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第4話 調査

得意なことを、やれることをやっていく。

 自分にはスローライフというものがつくづく向いていない。読み終えた書物を机の上に積み、既に冷え切ってしまった紅茶を口に運ぶ。宇賀神はかつて過ごしていた世界のことに思いをはせつつ、そんなことを考えていた。


 つい数週間前には、毎日嫌な気分で目が覚め、仕事に向かう。

 行きの道中の時点でテンションは低い。

 会社に着くと、朝方の予想を裏切らぬストレスフルな日中の時間を過ごす。口には出さぬが、「帰りたい」と思い続ける。下げたくもない頭を下げ、見当違いの指示をこなしつつ、時間が過ぎる。

 定時を超過し、明日に繰り越しとなった仕事に精神を圧迫されながら、ようやく帰路につく。

 帰れるのに、なぜか気が重い。家に帰れば自由なはずなのに、閉塞感あふれる鬱屈とした時間が流れる。いつの間にか、眠りにつくべき時間になり、明日がまた来てしまうという焦燥感に追われ、なかば義務的に眠る。


 そんな日々を繰り返していた。


 全てのしがらみから解き放たれ、ゆっくり過ごしたいという渇望はそのときには間違いなくあった。好きなことをやり、何にも追われぬ日々。金、出世、結婚やマイホームといったライフプラン・・・そういったマウント合戦やしがらみから逃れ、真の「自由」を望んでいたはずだった。


 ただ、ある意味願いがかない、強制的に全てから解放された彼は、今間違いなく「暇」していた。


 最初の数日こそ、これは天が与えてくれた夢かとも思い、努めてゆっくり過ごそうとした。


 どうやらそれなりの人物と誤解してくれたらしく、保護施設での扱いはなかなかに快適だった。


 朝早めに起き、着替えをする。スーツは目立ちすぎるため、この国における「普通」の服も与えられた。


 白のシャツと、ネイビーのセットアップ(という言葉はこの世界にはないであろうが)。現代のスーツとはまったく異なる質感が新鮮だった。


 食事をとる。イメージどおりの洋食。美食にあふれる日本国の料理には劣るのかもしれないが、普段から食にあまり興味がなく、スーパーの総菜やコンビニ食で過ごしていた彼にはこれまた新鮮であった。


 世話役のカーシャの許可をとり、周辺や街の散策もした。

 この世界か、それともこの国の特性なのかはわからないが、人種的な見た目の特徴において、かなりの多様性が認められた。宇賀神の見た目もそれ程浮いているというわけではなく、その点はありがたいことであった。(逆に言えば、当初疑われたという点で、服装は大事ということである。)


 それを終えると、カーシャや他のスタッフと話をする。この街や国のこと、外国のこと、文化のこと、歴史のこと・・・

 それを終えると、人生において久しぶりの昼寝をした。日本とは何かが異なる空気に包まれながら、脳の疲れが溶け出していくような感覚を覚えた。


 ただ、習慣とは恐ろしいものである。数日後から、彼は様々な書物をお願いし、それを読みふける作業を始めた。「仕事」をしなくてよくなったのは大変好ましい結果であるが、知らないことを少しでも減らすための「勉強」習慣は抜けていなかったのであろう。


 自分を取り巻くこの環境を理解し、今後のプランを立てねばならない。そのためには社会の仕組みを知ることがまず肝心だ。

 ということは、社会制度の根幹をなす知識をつける必要がある。まず文化を理解する必要がある。そのためには歴史を知る必要がある。そして、それを受けての現在の社会がどう運営されているかの法律も知らなければならない。そして・・・


 記憶が戻るきっかけになるかもしれないとして、カーシャには色々な書物を持ってきてもらった。

 書物の文字もどう見ても外国語であったが、会話と同じく変換されるように読めることはありがたかった。


 どうやらこの時代、識字率は低く、いわゆる「読み・書き・そろばん」ができるだけでもそれなりの教育を受けている層と認識されているらしい。

 そして、法律も随分シンプルだ。いかに現代日本(も含めた世界)が複雑な制度を積み上げてきているかが良くわかった。個人同士の争いについて定める法律、日本でいう「民法」の解説書がせいぜい50ページ程度であったのには驚いた。


 法務部とまではいかないが、役所との調整や法令を確認する担当をしていたこともある宇賀神にとっては、その程度の書物を読破することは容易であった。


 持ってきてもらった書物をまたたく間に読み終え、カーシャに返却すると驚いた顔をされた。


「もう読み終わったのですか?これらはなかなかの難書とされているものですよ。」

「ええ。個人間の争いの裁定についての規定が中心でしたね。土地や金銭の貸し借りについての項目は参考になりました。証書がないときは、実務上は内務局で裁定しているみたいですね。」


 どうやら登記、登録制度はないらいしい。プチ法務局のような業務も内務局の仕事ということだ。アリッサさんの苦労がしのばれる。


 カーシャが特に感動していたのは、会計についての話をしたときだった。


 簿記をやっていてよかったと思った。現代簿記とは異なる点もあったが、大きくは違わない。シンプルな構造のため、宇賀神にとってみれば細部をブラッシュアップする程度の感覚だったが・・・


「ケイさん(1週間が過ぎたくらいからこの呼び方になった。)、例の書物はいかがでしたか?」

「大変勉強になりましたよ。このルールに基づいて、皆さん税の申告をしてきているのですね。それに基づき、内務局さんが計算をしている。大変な時期ですね。」

「そうなんです。このルールが採用されてまだ歴史が浅く、深く理解している者は少ないんです。

 民衆側もそうですし、それを受け取る我々側も完全に使いこなせている人が何人いるか・・・実は私も読んだのですが、第5章の固定資産と、第8章の資本の話がよくわかりませんでした。ケイさんはわかりましたか?」

「ええ。まずは固定資産の話をしましょうか。減価償却という概念について説明されているのですが、これは固定資産の費用化という概念です。例えば、建物を建てたときにその建設代金を一気に費用化するのではなく・・・」


 万事この調子である。宇賀神は会社員時代を思い出す。最も水が合っていたのは財務経理部に居たときだ。決算時期は色々と忙しかったのを思い出す。

 会計処理の誤りをチェックし、修正していく作業だ。後輩に聞かれたときとやっていることは同じだな・・・そんなことを考えつつ、素直に聞き入るカーシャとの時間を楽しんでいた。


 評判が広がったのか、見慣れない内務局職員たちが訪ねてくることも増えた。時期的に悩むことも多いらしい。特に最近は男性が軍務にとられることが多く、一人当たりの仕事が増えていると愚痴っていた者もいた。

 どこの世界でも、しわ寄せを受けた者が悲鳴を上げるという構図は一緒だなと、宇賀神は苦笑いした。


 アリッサと久々に顔を合わせたのはそんなときであった。


 例によって訪ねてきた職員に説明をしているところで、アリッサが突然訪ねてきたのである。職員はバツが悪そうに退出する。それはそうだ。内務局はまさに公務員である。それが素性の知れないよそ者に業務知識を教えてもらっているのだから。


 アリッサが口を開く。

「ケイトさん。お久しぶりですね。その後の調子はいかがですか?記憶は戻りましたか?」


 ややお堅い口調で尋ねられる。まあいい。宇賀神は答える。


「いえ、まだまだ何も。何かきっかけになればと色々学ぶ日々です。カーシャさんはじめ、皆さんに良くしてもらって大変助かっています。」

「そうですか。正直なところ、評判は聞いていますよ。」


 探りを入れられているか・・・宇賀神は慎重に言葉を選ぶ。


「すいません。私自身出過ぎたまねをするつもりはないのですが、色々お世話になっている方に聞かれると断りづらく・・・」

「いえ、全く大丈夫です。むしろ我々の仲間に多くのことをご教授いただいて、大変助かっております。今は税関係で忙しい時期ですが、それに拍車をかけて人が足りません。そのため、計算が多少できればと素人同然の者でも働いてもらっている状態です。教えられる人が軍に異動となってしまったので、困っているんですよ。」


 これまた日本時代を思い出すような会話だった。異世界とやらに来たはずだが何やら所帯じみている・・・そして、なんとなく次にアリッサが言うことの予想がついた。先手を打ってみよう。


「大変ですね。私自身、ここまで良くしてもらっているのに何もお返しができず、心苦しいのです。何かお手伝いできることがあったらお申しつけください。お手伝いさせていただきますので。」


 言った直後、予想を超える反応が返ってきた。会ってから今まで、冷静そのものというキャラクターだったアリッサの表情が、明らかに変わった。子供のように目を輝かせ、明らかに『喜び』の表情が浮かんでいた。


「本当ですか?実は、私たちの仕事をぜひ手伝っていただきたいと思っていたのです。記憶が戻るまででもいいので、よろしくお願いいたします。」


 宇賀神は多少の後悔を覚えた。せっかくの「仕事をしなくていい期間」が終わりを告げる瞬間であった。ただ同時に、持て余していた「暇」な時間を終わらせることもできるという喜びもあった。


 何より、頼られるのは嬉しいことだ。日本時代の周囲の人々と違い、少なくとも彼女たちは感謝をくれる。月並みな表現だが、「やりがい」はあるだろう。


 準備次第、内務局に向かうと宇賀神は答えた。アリッサは、入室してきたときとは明らかに異なる、上機嫌な歩き方で退出していった。人手が増えることを喜んでいるのか、それとも別の理由もあるのか、宇賀神にはわからなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「後にしろ!今忙しいんだ!」


 報告に来た細身の男性は、頭を下げながら店の奥に引っ込んだ。紙をめくる音が響く。部下をしかりつけた大声の主は無精ひげをさすりながら、どこか落ち着かない様子で正面に向き直った。


 サイモン・ドーン、この都市国家で有数の商人であるこの男は、見た目そのままの豪腕である。筋肉の上に脂肪がのったガッシリした体型。長袖のシャツを腕まくりしており、そこから太く毛深い腕が伸びている。


 元々は貧しい職人の家の生まれであった彼は、14歳で家を飛び出し、最初は料理の道に入った。ただ、料理の腕前はそれほど伸びなかった。彼が才能を発揮したのは『商売』の方であった。


 食材の仕入れを通じ、独自のノウハウと人脈を形成した彼は、それらを売買するネットワークを構築した。国中の飲食店や商店と次々取引関係を結び、多大な利益を上げた。


 その利益を元手に、さらに販路を拡大。国内の特産品を近隣国に輸出し、逆に国内で希少な物資を輸入し売りさばいた。加速度的に膨らむ資産をバックに商業界で上り詰めた彼は、今や複数の商売をまとめる「ドーン商会」の会長であり、同時にライツの商工会のボスでもある。


 そんな彼が、珍しく冷や汗をかいている。

(今までも危険な橋は何回も渡っている。強引なこともしてきたが、上手くいっていた。今回もなんとでもなるさ。)


 平静を装いつつ、作業を続ける来客を睨みつける。彼を不機嫌にさせているその「来客」・・・ライツ内務局の職員達である。


 昨年に対応する税を先日納めた。大商人と言える彼の納税額は「それなりに」高額である。

 戦争のための臨時徴税等でもかなりの支援をしてきた彼は、政治的影響力も相当有していた。当然、内務局も彼には気をつかう。

 今まで彼の申告が調査されることはほとんどなかったし、あったとしても、これで問題ないと突き返し、それで済んできた。


 きっかけは突然だった。突然税に関する調査を行うと通知され、10名近い職員が押しかけてきた。大きな店をいくつも営む彼は多数の帳簿を管理している。それら山積みの書類を、一斉に検査しはじめたのである。


「いい加減にしてくれないかね。こちらも忙しいんだ。高い税金を払って義務も果たしているのに、疑われているようで気分が悪い。」

「すいません。もうしばらく時間をいただきますので、ご容赦ください。」


 そう答える内務局の職員・・・この男の存在が、ドーンをさらにいらだたせる原因だった。

 多くの部下を抱え、顔も広いドーンには大量の情報が集まる。つい数か月前・・・収穫祭より前に突然この国に現れた身元不明のこの男が、どういうわけか内務局の仕事を手伝っているのだ。いったい内務局はどうなっているのか。

(まあわかるはずもない。もしたまたま見つかったところで、押し切ってやればいい)


 ドーンが冷や汗をかく理由は単純である。『脱税』をしている彼が、帳簿を検査されて気にしないわけがないのだ。


 書類を見終わったらしき内務局の男・・・ウガジンと名乗っていたか。先ほど入ってきた仲間から何か耳打ちをされた後、考え込んでいる様子である。多分何も見つからなかったという報告だろう。逃げきれたようだ。 


 そもそもこの街で俺の知らないことなどない。内務局の能力も手に取るようにわかる。大した奴らではない。ビビって損したぜ・・・ドーンが気を緩めたそのときだった。


「ドーンさん。ご協力ありがとうございました。確認いたしますが、帳簿はこれで全部ですね?」

「それはそうだ。いくつも帳簿を作っている暇などないのでね。」


 ドーンは答える。しかし、それに被せるようにウガジンが畳みかけてきた。


「そうですか。実は、大型店・・・例えば第一地区の商店のものがわかりやすいですが、仕入れの金額が大きいですね。いくつかの商店から仕入れている物資の金額が、市場の相場よりかなり高いです。」

「それはその相手に聞いてくれ。こちらは必要だから、高い金を出して泣く泣く買う羽目になったんだ。」


 ドーンは焦っていた。たまたまだと思い込むことにした。ただ、ウガジンという男は、他の店の帳簿でも次々似たような指摘を並べてくる。必死に否定するが、心拍数がどんどん上がってくるのを感じていた。


 少しの沈黙が流れる。ウガジンの後ろには数名の内務局職員、ドーンの後ろには彼の部下がこれまた数人いる。ただ、彼らはただ一言も発言することはなかった。


「ドーンさん。実はあなたを調査する前に、あなたに物を売った人たち・・・小さな商売を営んでいる方がほとんどでしたが、彼らについて調査させていただきました。

 彼らはあなたにきちんと相応の値段で売ったという帳簿を残していたんですよ。」


 ドーンは完全に動揺した。あいつら、裏切りやがった・・・あれだけ色々世話してやってきたのに、自分の身かわいさに俺を売りやがったな。後で叩き潰してやる・・・ただ、そんなことを言うわけにもいかない。彼が黙っていると、ウガジンは続けた。


「売上げた金額から、その材料の仕入れ値をひいて、残りを儲けとして、その儲けに税がかかる。ということは、売上を隠すのが一番簡単です。

 ただし、それだと繁盛しているのに不自然な数字となる。あなたは逆に、複数の仕入れ先を抱き込み、【高い値段で仕入れた】ことにした。つまり、売上から差し引く数字を大きくして、結果として儲けを小さくし、税を安くしたのです。

 ただ、この方法だと、あなたに売った側は、その高い値段に合わせて帳簿をつけると、あなたに対する売上が実際より大きくなってしまう。

 当然、彼らの納める税は増えてしまいます。ですので、彼らはあなたへ実際に売った安い金額で、自分の売上を計算していました。彼らの申告とあなたの申告が矛盾していたので、今回の調査となった次第です。」


 ドーンは奥歯を強く噛む。こいつ、よく見つけたものだ。単純な方法ではあるが、今までの内務局はここまで調べることはなかった。この方法を見破り、しっかり取引の相手側から裏を取るとは、間違いなく手強い。ただ、言い返す。


「それはそいつらが勝手に作った不正確な帳簿だろう。自分の税を安くするためにだ。俺は被害者だ。そいつらが脱税しているということだろう。」

「いえ、既に確認は終わっています。第8地区のシェーンさんはご存知ですよね?」


 やられた。ドーンは黙りこくってしまった。


「この方法だと、相手にお金を払っていないのに、払ったことにしている。ということは、自分の手元にはその差額のお金が残る。

 調査を万が一された時のために、愛人である・・・失礼、深い関係であるシェーンさんに金の管理をさせているとの確認がとれました。また、あなたの実際の取引の記録である帳簿も、彼女が所持していることの報告を先ほど受けました。動かぬ証拠です。」


 ドーンは目線を下に落とす。息子が近く連邦首都の大学に留学することが決まっていた。病弱な妻の治療費もそれなりにかかる。様々な思考が脳内を駆け巡った。


 これだけの大規模な脱税である。最低でも廃業、最悪の場合財産没収で投獄までありうる。俺が一代で築き上げたドーン商会は、完全に終わったのだ。


 先ほどまでとは逆に、ドーンは天を見上げた。その先には空ではなく、彼の店の天井しかないにも関わらず。


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