第5話 暗影ひしめく学校
──私立神楽坂高校。
新宿の住宅街に佇む、偏差値60程度の進学校だ。
歴史ある校舎と煉瓦塀、校門前の桜並木が風情を醸している。
ただ小耳に挟んだ噂では、今この高校に入るには厳重な審査を潜り抜ける必要があるという。
(星街ダンは、こんな学校に通っていたのか)
私に彼の記憶はなく、その人柄を知る術もない。
だが少なくとも「優等生」ではあったのだろう。
「さて、葵ちゃんとの約束の時間は……」
時計を確認すれば、15時を指していた。
少しばかり早いので、このまま待機しておこう。
「ふむ、東京タワーにスカイツリーか。なんだかんだ、一回も行ってないな」
いま、私は神楽坂高校の上空に浮いている。
なのでここ東京のランドマークが、晴れ渡った空の下ではよく見渡せた。
人間の身体で見る巨大建造物には迫力がある。
なぜこれほどまでに好かれるのか、少しわかった気がしないでもない。
「しかし、渡辺の勤務先は……近くではなかったのか」
地上の探し物は空中から見渡したほうがわかりやすい。
喫茶店で排除したムシが気になって、神楽坂を管轄している牛込警察署を覗いてみた。しかしそこにムシも渡辺の姿もなっかたのだ。
渡辺の行方は少し気になった。
実はあのムシにすでに……なんて可能性もある。
心配になって気配を探ると、彼は何故か新宿にある警視庁で働いていた。
「しかも、警視庁の地下6階で、特別シェルターの中……私でも見通せない鉛で覆われた部屋で一体なにをしているのやら」
人間にしては気配が強い葵もそうだが、渡辺も何かを隠しているのかもしれない。
「まあ、私が言えたことではないか……」
たとえ本来の姿がどうであれ、星街珈琲にいるのなら、穏やかに時を過ごせる。
そんな場所であるように、私がしっかりと店主として場所を作ればいいだけの話だ。
「だから──この街の平穏を脅かされては困るんだ」
再び、葵のいる神楽坂学校を見る。
光学迷彩を纏ったあのムシの群れが、屋上に、壁に、カサカサと張り付いて動き回っていた。
◇
「葵、本当に部外者をここに招き入れる気?」
私、藤堂葵は伝統ある神楽坂高校の生徒会室にて絶賛、責め立てられている。
「部外者って、一応彼はここのOBよ。彼にも協力してもらおうかと」
「じゃあ聞くけど、そのマスターとやらは何歳なの?」
鋭利な形の眼鏡をかけた副会長──蜂堂可憐が、きらりと光る眼鏡の奥から、冷たい瞳で私を見る。
「確か……27歳だったかしら」
「27歳!? じゃあ覚醒者ですらないじゃない!!」
「何よ……万が一の可能性もあるかもしれないわ」
あのねえ葵、と。可憐が眉間にシワを寄せて、頭を掻いた。
「魔力覚醒の年齢制限は、あなたも知っているはずでしょう」
可憐の言葉は、冷たく鋭い。
「16〜18歳。例外はない。世界中で、一人として。そのルールは、この5年間、一度も破られていない」
「……それは、知ってるわ」
魔力は──“子供”にしか発現しない。
それは、この世界に突如もたらされた、残酷で不条理な理。
「そもそも魔力って、“一定の年齢層の精神”にだけ適合する特殊なエネルギーよ。成長期を過ぎた人間の精神では、魔力粒子を定着・増幅することが出来ないって、今まで何度も報告されてきたわ」
副会長らしい、教科書の一節のような口ぶり。けれどその言葉は紛れもない真実だ。
「だからこそ、魔力の覚醒は“奇跡”なのよ。科学でも医学でも、完全には説明できない。けど、起きる。そして、それは16〜18歳の子供にしか起きない。何故かはまだ分からないけど──それが、この5年間の世界の共通認識……私達が“愛されし子ども達”と呼ばれる理由なの」
可憐の言う通り、私たちは“愛されし子供たち”なんて、皮肉な称号で呼ばれている。
まるで誰かが選んだように、理由もなく、無差別に“一定の年齢の子供”にだけ力が与えられる。
「初めて魔力を観測された第一世代の覚醒者で、最年長は23歳……彼は対象外よ。それにここは魔力を大なり小なり覚醒させた子ども達が集められる学校よ? 国連が影で糸を引いている場所に部外者なんて……」
「別に、彼も卒業生なんだからそこまで目くじら立てることないじゃない」
「5年前と今で世界は一変したの! もう神楽坂高校は彼の通っていた学校じゃない! いい? 彼は魔力覚醒の年齢制限外なの!」
(でも、それだけで……彼が違うとは、言い切れない)
可憐の言うことはもっともな正論だ。
星街ダン──今年で27歳のアラサーのお兄さん。
見た目は黒髪黒目の、平凡な好青年といった印象で実年齢よりも若く見える。
5年前に事故に遭い、記憶を無くしているらしい。
──でも。
彼のあの目、あの身のこなし、あの空気……私の勘は、彼をただの“喫茶店のマスター”として片付けるには強すぎる引っかかりを感じていた。
「でもね、可憐。私達が何故、学校という一箇所に強制的に集められているのか……この力じゃないと戦えない“敵”がいるからでしょ?」
「それはそうだけど……って、まさか彼が!!?」
世界各地で伝承と語られるUMA──未確認生物は近年、魔力を手に入れた人間に牙を向き始めた。
それだけじゃない。
中には人間に化ける怪獣だっている。
──それに、怪獣の多くは……この星の外から飛来している。
「ただの宇宙怪獣ではなく、地球外知的生命体だっていうの? アメリカでもまだ接触は確認されていないのよ」
「あんな怪獣がいるんだから、宇宙人だっているでしょう」
世界中に点在する“愛されし子ども達”を管轄する国際組織『国家覚醒者管理機構《NAO》』はまだ宇宙怪獣以外の知的生命体の存在を確認できていない。
「確証はないけど……彼ね、私が問答無用で放った居合を躱したのよ」
「えっ!?」
ぽかんと、口をあんぐり開けた可憐なんて珍しい。
それほど衝撃が大きかったのだろう。まあ、無理もない。
「ちょっと、喧嘩については黙って聞いてたけど……ソレ本当? あなたの“閃光”を躱す人間がいるっていうの?」
私と可憐の喧嘩に我関せずを貫いていた、書紀の天計翼が、おそるおそる言葉を発した。
「葵ってこの中で最も速さに特化した能力だったよね? やばいんじゃね……それ」
短めに揃えた髪で、背は小さくまるで小学生の子どものような彼女は、天真爛漫を絵に書いたよう性格で皆に好かれている……けど思っていることがそのまま表情に出るのが玉に瑕だろう。
「言っておくけど、手加減はしてないわ。多摩川クジラを討伐した直後の話よ。似たような気配を彼から感じて、まだあの眷属が生き残っているのかと……私も怒りに震えてたから」
「……それはミツキ先生の仇と一緒ってこと?」
ひょうきんに驚いていた翼の顔が、鋭く、冷たく豹変していく。
「いえ、多分違うわ。彼はアレに関わっていないと思う」
一年前、多摩川を埋め尽くすほどの巨大宇宙生物である多摩川クジラは、眷属を率いて人間を喰らっていた。
そしてあの戦いの最中、私たちは第一世代覚醒者である本城ミツキ先生を失った。
私達生徒会の中で一番ミツキ先生を慕っていたのは……翼だった。
「──それで? 貴女の必殺の一撃を躱した彼はそのあと、どうしたの?」
「……慌てた様子で周囲に助けを求めたわ。警察を呼んでくれって」
「「えっ?」」
また可憐と翼の口がぽかんと開いた。
「それは……今までにない反応ね」
可憐が顎に手を当てて考え込む。
「そうね。今まで自分の正体を見破った人間に、奴らは即座に襲いかかってくることしかなかったから」
だから、星街ダンが一緒の存在かと言われれば、否定する気持ちの方が大きい。
「たまに人間離れした雰囲気を感じる以外は、至って平凡な喫茶店の店主……」
自分で口にしてどうも腑に落ちない。
覚醒者として人間離れした私の感覚が、彼を平凡と認めることを否定する。
「ま、私の直感が間違ってたらそれでいいけど……」
──キーン、コーンと放課後を知らせるのチャイムが鳴った。
時刻は15時、彼との約束の時間まであと2時間だ。
(いずれにせよ今日ではっきりするわね)
窓から見る空にはかすかに朱い色が混じり始め、けれどそれは“夕暮れ”と呼ぶには少し早い。
グラウンドには部活の掛け声が響き、教室の窓辺には残った生徒たちの影が伸びていた。
「──ねえ、ほかのみんなは……」
生徒会の他のメンバーの行方を尋ねようとした時、ふと視界に違和感を覚えた。
「……なに?」
注意深くグラウンドで部活動に励む生徒たちを監視する。すると、1人の生徒の影が、まるで意思を持ったようにひとりでに離れていく。
ここ最近、学校で噂される怪しい影はどうやら真実だったようだ。
「剛たちなら放課後の学校を見回るって言ってたわよ。覚醒者の集まる学校に怪奇現象なんて許さねえって……どうしたの、怖い顔して」
「翼、探知を全開にして」
「えっ?」
「いいから、早く──」
そっと竹刀袋にしまった刀を取り出す。
私の感覚が、不気味な気配を捉えていた。
うなじがチリチリして、産毛が逆立っていく。
室内の空気の気圧がどんどん下がっていくような感覚……何かが迫って来ているという予感が思考を埋め尽くす。
「まったく……」
翼が不服そうに魔力を編み込む。
両手を何もない空中に突き出し、集中するように目を閉じる。
彼女の両手の先に透明な本が現れ、自動的にパタパタとページが捲れていく。
「──葵っ!!」
目を見開いた彼女が発した警告と、窓ガラスが割れるのは同時だった。
「──ちぃっ!!」
姿の見えない何かが、私を目掛けて飛び込んでくる。山勘で振り抜いた刀が空中を走る────ガチッッッ!
何もないはずの虚空で、振り抜いた刀が止められた。
(強いッッッ!? せめて姿が見えれば……くそっ!)
「葵、任せて!!」
翼の魔力で編み込まれた本が、一際大きく輝きを増す。
「探査魔法──エクステンデッド・サイト!」
彼女の魔法が生徒会室をまばゆく照らし、光で埋め尽くす。
トン、という軽い衝撃が通り抜けたような感覚を覚えた時、紙が燃え広がるようにジワジワと姿を消していた侵入者の姿が顕になる。
「あ、アリ……?」
私の刀を掴んでいたのは、黒い外骨格に巨大なアギトをもった二足歩行のアリのような生物だった。
「あ、葵……外……」
「なっ!?」
翼の探知魔法は校内全体に及んだようだ。
さっきの衝撃波は他のアリの姿も露わにしたらしい。
(なによ、あれ……)
窓の外から見える景色は──校舎を黒々と埋め尽くす、目の前のこいつと同じアリの群れだった。
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