第6話 愛されし子供たち
「ん?」
神楽坂高校の人気のない体育館裏に降り立った瞬間、身体を突き抜けるような不思議な衝撃が走った。
「今のは……?」
視線の先で、光学迷彩を纏っていたムシたちが、まるで暴かれるように姿を現していく。
「まさか……」
校舎の一室を震源地として、衝撃は円形に外へと広がっていった。
この波動を浴びたムシたちが次々と姿を暴かれるのは、誰かの意図によるものだろう。どうやら葵の通う学校には、不思議な秘密があるらしい。
「ただ……問題は──」
星街珈琲で対峙したムシも、私がその正体を見破った瞬間に襲ってきた。
つまり──“看破されたこと”それ自体が、攻撃のトリガーになっている可能性がある。
──ギチ、ギチ……ギチギチギチギチ………ッッッ!!
風に揺られ木々のさざめきのように、学校全体にムシの警告音が鳴り響く。
「これはまずいんじゃないか……」
周囲を見渡せば、学校にはまだ多くの生徒が残っている。
『な、なんだよコイツらっっっ!!!??』
『に、逃げてええええ!!!』
まさに阿鼻叫喚といった様子で、学校中が混乱に陥っている。
「て、てめえ!! 俺だって覚醒者なんだ……やるってんなら相手になってやらあ!!!」
中には勇敢にも、ムシと向き合い拳を構えて戦おうとする男子生徒もいる。
(ほう?)
バチバチと、拳に紫電を纏い力を溜めている。
(人間にこんな能力が……)
興味深く見ていると、男子生徒が誇らしげにアリに語りかけている。
「喰らえ、必殺──ボルテージ・ボンバァァァァ!!!」
──ぺち。
軽い音と共に拳が叩き込まれるが、それだけだった。ムシは微動だにせず、少し頭を傾げている。
「うええ!???」
ピリッと、電気が外骨格に触れ弾けて消えた。残念ながら叩き込んだ拳では、黒い外骨格にヒビを入れることすら叶わなかったようだ。
「う、嘘だろ!!?」
男子生徒は尻もちをついて、恐怖に染まった顔でカチカチとアギトを鳴らすムシに涙を浮かべていた。
「ひ、ひいいいいいっっっ」
(やれやれ、仕方ない)
ムシが男子生徒の頭を食いちぎろうと大きく口を開いた瞬間、人間として振る舞うために抑えていた力を開放する。
地面を蹴った土埃が宙に舞う頃にはもう、私はムシの背後にいた。通り過ぎざまに身体に3発の拳を叩き込む。頭部を弾け飛ばし、胴体に風穴を開けて上半身と下半身を分離させておいた。
さすがにもう動くことは出来ないだろう。
「ひいいい……あ、えっ……? な、なんじゃこりゃああああ!!!?」
振り返れば、緑色の体液を頭からかぶった男子生徒が吠えている……よし、私の姿は見られていないようだ。
「しかし、こんなことをしていてはいつかバレるな……それに何やらこの学校も怪しい」
とりあえず、人のいない場所を探し、ムシの気配を探ると不自然に何体かの反応が消えた。それは先程の衝撃波が放たれた部屋に侵入していた個体と、その近辺の個体だ。
「ほう、あれと戦える者がここにはいるのか……なら」
後は任せて大丈夫だろう。
立ち去ろうと気配を消して、振り向いた時──
「「「ギチギチギチギチ………!!!」」」
私は不快な音を鳴らす無数のムシに囲まれていた。
「ふむ、遠くの気配を探りすぎて己の周囲を疎かにしたか……」
包囲するムシどもの複眼が、まっすぐに私を捉えている。
「さて、どうしたものか……」
大々的に戦って、正体がバレるのだけは避けたい。
私は明日も喫茶店のマスターとして、いつも通りに珈琲を入れて常連客をもてなす穏やかな日々を送りたいのだ。
「うーむ……」
悩む私を包囲するムシ達が、鋭利な鈎爪を振りかざし一斉に飛びかかってきた。
◇
「なんて強さなのっ!?」
姿を現したアリに、力で押し負けそうになる。
アギトに咥えられた刀が、ギリギリと私の方へと押し返されてくる。
「こ、この馬鹿力め……っ! こっちは全力で魔力を燃やしてるのにっ!」
両腕が震え、関節がきしむ。
魔力でブーストした筋力ですら、こいつには届かない。
いくらアリの身体が私より一回りくらい大きいからって、こんなに差があるなんて……っ!
「うそよ、葵が力負けするなんてっ……この学校で2人しかいないSランク覚醒者なのよ!?」
青ざめた顔で翼が呟く。無理もない。
私は魔力量で言えばトップクラスだし、筋力だって魔力で底上げできる。
それが──こんなにもあっさりと……っ!
「翼! ここは私が抑えるから、他のメンバーと合流して! 非戦闘員の避難誘導と本部への連絡も! コイツは“レイヤー2”──都市壊滅レベルの危険生物よ!!」
魔力を込めても、刃が深く入らない。
密着したこの距離では、斬撃を振るう間合いもとれない。
「わ、わかった……絶対戻ってくるからっ……だから、葵も無事で……私、あなたのことそんなに嫌いじゃ──」
「うっさい! いいから早く行きなさい!!」
「ひゃあっ!? 葵が怒ったああああ!!」
涙を浮かべて廊下を走っていく翼の背に安堵しつつ、目の前のアリに集中する。
「くっ……!!」
もう限界だ。このままじゃ押し切られる。
刀が弾かれた瞬間、アギトに頭を噛み砕かれるだろう。
(ちょっと、本当に死ぬっての……!)
「……可憐! ずっと待ってるんだけど!?」
冷や汗を浮かべて叫ぶと、静かに魔力を練り続けていた彼女の声が返ってきた。
「ったく……もうちょっと粘りなさいよ、葵。これは貸しね」
可憐が愛用の杖を振るう。
彼女も私と並ぶ生徒会の要にしてAランク覚醒者──氷の魔法使いだ。
「氷魔法──アイシクル・タイム!」
杖に宿った魔光水晶が淡い青白さを帯びた瞬間、空気の流れが変わった。
冷気の奔流が、私の背を駆け抜ける。室内に冬が来たように、漏れる息が白くなる。
『ギ……ギギギ……ッ!?』
アリの外骨格が、みるみるうちに白く霜をまとっていく。
「……相変わらず派手な魔法ね。Aランクのくせに、ちょっとやるじゃない」
「あいにく、魔法タイプは魔力の量じゃなくて質で決まるのよ。さっさと片付けて、Sランクさん?」
軽口が飛び交う。こういうときでも、彼女の言葉は妙に落ち着いた。
「言われなくてもやるわよ、副会長」
氷結したアギトに全力を込めて斬りつける──砕けた。
可憐の氷魔法がアリの耐久性を下げたようだ。
さっきとは違い簡単にアリの身体を砕くことが出来る。
「脆くなってる……今のうちに!」
冷気で鈍ったアリの動きはもう遅い。反撃もせず、小刻みに全身を震わせているだけ。
「魔力、全開……!」
刃先が薄紅色に発光し、鋼鉄をも切り裂く魔刃と化す。
「閃光──紅桜花!!」
一瞬で六つの斬撃がアリを切り刻む。黒い外骨格が亀裂を走らせ、薄紅色の光が体を貫いた。
「ギィ……ッッ!!!」
アリがそれでも鈍く動こうとするが、加速した私の斬撃はもう止まらない。
黒い外骨格に走った薄紅色の切り筋が、アリの体をバラバラに切り崩す。
「……よし」
痙攣していたアリの身体が沈黙したのを見届け、私はようやく刀を鞘に収めた。
「ふう、なんとかなったわね。他のみんなは無事なのかしら?」
「見て」
可憐が窓の外を指差す。
視線の先、3階の窓から見えるはずのない高さに、炎柱がそそり立っていた。
「って……あいつ!!!?」
私の眉が跳ね上がる。
「あのバカっ! また校舎ごと燃やしてるじゃないのっ!!」
その犯人は生徒会の風紀委員にして自称・校内最強の喧嘩番長。
『ウラアアアアア!! 昆虫風情がこの火ノ森剛様を舐めんなよぉおおお!!』
火ノ森剛。私と同じくSランク覚醒者だ。火属性の単細胞。火力だけなら、おそらく“愛されし子供たち”の中でもトップクラスだろう。
「さすがは葵と並ぶSランク。頼りにはなるけど……」
「いや、ほんとマジで迷惑なんだけどアイツ……」
剛の“剛”たる所以は、その火力だけじゃない。話が通じないことだ。
「私が何回あいつの不始末の後処理させられたとおもってるのよ」
「……多分、それ私が葵に言えることなんだけど」
「は? なに? なんか言った?」
「いえ、なんでもないわ。さ、早く合流しましょ」
「あ、ちょっと!」
可憐が窓から軽やかに飛び降りていく。
「……なんか馬鹿にされた気がする」
私も、追うように校庭へと身を躍らせた。
そこに広がっていたのは、想像を超えた光景だった。
アリの死体、死体、死体──。
「ま、言うだけのことはあるわね」
剛は性格に問題があるけど、その実力は本当に高い。
私が倒したアリと同じ個体が、学校内の至る所に倒れていた。
皆、一様に黒い外骨格が白く炭化している。
どうやら全部、剛が倒してしまったようだ。
「……なるほど、属性に弱い種族のようね。反面、純粋な力には強い、か」
可憐が死んだアリを分析している。
「そうね。あなたの氷魔法も十分効果があったし……私とはあまり相性がよくないのかしら」
「よお、遅かったじゃねえか会長。どっかで震えて隠れてたのか?」
「剛……」
ギラついた顔に浮かべた嘲りを隠そうともせず、剛が私と可憐に近づいてきた。
「……ええ、そうね。ゆっくりしようと思ったら、どっかの馬鹿が校舎に放火してるのを見かけて慌てて来たのよ」
「ああん?」
「あら、なにかしらその態度は?」
剛が拳をゆっくりと握る。その手に、灯がともるように炎が滾り始めた
「俺がいなけりゃ、ここは今頃アリ達に食われた人間が転がっていたはずだぜ?」
「周囲のことを考えて戦えって、何度言ったら解るのかしら? あんた、アリよりもおつむが弱いんじゃない?」
「──よぉし。いい加減、Sランク最強は誰か白黒つけようと思っていたところだッ!」
周囲を見渡せばアリの姿は見えない。
じゃあ、今、ここでコイツを懲らしめてやってもいいのかもしれない。
怒りと覚悟が刃に宿る。淡く、薄紅の光が刀身を包む──。
「──二人共! 遊んでないでこっちにきて!!」
剛と睨み合っていると、可憐に怒られた。
二人して声のほうに顔を向けると、可憐は校舎裏を見ながら固まっている。
「どうしたのよ可憐? そんな場所に何が──」
「おい、邪魔すんじゃねえよ蜂堂……って、おいおい……」
──私も、剛も、その光景を見て言葉を失った。
「……なに、これ」
校舎の裏にあったのは散らばったアリの群れだった。
剛が倒した以上の数のアリが、大量にここで死んでいた。
可憐が黙り込んだ。剛でさえ、声を失っている。
アリたちの死に様は異常だ。
外骨格は強い力で砕かれ、身体は風穴を空けられ、頭部は弾けたように潰れている。
「念のため訊くけど、剛……あんたじゃないわよね?」
「ああ。これは俺じゃねえ。俺がやると、こうはならねえ……いや、できねえ」
「このアリの外骨格を粉々にするなんて──そんなの、Sランク覚醒者でも……一体、誰が……」
いつも騒がしい剛が、珍しくずっとおとなしい。
アリをこんな風に倒す相手の“異質”さに気づき、周囲を警戒しているみたいだ。
(こんなに余裕がない剛を見るのは多摩川クジラを討伐した以来ね)
「つまりここにはあの時以上のナニカがいるってこと……」
「──おい、会長。あれ」
黙っていた剛が指を指す。
散らばったアリの少し先に、ぽつんと立ち尽くす人影があった。
立ち姿は穏やかで、何の武器も構えていない。
足元には、潰れたように死んだアリたち。
──まるで、彼が一瞬で片づけたように
「……人間?」
「あれって──うそっ」
それは見慣れた顔だった。
長すぎず短すぎず、さっぱりとした清潔感のある黒髪。
いかにも人畜無害ですって表情の、温和な印象を受ける優男。
右手には唯一のおしゃれなのか、銀色の指輪を薬指にはめている。
黒いパンツに、白いシャツ……飾り気のないその姿は、いつも上からエプロンを掛けていた。
「──星街ダン」
私が疑っていた喫茶店のマスターが、散らばったアリ達の中でじっと立ち尽くしていたのだ。