6 喝
「戦争が終わったとはいえ、騎士の任務がなくなる訳ではない!常に訓練を怠るな!」
「はい‼」
騎士の訓練場に野太い声が響き渡り、本日の訓練が終わった。
服を脱ぐ最中に声が掛かる。戦時中に第二騎士団のAチームで戦ったジャックと二コラだ。彼らは上半身裸のまま、こちらを見ている。
「ノア!見たぞ!夜会でマーガレット様と踊っていたな。あの地味な婚約者とは別れたのか?」
「…そんなわけないだろう」
呆れながら新しい服に着替え終えた。
「でも昨日のノアの婚約者、いつもより綺麗だったと思わないか? まあマーガレット様には敵わないけど」
「あー、俺も思った!あの時の俺達の話を聞いてたりしてな」
人差し指を突き出して、にやつくジャックに、二コラも乗っかる。
「俺達が地味だって言ったのを気にして? だったら感謝して欲しいよ。あれだけ見た目を改良できたんだから」
ハハハ!と笑う二人の話に、ノアは動揺する。
聞かれていた…? まさかな。
「何の話だ?」
「ハワード副隊長!」
腕を組んで仁王立ちのハリスに、ジャックとニコラの肩がびくりと震える。他の者達はとっくに着替え終わり去っていた。
「い、いえ。ノアの婚約者が綺麗になったという話を…」
「地味だと聞こえたが」
「…いやぁ~」
目線を左上に流して誤魔化そうとするジャックは、今にも冷汗が出そうだった。二コラも同様だった。
「お前達!騎士道の十の精神を言ってみろ!」
びりっと腹に響く声を上げたハリスに、二人は恐れおののいた。一斉に声を張り上げる。
「はい‼一つ!篤い信仰!一つ!博愛の精神!一つ!高潔な人格!一つ——以上!」
ジャックと二コラは足を肩幅に開き、騎士棟全体に響き渡るような声で叫んだ。
棟の中にいた人々は、何事かと窓から顔を覗かせる。
ハリスは二人をねめつけた。
「我々、騎士は常に高い精神性が求められる!国に尽くすことが任務であり、国民は全員、守るべき対象だ!その国民を侮辱するとは何事かっ‼」
「…はい‼申し訳ありません‼」
「着替えて訓練場へ行け。指導してやる」
「はい‼」
ハリスの迫力に、二人は蒼ざめたまま慌てふためいて着替え、そのまま走り去った。
二人きりになったハリスは、ゆっくりとノアへと近づく。
「ノア。あの二人の侮辱をなぜ止めなかった?」
ノアは不思議そうな顔で言い返す。
「止める必要が? 彼らには何を言っても無駄でしょう。幼稚性には眉を顰めますが、それは家で教育してもらうものであり、私が彼らに教えることではない」
「…もし彼らの会話を聞いてしまったら、彼女は傷つくだろう」
眉根を寄せるハリスに、ノアは少し考えた末に答える。
「例えば、有名な抽象画を見て駄作だと言い張る人間がいたとします。しかし、それでその絵画の価値が下がりますか? 下がるのは見る目のない人間の価値で、絵の価値は変わらない。傷つく必要なんてないんですよ。彼女の価値は私が誰より知っています」
冷静に言い張るノアに、ハリスは目元を抑えてため息を吐いた。
「…ノア。それは『有名な絵画』だった場合の話だろう。そもそもお前は彼女に価値があることを伝えているのか? 夜会で別の女性と踊るなんて」
「あれは…私は何度も断ったのに、リリーが気を遣って彼女と踊れと言うので仕方なく踊っただけです。言われなくても私はリリーを大切にしていますよ」
「その割に、あのご令嬢がくっついても、振り切らなかったじゃないか」
「マーガレットは昔から頑固で意思を曲げないんです。少し満足させてやった方が、かえって早く離れてくれるかと」
ハリスは呆れかえって、ノアの肩に手を置いた。
「いいか、ノア? 誰しもがお前のように客観的、合理的に物事を見ているわけではないことを覚えておけ。気にする必要のない事に心を砕く者もいるんだ。彼女は繊細に見える。お前とはタイプが違う」
「なぜ昨日会ったばかりのハワード副隊長にリリーのことが分かるのです?」
強い眼差しを向けられ、ハリスは鼻で笑った。
「分かるさ。少し話しただけでも彼女の健気さや気配りは伝わってくる。伊達にこの若さで副隊長をやってないぞ」
「自分で言います?」
「ハハ。まあ、後悔する前に行動しろよ。昨夜の夜会での振る舞いはひどかったぞ。それと、お前のその目、上官に向けていいものじゃないから」
ハリスはそれだけ言うと「じゃあな」と訓練場へ行ってしまった。
訓練場の真ん中でポツンと立ったジャックと二コラはその間ずっと、窓から見下ろす他の騎士達の、にやけた好奇の目に晒されていた。