第2話 怪しいストーカー
「まったく。警戒したほうがいいのは2人も一緒だな……で、姿を見せたらどうだ?」
下げた食器を洗いながら声を掛けると、何も無い空間に蜃気楼のようなゆらぎが現れる。
『ギ、ギギギ………!!』
姿を見せたのは二足歩行の蟻のような生き物だった。
(光学迷彩……強化タイプか)
渡辺と葵の2人が喧嘩している時、回れ右して帰った客が扉を開けた時に不意に紛れ込んできた。
気付かないふりをして観察していたが、この生物はじっと2人の様子を伺っていた。目的は葵か、渡辺か……2人共かもしれないな。
「やはり外星生物か」
星街ダンとしての私は180センチほどの身長だが、その私が見上げるほどの高さ――3メートル近くはあるだろうか。
人間を模したような2足歩行のシルエットでありながら、その全身は黒光りする硬質な外骨格に覆われている。細くくびれた腰部、鎧のような胴体は少し私の本来の姿に似ていなくもない。
「どんな意図があるかは知らないが、2人は私の知人だ。手を引いてはもらえないか?」
感情を読み取る顔はない。無数のレンズが嵌め込まれた巨大な複眼には、冷たい光だけが宿っていた。
知能は低く、下された命令に従う本能がこの巨大な体を突き動かしているのだろうと直感する。
(私の言葉を理解したのではなく、気付かれたことに反応しただけか……)
顔の下半分を占めるのは、左右に大きく裂けたアギト。ゆっくりとそれが開くと、内側にはノコギリのような牙がびっしりと並んでいるのが見えた。
長く垂れ下がった両腕の先には、三本の鉤爪が備わっている。
「おいおい、店を壊すなよ」
鈎爪が床に触れた瞬間、木が裂けた。バターを削ぐような滑らかさで、硬質な床材が簡単にえぐれ、木片が飛び散る。
『ギギギギ……ギギ……ッ!』
突如、喉の奥から耳障りな音が響き渡る。金属を無理やり擦り合わせるような、あるいは硬い殻が軋むような不快な音だ。
威嚇なのか、あるいは単なる生理的な音なのかは分からない。
だがその音が引き金になったかのように、巨大な複眼が、確実に私をロックオンした。
「──なるほど、私を始末するつもりか」
視界の端で、その黒い巨体が僅かにブレた――ように見えた。
次の刹那、轟音と衝撃がすぐ目の前で炸裂する。
距離があったはずの怪物が、一瞬で私の目の前に肉薄していたのだ。
テーブルと椅子が宙を舞った。
蟻の怪物は己が吹き飛ばした机たちが床に着く前にはもう、私を引き裂こうと鈎爪を伸ばしていた。
それはまさに瞬間移動と呼ぶべき速度だろう。
──無論、それが人間の動体視力だったらの話だが。
『ギギギギ……ッッ……ッ!??』
「なんだ、驚く程度の知性はあるのか」
片手で鈎爪を受け止めた私を見て、左右にさけたアギトがまた不快な音を鳴らす。
少し力を込めて握れば、ビキビキと音を立てて外骨格にヒビが入る……以外に脆い。
掴んだ手から伝わる震えは、まるでこいつが動揺しているようにも感じた。
「しかし、この威力。並の人間なら即死だな」
受け止めた鈎爪に込められていた力は容易く人間の体を引き裂いただろう。
万が一鋭利な爪を避けることができたとしても、当たった衝撃だけで人間の骨を砕き内蔵を潰す威力があった。
「こんな危険な生物を2人に近づける訳にはいかない、な」
『ギィイッッ………!!』
怪物が鋭利なアギトを開き、無数の牙が蠢く口内をさらした。
このまま私の頭部を食いちぎるつもりらしい。
私は軽く息を吐き、頭部を狙って拳を突き出す。
「──悪くない判断だ……が、遅い」
『……ギュアッ!?』
拳がアギトの内側へめり込んだ瞬間、頭部が弾け飛ぶ。
緑色の体液が辺りに飛び散り、無頭の巨体が大きくのけぞり地面に倒れ、痙攣を始める。
──だが。
カシャカシャカシャ……ッッ!!
「頭部を失っても動くなんて……葵ちゃんが見たら悲鳴を上げそうだ」
以前、店にでた黒い昆虫を見た葵が建物が軋むほどの悲鳴をあげたことを思い出す。
体液を撒き散らしながら怪物はそのまま天井に飛び移り、大きく跳躍した。
裂けた鉤爪を広げ、真上から私を両断しようとしている。
「空中にいてくれるならありがたい──店を壊さずに済みそうだ」
私は右手を掲げ、体内から湧き出るエネルギーをそこへ集中させる。
肘を固定するよう左手を添え、膨大な力のうねりを制御する。
気を抜けば、この虫ごと店を吹き飛ばしかねない。
(制御安定……出力最小……!)
「──アストリウム光線」
飛びかかった怪物の体を白銀の極光が包み込む。
次の瞬間、輪郭から崩れ落ちるように、その存在は“分解”されていった。
『ギィ……………ッッッッッ!??』
光の波動に埋もれた怪物の胴体が、音もなく塵となって崩壊していく。
まばゆい光が止んだ時、まるで何もなかったように怪物は消失していた。
「さて、他にもいるのか?」
建物の外を透視して渡辺と葵の行方を追う。
怪物と敵対して、消滅させるまで2分程度しか経っていない。
すぐ外の交差点に2人の姿を発見できた。信号待ちをしていた葵と渡辺は、交差点を渡ったあとにそれぞれの別の方角へ歩いていく。渡辺は警察署の方に、葵は学校に向かって。
「……あれだけだったようだな」
とりあえず、他に追跡者はいないようだ。
床に散らばった怪物の血をアストリウム光線で消失させながら、ぐるりと周囲を見回した。
──その時だった。
ひとりの女性が、店の壁越しにこちらを静かに見つめていた。
(……まずいっ!)
長い白銀の髪が光を受け、柔らかく揺れている。
褐色の肌と引き締まった体は、彫刻のように滑らかで、どこか現実離れしていた。
そして、ずっと見ていたくなるほど美しい、宝石のような金色の瞳。
その表情から伺い知れるのは気高さと強さ──それでいて、今にも消えてしまいそうなほど儚さ。
そんな女性がただ静かに、まっすぐにこちらを射るように見ている。
(どうみても気付いているな……)
目が合った──いや、“捕まえられた”ような感覚。
透視状態の私の視線を、完全に逆探知してきた。
瞬時に透視を切り、床掃除しながら手を動かす。
呼吸を整える。動作を自然に。感情の波形を静める。
──今の私は、ただの喫茶店のマスター。
さっきまでの戦闘などなかったかのように、倒れたイスとテーブルを立て直し、破片を拾う。
しかし、背中を走る緊張は消えない。
あの視線。あの圧。あれは、私が母星で対峙した敵性体の中でも上位の部類だろう。
そして──。
カランコロン……
店のドアベルが鳴った。
それはいつもの音だった。けれど、異常に長く、重く、響いた。
「そこの人間──いま、私を見ていたな?」
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