第3話 興味
平凡で忙しい日々にふってわいた、一抹の楽しみ。
町までは感覚的に1時間もかからず着いた。
道中は会話も少なく、気まずい雰囲気だったため、想定よりも早く着いたのはありがたかった。
ただ、考える時間を得たことで、宇賀神の頭の中は高速で回転していた。結果として、この状況にとりあえずの結論をつけることができた。
(夢という感覚が全くない。これはいわゆる『異世界転生』ってやつか。ほんとにあるのかよ。)
異世界に行くという話が流行っていることは知っていた。ただ、彼の周囲には彼も含めそのジャンルに詳しい者は居なかった。
まとめサイトのタイトルで目に入ってくることはあっても、中までは覗かなかった。「そういう分野があるんだな」程度の知識である。
(スキルっていうのがもらえるってネタで話している奴が居たな。自分も何かできるようになっているのか?)
今のところ、その気配はない。ただ、少なくとも会話ができるだけでもありがたいことと思うこととした。
町の入口に着く。草原地帯の途中から家屋が少しずつ増えだし、防御用らしき砦や見張り台を通過するといつの間にか通りに出たようだ。
中世のイメージは城壁で町を囲っているイメージだったので、少々拍子抜けした。
通りを歩く者たちが奇異なものを見るような目でこちらを見てくる。そらそうだ。彼らの服装は自分が思っているそのままの『中世』だった。少なくとも、スーツの者は居ない。
「着きました。こちらが我が都市国家ライツの中心拠点であるメルクス城です。」
通りを抜け、一際大きな施設に着いた。さすがに現代日本に現存するいわゆる『お城』程は立派ではないが、グレーの石垣と壁に守られた要塞施設は、近くで見るとそれなりの威圧感を覚えた。
衛兵たちが一斉に敬礼しているのを見た。心なしか、緊張感を感じる。
「何も知らず無礼と思われてしまうかもしれませんが、質問させてください。相当なお立場の方とお見受けします。御領主の方ですか?」
相変わらず丁重に、宇賀神は聞く。敵は少ない方が良いというのは彼のモットーである。
「いいえ、私自身は・・・この都市は伝統的に我がハインツ家が連邦から管理の委任を受けています。現在はわが父、ドニエル・ハインツがこの都市国家の・・・『領主』というのは少々言いすぎですが、まあ「治めている」ということです。私は一介の者に過ぎません。」
アリッサは少々はにかんだ様子で答える。連邦というのも良くわからないが、とりあえずこの世界のことを学んでいけばいずれわかることだろう。宇賀神は礼を言って会話を切り上げた。
「それでは、こちらの者がしばらく過ごしていただく施設にご案内します。あなたの記憶が早く戻ることを祈っていますね。ではまたいずこかで。」
アリッサが部下と話をつけたようだ。丁重に礼を言い、彼女が部下たちとともに城内に入っていくのを見送る。宇賀神が引き継がれたのは、小柄で赤毛、大きな目が特徴的な女性だった。年のころは20代前半くらいか。女性が話しかけてくる。
「お話は伺いました。あいにく城内は部外者の方が入ることは禁止されておりますので、しばらくお過ごしいただく施設にご案内いたします。当面の間、身の回りのお世話をさせていただきますカーシャと申しますので、お見知りおきくださいませ。」
「ええ。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。」
宇賀神は答えながら、別のことを考えていた。
(最初の『ミッション』はしのいだかな・・・)
とりあえずほっとしていた。仮に異世界とやらがあったとして、そこが現代と全く違う文化であろう。
現代人が活躍できる余地があったとしても、そもそも怪しすぎる初見の人間がきちんと扱われる保証はないではないか。
とにかく今は自分が危険人物ではなく、害をなさない人間であると証明しなければならない。そしてその証明方法は、運転免許もマイナンバーカードも戸籍もない以上、言動で見せていくしかないのである。
そして幸運なことに、大変常識的かつ、一定の権力がある人間と接触することができた。これは大きい。当然まだ疑われているだろう。カーシャという女性1人が案内役だそうだが、この周辺は警戒監視のための衛兵が多く巡回しており、変な動きはできそうもない。
(まあ、「積み上げていく」しかないな。あの会社に戻るよりは、楽しく過ごせるだろう。有給休暇みたいなもんだ。)
相変わらず現世の考えは抜けていないし、慣れない環境に緊張しているが、同時に久々にテンションが上がるのを実感していた。少なくとも、あのまま家に帰り、次の日会社に行くよりも、楽しめるだろう。
久々に湧いてきた楽しい感情に身を任せつつ、宇賀神はカーシャの先導で歩き始めた。
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雨が降りしきる日だった。
外出先での業務を終えたその女は、衛兵達の敬礼に答礼しつつ、城門をくぐる。領主の娘であり、この都市国家の内政全般を取り仕切る内務局において重要な職責にあるこの人物のスケジュールは、分刻みとまではいかないが多忙を極めていた。
「アリッサ様、お疲れ様でございます。お茶の準備ができておりますがいかがなされますか?」
侍女たちの気遣いに謝礼を言いつつ、休息の時間への誘惑を断ち切った。この後も多忙を極めている。特にこの時期はだ。
収穫の神に感謝を捧げ、今年の豊作を祈るための収穫祭が1か月後に迫っている。
ただ、祭りの準備で忙しいわけではない。主に商人と農民、つまり生産者たちは、この収穫祭までにこの1年の儲けや収穫量を計算し、税を納めてくる。この膨大な書類を預かり、確認し、間違いや脱税を正し、国家を運営するための財源として割り振る準備をする。
彼女は知るよしもないが、日本でいうところの「確定申告」に近い一大業務に内務局はこの時期忙殺される。
アリッサは作業場としている部屋に入る。職員の性別は、大半が女性だ。中年女性が声をかけてくる。
「アリッサ様、巡察お疲れ様でした。現在第二商業地区の計算に取り掛かっているところです。例年より作業は遅れておりますため、作業を急がせております。何ぶんにも人手が足りないもので。」
「状況はわかっております。応援は要請しておりますがまだ回答は来ておりません。ご苦労をおかけしますが、当分現在の人数で頑張ってください。」
「承知しました。なお、先ほどドーン商会の使いの者が参りました。彼らの納税額につきこちらの計算と異なっていたので、先日からやりとりをしているのですが、それについての抗議のようです。状況につき、後で担当の者から説明があると思いますのでよろしくお願いします。」
中年女性が作業に戻る。アリッサはそれを横目で見つつ、自分の個室に入った。特に高額な納税を行う大規模な商人は税に厳しい。毎年恒例のことだが、トラブルは日常茶飯事だ。
大きな机に座る。山積みになった書類、やる気が削がれるが、作業を開始した。重要そうなものから確認を行い、サインをしていく。ただ、間違いが多い。差し戻しの書類が30を超えたところで、彼女は大きく伸びをして虚空を見上げた。無意識に思考が頭をよぎる。
(何事もなく、早く人員が戻らないかしら。必要もない争いをすることはないではありませんか。)
現在の人手不足には明確な理由があった。近隣国家との外交的緊張。『連邦』を構成する国家全体で戦争準備が進んでいる。ライツは国境の都市国家であるため、当然それなりの準備が必要とされる。
戦争となれば男の仕事が一気に増える。地味な事務作業よりも、戦場で戦果を挙げる方が出世への近道だと彼らは知っている。
内務局は徴税以外にも、治安維持のための警察業務を含め内政全般を所管している。男手がごっそり軍務に流れた今、人員不足からくるしわ寄せが一気に出てきている状況だった。
必然、この前のような・・・1週間程前のあのような『雑用業務』も彼女らの仕事となるわけだった。
「そういえば、あの方はどうなったかしら?」
独り言が漏れる。1週間前の『雑用業務』、つまり「見慣れぬ怪しい恰好をした男が草原で寝ているので確認してほしい。」という仕事で知り合ったその男がこの街に来てから、結構な日が過ぎている。
目の前の書類作業から逃げるわけではないが、違う仕事をするのも気分転換になりそうだ。ちょっと様子を見に行こうと準備を始めたところで、間が悪く部下がノックとともに部屋に入ってきた。
「アリッサ様、書類の回収に参りました。こちらは持って行ってしまって構いませんか?」
大丈夫と答える。それぞれの書類の間違いを指摘し、修正方法を指示する。この部下は計算に強い貴重な戦力だ。
まだ若いが、理解が早く勉強熱心である。できれば計算専門でこちらの部署にスカウトしたいところだが、色々雑務を任せてしまっているところだ。
「承知しました。では、指示を出しておきますね。別に、こちらの書類をお願いします。」
また山のような書類が積まれる。それを眺めつつ、様子を見に行く(ということにして作業を先延ばしする)のは明日以降かなと諦めた。
仕方ない。目の前の者に聞くこととする。そもそもこの者に彼の世話を頼んでいるわけであるし。
「カーシャ、先週に保護したあの男性について、様子は変わりないかしら?」
書類を抱えた目の前の者・・・カーシャに敢えて無関心を装い聞く。あくまで事務的にである。
事務作業に追われる日々に起きたちょっと不思議な事件。心の中では結構気にしているが、それを悟られたくなかった。
ただ、予想外の反応が返ってきた。いつも冷静なはずの彼女の目が輝き、喋りだした。
「まだ記憶は戻っていないようです。ただ、あの方は名のある商人か官僚か、とにかくただものではありません!」
「どういうこと?」
「最初はこの国、都市国家や連邦のことを聞かれました。敵国のスパイの可能性もあるのであまり答えたくはなかったのですが、一般的なことで構わないと言われたので簡単なことを教えました。
その反応を見るに、本当に知らない様子ではありましたね。その後、記憶を戻すきっかけにしたいと書物を求められました。適当に渡したところ、またたく間に内容を理解し、次々と読みふけっているようです。」
「読み書きはできるわけね。」
アリッサは答える。最近上昇してきたとはいえ、識字率はまだ低く、四則演算をはじめ基礎的な教養は庶民に普及しきっていない。
「それどころではありません。計算も早いので、正直私は興味を持ってしまいました。例の会計の本も読破されていたので、先日、お恥ずかしい話ですが、その・・・試しに難解で私が理解できなかったことを聞いてみたのです。
見事でした。内容を完全に理解している様子でしたし、私が誤って理解していたところの訂正と、丁寧な解説までしてくれました。ひょっとしたら彼は会計の本場である南部海洋国家で学んでいたのかもしれません。すいません。出過ぎたまねだったかもしれません。」
アリッサは驚いた。連邦の中でも近隣諸国と接する交通の要衝にあるライツは、文化と商業の結節点として比較的先進的な学問や社会制度を採用している方である。
ただ、外洋貿易で莫大な富を得ている南部海洋国家で採用されている会計や税制度については、遅れをとっているのが現状だ。現に、数十年前の税制改革で採用されたこの『会計』とやらについても、しっかりその制度を理解できている者は少ない。
「さらに、法律学や歴史学、書物レベルですが軍学についても理解が早いです。もしスパイだったらどうしましょう。急に不安になってきました。」
カーシャが突然不安そうな顔をする。いらぬ心配だろう。
「仮にスパイならそんな堂々と情報をとりにこないですよ。ただ、興味深いですね。近々私も会いに行ってみようと思います。」
「そうですね。ぜひそうしてください。長く話してしまって申し訳ありませんでした。」
カーシャがペコリと頭を下げ、退出する。
それを見送る。アリッサの中で、どうしようもない興味が膨らんできている。
(おとぎ話だと馬鹿にされてきたけど、あの『伝説』に語られていた人物がついにこの国に来たとしたら、私は歴史の目撃者になるのね。)
アリッサは書類作業に戻る。楽しみができた。明日にでも「彼」に会いに行くという目標ができた。それまでに、この仕事を片付けてしまおうと思っていた。
夜は更に深まっていった。