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第11話 降臨、アストラゼノン


 光の奔流が雲を消し飛ばし、空に浮かぶ満月が姿を見せる。

 淡い月光を浴びながら、夜闇に佇む己の姿を確かめる。


 漆黒の外皮に覆われた人型の巨人、アストラゼノン──それが私だ。


 遠いビルの屋上からこちらを監視していた白銀の女性は消えていた。

 しかし、彼女は確かに私の名を口にした。

 遠い銀河に、我が故郷アストラの星はある。

 まさかこんな辺境にある天の川銀河でも、私を知る者がいるとは思わなかった。


(まあいい。今は目の前のコイツを優先しよう)


 拳を握ると、ギリン、と指の間で硬質な音が鳴った。

 黒く硬質な外皮がこすれ合い、わずかな火花とともに反発し合う。


 顔の中央に真横に走る一筋の光条にて、キングス・ワンの僅かな動きを補足する。

 私の瞳は人間のような両眼とは違う。

 だが、ほぼ全方位の視野角を持ちあらゆる光学迷彩や次元隠蔽を見破る。


『キイイイィイアアア!!!!!!』


 鉤爪をガリガリと交差させ、大量の火花を散らしキングス・ワンが威嚇する。

 両腕を上げ、己を大きく見せるのは生物としての本能だろう。


(両腕を含めれば70m近い巨体……私をわずかに上回るな)


 威嚇に構わず、奴に向かって歩を進める。

 一歩を踏みしめるたび、地響きと共にアスファルトの地面がひび割れ、めくれ上がるように土が隆起する。


 ──ふと、視界の端に何かが写る。

 

 壁が崩れた校舎の一角──重傷を負って横たわる少女の姿が見えた。

 腕と足が不自然に折れ曲がっている。

 ヤツは斬られた恨みを、存分に高坂葵へ晴らしたようだ。


(…………)


 ──震えた拳を、固く握る。

 

 ただ、彼女はしっかりと生きていた。

 力なく横たわっていても、高坂葵の私を見る眼は、いつもと変わらないほどに力強い。

 未知の巨人(アストラゼノン)を観察し、もう自分が戦うことを考えていそうだ。

 きっと、誰かの未来を守るために。

 

 その強さがあまりに眩しくて、たまらず苦笑が漏れる。

 少女としてのか弱さに対する心配は、視線から伝わる彼女の強さが打ち消した。


 だから、さっさとこいつを倒して彼女の未来を守るとしよう。


 キングス・ワンが鉤爪を引くように静かに構え、無機質な複眼で私を捉えている。

 一切構わず、ヤツの間合いに侵入する。

 音もなく、ヤツの巨躯がわずかに沈む。

 6本の節足が力を溜めるように関節を曲げる。

 

 ──土砂が爆ぜた。


 突進してくる巨体。

 両腕の先に備わる鈎爪が、ミサイルのように真っ直ぐ私の胸を貫こうと迫る。

 生物の奇跡。硬度の究極。

 地上のいかなる合金よりも硬い黄金色の爪が、鋭利な杭となって私を穿つ。

 

 重厚な衝突音。胸に感じる強い衝撃。

 

 この身を突き抜けた衝撃波が、背後に佇む住宅街を襲う。

 明かりが灯らぬ静寂な家々の群れが、風になびくように崩れていく。


 ──だが、それだけだ。


 圧倒的硬度を誇る鈎爪は、私の表皮を削りもせず止まっていた。


 キングス・ワンの紅い唇がかすかに震える。


『───ッ!!?』


 数瞬後、声にならない悲鳴が漏れた。


 ──今更怯えたところで、逃がすものか。


 突き立てられた両手の鈎爪を左手で掴み、そのままヤツを力任せに引き寄せる。

 重心を崩した巨躯が倒れ込み、私の眼前に怯えた顔が近づいた。

 瞬間、腰を沈めて右拳を突き出す。


 ──グチャっと、肉と甲殻が潰れる生々しい音と感触が伝わる。


 構わず全力で振り抜いた。

 同時にブツリと、引き寄せた鈎爪が根本から千切れる。

 緑の体液を撒き散らしながら、ヤツははるか彼方へ吹き飛んでいく。

 鈍重な巨体は学校に並ぶ電柱をなぎ倒し、夜のグラウンドに転がった。

 ちぎれた電線が火花を散らし、電気を失った街が夜の闇に堕ちる。

 月明かりが照らすグラウンドの中央で、節足の生える腹部を晒してヤツは痙攣している。

 千切れた腕から吹き上がる緑の体液が雨のように降り、生臭さと土の匂いが混じる。


(葵から引き離すことには成功したな)

 

 葵の横たわる校舎に、幾人かの人間が駆けつけていた。

 きっと、任せて大丈夫だろう。


 転がり、ピクピクと痙攣するキングス・ワンへ拳を振り上げる。

 半壊した複眼が、グルグルとせわしなく動いている。

 ズリズリと這う胴体は、僅かな余命を伸ばそうと必死だ。


 ──構えた拳を無慈悲に落とす。


 だが拳が落ちる瞬間、キングス・ワンの腹部が不自然に膨れ、次の瞬間に弾け飛ぶ。

 生暖かい暴風にのった甲殻の破片が全身を叩き、土と体液が混ざって飛び散る。


 むせ返るほどの生臭い土埃を浴び、私は油断なく静かな夜空を見上げた。



       ◆     ◆     ◆



 あれは、なんだろう。


 絶え間ない地響きに、鳴り止まない轟音。

 あれほど恐ろしかった女王アリが、黒い巨人に“蹂躙”されていた。


 引きちぎられ、殴り飛ばされ、痙攣している。

 圧倒的な力の差。

 瀕死の女王アリへゆっくりと歩みを進める巨人には、どこか神々しさすら感じる。

 

 いや、もししたら本当に神と呼べる存在なのかもしれない。

 

 そもそもあの重厚な鈎爪が突き刺さらない巨人の体は完全に人間の理解を超えている。

 推定体重3万トンを超える女王アリが、地面が爆ぜる勢いで突進したのに無傷なんてありえない。

 あんなの、魔力どころか巡航ミサイルだって効くか怪しい。

 

「……ていうか、わたし……いきてる……っ!」


 痛い、痛い、痛い……っ!?

 麻痺していた感覚が戻ってきた。

 巨人の歩く振動が、傷んだ身体にムチを打ってくる。


「ちょ、これ、きっつ……ていうか、逃げないと……!」


 もう私の学校はめちゃくちゃだ。

 かろうじて形を保っていた校舎も、怪獣同士の戦いによって崩れ去った。

 偶然、あの巨人は別方向に女王アリを殴り飛ばしたからここはなんとか保てているけど、時間の問題だろう。


「え、私……やっぱ、死ぬ?」

  

 ちょっとまって欲しい。

 崩落で死んだらあまりにも間抜けすぎるっ!?


「くそ、最悪……っ!」


 身じろぐだけで激痛が走る。

 足と腕が折れた体じゃ、這うことだって難しい。

 なんとか、逃げないと……。


「葵……っ!」


 その時、誰かが飛んできた。

 見上げると、可憐の泣き顔が私を覗き込んでいた。


「可憐……?」

「バカっ!! なんで一人で戦おうとしたのよっ!?」


 泣いてるくせに、怒ってくる。

 こっちは瀕死の重傷なんだから、こんな時くらい怒るのはやめて欲しい。


「回復魔法を早くっ!!」

「わかってますわ。お待たせしましわね、葵さん」

「うげっ」


 癇に障る上品ぶった声に、うめき声がもれた。


「ちょっと、可憐。あんなの、こんな繊細な場所に呼んだら……」

「おや? 何か問題ありまして?」

 

 気付いてないのが致命的だ。

 これ以上彼女が何かを言う前に、その口を閉じないとまずい。

 だけど、焦りからうまく言葉が出ないっ!


「神楽坂生徒会の広報にして、“令嬢僧侶”の二つ名を持つA級覚醒者──高城麗華たかしろれいかが来て差し上げましたわ! おーほほほほほ!!」

「ばか!? こんな崩れかけの場所で大きな声出したら……っ!?」

「え?」


 予想通りになってしまった。

 麗華の大声に反応した建物がボロボロと、半壊した床の先から崩れ始めた。

 サッと血の気が引いて、心臓がギュッと縮こまる。


「静かにっ! だ、大丈夫……ゆっくり……」

「え、ええ……」

「葵、とりあえず私に捕まって」


 これ以上刺激しないよう、みんな息をひそめてゆっくり動く。

 わずかな身動ぎひとつで、床に亀裂が走り、瓦礫のかけらが地面へ落ちていく。

 すり足、忍び足で、じりじりと可憐と麗華が私に向か──


 「おい、来てやったぞ会長っ!! 死んでねえだろうなぁ!!?」


 みんなの繊細な作業を、荒々しく駆け上がってきた単細胞《火ノ森剛》が台無しにした。

 ご丁寧に大声をあげて、しっかりトドメを差している。


「「「馬鹿ああああああ!!?」」」

「あん? なんだ……て、どわあっ!?」


 崩れる足場。倒れてくる壁──間に合わないっ!


「葵っ!」


 可憐が私を抱えて、外に大きく跳躍した。

 倒れる瓦礫の壁を、強化した身体で強引に突き破る。

 砕けた壁の外には 都会の夜空に星が輝いていた。

 不夜城とも言える新宿の明かりは消えていて、まるで息を潜めて怯えているようだ。

 目の前はグラウンド。黒い巨人がちょうど女王アリに拳を突き立てようとしている。


 ──でも次の瞬間、黄金色の花火が散った。

  

「なにっ!?」

「自爆……って可憐、あぶないっ!!」


 爆ぜた女王アリの甲殻が弾丸のように飛んでくる。

 直撃したらこっちが飛び散ることになる硬度と質量だ。

 私達は空中に躍り出たばかりで、避ける手立てはもう──。


「まずい……!」

「おーほほほ! わたくしがいるがぎり誰も傷つけません──グレイス・アブソリュート!」


 麗華の魔力が具現化する。

 流星のように飛び散る致死の破片が、麗華の生み出した盾によって阻まれる。

 盾──もはや壁と言うべきだろう。

 

「なんて、魔力……」

「ふん。俺が攻めの最強なら、麗華は護りの最強だからな」


 馬鹿が珍しく他人を認めていた。

 S級覚醒者でも女王アリの甲殻を破る火力をだせるのは限られているだろう。

 

 だけど、A級の麗華は散弾のように襲ってくる甲殻の破片を防いでいる。

 護りの一点においてはS級とされてもおかしくない。


「まったく。このわたくしがAだなんて、N.A.Oに再測定を要求しようかしら」


 打ち付ける黄金色の破片を背に、高城麗華が優雅に微笑む。

 守られたのは事実だから、ここは素直に感謝しておこう。


「助かったわ、麗華。ありが……」

「まあ、どこかのおバ会長が一人で突っ走って死にかけるから、守る方も大変ですけど!」

「よし、さっさと骨折治しなさい。斬ってやるっ!」

「おほほほほ! 元気だけはあるようね」


 麗華が高笑いしながら、短い杖をさっと振るう。

 オーロラのように広がる彼女の魔力が、骨折している箇所に染み入ってくる。


「……っ」 

 

 身体の中を触られるような感覚。

 ぐにゅりと皮膚の内側が動く気配。

 痛みやはないけど動いている実感が伝わる。

 ソレが無性に気持ち悪い。


「ちょっと、気持ち悪いんだけど……っ。まだなの?」

「うるさいですわね、これには繊細な作業が必要なの! じっとしてなさい……あら、肋骨にもヒビが」

「うひゃあっ!?」


 見えないナニカがのっそりと脇腹で蠢く感覚。

 痛くはない……けどっ!


「くふ、ふふ、ちょ、くすぐったい……っ、あははは!」

「だから動かないでくださるかしら!?」

 

 必死で我慢するけど、のっそりと動く感覚が脇腹で蠢いている。

 感覚だけが過敏になって、勝手に笑い声が漏れてしまう。


「二人共、馬鹿やってないで逃げるわよ!? 去年メキシコで確認されたアンノウン……“黒き影”がまさかここに来るなんてっ」

「あは、く、ふふふ……って、うそ!?」


 身体をうごめく違和感が気にならなくなるほどの衝撃だった。

 レイヤー5──通称“アンノウン”。NAOが魔力を測定出来ない規格外の存在。

 1年前にメキシコで確認された個体“黒き影”だけのために設けられたランクだ。

 あの時の映像は私達に共有されている。

 

「確かメキシコ軍を蹂躙した“アイアンハンマー”はレイヤー4だったわよね?」

「そうよ。覚醒者だけでも勝利が怪しい怪獣を消し去った個体……その力は未知数よ」

 

 汗が目に入る。

 気付いたら背中がびっしょりと濡れていた。

 最悪の事態を想像して、足が震える。

 気づけば痛みが消えて、怪我は全快していた。

 でもいくら身体が治っていても、アレが牙を向いたら……。


「あ……」

「どうしたの葵?」

 

 何故だろう。

 不意に頭に浮かぶ“そんな訳ない”という言葉。

 無責任にもほどがあるし、根拠がだってないのに。


「……私達のこと守ってくれてる?」

「ないわね。多分、怪獣同士の縄張り争いとかでしょう」


 断言する可憐の気持ちもわかる。

 今まで現れた怪獣同士が群れたことは一度もない。

 むしろ、積極的に縄張り争いで殺し合う姿だけが観測されている。

 奴らが徒党を組まないことだけが、人類にとっての唯一の救いなんだ。

 

「でもあの人は……」

「人って、何言ってるの?」

「あ……そ、そうね」


 自分でもなぜあの巨人をそう呼んだのかわからない。

 女王アリから受けたダメージが頭にまできているのかも知れない。

 

「って、見て葵! 女王アリが……っ!?」

「あらあら。飛行能力まで……厄介ですわね」

 

 舌打ちを漏らしながら、麗華が夜空を睨む。

 そこに浮かぶのは、もうアリとは呼べない“何か”だった。

 月明かりの下、巨大な腹部を削ぎ落とした人影が浮いている。

 骨のように細長い四肢。異様にくびれた腰。

 背中には羽化直後の昆虫のような二対のはねが、振動音とともに震えている。


 どうやらさっきの爆発は自爆でなかったらしい。


「待って、あのまま逃げるつもり?」


 地上を離れた女王アリが、背中を見せて月の中央へと消えていく。

 まずい。学校にひしめいていた雑兵アリ、レイヤー2の脅威をアレが増やせるなら、必ずここで仕留めないと。


 どこかで繁殖され、あんな怪獣の群れを作られたら人間なんてひとたまりもない。


「くっ……」


 とっさに魔力を込めるけど、意味はない。

 あの高度の、あの巨体を倒すだけの力は私達に存在しない。


「可憐、NAOに緊急連絡よ! 自衛隊と協力してアイツを補足……っ!!?」


 ──全身のうぶげがさかだった。

 ぞわり、ぞわり、と空気が肌を撫でるような錯覚。

 空間が圧縮されていくような気配。

 異変が無いのに、異常事態が起こる予感と焦燥──そして恐怖。

 

 その原因は、空を見上げる黒き影だ。


「そ、そんな……なんなのよ、あれ……」


 頭の中は混乱しっぱなしだ。

 巨人が、まるで祈るように──胸の前で、両手をそっと向かい合わせていた。


 風が止み、空気が凍る。

 気づけば音すら消えていた。


 けれど確かに、その手のひらのあいだに、何かが“凝縮”されている。

 空間が歪み、月光さえ引き寄せられるようにねじれていく。


 (あれは……魔力じゃない。なんなのよ……)


 愛されし子どもたち──私たち覚醒者全員の魔力を一点に集中させたとして。

 果たして、あの“何か”に届くだろうか?


 ……否、無理だ。

 桁が違う。次元が違う。


 だから誰もが、言葉を失ったまま、その光景を見上げていた。


「あれが……黒き影──アンノウン」


 まるで祈りを終えるように──。

 巨人が、胸の前で重ねていた両手をそっと前方へと突き出した。

 同時に世界が、私達が存在する空間が、何かに圧し潰されるような感覚を覚えた。

 

 その予感はある意味で、正しかったのだろう。

 刹那、世界が塗り替えられる。

 夜の神楽坂が、まるで朝日が昇ったような光に包まれる。


 空に浮かぶ女王アリの巨躯が、その輪郭が、光の奔流に呑まれていく。


 まるで神が下す裁きのように。

 

 ──その光は、女王アリの存在を根こそぎ消し去った。

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