04 月丸華久也
「カーグーヤーサマァアア!」
機械声の爆音が静寂を裂いた。同時に鳴り響く、けたたましいサイレンの音が場の空気をかき乱す。
少年が飛び上がったのも、無理はない。騒音は、彼の腕に嵌まったデバイスから発せられていた。
無駄と知りつつも、少年は慌てて片方の手でデバイスを押さえこむ。突然のことにまぶたをしばたたかせている男に、気まずい苦笑を向けた。恥と焦燥に、顔は完全に引きつっている。
「オ、オレ、呼ばれているみたい……だから、それじゃあ!」
そう言い残して、少年は逃げるように小展示室から飛び出した。
早足でエントランス、渡り廊下と一気に突っ切って──いまだうるさいサイレンを引き連れたまま、西棟へと戻ってきた。
息の上がった少年を西棟にて出迎えたのは、警備服を着た初老の男であった。
「月丸館長」
垂れたまぶたを持ち上げて驚いたような顔をしているが、普段どおりの落ち着いた声色で、初老の男は少年を呼び止める。
「今日はまたずいぶんと長くご滞在なさっているので、途中お声をかけようかと迷っておりました。大事はございませんか?」
初老の男からの問いに、「なんでもないよ、藤崎」と少年は名を呼んで答える。
「なにもない。オレはいつもどおり──だっ!」
語尾を伸ばしながら手首のうるさいデバイスを外すと、それを勢いよく床に叩きつけた。靴裏で思い切り踏みつぶす。バキッと、機械の悲鳴とともにサイレンの音は永久に静まった。
どこからか清掃ロボットが現れ、無残に砕け散った元デバイスを回収していった。少年が安堵の息をつくのも束の間、すぐさま表情を引きしめて、当美術館の警備主任こと、目の前の初老の男──藤崎に、仕事の報告を伝えた。
「今週のマシン及びセキュリティのチェックは完了した。全機異常なし、オールグリーンだ」
端から見れば祖父と孫ほどの年齢差のある二人だが、じつは少年のほうが立場が上だったりする。それでも藤崎警備主任は嫌な顔を一つも浮かべず、「はい、館長。お疲れさまでした」と、朗らかなままお辞儀をした。
館長と呼ばれた少年は「あとは頼んだぞ」と短く言うなり、足早に藤崎の脇を通り抜けていった。
時刻は昼に近づいている。
ありえないほど、長居をしてしまった。
午後の予定に間に合うかどうか、わからない。ともあれ、少年は入場口を目指して、西棟のロビーを突き進んでいった。
そのロビーの中央には、来場者を出迎えるように巨大な銅像が設置されている。真横を通過する際、少年はこの悪趣味な像に白い目を向けるのを忘れなかった。来るときも去るときも、毎回欠かせないルーティンなのである。
和服に袴姿の、大変恰幅のよろしい老人の仁王立ち像だ。
つるりとした頭に、わずかにたくわえた顎ひげ。底抜けに明るい笑みを浮かべ、歯をニカリと光らせるその様子は、まさに本人の豪胆ぶりを見事に表現している。
『我が人生は常世の春なり』とでも謳いたいのか、その手には扇を広げている。扇面の真ん中には正円──そこだけ金箔でも施されているのか、美しい黄金の丸を見せびらかしていた。
じっさいの等身よりも二まわりほど大きく造られているため、威圧感とバカバカしさが強烈である。像のキャプションには、こう名が打たれていた。
『月丸源治、全身像』と。
そう、この人物こそが当美術館の──正式名『月丸源治記念美術館』の創設者であり、オーナーさまなのである。
「金鉱脈の発掘と己の商才のみで一財を成し、奇跡の大富豪としてのし上がっていった男……月丸源治」
入場口の自動ドアが開く手前、少年はふと足を止めて銅像へと身を振り返らせた。相も変わらず白けた半目で像を睨みながら、彼は偏屈そうに口を曲げる。
それから、バシッと華麗に空気を鳴らす。懐から取り出したるは──半月に開いた扇であった。
像と同様に、少年の扇の面にも金の丸が輝いている。極上の望月……日の丸扇子ならぬ、月丸扇子である。
少年の目は銅像から次に、キャプションの横にある月丸家の家系図へと動いた。
大富豪、月丸源治には六人の子どもがいる。どの子どもも、源治本人が商才に長けていたように、各々なにかしらの事業で成功を収めた。そのことから『月丸』の名は、世間の注目をいっそう集めていった。
いまや『月丸一族』と言えば、セレブ家系の代名詞だ。そして世代は移る。家系図の末端、華を添えるよう記されたその名に……少年の目は細くなった。
──華久也。
月丸華久也。
それが少年の名である。
「……ハァ」
開いた扇で口元を隠したまま、少年──もとい月丸華久也は短い息を吐く。
己の輝かしい出自など、いまはどうでもよかった。
視線は自ずと追いかけてしまう。銅像の向こうにある西棟の渡り廊下へ……いや、その先の東棟、さらに奥にある小展示室の……きっといまも件の疎ましい絵画を見つめ続けているであろう、かの人へと。
すでにプライドは粉々に砕かれた。それでも敗退は認めたくないから、できるだけ体裁を整えた早足でここまで駆けてきた。そばを離れて、また少し頭が冷静になる。
(残ったのは、純粋な興味のみ……)
心の内で認めてしまえば、再び足先が傾きかける。
だが、背後からの追撃がそれを許さなかった。
自動ドアを隔てた入口の外から、車のクラクションが鳴る。振り向けば、急かすように向こうで愛車が止まっていた。
二度目の騒音を鳴らされる前に、少年は廊下に背を向けて床を強く蹴った。今度は逃げ出すように駆け、自動ドアをくぐり抜けた──そして、美術館から去っていった。
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