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第1話 彼女が現れる、そのすこし前。平穏な朝。

 セフィラ・ネルヴェリア。

 白銀の髪に金色の瞳、女神を名乗る異星の来訪者。

 いま、彼女は星街珈琲に居候している。まあ私が招いたのだが。


 思えば――この喫茶店に“異変”が訪れたのは、彼女が来てからではなかった。


 もっと前だ。

 人知れず怪獣が歩き、常連の刑事が宇宙事件の話を持ち込み、毎朝トーストを食べに来ていた女子高生が覚醒者として隠れて戦っていた頃。

 地球の常識とは少しずれた者たちが、自然と集まり始めていた。


 だから、少しだけ話を巻き戻そう。

 あの女神が星街珈琲に来る前の話をしよう。

 まだ彼女が影のように街を探っていた頃のことだ。


     ◇


 場所は東京・神楽坂の一画。

 コンクリートと電線と観光客の足音が混ざるこの街のど真ん中、近くには赤城神社がぽつんと立っている。


 神社の鳥居をくぐると、空気が変わる。

 湿った空気と、石畳のひんやりとした感触。

 木の葉のざわめきが、なぜか遠くで鳴っているように聞こえる不思議な場所。


 私の店――『星街珈琲』は、その神社の参道から少し逸れた裏路地にある。


 石段を下って、小さな路地を曲がった先。

 重厚な木の扉があるだけの、看板もないカフェ。

 知らなければ通り過ぎるし、知っていても入りづらい。


 それでも、毎日ここには人がやってくる。

 先代店主の星街譲二が一から信頼を積み重ねてきた証だろう。


 私は今朝も、いつものように仕込みを始めていた。


 グラインダーの音、豆の香り、湯の音。

 この場所に来てから、ずいぶん人間らしくなった気がする。


(これもあなたのおかげだな、譲二)


 カウンターの奥、居住するための部屋にある仏壇には遺影が二つ飾られている。


 ――かつてこの店の主人だった星街譲二と、その亡き息子の星街ダン。


 この姿も、この名前も、彼の息子から“借りて”いる。


 譲二は言ってくれた。「その姿で、この街を生きろ」と。

 だから私は今、星街ダンとして――この街で、人間として、生きている。


 ……そのふりをしている。


「よお、ダン。キツイのくれ。ここんとこあんま寝れてなくてよぉ……ふわあ」


 重厚感のある木製の扉が開き、カランコロンとベルが鳴る。

 顔を出したのは毛の少なくなった頭部が目立つ、無精髭の刑事、渡辺だ。

 シャツの袖をまくり、新聞を小脇に抱えて、大きくあくびをしながら勝手知ったる様子でカウンターへ座る。


「おはようございます。今日のコーヒーは深煎りです。目が覚めすぎるかもしれませんよ」

「おお、昨日のも効いたぞ。パトカーで二度寝したくらいにはな」 


 冗談を交わしつつ、私は静かにドリップを続ける。

 渡辺は新聞を広げ、ふっと口を噤んだ。


「ずいぶんと喫茶店のマスターが似合ってるじゃねえか」

「ありがとうございます。譲二の教えがよかったおかげですね」

「……ま、人間のフリがうまいことはいいことだな」

「ええ、何よりですよ」

 

 彼は私が異星人であることを知っている。

 この秘密を知るのは亡き譲二さんとこの渡辺の二人だけだ。


「でよう、ダン。少し話があるんだが……」


 私がコーヒーを彼に差し出したタイミングで、少し声を抑えて渡辺が私を見た。


「また出たらしい。例の“でかい影”が」


 その言葉に、私は一瞬だけ、手の動きを止める。

 そして何事もなかったように、再び湯を注いだ。


「野生の獣じゃないんですか?」

「この東京のど真ん中に、そんなもんいねえよ……それに今朝もカメラがひとつ壊れてた。記録装置の“中身だけ”綺麗に抜かれててな。まるで、喰われたみたいに」

「物騒ですね」

「物騒だよ。だから、頼みがある」


 渡辺は読んでもいない新聞を脇において、少しだけ真剣な目をした。


「このあたりで、変なやつを見かけたら、教えてくれ」

「気づいたら、ですね」

「そう。気づいたらでいい……もしかしたらお前さんの同郷かもしれねえんだからな」


 渡辺はコーヒーを啜りながら、肩を竦めて新聞をもう一度広げる。


「渡辺……僕の同郷というが、別につながりはないんだよ?」

「あいにく、俺からしたら訳のわからん力を持った手に負えない連中はお前の同郷だと思ってる。どうせまた宇宙から来たんだろう?」


 そうかもしれないが、私と一緒扱いされても困る。

 そもそも私は譲二の遺志を継いで、この店を切り盛りしながら平穏に暮らせればそれでいいのだ。

 彼も死に際に、ソレを望んでくれた。


「できれば、人間の手で解決してほしいのだけど」


 困ったようにぼやいたら、渡辺が眉間にシワを寄せる。 


「あのなあ! それができたら苦労は……」


 渡辺が声を張り上げた瞬間、カランコロンと音がなり扉が開いた。

 

「おはよう、マスター。ミルクティー頂戴、あと軽いモーニングも」


 新しく入ってきたのは、近所の高校に通うという高坂葵こうさかあおいだ。

 紺色のブレザーに短いスカート。長い脚は黒いストッキングで覆われている。

 亜麻色の長髪は光沢を放っており、彼女は私の基準でも美しい。


「いらっしゃい。アイスでよかったですか?」

「ええ、お願い……うわ、どうしたの二人とも顔を近づけて。ちょっと、朝から男二人の変な光景を見せないでよね」

「おい、葵。こっちは真面目な話をしてたんだぞ。邪魔しないでくれるか?」


 軽口をたたきつつ、葵ちゃんがカウンターに座る。

 私の目の前、渡辺の隣だ。


「邪魔ですって? じゃあ、渡辺さん。街の平和を守るおまわりさんに聞きたいことがあるんだけど?」

「なんだいきなり」


 どうやら目的があったらしい。

 葵ちゃんにアイスミルクティーを差し出しつつ、モーニングサービスの食パンをトーストにかける。


「最近、私の学校で変な影を見たって子が多くてさ。物騒だから調査してくれない? しかも白い髪をしたとんでもない美女の幽霊まで一緒に目撃されてるのよ。肌は褐色だったらしくて、日本人じゃないんだって。きっと神楽坂高校へ留学中に死んだ子だろうってみんな言ってるわ」

「……おいおい、そんな怪談話に警察が動けるかよ。おじさん、これでもいそがしいんだ」

「あら? 場末の警察署の下っ端刑事が、そんなに忙しいの?」

「ああん?」


 チーン、と音がなりトーストの焼けた甘い匂いが芳醇に香る。


「こらこら、二人とも。朝から喧嘩しないでくれ」


 焼けたパンにふんだんにバターを塗ると、香ばしい匂いの中にバターのとろけた甘い匂いが混じりだす。

 カリッとした歯ごたえを残しながらも、口に含むと甘く柔らかいトーストの出来上がりだ。

 少し甘いミルクティーにはよく合うだろう。


「おまたせしました。モーニングのバタートーストです」

「え、あ、ありがとう……」

「それではごゆっくり」


 なにやら驚く葵に注文通りの食事を提供し、使った食材の片付けに入る。


「──相変わらず早いわね。私でも気付かない内にって、そんなのありえないんだけど……」

「え、何か言ったかい?」

「あ、いえ。なんでもないわ」


 無論、ちゃんと聞こえているが。

 トーストを焼く時間は他の人間と変わらないだろう。

 だが、皿の配膳などがまだ人間の基準に合わせきれていなかったのか。

 葵はこうしてちょくちょく、人間目線での違和感に気づいてくれるのでありがたい。

 次はもう少し時間を掛けるとしよう。


 (譲二には“人間らしい不完全さをもって、完璧に仕事をこなせ”と言われたが)


 非常に難しい問題だ。


「じゃあ、いただきます!」


 葵ちゃんが垂れ下がる髪をかきあげ、トーストにかじりついた。

 サクッという、焦げた表面がかじられる音が、静かな店内に響く。


「くうう〜〜!! ここのトースト美味しい! もうコレ食べてからじゃないと朝って感じしなくなっちゃった……ほんと、なんでこんなに違うの?」

「喜んでくれて何よりだよ。けど、企業秘密と言っておこう」


 実は食感をより良くするため、トーストを焼く際に表面に少しだけ加工を加えている。

 カリカリとした食感を生み出すために、私の能力で炎熱を加えているのだ。

 決して焦がさず、至高の食感を生み出す絶妙な火加減である。

 ちょっとした私の自慢だ。


「バターがとろけて……あま〜い」


 葵の顔まで、とろけたような笑顔になっている。。

 人間の食事はその光景も含めて面白い。

 彼女を見ていると、気持ちのいい食べ方というものがあるのだと気付かされる。

 私がこの場所を守っていきたいと思う理由は、彼女のような人間を見るのが好きだからなのかもしれない。

 

「ふふ、今後ともご贔屓に」


 こうして我が星街珈琲店はいつもどおり、平穏に営業を続けている。


 ◇



「はぁ、美味しかった……ごちそうさま」

「お粗末さまです。こちらは下げますね」


 ミルクティーを飲み干し、トーストを食べ終えた葵ちゃんの皿を下げていると、新聞を畳んだ渡辺が声を掛けてきた。


「おい、ダン。葵の話だが、お前が話を聞いてやってくれ」

「え、僕が?」


 渡辺が無言で私に意味ありげな視線を送る。

 テレパシーなど使えない人間のはずだが、言いたいことが解るのが不思議だ。


(さっきの影の件を調査しろということか)


 刑事という職に就く渡辺は勤勉なのだろう。

 毎朝のように顔をしかめて、不機嫌そうに文句を言いつつも、この街を守るという気概がある。


 この星に来て驚いたのは、極端に力の弱い人間という生物の精神性だ。

 なぜ、彼らは弱いながらも他者を守ろうとするのだろうか?


「どうせ午後は暇だろう? ちょっとは俺を手伝ってくれ」


 その精神に敬意は抱くが、当たり前のように使われるのは面白くない。

 しかも渡辺の依頼の今までの大半が、人間の犯行だったりする。


「渡辺、店をあまり開けたくはないですが。それに部外者の僕が高校に行ったところで……」

「あら? でもダンさんは確か私と同じ神楽坂高校出身でしょ?」

「そう、だね……」


 一応、生前の星街ダンのプロフィールは暗記している。彼は確かに葵と同じ学校だった。

 だからこそ、下手に彼の生前の知り合いに会うと面倒だ。

 私に彼の記憶はないのだから。


「僕は事故にあって記憶を失ってる。正直、昔の記憶はあまり覚えてないんだよ」

「あ、そうなの?」


 そういうことにしておこう。


「じゃあ、高校に来たら何か思い出すかもしれないからいいじゃない。まあ、私も生徒会長として生徒からの意見は調べるつもりだったし。よかったら手伝ってよ」


 ……これはこの国の言葉で「藪蛇」というのだったか?

 言い訳をしたことで、逆に退路を断たれてしまった。


「むう……」

「決まりだな、ダン。そもそも人間関係は大事だぜ? こういう身近な悩みを解決し、他人を助けることで、この星街珈琲もどんどん街に認められるってもんだ。お前は近所付き合いが下手だからちょうどいいじゃねえか」


 もっともらしいこと言いながらカラッと笑う渡辺だが、面倒に私を巻き込めたことで機嫌が良くなっているに違いない。

 ここは少しばかり意趣返しをしておこう。


「人間関係が大事という渡辺は、初対面の僕に銃口を向けましたね?」

「うっ」


 気まずそうに目を逸らした渡辺は、持っていた新聞を立てて顔を隠した。

 隣で聞いていた葵がギョッとした顔で固まり、渡辺を睨んでいる。

 まだ私が星街ダンに変身する前の話だ。

 あの時は譲二が間に入ってくれたおかげでことなきを得たが。


「うわ、それ大問題じゃない。ねえ、ダンさん。こんな不良刑事通報したほうが……」

「そ、それはダンが……いやこれ以上は機密だから言えねえな」


 憤慨した様子で渡辺に突っかかる葵だが、彼女も同じ穴のムジナである。


「葵ちゃんは初対面の僕に刀で斬りかかったよね?」 

「ゔっっ」


 気まずそうに目を逸らした葵が、持っていたカバンで顔を隠した。

 あれは譲二から店を引き継いで間もない頃、食料を仕入れて星街珈琲に帰ろうとしていた、夕暮れ時のことだ。


『随分と人間に化けるのが上手じゃない?』

『え……?』

『問答無用!!』


 刀を持った葵ちゃんが、いきなり切り掛かってきたのだ。


 あの時は本当に驚いた。

 バカ正直に「なぜ分かった?」と問おうとしたが、そもそも彼女と面識はない。

 寸前で思いとどまって正解だった。


『誰かー、助けてくださいー。警察を呼んでくださいー』

『はあ!? ちょ、うそ、え、まって……っっ!!?』


 とりあえず、いきなり暴漢に襲われた市民のふりをして、周囲に助けを求めたら葵は夕日よりも顔を赤くして慌てふためきだした。


『うーん、ただの人間……よね。私の勘違いだったかしら?』

『はい、僕はただの人間です』

『……なんか納得いかないわね』


 不貞腐れたように私を睨みながらも一応は謝ってくれて事なきを得たのだが、もちろん勘違いではないので驚いた。

 葵は勘が鋭く、ただの人間にしてはそれなりに力がありそうだった。

 彼女のようなタイプには察知されるリスクがあることを学び、より慎重に人間としての振る舞いを気をつけるよう身を引き締めたのだ。


「ほう、葵。刀なんて物騒じゃねえか。ちゃんと許可書あるんだろうな? ちょっと署で話でも聞こうか……?」

「だ、だってそれはダンさんがあまりにも……ちょっと渡辺さん? これ以上はちゃんと本部に話を通してよね?」

「……ったく、俺からしたらお前も得体がしれないんだがな?」

「おほほ、だったら出世して警視正にでもなりなさい?」

「……クソガキめ」

「なによクソジジイっ」


 バチバチと二人が睨み合っている。

 そのせいで新たに入ってこようとした別の客が、回れ右して返っていくほどだ。

 これが譲二の言っていた“営業妨害”というやつか。


「二人とも、大人しくしてください。他のお客さんに迷惑です」


 険悪になった二人を宥めつつ、伝票を差し出した。

 葵はブスッとした顔で受け取ると、私をじっと見る。


「まあいいわ。じゃあダンさん、17時に校門に来て。迎えにいくから」

「……僕が行くことは確定なのか」

「あきらめろ、ダン。ご近所付き合いは大切にしとけ。まあ、何かあったら俺にも知らせてくれ」


 歪みあっていたはずの二人は、息がピッタリとあったように私の行動を決めていく。

 

「ふう、これでダンさんの妙な気配の正体が掴めるかもしれないわね」

 

 会計を済まし、扉から出ていく葵から独り言が聞こえてきた。

 察しがいいというのも考えものだろう。

 彼女は警戒した方が良さそうだ。


「やれやれ、妙な気配を探りたいなら()()にも気づいてほしいものだが……なあ、()()()()


 ──二人が出ていった扉が閉まりかけた瞬間に声を掛けると、不自然に扉が空いた状態で停止した。

 重厚な木扉だ。ただの風で止まることはない。


 何者かが抑えていない限りは。


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