05 その名はBON
「いったいドウなされたのデスカ、華久也サマ?」
流暢な機械音声が響く。
静かなエンジン音と振動だけが満ちる、移動中の車のなか。後部座席をひとり悠々と陣取る主に向かって、その機械はお小言をまくしたてた。
「普段カラ『一秒たりとも居たくない』ナドとおっしゃってイタお祖父サマの美術館に、あろうコトか、今日は二時間近くも足をお留めになってたんデスヨ?
ソノ間、心配のアマリに何度もコールを送ってイタのに……ソノ都度、ソノ都度、無下にするナンテ……」
口うるさく述べたのち、彼の電子回路は思考する。
きっと主は不快感を示すだろう。すぐに『うるさいぞ、BON』と自分の愛称を呼んで、けげんな顔つきでたしなめてくれるはず……。
サイドテーブルの丸い窪み──接続器に埋まっている半球の機体が振動する。ボディライトが点滅し、高性能AIが予測……もとい期待をした。
「…………」
ところが、機械──BONの当ては外れることになる。
彼のご主人こと月丸華久也は、その整った眉を一ミリとも動かそうとはしなかったのだ。
「マッタク、華久也サマは酷いお方デス!」
多少の無視は慣れっこだ。今度はあえて強い口調で、主の関心を買おうとした。
「ひとり車で待たさレルBONの身にもなってクダサイ。コウなったら取るベキ最終手段バカリにと、コノ車ゴト建物に突っこんでイッテ直接お迎えに上がろうトモ考えマシタヨ!
……フフッ。マァいまのはモチロン、ジョークデス。サスガに人間の礼節と常識から逸脱した行動を取りタイとはBONも思いマセンシ、仮に決断したとしてもプログラムのセーフティ上の関係カラ、実行を強制的に却下させられマスカラネ」
刺激的な発言のあとには、必ず愉快な冗談を挟んだ。場を和ませる気づかいを忘れない。
完璧だ。
こんな器用な芸当は、そんじょそこらの凡スペックのAIに真似できるものか。機械としての己の特別な優秀性を自負しつつ、BONはカメラアイを動かした。
ちらり、再び主の表情をうかがう。
「…………」
しかし、結果はなんら変わりなかった。
華久也は無反応、興味の欠片すら抱いていない様子であった。
白革のシートにゆったり座りながら、その眼差しを一点にのみ注いでいる。正面のテーブルに設置された、なんの面白みもないタブレットの画面へと。
期待への高揚感との差分に、BONの人工頭脳は『虚しさ』を覚えた。ネガティブな負荷を避けるためだろう、彼は『自身が何者であるべきなのか』、内部メモリを掘り返す処理をはじめた。
ひとまず、目の前にいる主のことから再認識を開始する。
主の名は、月丸華久也。
十六歳。大富豪の月丸源治を祖父に持ち、セレブの家系として名高い月丸一族の少年である。本人も幼少期から類いまれなる才を発揮シ…………文武両道かつ容姿端麗のお金持ち、若くして世界の頂を知る『超すごい人』なのだ。
現在は八田ヶ瀬市月見台にある祖父の別邸にて一人暮らしをしている。同市の私立セレーネ学園に通いながら、学生生活を満喫されているようだ。
再認識の途中で、車内の振動がより微弱になり、エンジンがアイドリング状態に変わったのを感知した。
信号機を前に停車したのだろう。GPSで現在の位置情報を確認すれば、車は美術館の建つ月見台の丘から市街地へと入ったようである。祖父から任された仕事を終え、華久也はこれから、その件の学園へ赴くところなのだ。
ちなみに車は完全自動運転である。市場にもまだ出まわっていない新型車種で、華久也の所有物だ。
もちろん、自動運転の車が公道を走ることも、ましてや未成年だけの乗車を認可する法律は、まだこの世に整っていない。しかし、そこはコネの力。八田ヶ瀬市の現市長に掛け合って、特例として『通学時の利用及び指定のコースに限る』という条件のもとで了解を得たのだ。
まさに月丸の名が成せる業である。
そんな主の素晴らしさを再認識したあとで、BONは次に自身の情報を復習しはじめた。
サイドテーブルにて、ボディライトが点滅をくり返す。
……わずか十秒ほどで、すべてのメモリを読み返す作業が完了した。自身のアイデンティティとともに自尊心を取り戻したBONは、さっそく車内機能の一つ、スピーカー装置に接続した。
そして、親愛なる主に――大音量で呼びかけるのであった。
「華久也サマッ! いつまでボンヤリされているのデスカ!」
「おわっ! な、なんだっ……急に!」
「コノBON、全称『Buddy-Oriented Navigator』──華久也サマのお世話ロボットとして、ご主人の体たらくぶりを見過ごすワケにはいきマセン!
サァ、いまカラお勉強しに学園へ行くのデショウ? 着替えもマダじゃありまセンカ! 早くご準備なさってクダサイ!」
喝とともに、車内のあらゆる収納──クローゼットやボックスらがいっせいに飛び出した。一部、主の頭に当たった気がするが、
気にしないでおこう。
さすがの華久也も、我に返ってくれたようだ。
ワナワナと肩を震わせて、BONの機体が収まっているサイドテーブルを鋭く睨みつけている。その視線をカメラアイで認識したのち、BONは誇らしさからボディライトを点灯させた。
数秒後、華久也はあきれたような短い息をついた。
「……ああ、わかったよ、BON。準備は必ずする、だからとりあえず車内機能とのリンクを解除しろ」
命令口調で強めに指示されてしまっては、機械に為す術はない。主である華久也からの要求に、BONは速やかに収納を戻して、車内機能の接続を切った。
接続器であるサイドテーブルの溝から、球体のボディを転がす。細かく機体のパーツを動かして……通常体である、小さなロボット形態へと変形した。
「……フゥ、ヤハリ、コネクト用のボール状態ヨリも、自由に動きまわれるコッチのカラダのほうが断然イイデスネェ」
蜘蛛やヤドカリを連想させる、六本の爪が立った脚。
ロボットらしい鉗子の手を左右にそろえ、ゴーグル型の頭部には電子画面が取りつけられている。三百六十度動くカメラアイとは別に、感情を伝える記号の目がまたたいていた。
全長十三センチ。人とのコミュニケーションを育む目的で造られた、いわゆるお友達ミニロボットというやつだ。
もっとも、BONは玩具とはわけがちがう。
スーパーセレブの月丸華久也に相応しい、『格』のある高性能AIロボットなのだ。
改めて、ミニロボット形態のBONは、華久也に向き直る。
だが、安心したのも束の間、当人ときたらまたタブレットの画面を見つめ出しているではないか。結局ふりだしに戻ってしまった。失意から、今度こそBONは主に憤慨した。
「モウッ! 華久也サマってば! BONのコトを無視しないでクダサイ!」
脚を折り曲げ、ミニロボットは華麗に跳躍する。さながらピノッキオに登場する良心役のコオロギのように、軽やかにBONは主の肩に乗っかった。
耳元で直に訴えようと思考するも、途中、カメラアイが主の見ているタブレットの画面に反応した。
てっきり、株価の推移でも観察しているのかと思っていた。
ところが、じっさいの画面に表示されていたのは映像である。室内を斜め上の一角から見下ろした――監視カメラの映像だ。
はて? 見覚えのある風景だ。
すぐさまメモリ内から、答えが算出される。そこは先程、あとにしたばかりの美術館──『月丸源治記念美術館』内にある、東棟の小展示室だ。
何故、華久也は小展示室の監視カメラの映像なんてものを見ているのだろう。それも現時刻の状況を流す、ライブ映像などを。
その疑問の解答につながりそうな要素を、BONはすぐさま映像内で発見した。
室内には一人の人間がいた。二十代半ばの成人男性、まだメモリには記録されていない人物である。
男は壁に掛かった一枚の絵画の前に立ち、そればかりをひたすらじーっと見つめている。微動だにもしない、その奇妙な姿に……BONの素晴らしき人工頭脳が一つの解を導き出した。
「ド、ド、ド……ドロボーッッ!」
最大級の爆音で、BONは叫んだ。
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