4 夜会
夜会当日、馬車で迎えに来たノアは、赤いドレス姿のリリーに一瞬、驚いたような顔になった。しかし、すぐに馬車へとエスコートする。
「ノア様。折角来てくださったのに、顔も見せられずに申し訳ございませんでした」
「いや、いいんだ。体調が直って良かった。久しぶりに君の顔を見られて嬉しいよ」
「ありがとうございます。ご無事な姿を拝見し、私も安心致しました」
いつものように笑ったつもりだったが、できただろうか?
自信がなくて、視線を彷徨わせる。
「今日の君は一段と美しいね」
「……ありがとうございます!ノア様も素敵で見惚れてしまいました」
精いっぱい微笑んだ。
その後も会話を振ってくれるノアに、リリーは努めて明るく振る舞った。
戦争の勝利を祝う夜会は、いつもより豪華で会場は人で溢れている。
腕を組んで中へと入るなり、色々な方に呼び止められた。戦争で武勲を立てたのだと噂に聞いた。爵位を賜るかもしれないという。
ますます私などが婚約者では勿体ないわ。
「ノア!」
マーガレットはリリーの反対側に立ち、ノアの右腕を掴んだ。
「待っていたのよ!あら、こちらが婚約者の方?」
「ああ。リリー。紹介するよ。こちらマーガレット・ガルシア。僕の幼馴染だ」
…幼馴染。
「マーガレットです。初めまして。聞いていた通りの人ね」
リリーを上から下まで見た後に挨拶をした。
卑屈になりそうな自分を抑える。
「こちらが僕の婚約者であるリリー・ワトソンだ」
「リリー・ワトソンです。お会いできて光栄です。マーガレット様」
笑顔を作った。
「ねえ、あそこに移動しましょうよ」
マーガレットの提案で、丸いテーブルを三人で囲む。片手にはワインを持った。
「マーガレットは最近まで留学していたんだよ」
「ええ。私、絵に興味があってどうしても本場を見てみたくて」
「そうなのですね。素晴らしいわ。どなたかお好きな画家の方でも?」
マーガレットはお気に入りの画家の好きなところや、留学で身につけたこと等、身振り手振り教えてくれた。
女性で留学をする人なんてこの国には、ほぼいない。意思の強さと行動力がある証拠だ。話し方も明瞭で、表情の豊かさときたら…。
「あ、そうだ。リリー様はお菓子作りが趣味なのですって?」
突然のマーガレットの質問に、ドクンと、胸が鳴った。
「……今は、もう止めました」
「えっ」
ノアが困惑したような声で、「どうして?」と尋ねた。
「…飽きてしまって。それに令嬢として相応しくないですし」
「そうねぇ。自分でお菓子を作るなんて令嬢がすることではないものね」
マーガレットが冷笑するのを、ノアが諫める。
「マーガレット!」
「仰る通りです。お恥ずかしいわ。絵画はとても良い趣味ですね」
リリーは自分を嗤った。
「あ、アレクじゃないの!こっちよ」
マーガレットが呼ぶと、アレクと呼ばれた青年は女性陣を振り切り、こちらへとやって来た。綺麗な黒髪に、お洒落な服装で、彼が通る度に女性が振り返る。
「やあ、皆様お揃いで」
「リリー、紹介するよ。アレク・コールマンだ。こちらも僕の幼馴染で、外交官をしている」
「アレクと呼んでください。初めまして、リリー様。赤いドレスがとてもお似合いですね。あなたの落ち着いたブラウンの髪にぴったりだ」
アレクは人好きのする顔で自己紹介をした。リリーも挨拶をする。
「リリー・ワトソンです。ありがとうございます。アレク様にそう仰っていただけると自信がもてます。素敵なネクタイの結び方ですね」
どうやって巻いているのか分からない個性的なネクタイの結び方は、彼のこだわりの証だ。
アレクも椅子に腰かけ、四人で歓談する。
「私達は全員、伯爵家の子という事もあって、よくこの三人で遊んだのよね」
「ああ。いつも一緒だったな」
「リリー様も伯爵家だったかしら?」
「あ、いえ。…我が家は子爵家で」
「あら、そうだったの。でも気兼ねしないでね」
にっこりと笑うマーガレットに小さくお礼を言う。
「家格なんて関係ないさ。大事なのは個人の資質なんだから。それにしても懐かしいな。マーガレットが留学してから会ってなかったし」
「やっぱりこの三人が一番しっくりくるわ!ねえ、覚えてる? 五歳くらいの時に——」
それからは昔話に花が咲いた。三人は昔を回顧し、同じ場面で同時に笑う。
「それで、あの時ノアったら——」
「ああ、あったな!」
あはは、と笑う三人の会話の合間に、相槌と質問をすることで会話に混じる。
…過去を知れるのは嬉しいけれど、仲良く話す二人を見るのは、さすがにまだ辛いわ。
「貴重なお話をありがとうございました。とても楽しかったです。友人を見かけたので、挨拶をしてきますね。マーガレット様、アレク様、また是非ご一緒してください」
「じゃあ、僕も一緒に」
「いいえ!久しぶりの再会ですもの。ノア様もまだまだ話したりないことも多いでしょう。私一人でもご挨拶はできますから」
「いや、もう十分話したよ」
「良いじゃない、ノア。リリー様がそう仰ってくれているのだもの」
マーガレットはノアの手を掴み、座る様に促した。ノアに顔を近づけたまま、リリーに言葉をかける。
「リリー様、ごめんなさいね。三人にしか分からない話ばかりしてしまって」
「いいえ。私には幼馴染がいないので、羨ましくも興味深くもあるお話でした。また聞かせてください」
それでは、とその場を去った。
もしノア様と結婚したら、きっとこういう場面が増える。耐えられるかしら…。
胸が押しつぶされそうだった。
一人になると周囲のざわつきとともに、会話の内容も聞こえてくる。
「御覧になって、ノア様よ!アレク様もご一緒なんて来て良かった!」
「ノア様の隣の女性はどなた? ノア様の婚約者って、もっと存在感のない方じゃなかったかしら?」
「婚約破棄されたのかしら? 彼女の方がずっとお似合いだわ!」
きっと今までもこういう風に言われていたんだ。ノア様と一緒だったから聞こえてこなかっただけで…。
駄目だ。落ち込むな。最初から私の評価なんてこんなものなんだから…。
「リリー!」
「トレイシー」
トレイシーは、軽く手を振りながらリリーに近づいてきた。青いドレスが金髪を際立たせている。
「リリー。久しぶりね!どうしたの、そのドレス!赤なんて珍しいじゃない」
「そうなの。今日はそういう気分だったから。…でも、私には少し派手過ぎたわ」
「何を言うの!とっても良いわ!私はその方が好きよ」
「ありがとう、トレイシー」
今まではノア様を連想させる黄や緑のドレスしか着なかった。お揃いであることが嬉しくて、そればかりを着てしまっていた。
今日は、絶対に違う色と決めていたのだ。
「メイクも変えたでしょう? 最初誰か分からなかったのよ」
「そんなに変わっていないわよ」
「ううん!全然違うわ!周りの男性達も見惚れていたもの。やっぱりノア様が帰っていらしたものねぇ。あんなに素敵な男性はそういないわ。ところで、ノア様と話していらっしゃる女性は誰?」
「マーガレット様ね。一緒にいらっしゃるアレク様も、どちらもノア様の幼馴染なの」
こうして遠目に見ても、あの三人はよく目立っている。
地味な私は場違いね…。
「幼馴染⁉ なんて危険な響き!ノア様の横にいなくて大丈夫なの⁉」
「ええ。先程まで一緒に四人で話していたのよ。でも中々、話に入れなくて」
「そうよねぇ。三対一じゃねぇ。じゃあ、向こうで一緒に飲みましょうよ」
「いいわね!」
トレイシーがいてくれて良かった。