JOE’s BARにて
——まだ灯りのついていない、JOE's BARの看板——
「オッパイちゃんと!?」
煌々と照明だけが灯る、BGMさえ流れていない店内に、林田のすっとんきょうな声が響く。
「誰のせいだよ!?」
ハルトが林田を一睨みし、ため息混じりにこぼす。
「……んっとに。酔ってこんなとこでつい口を滑らせたのが運の尽き……」
カウンターの端で、ハルトは両肘をつき、肩をすくめる。
「おいおい、君。今、『こんなとこ』っつったかね?」
カウンターの中で、咥え煙草の東海林がシャツの袖をめくりながら、突っ込む。
「あ、いえマスター、そーいうことじゃ……」
ハルトは慌てて取り繕う。
「そのまんまよ、ね?」
店の奥からカーテンをめくり、凛花が髪を結いながら、微笑混じりに声をかけた。
「今日もキレイっす! 凛花さん」
林田が、色目きたったように声を上げる。
「ありがとう」
余裕の笑みを浮かべる凛花。
「ところでその『おっぱいちゃん』と何かあったの? ハルトくん」
棚に陳列してある山崎のボトルに手を伸ばし、凛花が聞く。
「えっ? ……あ、ハイ、まぁ……」
歯切れの悪いハルトを遮り、林田が面白おかしく煽り立てる。
「先輩、うちのテナントビルで噂の巨乳とデートしたんスよ」
「デートじゃない! だいたいオマエの軽口のせいで成り行き上、仕方なくだ」
「わざとじゃないんスよ。デカい独り言を喫煙所でつい漏らしたら、後ろにおっぱいちゃんが——」
「君達、お下品だね〜。オッパイだのボインだの。品行方正な僕からしたら、耳を塞ぎたくなるね」
煙草を灰皿に押し付けながら、わざとらしく東海林がため息をついた。
「そのボインとばかり付き合ってきたのは、どこの誰かしらね」
ボトルを拭き上げながら、凛花が東海林を一蹴した。
「イヤ〜、そうとも限らないかと……」
東海林の視線が、凛花の胸元で露骨に止まった。
「失礼ね」
凛花は手にしたアルコールスプレーを、東海林の天然パーマに吹きつけた。
「やめなさい!」と言いつつ、東海林は液を髪に馴染ませるように撫で付けた。
「で、先輩。どうでした?」
「何が?」
「大観峰までの密室にオッパイですよ?」
「変態か!? オマエは」
思わず立ち上がり、ハルトは声を荒げた。
「サイズ感は?」
気にも止めず、林田が聞く。
「知らん! オレの背中に聞いてくれ」
「背中? ……ハ?」
額に手を当てうなだれているハルトの背中に、林田が首を傾げながら手をあてた。
「ついでに聞きますけど、先輩」
「あん?」
「なんで未だに"チェリー"なんスか?」
「あんっ!?」
ハルトの肩がピクリと跳ね、背後の林田を振り返り見る。
「イケメンがゆえに謎なんスよね〜」
訝しげにハルトを見る林田。
「まさか、そっちの気が——」
「ポリシーなんだよ。オレの」
背中に当てている林田の手を振りほどいて、ハルトは反論した。
「……ナニ言ってんスか。イミフっス」
「いーよ別に。オマエには分からなくて」
小さなため息と共に、ハルトはスツールに深く腰を下ろした。
「お前ら、バカ話もここまでだ。しっかり金落としてけよ〜」
腰を上げた東海林が、天然パーマの髪を整えながら言う。
「イヤな言い方。だから『こんなとこ』なのよ。マスターもしっかり働いてちょうだいね』
「ハイ、ハイ。働きますとも」
腰に手を当て、首を左右にポキポキと傾けた東海林が、照明スイッチを操作する。
煌々とした明かりと入れ替わりに、琥珀色のダウンライトが灯された。
凛花の細い指先で、レコード盤に針がそっと落とされる。微かなノイズの後に、ピアノ、ベース、ドラムの旋律が、しっとりと店内を満たしていく。喧騒から逃れ、ひとときの非日常へと滑りこむ扉。
——看板に明かりが点き、JOE’s BARの夜が始まった——。




