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第10話 “変身”


 鈍く輝く黄金色の鉤爪が、暴風のような音を立てて振り下ろされる。

 

「やばっ!」


 背後に立っていたダンさんを抱えて急いで飛び退く。

 爆風と共に地面が抉れ、校舎が揺れる。どうやら力も増しているらしい。

 ただ振り下ろされた場所は、私とダンさんが立っていた所から少し離れた位置だった。


 不思議に思った、刹那──


「こいつ……っ!」


 私を見た女王アリの赤い唇が、いやらしく口角を上げる。

 ギャリンと音を立て、威嚇するように鈎爪同士をすり合わせて火花を散らせる。

 まるでいつでも殺せると示すように。

 

「へえ、わざと外したのか……なんで?」

「さっきぶった斬られたことを根に持ってんのよ」

「なるほど……じゃあ、まずいね」


 今しがたまた殺されかけたくせに、平々凡々と危機を伝える姿がなんだか妙に気に食わない。


「あなた、自分が死にかけた自覚はあるの?」

「うん?」


 ああ、そういえば。とでも言い出しそうな表情だ。

 この人は一体、どんなメンタルをしてるのだろうか。

 こんな状況で、いつも通り振る舞える人間なんて覚醒者の中にだっていない。


「どっちかというと、葵ちゃんの心配のほうが強いかな? あれは君を狙ってるんだろう?」

「それは、そうだけど……」


 彼は、まるで喫茶店で会った時と変わらない。

 この状況で私の心配をしているなんて、なんだか気が抜ける。


(ふふ。誰かを心配することはあっても、誰かに心配されることなんてなかったわね)


 魔力に覚醒してから2年。その前はそれなりにあった気がする。

 剣術の練習で怪我した時、徹夜で勉強して目の下に隈を作った時。


 ──でも、覚醒者は傷の治りも早い。重傷だって1日で治る。

 

 いつしか誰も、私に何も言わなくなった。

  

「よっと」

「ひゃあ!?」


 いきなり膝下に腕を差し込まれて変な悲鳴を上げてしまった。

 

「ちょ、下ろしなさい!? そもそも私が走った方が……」

「君、消耗してるだろ? 僕は血が固まったのか、まだ少し体力がある。ていうか、見た目ほど重傷じゃないみたいだ」


 傷もそうだけど……これじゃあまるでお姫様抱っこだ。

 こいつは私の顔が熱くなっているのも気にせず、そのまま駆け出した。


『キイィイアアアアアアッッ!!!』


 逃げ出した私達を見て、怒り心頭の様子で女王アリが追ってくる。


「やば、追ってきた!?」

「そりゃあ、逃げてるからね」


 すぐ後ろでは、轟轟と音を鳴らして鉤爪が迫っている。

 私が走ったほう早いけど、今は魔力が著しく低下している。

 それにダンさんは走る速度が落ちない。

 

 本当に、体力だけはあるようだ。

 彼はまっすぐ校舎に向かって走っていく。

 

「ちょっと逃げるならあっち……」

「いや、校舎に隠れよう」


 あらかたの雑兵アリを倒した可憐たちと合流したほうがいいだろう。

 でもダンさんはその判断を否定する。


「多分、硬度がもっと上がっている。属性だっけ? あまり効果が無いんじゃないのかな?」

「それは……」

「よっと」

「って、いいっ!?」


 ダンさんが私を抱えたまま窓ガラスに突っ込んだ。

 ガラスを割って教室に侵入し、扉を蹴飛ばして校舎の奥へと駆けていく。


『ィィィィアアアアアアッッ!!!?』


 背後からヤツの叫び声が響いた。

 地響きとともに、大きく建物が崩れる音がする。


「ほら、ヤツは僕らを見失ったようだよ」

「え? って、学校がっ!!?」


 私達が駆け抜けて逃げ込んだのは二つある校舎の奥側だ。

 でも、手前の校舎は女王アリによって絶賛、ボコボコに壊されている。


「って、待ってよ。このままじゃっ」


 学校がなくなる。

 それだけじゃなくて、アイツが他の生徒に目をつける可能性だって高い。


「ふむ……彼女は出てこないか」

「え、何の話?」

「いや、なんでもないよ。それよりも、確かに君の言う通りだね」


 ダンさんが、私を下ろす。

 少し汗を掻いているけど、息はそこまで切らしていない。

 どうやら体力だけは本当にあるらしい。


「まあいいわ。アイツ、私に執着してるみたいだし、あなたは逃げなさい」

「他のみんなは? 合流して一旦体制を立て直した方がいいんじゃないか?」

「あら、あなたが言ったんじゃない。アレはさっきと比べて強くなってるから、加勢は意味がないって」

「そこまでは言ってないけど……え、ひとりで戦うつもりかい?」


 ひどく驚いた顔で彼が私を見ている。

 信じられないと、今にも口に出しそうだ。

 怪獣にも大して表情を変えなかったくせに、今は口をぽかんと開けているのが滑稽だ。


 本当に、この人は──。


「そうよ。いい加減、あなたは逃げなさい。ここから先、あなたを守る余裕はない」

「わかった……でも一つ聞きたい。君はなぜそこまで戦うんだ? あんな怪獣が相手なら別に逃げてもいいだろうに」

「そうね──」


 そういえば、戦う理由なんて考えたこともなかった。

 ……ああ、でも。

 考える必要なんて、別になかったのだ。


「私ね、これでも夢があったのよ」

「夢?」

「そ。魔力覚醒なんてなかったら、適当に高校を卒業して、海外でヒッチハイクの旅でもしようって思ってたのよ」


 今もちょっと憧れてる。

 トラックに乗って、のんびりとアメリカのトウモロコシ畑を眺めてみたい。

 一度その畑に迷い込んだら、生きては帰れないと言われるほど広大な面積で栽培されるトウモロコシ畑は一部で迷宮とも言われている。

 他にも世界で1番ゆっくり時間が流れる場所と言われているイタリア、トスカーナ地方のひまわりとブドウ畑。

 イギリスのストーンヘンジ……はNAOのイギリス支部が怪獣と戦ったから除外しよう。


「へえ、それはまた……なぜ?」


 別に大きな目的がある訳じゃない。ただ、自分がいいと思ったからやってみたい。

 たったそれだけのことだけど、今の私の状況では難しい。


「面白そうだからよ。いろんな国に行って、文化を体験して、人種の違う人の話を聞いて……人生、楽しそうじゃない?」

「──ああ、確かに。それは同意だな」


 ふっと、柔らかく微笑む彼は心からそう思っているようだ。

 記憶をなくしているらしいけど、27年の重みを感じるような、説得力のある感想だった。


「でも、じゃあなおさら逃げたっていい……」

「私が選んだからよ」


 そう、魔力覚醒した日から。私はこう生きると決めたんだ。


「この身に特別な力があって、それでしか戦えない敵がいるんだったら、私は戦おうって決めたの」

「自分で選んだから、逃げないのか」

「ええ、そうね。別に誰のためでもないわ。ただこれが私の生き方なの」


 正義のヒーローなんて気取るつもりはない。

 別に、誰かのためになんて戦ってない。

 私が戦う必要を感じている、ただそれだけのこと。


「今、この地球は危機に瀕してる。怪獣が暴れるのが問題なんじゃない。そもそもいきなりヤツらが襲いかかってくるのもおかしいのよ。もしかしたら裏で糸を引く宇宙人がいるかもしれない」

「──だから、戦う。うん、よくわかったよ」


 彼は何故か嬉しそうだ。

 本当に変な人だと思うけど、不思議と嫌な感じはしない。


「……高坂葵がどういう人間なのかわかった気がするよ。君は僕が思っていたよりよほど強い」

「あら? おだてても何もでないわよ?」

「……実はね、葵ちゃん。最近、珍しい卵を仕入れたんだ」

「ちょっと、何の話……」


 あまりに突拍子のない話だけど、彼はまるで当然のように話す。


「たっぷりのバターを使った新しいエッグトーストを開発していてね」


 ……なるほど。それは確かに魅力的だ。

 あのトーストは本当に美味しい。星街珈琲が定休日で食べれない月曜日は、自然と機嫌が悪くなるほどに。


「よかったら食べに来てくれないかな。新しくミルクコーヒーも作ろうと思っていてね。多分、合うと思うんだ」


 この人は、たぶん気づいてる。

 私がここで、命と引き換えにしてもヤツを倒そうとしてること……私に明日は来ないこと。


 ──でも、今はその優しさに甘えよう。


「あら、それは楽しみね……ふふ。ええ、食べに行くわ──きっと」


 あそこの珈琲は少し苦すぎて、私はミルクを入れている。

 それを知っている彼が、新しく作ったというならきっと美味しいのだろう。


「……星街珈琲で待っているよ。約束だ」

「──ええ、約束するわ……だから、もう逃げなさい」


 まるで気が抜けるような笑顔だった。

 私が感じた違和感の正体は結局、最後まで分からなかったけど……それは私のせいじゃない。 

 

 この人が覚醒者の感覚を惑わすくらい、ズレてるんだ。


 まあでも、そんなところがあの店に独特の居心地のいい雰囲気を作っているんだろう。


 背中を向けて走り去っていく彼を見て、こんな状況なのになんだか無性に笑いが込み上げてしまう。


「ふふ、ダンさんのバタートースト、もう一回食べたかったな……って、最後なのに食べ物のことなんて我ながら……」


 心残りはあるけど、悔いはない。

 だってこれは、私が選んだ生き方だから。


「さあ、かかってきなさい。Sランク覚醒者の命、決して安くないわよ?」


 地響きと共に目の前で校舎が崩れた。 

 土砂崩れのように崩壊する校舎の中から、鈍い金色の体皮が怪しく光っている。


『ィィィィ……!!』


 こちらを探している今が最後のチャンスだろう。

 もう一度、魔力を込める。

 身体強化に割く力はない。すべての魔力を刃先に込めて、あいつの脳髄を穿ってやる。

 落ちる瓦礫の合間を縫って、ヤツの顔面へと駆け上がる。


『キイィィ……ッッ』

「あっ……」


 だけど、それは未遂に終わる。

 力任せに振られた鉤爪に跳ねられて、簡単に身体が吹き飛んだ。

 とんでもない衝撃で全身の骨が軋む。

 覚醒者じゃなかったら、今の一撃で死んでいただろう。


「いっつぅ……ぐっ……」


 呆れるほどに、笑ってしまう。

 どれだけ強がっても、目の前のコイツは敵う相手じゃない。

 弱点を探して、決死の一撃を叩き込んで、なんとか勝利して……。


「く、物語のように行けばどんなに楽か……うぐッッ!!」


 もう一度立ち上がろうとした時、軽く女王の触覚に触れただけで、身体が弾き飛ばされた。


「あ、ああ……う、うう……」


 刀を持つ手に力が入らない。

 だって、とっくに右腕はひしゃげてあらぬ方向に折れ曲がっているから。

 それでも立とうとしたけど、そのまま地面に倒れてしまう。


「あ」


 そこで初めて足も折れていることに気付いた。

 ああ、これじゃあ満足に歩くこともできないじゃない。


 視界は影に覆われていて、見上げれば女王がその強大な鈎爪を大きく振り上げている。

 口角を上げて歯を見せて、満面の笑みで女王が私を見下していた。

 どうやらあとちょっとで、私は押しつぶされてぺちゃんこになる運命のようだ。


(やっぱりトースト食べたかったな)


「ふ、ふう、……ふふ、ふ」


 悔いはないと言っておきながら、食べ物のことで悔いがあるなんて、なんて女の子らしくないんだろう。

 まだ無様に泣きわめいて助けてと叫んだほうが、よっぽど女の子っぽいのに。


(まあ私らしいっちゃ、私らしいか)


 ああ、ここでおしまいか。


(でも、あの人が逃げる隙を作れたのなら……)


 諦めるように、瞳を閉じる。


(せめて、あまり苦しくありませんように)


 特に祈ったこともないくせに、私は誰にあてるでもなく心の中でそんなおまじないを呟いた。


 訪れる死を待つ間は、時間が止まったようだ。


 耳に届くのは、女王アリがのっそりと瓦礫を崩しながら動く音と、自分のかすかな呼吸だけ。

 私の世界はもう終わる。

 ただ静かで──少しだけ安らかだった。


 だけど──


 その静けさを裂くように、“何か”が現れた。


 まぶたの裏が、強く、強く、光った。

 閉じているのにわかる。

 この眩しさは、ただの光なんかじゃない。


「……え、なにっ……?」


 ゆっくりと目を開ける。


 朦朧とした視界の中──


 女王アリの背後に、空を突き破るような光の柱が立ち上っていた。

 空を覆っていた雲が、一瞬で消える。

 その光は、ただのエネルギーでも、ただの爆発でもない。


 暴虐と恐怖に支配されたこの学園に、誰かが“降りた”ような──そんな光だった。



     ◇



「さて──約束を果たすとしようか」


 やはり人間は面白い。

 脆弱な肉体に、矮小な力。

 しかしその精神は目を逸らしたくなるほどにまばゆく、尊く、輝いている。


「彼女には明日も私の店に来てもらわないとな……」


 ――カチリ。

 右手の指輪が回転し、小さく機械音を鳴らしたその瞬間。


 銀の指輪の中心に、光の文字列が浮かび上がる。

 はるか遠い銀河に佇む我が母星の言語が、どこか荘厳な響きをもって静かに詠唱を刻んでいた。


 『コンディティオ・イソトピ──コンフィルマータ。プロトコル・セクエンテ。シムラティオ、テルミナートゥル』


 (同位体の存在条件──確認。次なる命令により、擬態を解除)


 視界に刻まれるそれは、自動起動された解放の言葉。


 ──私は静かに目を伏せ、そして呟く。


 「変身」


 瞬間、空間が“弾けた”。

 光の奔流が天を穿ち、己を中心として暴風が吹き荒れる。


 重力すら軋みを上げる中、なつかしい己の姿が次第に顕になっていく。


 ──アストラゼノン。


 はるか遠くでこちらを監視していたあの白銀の女性が、慄きながら私の名前を口にした。

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