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また、逢えたね——小さなウソの恋物語——  作者: ゆまみ


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6/15

酒とイワシと親父と息子

 灯りのついていない提灯と看板。暖簾は仕舞われている。

 定休日の札が下がる『こいき』の店内からは、店主・谷山のしゃがれた声が漏れ聞こえている。

 「日曜の夜にむさくるしいオヤジと二人で晩酌かぁ。ハルト! お前のイケメンがカビるぞ」

 かっぷくのいい白髪頭の谷山が、腕組みをしながらハルトをはやし立てる。

 「むさくるしいオヤジはお前もだろ、谷山。むしろ俺は"イケオジ"だ」

 ハルトが口を開くより早く、父親の郁人ふみとが割って入る。白髪は混じっているが、六十近い年齢の割には若く見える方だ。郁人はお猪口の日本酒を呷り、天井の隅を見やった。

 形を崩した蜘蛛の巣が垂れ下がり、暖房の微かな風に小さく揺れている。

 「店と共にお前もくたびれたもんだな」

 「おっ!? 言うじゃねえか。美人とのデートをほっぽらかして、この休みに店を開けてやったってのに」

 「谷山さん、すいません。無理を言って」

 小上がりで胡座をかいていたハルトは、慌てて正座に体勢を整えた。

 「同級生の腐れ縁だ。気にするな」

 「ありがとうございます」

 「今度は綺麗なおネエちゃんと来いよ、ハルト」

 太鼓腹をポンッとひと叩きし、谷山は厨房へと向かった。

 一瞬立ち止まり、ひなびた木のカウンターのヒビ割れを、そっと手の平で撫で、目を細めた。そのまま厨房へまわり込み、ギシッという音を立てながら丸椅子に腰を下ろした。

 小上がりでは、郁人がイワシフライを口に運ぶ。衣がサクッと音を立てる。ゆっくりと噛み締め、口いっぱいに広がった風味を鼻にもくぐらせ、飲み込み、うん、うんと一人頷く。

 「店主はさておき、ここのイワシは絶品だ」

 その瞬間、聞こえてるぞと言わんばかりの咳払いが、厨房から飛んできた。気にも止めず、郁人が続ける。

 「イワシ嫌いのお前が、ここのだけは際限なく食うんだからな」

 「際限なく……ん、まぁ」

 訂正するほどの嘘でもないので、ハルトはイワシの刺身と一緒に言葉を飲み込んだ。付けすぎたワサビがツンと鼻にきて、眉間にシワを寄せた。その様子に、郁人の目尻がフッと下がった。

 「しかし、お前からここに来ようってのはいつぶりだろうな」

 徳利の酒をお猪口に注ぎながら郁人が言う。

 ハルトは大観峰帰りの『184』のナンバープレートを思い浮かべた。

 「イワシが走ってた」

 「あん?」

 「イヤ、大観峰……」

 「ん?」

 「行ってきたんだ。今日」

 「……そうか」

  お猪口を口に運ぶ郁人の手が一瞬止まったが、一気に呷った。郁人につられるように、ハルトもグラスに注がれた泡の消えたビールを飲み干した。


※ ※ ※


 ——十一年前。季節はちょうどクリスマスを目前に控えた、十二月半ば過ぎだった。高校を卒業後、地元大分の企業に就職。ハルトには社会人二年目の冬だった。

 仕事を終え、普段通り大分駅に向かった。下りの電車に乗り、二つ駅隣の高城で降りる。いつもの帰り道。いつもと変わらない景色。今日は一段と冷える。雪までは降らなさそうだが、まだ早いだろうと、冬物のアウターを着なかったことを後悔した。

 去年、母親の美里が選んだものだ。

 『もう子供じゃないんだから自分のものくらい自分で選ばせてくれ』

 いっぱしの口を叩いたあと、ついこの間まで、生活の殆どを母親の世話になっていながらと、妙に気恥ずかしさを覚えた。その時の母親の、寂しいような、嬉しさの滲むような表情。

 ハルトはふと、そんなことを思い出していた。

 「マジで寒っ!」

 こんな日はシチューだとありがたい。そんな期待を胸に、ハルトは母親の手料理の待つ家路を足早に歩き出した。


※ ※ ※


 いつも通り、鍵のかかっていない玄関ドアを開けると、廊下の向こう、扉の開いたリビングから、シチューの匂いが漂ってきた。

 「ラッキー!」

 期待通りの夕飯に、ただいまより先に喜びの声が口を突いて出た。

 手洗いもそこそこに、ハルトは洗面所からシチュー目がけてキッチンへと向かった。ガスコンロの上の鍋が目に入り、ハルトの口元がふっとゆるむ。

 「ただいま!」

 誰もいないリビングに、ハルトの声が響く。ついたままのテレビからは、母親が毎週欠かさず見ているドラマが流れている。確か先週、来週は最終回だからと楽しみな様子で言っていた。

 シチューの匂いに混じって、むせ返るような苦い臭いがハルトの鼻をかすめた。テーブル上の灰皿の端で、タバコが"まだ"煙をくすぶらせている。

 ——何かがおかしい。

 それは帰宅直後、既に感じていたはずだった。ハルトは玄関へ引き返した。いつもそこにあるはずの母親の靴も、父親の靴も見当たらない。得体の知れないざわめきが胸をよぎった。ハルトはその場から動けずに、暫く立ち尽くしていた。

 「こんな時間に……二人、で何を買い忘れ、たんだか」

 ざわめきが心臓の鼓動をせき立てるのを、必死でとめようとする。

——ドンッ!

 玄関ドアに何かがぶつかる音がした。

 「——おかえり!」

 呼吸をするのを思い出したかのように、ハルトは大きく息を吸い込んだ。

 その息を吐き出しながら、玄関越しに話しかける。

 「二人してどこに行って——」

 ドアを開けようと押すが、動かない。

 「?」

 覗き穴から外を見るが、何も見えない。次の瞬間ドアが開き、郁人の姿がそこにあった。一瞬緩んだハルトの顔が、そのまま固まった。

 立っているんじゃない。立ち尽くしている。

 虚な視線はどこにも焦点を結んでいない。

 「……父さん? 母さん——」

 「お母さんは……もう帰ってこない。きっと……」

 郁人はその場に崩れ落ちるように、膝をついた。

 「何? 何があったんだよ? どういうこと!?」

 郁人の肩を両手で揺さぶるが、力無くされるがままだ。

 これ以上、聞いても無駄だ。そんな諦めより、聞くのが怖かった。

 ハルトは背中越しにぽつりと呟く父親の言葉を拾おうともせず、テレビの音に吸い寄せられるように歩き出した。

 後から思えばその呟きは、「ごめん」だったような、「お父さんのせいだ」だったような——。

 途方もなく感じられた廊下の先で、テレビドラマの主人公とヒロインが抱き合って泣いている。なんて陳腐な演出だと思いながら、ハルトは今になって気づいた。

——イヤ、思い出した。

この主人公が、いつか母親が親しげに話していた男と似ている、と。

 だからなんだって言うんだ。テレビから視線を外したハルトは、壁に掛かったカレンダーに目をやった。

 太く大きな赤い○が描かれている。

 季節が変わるごとに家族で訪れる、恒例となった大観峰へのドライブ。予定は次の日曜だった。

 意味を無くした赤い○が、食い入るようにこちらを見つめている。

 テレビから流れている泣き声と、遠く玄関から聞こえてくる嗚咽とが混じり合う。

 シチューの甘い匂いは変わらずだが、その温もりはとうに失われてるだろう。

 ハルトは大観峰の石碑前で微笑む家族写真を、気が遠くなるような時間ただ見つめていた。


※ ※ ※


——十一年間。父と息子、二人で生きてきた。いつからだろう。自分でも気づかぬ間に「お父さん」から呼び名が変わっていた。オレが大人になったからか、それとも父親の白髪が目立つ様になり、心なしか肩が小さくなったが、その割に腹は出てきた。そんな『オヤジ』と呼ぶに相応しい見た目になったからなのか、分からないが。

 「俺も行ってみるかな。大観峰」

 郁人が胡座を組み直して言う。

 「来週にでもどうだ? ハルト」

 「は? なんでオレとなんだよ」

 「なんでって……なんでだ?」

 「なんでだ? ってソレは——、イヤ、オレが聞いてんの!」

 空になった郁人のお猪口に酒を注ぎながら、ハルトが続ける。

 「居ないの? ……誰か」

 「誰かって、誰が?」

 「だから!!」

 ハルトの思いも寄らぬ大声に、郁人は少々面食らった。ハルトのグラスにビールを注ごうと、瓶に手を掛けた郁人だが、ハルトに取り上げられた。宙に浮いた手の持って行きどころに困り、仕方なく頭を掻いてみせた。

 ハルトは手酌のビールをぐいっと呑んだ。

 「ずっと一人ってワケには……いかないだろ」

 責めるでも、慰めるでもない口調で、伏し目がちにハルトは言う。まるで独り言のように。

 「ワッハッハ!」

 ハルトはその豪快な笑い声に驚いて顔を上げた。声の主は間違いなく郁人だった。

 ——そんな笑い方したことないだろ。

 ハルトは怪訝な顔で郁人を見た。

 「ハルト、お前は知らないだろうが、こう見えて俺はなかなかモテるんだぞ。去年のバレンタインなんかにはチョコが三つ。三つだぞ!」

 「経理のおつぼね、清掃員のバアさん、一つはうちの嫁。全部義理チョコじゃねーか」

 新聞を広げた谷山が厨房から茶々を飛ばす。

 「チッ」

 小さく舌打ちして、郁人は谷山を一睨みした。

 「とにかくだ。その気になればいつだって、その、"第二の人生"ってヤツを手に入れることは、ワケないんだよ」

 「もっと真剣に考えろよ」

 十一年間やもめ暮らしの父親の淡々とした口調に、ハルトは半ば苛立ち、つい偉そうな言葉が口を突いて出た。

 「……分かった、分かった。 この話は終いだ。それより、お前はどうなんだ? 彼女くらいいるんだろ? 会社の子か? まさか、水商売じゃないだろうな? やめとけよ——」

 「オレの事はいいんだよ!!」

 矢継ぎ早にまくしたてる郁人をハルトが遮った。

 「……まぁ、そうか……。そうだよな、俺に似て男前だからな。お前は」

 「……似てねーよ、オレは——オレはじいちゃん似だよ」

 今でも鮮明に浮かび上がる母親の顔を、遠くへ追いやるように、ハルトは答えた。親戚から、近所のおばさん達から、口々に言われてきた。

 『本当にお母さん似だね』

 残りのビールを飲み干して、ハルトはポツリと、だが想いを込めて言う。

 「幸せになってもらいたいんだ」

 正面からまっすぐ郁人の目を見た。こんな眼差しを向けたのは、初めてかもしれない。郁人にとってもそうだ。ハルトの真剣な眼差しに、『親と子』という肩書きが揺らぐような感覚を覚えた。一瞬、思わず視線を逸らしたが、すぐさまハルトに視線を戻した。

 「……お前そんな、そんな台詞はアレだ、逆だろ! ふつうは親が子供に言うもんだろ」

 上ずってしまう声に不甲斐なさを覚えながらも、郁人はどうにか威厳を保とうとした。それすら見透かされてるように感じる息子の視線に、郁人はたじろぐしかない。

 「オヤジには、幸せになってもらわなきゃ困るんだよ」

 「……」

 ——ジタバタ劇も、ここまでだ。郁人は観念した。

 「……親に向かって……幸せになって……生意気に」

 郁人は目を閉じ、膝の上の左手で太ももをぐっと押し付ける。喉の奥にせり上がる熱を、無理やり堪えるように。

次の瞬間、ドンッという音を立て、ハルトと郁人が囲む卓上に、一升瓶が置かれた。ぐらついて倒れそうになる徳利を、慌ててハルトが掴んだ。谷山だった。先程まで厨房で煙草を吸っていたその谷山が、傍で目を潤ませて仁王立ちしている。

 「呑むぞ!! 今夜はとことん呑み明かすぞ!」

 しゃがれ声を張り上げ、ドカッと小上がりに座り込んだ谷山は、伏せてあったグラスに酒を注ぎはじめた。

 「酒とイワシと親父と息子。こんなめでてえ日があるか!」

 「意味が分からんよ」

 郁人が少し呆れたように笑う。

 「しのごの言うな! ほら!」

 谷山は残りのグラスに酒を注ぎ、郁人とハルトに差し出す。

 「ヨシッ! 乾杯だ」

 「——乾杯……しましょう!」

 グラスを持つハルトに促され、郁人もグラスを手にした。

 三つのグラスが合わさる軽やかな音が、ハルトの耳に微かな余韻を残した。

 すっかりとばりが降りた店の外。冷たい空気の中、店内から漏れる談笑の声が、夜空に吸い込まれていった。


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