第4話 許された喫茶店
「こちら星街ブレンドです」
彼女にホットコーヒーの入ったカップを渡す。
コーヒー豆からドリップし、コポコポと音を立てながら抽出している間、彼女のまとわりつくような視線をずっと感じていた。
疑いは完全に解けたわけではないらしい。
(葵ちゃんには感謝だな)
葵の呟きで自分が人間離れしていることに気付かなければ、ここで彼女に襲われていたかもしれない。
「ふむ」
物珍しそうにコーヒーを見ている彼女が、ゆっくりと赤い唇にカップを近づけた。
視線を伏せ、普通に飲んでいるようだが、油断なく私の気配を探っているのを肌で感じる。
(いいだろう、受けて立とうではないか)
私も星街珈琲を継いで約1年になる。
完璧に喫茶店のマスターとして振る舞えるはずだ。
……とりあえず布巾でカップでも磨いておくか。
「──やはり貴様、人間ではないのかッッ!!」
「ええ!!?」
珈琲を一口のんだ彼女が、怒りを露わにして立ち上がった。
まったくバレる心当たりがないので私もつい素で驚いてしまう。
ただカウンターに立っているだけの私の、一体どこに人外要素があったというのか。
「こんな毒物を飲ませようなど……一体どこの刺客だ!?」
「毒物!? 僕の珈琲を毒物といったのか!?」
ギリッと私を睨みつける彼女の髪が淡く発光し揺らめき出す。
今にも放たれそうなエネルギーの圧を感じるが、こちらも毒物と言われは引っ込めない。
「それは珈琲という立派な飲み物です! 毒物とは心外な!?」
「こんなヘドロのような色と焦げたような豆のような味のどこが立派な飲み物だ!! 疑いながらも試してみようとした私が愚かだった……っ」
──なるほど、そういうことか。
人間にも珈琲を苦いだけの飲み物だと敬遠する者がいる。
……納得はいかないが、私は喫茶店の店主なのだ。
ここはお客様に合わせて、接客のプロとして振る舞おう。
「わかりました。お客様、珈琲を飲むの初めてですね?」
「こんな毒物を毎日飲むやつなんでいないだろうが!」
──コイツ、もういっそバレてもいいから戦うか? いや、そうしたら店ごと吹き飛んでしまうな。
「これは珈琲といって苦みを楽しむ飲み物なのです。ですが、こういう飲み方もあります」
理性で踏みとどまり、彼女のカップにミルクと砂糖を追加する。
砂糖は……3杯くらいでいいだろう。苦みが苦手なら、甘党の可能性もある。
「また何か入れたのか」
「試してみてください。格段に味が変わっているはずです」
「ふん、これみよがしに異物を盛っておきながら私が飲むとでも?」
「……では」
自分用のカップに、残っていた珈琲を注ぐ。
同じようにミルクと砂糖を入れ、かきまぜた。
「どうです? 見た目も匂いも変わったでしょう?」
「………」
睨みつける彼女の前で一息に珈琲を飲み干す。
まろやかになった苦みの中に、甘さを感じる。
「ふむ、これはこれで悪くないが……やはりブラックのほうが好きだな」
譲二も珈琲の味を解る私に、心を開いてくれたんだ。
ここに来る渡辺も葵も他のお客も、みんな珈琲や紅茶を目当てにやってくる。
飲食物とは人の心の距離を近づける魔法のような不思議な存在なのだ。
「どうぞ」
私はそんな魔法を提供する喫茶店の店主に誇りをもっている。
敵意を剥き出しな彼女も、きっと少しは歩み寄ってくれるはずだ。
「……っ! お、おいしい……」
カップに口づけた彼女は、そのままぐいっと飲み干してしまった。
どうやら気に入ってもらえたようだ。
「おい。なんだこれは? どういう原理だ?」
原理と来たか。
「詳しくは僕も知らないけど、人間は、危険を察知するために苦味に敏感なんです。だから甘さと乳脂肪で苦味を覆うことで、“おいしい”と感じるようにできている。だから昔から好まれた。面白いですよね……ただの豆と水なのに、ここまで感情を動かす飲み物になるなんて」
「なるほど……これも文明と娯楽の発達の一種という訳か」
顎に手を置いて真剣な目で彼女が呟いた。
この星に来たのは文明調査か? いや、その割には敵意が強いが……。
「食文化に興味があるなら、ケーキはいかがですか? こちらも珈琲の苦みに合うよう、自然と食されるようになった食べ物です。栄養補給ではなく、食べて味を楽しむことが目的で作られたんですよ。とても甘くておいしい」
「甘くて……おいしい……?」
彼女にメニューのケーキを見せると、食い入るように集中して見ている。
私にまとわりついていた、探るような気配もピタッと止んだ。
心なしか彼女の金色の目が子どものように輝いているようにも見える。
「……この、白と赤の食べ物を頼む」
「はい、ショートケーキですね。珈琲のおかわりは?」
「もらおうか」
音もなく椅子に腰を下ろした彼女は、背筋をぴんと伸ばして座っている。
見た目の美しさもあいまって、まるで絵画の一部のような佇まいだ。
(ふふ、だが……)
白銀の髪の毛先がひょこひょこと動いている。それこそどういう原理かわからないが、彼女の機嫌を現しているのかもしれない。
(さっきも怒りに呼応していたし、そういう種族なのか?)
何か彼女の正体がわからないかと、昔を思い出す。
だが特に心当たりはなく、考えている間に珈琲とケーキの用意が終わる。
「どうぞ」
ピン、と。遊ぶように揺れていた彼女の髪がまっすぐ伸びた。
「………」
恐る恐るといった様子で、ケーキをフォークですくう。
いちごとクリームと、少しのスポンジの乗ったフォークをゆっくりと口に運んだ。
「〜〜〜〜っっっ!!」
目は変わらず鋭いままだが、頬は少し紅潮している。
髪が踊るようにわさわさと跳ねている。
(どうやら気に入ってくれたみたいだな)
そのまま勢いよくケーキを口に運び、あっという間に食べきってしまった。
「……おい、人間。これをもう一つ」
その声は、なんとも言えない悔しさと期待が入り混じっていた。
「はい、こちらに」
(ふふ、予想通りだな)
あらかじめ用意していたケーキを差し出す。
キッと睨みつけたケーキに、彼女はまたフォークを突き刺す。
(近所のパティシエにお墨付きをもらった私のケーキは、どうやら異星人の舌も満足させられたのだな)
ケーキを食べ終えた彼女は、ミルクと砂糖を3杯入れた珈琲をぐいっと飲み干す。
「……」
「こちらはチョコレートケーキです」
「なっっ! わ、私は何も言っていないぞ!?」
「いりませんでしたか? あと珈琲のおかわりはどうします?」
「………くっ、もらおうか」
悔しそうに目をそらす彼女だが、チョコレートケーキを差し出すとまた髪が遊ぶように跳ね上がった。
「黒い、な……これも甘いのか?」
「さっきのよりも甘さはありますね」
「なっ!? さっきのよりもか!!」
ゆっくりと、すくったケーキを口に運ぶ。
「んっ………!!!」
口の周りに溶けたチョコレートを残しながら、またすごい勢いで食べてしまった。
(他の客の分がなくなるが……まあ今日はいいだろう)
こんなに幸せそうに食べてくれるなら、こちらとしても気分がいい。
結局、彼女はバクバクとケーキを6個も食べ続けた。
人間には栄養過多だが、まあ異星人には問題ないだろう。
「ケーキ……いい進化だ……」
顔は険しいが、髪がずっとぴょこぴょこと跳ねている。
「こちら、おしぼりです」
「ん……」
差し出したおしぼりで口の周りを拭うと、彼女はズズッと珈琲をすする。
「……長居したな」
「かまいません。どうぞごゆっくり」
入店して、もう30分は経っていただろうか。
その間、彼女は無言で食べ続け、私は食器洗いと給仕も徹していた。
「…………」
無言で彼女が店内を見回す。
譲二の趣味だったジャズがなる店内は、まるで外とは時間の流れが違うようにゆったりとしていた。
「こちらには観光でいらしたのですか? 見たところ、日本の方ではなさそうですが」
サービスのお冷をそっと差し出して、至って当たり障りのない話を振る。
「……お前には関係ない。なんだ、私のことが気になるのか?」
じっと見る彼女の瞳は、まだ私を疑っているようだった。
入店した当初よりはマシになったが、刺々しいのはこれが彼女の自然体なのかもしれない。
ああ、宇宙にいたころはこのような輩はごまんといた。随分と懐かしくすら感じる。
当時はだいたい、ここから戦闘に発展したのだが……。
「ふふ、そうですね……あまりに貴女が美しいので、気にならないというのは嘘になります」
だが、今の私は喫茶店マスターなのだ。
これしきの軽口はお手のもの。どうだい、譲二。
さんざん不器用だの唐変木だのと評してくれたが私はここまで成長したぞ。
「……この私を美しい? 随分と変わった人間だ」
ふっと彼女が微笑んだ。別に変わったことを言ったつもりはないのだが……。
切れ長の金色の瞳と初雪のようなまつ毛も、その引き締まって健康的な褐色の肌も。
まるで美を体現したアートのように、人間離れした美しさ──実際に人間ではないのだろうが。
「少し変わっているくらいでないと喫茶店のマスターは勤まりませんから」
「ほう? 大概の人間は私に怯えて逃げ出すが?」
──肌を刺すような空気を彼女が纏う。
なるほど、この気配は普通の人間には刺激が強すぎるだろう。
そもそも生物としての強さが違う。生存競争を勝ち残った強大な生物が放つ殺気に近い。
──でも。
「ここは喫茶店で、色々な方の憩いの場でもあります」
「……この私でもか?」
まるで自分は含まれないのが当然とでも言うように、彼女は挑発的な笑みを浮かべる。まあ、この性格では何処かに馴染むというのは難しいだろう。
……譲二も、当初は私に似たような感想を抱いたのだろうか。
それでも彼は私を受け入れてくれた。
だから──。
「貴女にとってもそうであると、僕は嬉しい」
誰かにとって、ほっと一息つける場であってほしい。
居場所の無いモノでも、安息を得られるような場所でありたい。
私がそれで、救われたのだから。
「……そうか」
少し長い沈黙のあと、彼女は突然、席をたった。
カウンターにはこの国で一番価値の高い紙幣が置かれている。
支払いにしては多い金額だ。
しかし彼女は会計はもう済ましたと言わんばかりに出口に向かっていく。
「あの、おつり……」
「人間、命が惜しければ今夜は外に出ないことだ」
「え?」
「この店は気に入った。だから今回だけ許してやる……邪魔したな」
彼女は背を向けたまま、扉を開き去っていく。
「今夜、ねえ」
葵の依頼は夕方から。
もしかしたらさっきのムシも、不穏な影も、彼女に関係しているのかも知れない。
「放置はできないか……」
また、戦うことになりそうだ。少しは私も情報を集めたほうがいいだろう。
「やれやれ、今日はもう店じまいだな」
今しがた彼女が出ていった扉を開け、営業終了を知らせる札を掛ける。
周囲を見渡せば、とっくに彼女の姿は見えなくなっていた。
「──監視の目はないようだ。では、行くとしよう」
私はエプロンを外し、乱雑に椅子に放り投げると、地面をそっと蹴って空に飛び上がった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
面白かったと思っていただけたら、☆☆☆評価やブックマークをしていただけると励みになります。
コメントやリアクションもいただけたら飛び上がって喜びます!