第9話 高潔たる高坂葵
──見ているな。
校舎の屋上。金網のフェンス越しに喫茶店で出会った褐色の女性が私達を見ていた。
白亜の色で統一された兜と全身を覆う鎧。まるで古代ギリシャの戦士を思わせるような出で立ちだ。
(臨戦態勢……といったところか)
そっと右手の指をなぞる。
ここで彼女があの巨大なムシに加担すれば、私も戦わざるを得ない。
できれば、星街ダンとしての生活を続けていきたいが。
(様子見なのか、それとも機会を伺っているのか)
兜の隙間から見える金色の瞳は、冷淡にこの状況を俯瞰しているようだ。
どうやら加勢するつもりはないらしい。
今は……まだ私が正体を表さずに済みそうだ。
(目を合わせるのはまずいな……)
葵も気付いたようだ。彼女の視線も葵に向いている。
幸いなことに私は眼中にないようだ。
直視しないよう巨大なアリに視線を向け、部外者であることに徹しよう。
「しかし、まずい状況じゃないか……葵ちゃん、アレに勝てるかい?」
「……勝つわよ」
「そうか、勝てないんだね」
「うっさいわね!?」
唇を尖らせ、不機嫌にキングス・ワンを睨んでいる。
恐怖に怯える訳ではなく、ここで負けん気を発揮するところに高坂葵という人間を見た気がする。
「一応、私ってNAOが認めた最強のSランクなの。やりようはあるわよ」
彼女の刀が薄紅色に染まる。
私を斬りつけた時よりも、遥かに色が濃い。
刀から感じる圧、葵から放たれる気配が普通の人間の範疇をはるかに凌駕していく。
(ほう、そこらの外星生物なら簡単に斬ってしまいそうだな)
伝わる気配は今もワラワラと湧き出るムシよりよほど強い。
ただ、それでもあのキングス・ワンには及ばない。
(到底、力では敵わないはずだが……)
私の隣に立つ葵はまったく諦めていない。
その目に恐怖は微塵も浮かんでおらず、あの巨体を倒そうという気概に溢れていた。
──少し、その姿が眩しい。
もうしばらくは、彼女にこの状況を任せてみよう。
◇
巨大なアリの背後に轟音とともに炎の柱が見えた。
湧き出たアリの群れが、炎の嵐に焼き払われていく。
「剛っ!!」
「おいっ! まだ死んでねえだろうな会長!!」
見れば生徒会のみんながアリ達に魔法をぶつけていた。
「属性持ちは惜しみなくぶつけて。パワータイプは属性攻撃の後にっ! 大丈夫、あれは勝てる相手よ!」
覚醒者の増援を連れて、蜂堂可憐が指揮を取っている。
「頼りになる副会長ね!」
「無事なのね葵!」
「私はね……でも、彼がっ」
大声で可憐に現状を報告する。
ふと横を見ると背中に重傷を負ったはずの彼は、真剣な顔でアリを見上げていた。
「……傷、平気なの」
「え? あ、いや、気にしたら痛くて死にそうだから我慢してるよ」
「ああそう……この鈍感平凡男」
私がこの男に違和感を覚えた理由がわかった気がする。
この人はどんな時もいつもと一緒なんだ。
死にかけの重傷を負っていても、こんな怪物が目の前に立っていても。
彼は取り乱したり、理性を失ったりはしない。
あの喫茶店は妙に居心地が良くて、いつ行っても空気が変わらないのも、きっとこの人の人柄のせいなんだろう。
「ま、いいわ。私が戦ってる間に逃げなさい。まだ体力はあるのでしょう?」
「うーん、そうしたいけど……そんな隙はあるのかな」
彼の言う通り、人型の上半身は私達に向かって鈎爪を振り上げて威嚇している。
『───ギイイイイイイイイイッッ』
周囲の校舎が軋むほどの咆哮に、みんなの顔が青ざめる。
(くそ、どういう状況よこれ……それにさっきのもっ!)
もう一度、屋上に視線を送る。
先程までいた白い影はもういなくなっていた。
(見間違いじゃない……)
もしかしたらアリがここを襲ってきた原因はアレなのかも知れない。
「白い形しか見えなかったけど……女性型ではあったわね」
噂になっていた白い髪の女性というのはアレのことだろう。
ここは覚醒者の集められる学校、考えられるとしたら……。
「まあ、いいわ。いずれにせよ、こいつを倒してからの話ね」
身体の調子は万全だ。
他のみんなが雑兵を相手取ってくれている、今のうちに──。
「シッ──!!」
女王アリが咆哮を上げている間に、ヤツの足元に向かって駆け抜ける。
上からは電柱のような節足が私を踏み潰そうと落ちてくる。
──まるで降り注ぐ大砲だ。
「な、無理よ葵っ!」
「会長っ、俺たちが行くまで待てッ!!」
可憐達の声が遠くで聞こえた気がする。
だが鳴り響く爆音と、吹き荒れる暴風で周囲の音はもう聞こえない。
地響きを立てるよう節足が地面を踏むたび、地面にクレーターができていく。
「くっ、鬱陶しいっ!」
叩きつけるような風と、大地を揺るがす振動が身体の自由を奪う。
少しでも油断すればあっという間に潰される。
「あいにく、こっちはこれでもSランクなのよねっ!!」
下半身に集中して魔力を流す。
私の両足に収まりきらない魔力が、薄紅色の紫電となってまとわりつく。
「──行くわよ」
爆発──魔力を起爆剤にして弾丸のようにヤツの顔面へ迫る。
「巨体を相手にするのはこれで二度目なのよねッッ」
いくら人間離れした力を手にしても、相手は巨大怪獣なのだ。
強化したところで、人間の身で与えられる力なんて知れている。
でも、この魔力が万能の力だというのなら──魔力に質量を与えてこちらも巨大になればいい。
刀に集うのは、空気すら震わせるほどの膨大な魔力の質量だ。
バチバチと火花が弾け、視界を塗り潰すような光が刀を覆った瞬間──アリの巨体へ一つの影が伸びる。
周囲の風景が滲み、産まれた影がぐにゃりと揺れ出す。
刀から伸びる巨大な霊刃の輪郭が、現実を侵食していく。
「会長、あんな技までっ!!」
「──くそ、俺の炎より火力が出せるのかッッ!!」
はるか先に夕日が沈んでいく姿が見えた。
アリのはるか頭上にまで飛び上がった私の視界に、いろんな情報が入ってくる。
私を見上げて大きく口を開ける巨大なアリ。
拳を握りしめて何かを叫ぶ剛と可憐の姿。
こんな時も表情すら変えずこちらを見つめる星街ダン。
「閃光──桜花霊王刃ッッ!!!」
巨大なアリの脳天めがけて、霊王刃を振り下ろす。
──だが、ヤツは咄嗟に両腕を交差させて防御の構えを取った。
次の瞬間、刃と強固なアリの外骨格が激突する。
まるで雷が落ちたような轟音とともに、黒い外骨格が火花を撒き散らしながら軋み、霊王刃の刀身が押し込まれていく。
切断と圧砕と衝突が、同時に起こっているような今までにない感触が手のひらに伝わる。
(ぐぅっ、なんて反動なのっ!)
震えるほどの衝撃が、刃の柄から全身に逆流し、骨がきしむ。
それでも喰らいつくように力を込め──必死に押し込む。
やがて、交差した両腕の表面がパキリと音を立ててヒビ割れ、砕けた外骨格が霊刃に散らされるように弾け飛んだ。
『キィィィアアアアアアアッッッッ!!!!』
「まだまだああああああっっ!!」
アギトを開き、無数の牙をむき出しにした口腔へ、私はさらに渾身の力で霊刃を振り下ろす。
──バキィッッ!!
頭部を覆っていた甲殻が、裂けるような音とともに割れた。
霊刃の先端が硬質な装甲を砕きながら潜り込み、ズブズブと生温い抵抗の中を滑り落ちていく。
まるで肉壁の奥へと刀が沈んでいくような、ねっとりとした感触と共に。
そのたびにアリの全身が痙攣し、口からは泡混じりの悲鳴が噴き出す。
私は叫ぶ。もう、魔力を使いすぎて全身が焼けるように痛んでいた。
でも止められない。ここで仕留めなければみんな死ぬっ!
「──沈めぇぇぇえええええッ!!」
力の限り、霊刃を押し込む。
甲殻を割って肉を裂き、骨ごと断ち切る手応えが腕に伝わる。
頭蓋の内部を貫かれた怪物は、痙攣の末に一度大きくのけ反り、死んだようにピクリとも動かなくなった。
同時に刀を被っていた魔力が途切れ、元の大きさの刀に戻る。
全身を両断するには至らず、顔の半分を裂いただけだ。
「って、やばっっ!」
全身から力が抜けていく。
後先考えずに魔力を込めて斬ったはいいけど、このまま地面に叩きつけられたらそれこそお陀仏だ。
地面が迫る。逃げ場も、体勢を立て直す暇もなかった。
(──やばい。間に合わない)
ぶつかる寸前、視界の隅に、誰かの腕が伸びてきた。
そのままごろごろと地面を転がり、土まみれになったところでようやく停止する。
「……っ」
何か柔らかいモノが私を抱きしめている。
目を開けると、あの飄々とした顔が覗き込んでいた。
どこまでも澄んだ目をしていて、その表情にはまるで緊張感がない。
「──やあ、葵ちゃん。とんでもない大冒険だったね」
「……星街、ダン……」
どうやら墜落した私を、彼が受け止めてくれたようだ。
「まったく、君は……」
「あの、ダンさん?」
「ん?」
──ええ、わかってる。彼にその気はない。
彼が受け止めてくれなかったら、グチャッと潰れていただけだし……だけどっ!
「胸、触ってんのよ!!」
「ぐはぁっ!?」
うっすら笑顔を浮かべる顔に鉄拳を叩き込む。
顔が熱い。きっと耳まで赤くなってることだろう。
でもあれはない。いくら助けてくれたって言っても……っ。
「よりにもよって、わしづかみなんてっ」
「ご、誤解だよ葵ちゃん! 僕にそんな趣味は……あ、目眩が」
「って、ちょ、ダンさん!!?」
そう言えばこの人が死にかけの重傷だってことを忘れてた。
「くそ、葵ちゃんに斬られた傷が」
「ちょっ、私は斬ってないでしょっ!?」
「おっと、そうだった……ダメだ、もう記憶が混濁して意識が朦朧と〜」
気の抜けたような口調だけど、傷は間違いなく重傷だ。
治癒の出来る覚醒者に診てもらったほうがいい。
「待ってて、治癒魔法を使える人を呼んで……っ」
そこまで言って異変に気づく。
──パキ、パキ……パキパキ……ッ。
乾いた音が静かに、しかし確実に広がっていく。
目の前のアリからその音は鳴っていた。
「う、うそ……」
鉤爪の生えた両腕は斬り落とされ、顔面は裂け、確かに息絶えたはずだった。
それなのに──その巨体は、地に崩れることなく立ったままだった。
全身の黒い甲殻に細かなヒビが走り、そこからまるで内側から膨張するように、破片が音もなく剥がれ落ちていく。
その隙間から覗くのは、鈍く光を弾く黄金色の表皮だった。
──夕日が沈み、夜の帳が空から降りてくる。
空が闇に染まり始めると同時に、その黄金は鈍い輝きを増し不気味な存在感を放っていた。
「──葵ちゃん、まだだよ」
いつもと変わらないように見えて、どこか張り詰めたダンさんの声が背後から聞こえた。
『ァアアアアァァァアアアアアアッッ……ッ!!』
裂けた頭部の中から──黄金に濡れた肉が、蠢くように姿を現す。
そこにあったのは、新たな“顔”だった。
その造形は、もはや完全に“人間”に近い。
頭蓋は黄金色の装甲に包まれ、その上に触覚が揺れている。
左右に張り出した複眼は、まるで“兜の面”のようだ。
だけど──その下、鼻から口元にかけての輪郭はあまりにも艶めかしい。
赤く濡れた唇は呼吸に合わせて微かに開き、今にも言葉を発しそうだ。
異様なのは、それだけではない。
アリの甲殻を持つ胴体から突き出したのは、まるで黄金の彫像のような人間の上半身。
胸元にあるのは柔らかな膨らみと、腹部には臍を模したくぼみまである。
ヒトの女性の特徴が、昆虫の骨格の中に挿げ替えられたような不自然さで融合している。
二人して見上げた先にあったのは、もはや先ほどまでの怪獣ではない。
それは──羽化し、異なる存在に変態した黄金の女王アリ。
神性と異形を併せ持つ、新たなる怪獣が、鈍い光を放ちながらそびえ立っていた。
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