静寂への誘(いざな)い
突風に煽られ、沙苗の"ふりふりスカート"が派手に捲れ上がった。
「キャッ!」
咄嗟に両手でスカートを押さえる沙苗を見て、ハルトの脳裏に、父親に何度も見せられた古い映画のワンシーンが浮かんだ。地下鉄の通気口の上で白いスカートをなびかせる、あの有名なハリウッド女優の姿だ。
「ププッピドゥ……」
つい口をついて出たハルトの呟きに、沙苗は首を傾げた。と、同時に大きなくしゃみを一つ。身震いしながら沙苗は両腕で自分を抱きしめた。ハルトは小さく息を吐いて、自分のトレーナーを摘んだ。
「これ、脱ぐわけにいかないしな」
沙苗をベンチに促し、ハルトは自販機で買ってきたホットカフェオレを沙苗に手渡した。温かい缶を両手で包む沙苗の表情が、少し和らいだように見えた。
ハルトは沙苗の前にかがみ、ピンヒールのパンプスをじっと見ると、躊躇いもなく手を伸ばした。
「ちょ、ちょっとなに!?」
戸惑う声を無視してパンプスを脱がせると、「すぐ戻るから」そう言い残し、それを持ったまま駐車場へと足早に引き返した。
数分後、ハルトは後部座席に放り込んであった「あのダサいジャンパー」と、クロックスを抱えて戻ってきた。 ベンチで裸足をぶらつかせ、心細そうに待っていた沙苗が、ハルトの姿を見て顔を輝かせた——が、その手に持たれたアイテムを見るなり、一転して絶望の色を浮かべた。
「……嘘でしょ」
「はい」
沙苗の足元にクロックスを置き、ジャンバーを差し出すハルト。
「いやいや、こんなの着ちゃったらせっかくのコーデが——」
拒絶を遮るように、ハルトは沙苗の肩へ強引にジャンバーを羽織らせた。
「風邪でもひかれたら迷惑だし」 有無を言わせぬ真っ直ぐな視線。沙苗は一瞬気圧されたように口を噤むと、真っ赤な顔をしてジャンバーの襟元を掴んだ。
※ ※ ※
展望所へと続く遊歩道。遮るものもない開けた場所で、からかうように風が沙苗の髪を踊らせている。
「ヤダッ! 待って〜!」
突然の強風が、沙苗の“女優帽”を奪い取り、空へと放り投げた。沙苗の悲鳴を背に、ハルトは帽子の行くえを目で追った。
その視界に入り込んだシルエットに、ハルトの意識は一瞬で引き寄せられた。
——世界の音が、ふっと消えた。
頬を撫でながら風になびく、艶やかな長い黒髪。凛とした佇まいだが、その横顔には、どこか寂しさが滲んでいる。
黒のレザースーツとのコントラストが映える白い肌は、今にも消え入りそうな儚さを感じずにはいられない。
目前に広がる阿蘇の雄大で美しい景色でさえ、ハルトにはまるで彼女の為に用意された舞台背景のように感じた。
——映画のワンシーンのような、切り取られた絵画のような——
ハルトは釘付けになった。
会ったこともない。これから会うはずもない誰か。なのに、胸の奥に小さな棘が刺さったような、チクリとした痛みが走る。
沙苗が帽子を追いかけて騒ぐ声も、吹き荒れる風の音も、ハルトにはもう届かなかった。
ただ、微かに聞こえる得体の知れないの鼓動を、ハルトは無視出来ずにいた——。




