第7話 籠城
何かを決めなければならないことは、実はとても辛いこと。
「旦那。例の金の融通の仕事、走り出しは順調です。今まで商売に二の足を踏んでいた者たちが、ここぞとばかりに事業を始めているようです。」
サイモン・ドーンの声は大きい。特に、今手掛けている仕事が順調となれば、必然的にテンションが上がっていることだろう。
「それは何よりです。ただ、きちんと金の管理をさせ、貸した金が確実に回収できるか見極めていくことが必要です。帳簿をきちんとつけさせること、それを定期的にチェックしていくことが、地味な作業ですが大切です。」
宇賀神が答えた。商務部と商会の事業は順調な滑り出しを見せている。情報網をフルに使い貿易業等で獲得した金銭を、今度は金のまま運用して増やしていく。
金融業の黎明期を自らが作っていることは感慨深かった。前いた世界でも銀行とやりとりする業務を担当したことがあるし、知識レベルでは金融についても学んできた。
実際にこちらの世界で似たような組織の設立に携わってみると、色々苦労も多かったが、同時に興味深くもあった。良い経験をさせてもらったと思う。
(ただ、前の世界だったら間違いなく官民癒着ではあるな。)
宇賀神はドーンに見えないよう苦笑する。ある意味役所と地元企業が、良く言えば共同事業、悪く言えば完全癒着しているようなものだ。
(いずれ役割分担を整理していかなければならないな。)
そんな思考は、ドーンの発言に遮られた。
「旦那。つかぬことを聞きますが・・・いつまで内務局で働く予定ですか?」
芯を食った質問である。
現在の宇賀神の立場は、記憶を失い保護された後、能力を買われ内務局の繫忙期を手伝い、そこでの手腕をさらに買われ、アリッサの強い希望で商務部付きとなり、そこでの事業も成功を収めつつあるという状態である。
冷静に考えたら正式に採用されていないわけである。家も保護されたときの施設になんとなく居座ってしまっている状態だ。
人の出入りが激しい商業都市ということもあり、最初の数か月にあったような奇異の目で見られることは減ったが、少なくとも家くらいは見つけて出ていかなければいい加減迷惑になる気もするし、仕事についても考えなければならない気もする。
「確かに、立場上はお手伝いに近い形ですしね。仕事や家のことも、おいおい考えなければならないかもしれないですね。」
「もし旦那がよろしければなんですが、うちの商会の顧問になりませんか?満足いただける給料を用意しますし、家と手伝いの者も準備します。」
突然ではあるが、魅力的な提案であった。
同時に、ドーンの狙いも透けて見えた。商務部との共同事業という形をとっているが、商務部は小さな組織だ。実際に事業を動かしているのは、商会の組織力によるところが大きい。
ここで、今回のプロジェクトの主体である自分を引き抜けば、なし崩し的にこの事業は商会が独占できる。腕一本でのし上がってきたドーンらしい、豪腕と寝技のスキルを垣間見た気がした。
そして、根無し草にいつ戻るかわからない自分にとっても、まったくもって悪い話ではない。金を貯めたら、自分で商売を始めるのもありかと考えた。宇賀神はそんな計算をしながら答えた。
「とてもありがたい話ですね。今の仕事に区切りがついたら、前向きに考えたいと思います。」
「ぜひ検討してください。お待ちしておりますよ。」
憧れのヘッドハンティングをされた・・・世界は違えど、気分は良いものであった。
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基本的に仕事の無茶ぶりには慣れているつもりであった。別部署にも関わらず「確定申告の数値がバグった」と古巣の経理部に緊急招集されたこともあったし、金融機関や取引先とのトラブルに駆け付けたこともあった。
ただ、これ程の『無茶ぶり』はそうそうないと言えた。
きっかけは、予定通りならば数日前始まっているはずの連邦会議であった。
当初予定されていなかった議題が思ったよりこじれたらしく、数名の幹部に追加招集がかかったのだ。その中には、兵站部長、つまり武器弾薬や兵糧等を管理する者が居た。
軍学の勉強をしてみて気がついたことがある。この世界の軍学において、派手な戦術論はかなり発達しており研究も進んでいるが、兵站論は少々軽く見られているということだ。
多くの幹部が当初から会議に出席する中で、微妙に出世コースから外れている者が務めている兵站部長は、居残り組となっていたのである。
ただ、ライツ側が想定していたより周辺国との緊張状態は上昇していたようだ。
ライツ側にも相当な物資供与が要求されたとみられ、担当官同士で急遽協議することとなったが、そこで状況を知る責任者が必要となったとのことである。
そして、無茶ぶりが起きたわけである。兵站部長が不在時、責任者の代理を務められる将校が居ないとなった。
役職では相当するものが居るには居るが、それらの者は最新の物資備蓄状況や調達ルートに不慣れであった。
ライツは公的な物資調達を、最近はドーン商会に委託している。ネットワークを駆使し、価格の安い場所で、安いタイミングで仕入れる。これにより、ライツの物資状況は飛躍的に改善していた。その窓口となっているのは、他でもない宇賀神である。
さすがによそ者には・・・となるかと思ったが、アリッサからの直々の指示により公的機関である商務部に張り付けられ(一応、商務部長付き、形式上のナンバー2である。)、そしてそれなりの年齢であり(悲しいかな。兵站部は部長を除けば宇賀神が最も年上となる)、最新の調達ルートを掌握している。
これらの条件が重なり、最終的には緊急会議により、宇賀神は兵站部長不在時の「兵站部長代理」を務めることとなった。
まあ倉庫の備蓄状況や調達ルートはわかっているので、仕事に不安があるわけではないが、初の「軍務局」の仕事である。
内務局と異なり、男性率が相当高い。また、知り合いが減ったので、久々のよそ者扱いはあまり快適とは言えなかった。
「会議が終わるまでのワンポイントリリーフかね。」
独り言をつぶやきつつ、割り当てられた執務室を見渡す。部長の部屋というからさぞ広いかと思ったが、はっきり言って狭い。
そもそも軍務局は城内で城主に近く、それでいて日当たりも良い場所で仕事をしているが、なぜか兵站部には北側の暗いスペースが割り当てられていた。
(扱いが悪いな。ロジスティクス軽視の象徴でもあるのかねえ。)
少々失望しつつ、部屋を出る。「兵站部長代理」就任のあいさつを「領主代行」にしに行かなければならない。
アリッサの弟、ヘイルという名前だったと思う。直接話したことはないため、初対面となる。
(まあトラブルは起こさないでおこう。あくまで代理だ。皆の帰還までしのげればいい。)
あいさつ回りは正直面倒ではあったが、今後の円滑な生活のため、義務的な気分で城主の間に足を向けた。
(ここをしのぎ切ったら、商会の顧問就任の話の詳細を聞きにいこう。)
ふと思い出していた。人事異動はどこの世界でも憂鬱なものだと、改めて認識させられた。
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「ヘイル様、失礼いたします。この度兵站部長代理を仰せつかりました宇賀神と申します。部長不在の間、精一杯業務に努めますので、よろしくお願いいたします。」
こんな声だったのか。そういえば初めて声を聞いたかもしれない。ヘイルは改めて記憶を探る。確かに、今まで話したことはなかったし、そもそも自分が避けていたことが原因でもある。
ウガジン・・・その名前が耳に入ることが、ここ数か月で急激に増えた。よくわからないが、税務や商務でかなりの業績を上げたとか、こいつのおかげで軍需物資の状況が改善したとか、概ね良い評価ばかりである。
領主の息子であり、正統後継者である自分にとって、ライツの状況が良くなって困ることは一つもないはずだ。
ただ、『気に食わない』のだ。
男が身を立てるなら武術ができなければならないだろう。金や兵糧や武器などというものはあくまでおまけである。
ヘイルよりははるかに年上に見える目の前の男は、およそ戦場で剣を振るえるようには見えない。
(なぜ姉さんはこんな男をほめるのだ。全く男らしくないじゃないか。)
アリッサとの会話をいくつも思い出す。
「会計への理解が深くて、とても助かったわ。」「視野が広くて、私自身はっとさせられることがある。」「新しく始めた事業がうまくいっているらしいわ。このライツの発展のためにも、できるだけ応援していきたいと思っているの。」・・・
イライラする。自分は昔から計算や金の話は苦手だった。
だからこそ、誰よりも強くなろうと思った。そのための努力もした。ただ、最近は金だ武器だ兵糧だと細かい話をするやからが増えた。
男は戦場で戦って、女を守ることが使命じゃないのか・・・姉さんも目を覚ますべきだ。細かい仕事のしすぎで、考え方が歪んでしまったのか・・・
色々な感情がごちゃ混ぜになり、ウガジンの発言に対し、反応が遅れた。気まずい沈黙が流れる。
一呼吸おく。色々言いたいことはあるが、自分は領主代理なのだ。どしっと構えておかなければならない。少し考えて、口を開いた。
「うむ。兵站部長が不在となり、不安がるものもいる。精々しっかり努めてくれたまえ。くれぐれも、失策のないようにな。」
負の感情が勝るせいか、とにかく相手を否定したい、下に置きたい気持ちが言葉に出る。それらを完全に隠し通し、「建前」で綺麗な言葉を紡ぐには、彼は若すぎた。
「はっ。この宇賀神、御迷惑とならないよう職務に精励いたします。よろしくお願いいたします。」
宇賀神は即座に模範的な回答を返してきた。それすら気に食わない。自分の若さゆえの未熟な言動を嘲笑われているように聞こえる。
「もう下がってよい。私は忙しいのでな。」
宇賀神が一礼し退出した。ヘイルはため息をつく。自分は何と戦っているのだろうか。
多少の自己嫌悪が芽生えるが、それを振り払った。
自分の考えが正しいに違いないのだ。姉さんだって、仕事ばかりしているから疲れているのだろう。あんな仕事ではなく、こちらの・・・父上の、そして自分の身の回りの職務をする仕事になれば、考えも変わるだろう。
大人になってから話す回数が減った姉のことを思いつつ、ヘイルは城主の間を何気なく見渡した。
いずれ自分の居場所になるはずのこの部屋は、相変わらずなぜか居心地が悪い。
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平和な日々が終わるのは、大体において突然である。
その日は朝から快晴だった。ヘイルは部下とともに廊下を歩く。父上や姉さんが居ない城内はなんとなく寂しさを感じるが、同時に自分が一人前になったような感覚を覚える。
ヘイルは多少の自己肯定感を覚えつつ、午前中に設定された一部幹部との打合せに出席した。
退屈な報告が続く。正直、何を言っているのかわからない。ただ、それらしくうなずく。
恐らくこの報告者も、この「領主代行様」が何もわかっていないと気付いているのではないか・・・先ほどまで持っていた自己肯定感がしぼむ。
(俺の武術を披露したいところだが、普段はそんな機会はほとんどないものだな。)
そんなことを考えつつ、早くこの時間が終わってほしいと考えた。
突然だった。情報担当将校が緊急の入室許可を求めてきた。それを許可する。何事か。まさか首都で父上か姉さんに何かがあったのか・・・
その報告は、ヘイルの想像を完全に超えていた。
「報告いたします。国境付近のタイリェス砦から緊急連絡。隣国、イルジェンの軍から本日未明大規模な攻撃を受けたとのこと。全力で防御中、至急救援求むとのことです。」
会議室がざわめきに包まれる。ヘイルも言葉を失った。現在のライツのトップが凍り付いているのを見かねて、軍務担当が口火を切る。
「敵の兵数等状況について追加報告があり次第報告せよ。ヘイル様、直ちに関係部局を集めて対応につき会議を開催いたしましょう!」
ヘイルは無言でうなずいた。落ち着いているからではなく、何を言えばいいかわからなかったからだ。
城内は混乱を極めた。結局それから2時間近くかかり、関係部局の担当が城内の会議室にようやく集結した。
少し落ち着きを取り戻したヘイルは、情報担当将校に改めて報告を求めた。
「はい。国境付近のタイリェス砦から緊急連絡があり、隣国のイルジェン軍から本日未明大規模な攻撃を受けたとのことです。第一報では全力で防御中、至急救援を求むとのことでしたが、先ほど第二報が入りました。タイリェス砦は既に陥落したとのこと、先ほど、砦を脱出した兵から聞き取りを行い、確認が取れました。」
「早すぎる!タイリェスは兵を増派したばかりだし、先日改修も終わって防御も強化していたはずだ!」
一人の将官が悲鳴にも似た声をあげた。他の者もざわついている。ヘイルは、必死で平静を装いつつ問いかける。
「敵の兵数や司令官についてはどうなっておる?タイリェス攻略後の動きで、わかっているものを報告しろ。」
「現在情報部門で分析を進めています。まだ詳細は不明ですが・・・砦からの脱出兵の証言と、通過した街の者からの聞き取りを総合すると、兵数は1万前後の可能性があります。また、総司令官についてですが、軍旗や装備の状況から、イルジェン王自らが出陣している可能性もあります。もし仮に王自ら出陣となれば、全体としてはさらに兵力を投入している可能性もあります。」
天を仰ぐ者もいれば、うつむくものもいた。追い打ちをかけるように報告は続く。
「現在敵軍は国境付近の他の砦や集落を制圧しているようです。一度態勢を整え、さらに我が都市を攻撃せんとしている可能性があります。」
情報将校は一礼し、着席する。重苦しい沈黙が流れる。
イルジェンはライツと国境を接する隣国であり、過去より領土や商業権益で対立関係にある国である。
軍事力はややイルジェンの方が上であり、経済中心のライツは軍事面では多少の劣勢であった。
ただ、ライツは最近急速に国力を向上させているベルツ連邦の構成国である。ライツとの全面戦争を引き起こせば、最終的にベルツ連邦とことを構えることになる。そうなるとイルジェンはひとたまりもない。
結果として、この国力のパワーバランスにより、全面戦争はしばらく起きていない。特にここ10年は、国境地帯での小競り合い程度である。それに加え・・・
「なぜ今イルジェンが攻めてくるのだ!連邦会議準備段階で分析していたであろう!イルジェンの侵攻可能性はほぼ無いと言ったのは君たち情報部ではないか!」
一人の武官が責め立てる。今回の連邦会議で精鋭を引き抜くにあたり、当然周辺国の情勢は確認していた。
その際、イルジェンについての分析もされている。比較的近い時期に複数回別の戦線で軍事行動を起こしており、その被害回復段階にあることから、イルジェンからの攻撃可能性は著しく低いと分析されていたはずだ。
武官の発言が沈黙を破ったはずであるが、また沈黙の時間が再開する。彼らが「領主代行」である自分の発言を待っているのは明らかであった。ヘイルは何とか言葉を絞り出した。
「・・・とにかく、直ちに防衛のための対応をとる必要がある。動員可能兵力はどれくらいだ?」
軍務部長代理が立ち上がる。
「現在、各軍区で動員をかけています。即時動員可能は3,000名程度、1週間以内には6,000から7,000名程度まで増員可能です。ただ、領内の他の砦や集落の防衛のため、ある程度兵力を割かなければなりません。直属で動かせるのは全面動員完了後でも5,000名に満たないと思われます。」
蒼白な顔で報告する。軍務部長代理が言いたいのは兵数のことだけではないであろう。
現在各軍区の精鋭が連邦首都にいる状態だ。彼らを今から呼び戻しても少なくとも数週間かかる。それに、いくら精鋭とはいえ、2,000名に満たない兵たちを強行軍で呼び戻したところで、起死回生になるとは思えなかった。
今まで無言であった髭面の武官が大声をあげた。
「5,000もいればイルジェンの弱兵相手には十分すぎる!これ以上我が祖国の地を踏み荒らされるのは我慢ならん!ヘイル様、直ちに出撃を。このデーサン、最前線で剣を振るい、イルジェン王の首を獲ってみせましょう!」
少々のざわめきが起きるが、広がらない。別の武官が言い返す。
「相手は1万以上の兵が確実にいるのだ!まともにぶつかったらまずい。」
その発言に呼応するように、同調者が続出する。
「ヘイル様、兵力差なども鑑みますと、野戦は大変な危険が伴います。直ちにこのメルクス城を中心とした防衛線を構築し、籠城戦を行うことを提案いたします。
その間に伝令を飛ばし、ドニエル様の帰還を待ちましょう。上手くいけば、ベルツ連邦の支援も得られます。時間を稼ぎ、この街を守り抜くのです。」
「籠城戦など恥だ!敵兵にこの街を荒らされてたまるか!」
「野戦に打って出て敗北すればこの街自体がイルジェンの手に落ちる!状況を考えると籠城すべきだ!」
会議は加速度的に荒れていく。ヘイルは沈黙する。結論を出してほしい、そんな考えが頭をよぎるが、そもそも結論を出す立場なのは自分なのだと絶望した。
「ヘイル様、方針はいかがなされますか?我々は御指示に従い、準備を進めます。」
恐れていた質問がついに飛び出した。ヘイルは考える。とにかく保留したい。結論を先延ばしにするためだけに、なんでもいいから話題を変えたかった。そのためだけに、質問を今まで無言であった者に投げかけた。
「兵站部・・・武器と兵糧の状況はどうなっているか報告せよ。」
気に入らない男・・・ウガジンが立ち上がって答えた。
「はい。現在大至急在庫量を確認しています。市場に出回っている物資の買い上げも進めていますので、数時間後には集積量を報告できます。どのような状況にも対応できるよう、準備を進めてまいります。」
模範的な回答に聞こえなくもないが、なんの情報も得られない回答だった。話題を変えることに失敗したヘイルは、武官たちの視線を感じつつ、声を絞り出した。
「方針については少し考えたい。本日夕刻に再度会議を招集する。それまで、各自準備を進めてほしい。」
ただの保留だと自分でもわかっていた。武官たちの冷たい視線を感じつつ、ヘイルは自らの執務室に戻った。
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執務室の机に腰掛けて、既に何時間が経過しただろうか。
ヘイルは座り込んだまま、何もしていなかった。数時間後には自らが招集した会議が行われる。そこで方針を決めなければならない。
感情としては、野戦をしたかった。昔から自分には武術しかないと考えていた。父上が絶対的な指導力を発揮するのを見てきた。姉さんがバリバリと自分の知らない分野で働くのを見てきた。
超えられそうにない父と、自分の知らない世界で活躍する姉。ヘイルはいずれ彼らに自らの成長を示したかった。そのために、早く戦場に出たかった。
ある意味チャンスなのだ。
父も姉もいない。軍の精鋭もいないときに、宿敵の隣国がこちらをはるかに超える兵力で奇襲してきたのだ。これ以上ないくらい状況は最悪。
ここで、自らが前線に立って兵を指揮し、敵を破り、国を守り抜く。父上も、姉さんも、部下たちも、国民も、自分を称賛するに違いない。
なのに、待ち焦がれたチャンスが訪れたのに、どうしたらいいかわからなかった。タイリェス砦をまたたく間に奪取した強大な軍を相手に、ひらけた戦場で戦いを挑んで、勝負になるはずがないではないか。
(籠城しかない。父上と姉さんを待つ。負けるわけにはいかないのだ。)
保守的ではあるが、トップに立つ以上間違えられないのだ。感情と理性がぶつかり合うこの思考を、彼はこの数時間繰り返していたのである。
「ヘイル様、兵站部長代理から、物資状況について直接報告したいとのことです。お通してよろしいでしょうか?」
思考が中断される。あの気に入らない男が来た。ただ、今は誰でもいい、話をしたかった。何も決められない自分に、何かきっかけがほしかった。
ウガジンが一礼し、入室してくる。
「ヘイル様、物資の状況について報告いたします。まず兵糧についてですが・・・」
事務的な、数値が多い報告を受ける。ヘイルは聞くが、頭には残らない。まあ要は、籠城した場合でも1か月以上耐えられる物資量があるとのことらしい。
(やはり籠城か。)
できれば、選択肢がない方がありがたかった。ほとんど武器や兵糧が備蓄されていない状況であれば、打って出るしかないのだ。選択肢がある以上、その選択に対しトップは責任を取らなければならない。それが苦しかった。
ヘイルはため息をつく。質問等あるかと聞かれたが、首を横に振る。結局この男の入室も、何かを変えるきっかけにはならなかった。
ただ、なぜかこの男、ウガジンはその場に立ったままだ。何を考えているのか、これから最終決定を下すのだ。一人にしてほしい。
退出を命じようとしたところ、ウガジンが口を開いた。
「ヘイル様、さすがでございます。あの場で決めてしまっては色々と皆の誤解を招きます。まず皆を落ち着かせるため、敢えて決定を延期されたのですね。」
何を言っているのかわからなかった。ただ、褒められてはいるようだ。意図を確認する。
「どういうことだ?」
「それはもちろん・・・いえ、すいません。私は所詮兵站部長代理です。この国の正統後継者であり、現在領主代行を務められているヘイル様の決定に口を出せる立場にありません。出過ぎた真似でした。ここで、失礼させていただきます。」
「いや待て。一応お前の考えとずれていないか確認したい。遠慮なく申せ。」
ヘイルは慌てて引き留めた。この陰鬱とした状況を変えるきっかけになれば、今はどんなものでも欲しいのだ。
ウガジンが答えた。
「はい・・・許可をいただけたのでお話いたします。籠城戦はあり得ません。野戦を行うことが最上策でございます。この戦、負ける要素はございません。この私も、そう思っています。」
想像にない答えだった。ヘイルは思わず立ち上がり、真っすぐウガジンを見つめた。
しばらくの沈黙の後、ヘイルはウガジンを来客用のソファーに座らせ、その正面に自らも座った。無意識のうちにペンと紙を準備していた。
会議までまだ時間はある。ゆっくり話を聞く時間があることに、ヘイルは感謝した。