が、夕凪の遠い記憶を連れてくる——。


※ ※ ※


 明るく笑う母が居た。父も居た。夕凪が幼少の頃から、母親の生家のある佐伯のここ、波当津海岸に、三人でよく訪れていた。

どこにでも居る普通の家族。仲のいい夫婦だった。そう思っていたのは、何も知らなかったのは、自分だけだったのだろうか。

 "あの頃の"夕凪は、そんな堂々巡りの思考に押し潰されそうになりながら、日々を過ごしていた。

 ——突然だった。

 高校二年だった夕凪が学校から帰宅すると、赤ん坊の駿が居た。持ち運び用のベビーベッドの中、毛布に包まれスヤスヤと眠っている赤ん坊。訳が分からず歩み寄った夕凪は、その愛らしい姿に胸がトクンとなり、微笑みが溢れた。

 茶の間に視線を移すと、まるで金縛りにあったように項垂れている母親が居た。片方の手は力無くだらんと垂れ下がり、もう片方のテーブルに置かれた手の横には、膨らみのある茶封筒と、便箋とが折り重なっている。

 声をかけるのも躊躇われるような気配に、夕凪は自分の全身が凍りつくのを感じた。

 ——ふと、父親の顔が浮かんだ。

 出張だと言い、一週間ほど前に家を出たきりの父。いつも土産は何がいいかと聞いてくる父が、それを尋ねもせず、背中を向けたまま出ていった。何故か遠くに感じたその背中を、夕凪は今になって思い出した。

 スヤスヤと眠る駿の横に腰を下ろし、夕凪はその生命の尊さだけを真っ直ぐに見つめた。

他には何も考えないようにして——。


※ ※ ※


 「夕凪ねえちゃん! 今の見た?」 海を指差しながら、嬉しそうに駿が夕凪を振り返る。水面に投げた小石が、三回跳ねて沈んだところだった。

 「——ごめん」

 「もう……。見ててよ」

 ガッカリした表情を一瞬見せたが、駿は新たに小石を探し、一つ、二つと拾い集めた。

 「えいっ!」

小さな体を大きく後ろにそり返し、水面目がけて思いきり小石を投げた。

 「あ〜……」

 駿は何度も"水切り"をやってみせるが、上手くいかない。その様子を、まるで夏の夕凪のような穏やかな表情で見つめる夕凪。

 「うん。見てるよ。ずーっと——」

 小さく呟いた。

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