カースト三軍の俺が二軍の女子を狙う話。
誰だって学校祭の期間中、その過程で何か特別なことが起こりそうだと期待するし起こってほしいと願うもんだと思う。でも『何か』なんて漠然としたビジョンしかない奴にはなんにも起こらないし、やはり俺にはなんにも起こらなかった。
体育祭も『黒団』が優勝して終わり、俺達二年五組は『青団』だったけど勝ち負けなんて正直どうでもよくて、俺にとって学校祭がただの運動会みたいな調子で当たり前のように終了してしまったのがただただむなしい。
ウチのクラスでも意外な奴が意外な活躍をして思いがけず人気者になったり、夏休み前から続いていた長い長い準備期間を共に過ごしてカップルになった奴らがいたり、学校祭マジックの恩恵を受けている奴はたしかに存在している。
俺はなんなんだろう?と思うけど、俺は俺で、俺だからこそ祭りのあと、五組の教室で一人ぼんやりなんかしているのだ。学校祭が終わってしまうのが儚くて、薄れつつあるこの空気感の中に最後の最後まで浸りたがる惨めな男なのだ。
芳日高校にカーストなんてものはないけれど、あるとするなら俺は三軍くらいだろう。悪く言うなら普通なのだ。一軍には華やかすぎて近づけないし、四軍以下にもなんとなく毛嫌いされているような微妙な立ち位置じゃないだろうか。学校祭においても、可もなく不可もなくみたいな存在感しか示せなさそう。
いや、そんなの言い訳だ。気持ちさえあれば誰であろうと何かができたはずだ。それが学校祭だ。俺はただ運命だとか奇跡だとか、他力に頼るばかりで自分から行動しなかった。それでこのザマだ。アホらしい。帰ってゲームしてシコって寝よう。
座っていた机から降り、カバンを手にして教室から出ようとしていると、ぺたんぺたんと内履きが廊下を叩く音が聞こえ、ほどなくして五組に女子が入ってくる。クラスメイトの中原鈴香だった。俺を見留めると「お、鬼崎くん? お疲れ」と心ばかりの挨拶をしてくる。
「ああ……お疲れ」と俺も返す。何をしに来たんだろう? 俺みたいに終わりゆく学校祭が恋しくて……ってことはないだろう。中原はそれなりに楽しんで完全燃焼したはずだ。
案の定、自分の座席から英語の教科書を回収するためだけに戻ってきたようだ。教科書をカバンに仕舞ったらすぐさま教室を出ていく……つもりだったんだろうが俺が気になるみたいで、再度見てくる。「何してるの?」
「いや」と俺は首を振る。情けない身の上話なんてできるはずない。「別になんにも」
「そうなんだ。じゃ」
中原は俺に背を向けるが、中原が帰ってしまったら学校祭は本当に終わる。俺は咄嗟に「中原さんは何しに来たの?」と見ていたらわかったはずの質問を投げかける。
「ん?」こちらを振り向く中原。「英語の教科書を取りに来た。カバンに入れとくの忘れちゃってさ。明日たぶん私、和訳のとこ当てられるから」
「…………」そうだ。明日からまたいつもの授業なのだ。そう考えると余計に切ない。
「じゃねー鬼崎くん。また明日~」
「あ、ちょっと……!」
ちょっと、なんなんだろう? 俺は話すこともないのに中原を呼び止めている。中原も「なに?」と少し鬱陶しそう。表情は全然普通だが、声に硬さが出る。
俺は……どうしよう? どうすればいい? 苦し紛れに「中原さん、学校祭楽しかった?」と訊く。
中原は体を完全にこちらへ向けてから「楽しかったような、別にそうでもないような……普通」と答える。「そんなもんじゃない?」
「そうなんだ?」
意外。騒ぎ尽くしたのかと思っていた。わりと盛り上がっていたように見えたが。中原にだけ注目していたわけじゃないからなんとも言えないけれど。
「鬼崎くんは楽しめた? もしかして誰かと付き合いだしたり? 待ち合わせしてるんじゃないの?今」
「はは……そうだったらよかったんだけど。ないない」
「あら、残念だね」と中原は笑ってくれる。「好きな子いたの?」
「…………」具体的に誰とかはない。自分が誰かと付き合う明確な想像ができなくて、本命とかはいない。可愛い子のことはチラチラ見ていたりするけど。そういう話でなら、俺は別に中原のこともまあ可愛いと思っている。ちょっと髪が短すぎるし、ちょっと目が細いかなと思ったりするが、頬は柔らかそうだし、唇もふっくらしていて可愛らしい。痩せている方だけどほどほどに胸はあるし太股も健康的だ。「……中原さんは?」
「私? 私は別に、かな」
「意外」
「ははは。意外って何が? 私に好きな子がいなくて意外って? そんなに恋してるように見えてる?」
「あ、いや、そうじゃないんだけど……」
「んー?」
「彼氏いるのかなと思って」
「今はいないよ」
「前はいたんだ……?」
「いたりいなかったり」
「ふうん……」
「鬼崎くんは?」
「俺はいないよ」
「前にも?」
「いないいない」
「そうなんだね。それこそ意外。なんか可愛い子と付き合ってそうな印象」
「…………」
なんかこの雰囲気、告白できそうじゃね?と思うが、まず俺は中原が好きなのかどうかを考えなければならない。でもぶっちゃけ、こんなふうに喋れる女の子であれば誰でもウェルカムだし、喋っているとだんだん好きな気になってくる。中原も同じなんじゃないだろうか? しかも俺の印象が『可愛い子と付き合っていそう』って、俺のことを遠回しに格好いいと褒めてくれているのと変わらなくない?
だけど俺が黙って考えていると「なんてね」と言い、俺に半身を向ける。「マジで勝手な私の印象でした。……じゃあ私そろそろ行くね」
いや、待って待って待って。まだ考え中なのだ。「中原さん」
「……なにー?」
話題がないクセに引き止めているのが我ながら必死すぎて愚かしい。俺は言葉を搾り出し、「学校祭終わっちゃって寂しいな」と言う。実際寂しい。
「そうだね」と中原は同意するが「でも私、これから打ち上げ行くから。まだもうしばらくお祭り気分」と続ける。
「え、そうなんだ?」カースト一軍の嗜み。中原は位置的に二軍くらいだと思うけど、二軍は一軍にドッキングできる権利が充分にある。ともあれ、そんなイベントがまだ控えていたのか。俺は当然呼ばれていないし話にも聞いていなかったから悔しい。「……俺もついて行っていい?」
マジで?と自分で思う。自分の気持ちを確かめる暇がないのと、台詞を吟味する余裕がないのとで俺はメチャクチャな申し出をしている。これはウザいぞ俺、客観的に。ついていってどうするんだ。
中原も困った顔をする。「でも鬼崎くん。私の行く打ち上げには鬼崎くんと仲いい人、来ないよ?」
「え、中原さんは?」
ウザいウザい。絶対ウザいって。喋るたびに心臓が痛みを発してくる。俺はなりふり構っていないようだ。意地でも去りゆく学校祭の尻尾にぶら下がろうとしている。
「私かー?」苦笑する中原。「でも私が勝手に判断して鬼崎くん連れてくわけにはいかないしなー。一応事前にメンバー決めて集まろうってなってるからさ。ごめん」
「じゃ、その打ち上げ終わってから会わない?」
攻めすぎじゃない?って思いながら言っている。
中原も笑みを引っ込める。「私と?」
「うん」
「え、なんで?」
「…………」
「なんでって訊くのは白々しいか。鬼崎くん、私のこと好きだったりする?」
「……うん」
そうなのか。うん。俺は中原が好きだったのだ……ということにして舞い降りてきたこのチャンスをなんとしてでも掴みたい。
やはり不自然なのか、中原からも「ホントに?」と確認される。
「ホントだよ。前から可愛いと思ってたし」
「…………」
「こうやって話してても、なんかリズム感? テンポがちょうどよくて気持ちいいし」
「私は、ごめんなさいだけど、鬼崎くんとは付き合えないよ。ごめん」
フるの早いな。脈なし感すごい。さっきの『可愛い子と云々』はなんだったんだろう? でも俺はもう反射だ。
「好きな人はいないんでしょ?」
「いないけど……」
「じゃあ試しにでもいいから。友達からでいいし、付き合いたい」
「友達だったら付き合わないじゃん」
「…………」たしかに。この定型句ってよく考えると謎だ。付き合うんだったら友達じゃない。結婚を前提に付き合ってくださいってのと同じくらい嫌らしい言い寄り方だ。「俺のこと、こき使ってもいいから。ひどい扱いでもいいし」
「ふふ……」とちょっと笑われる。「そんなこと私しないし。てかそこまで好きなの?」
「や、だから好きだって」まるでずっと好きだったみたいなテンションで俺は言っている。なんでわかってくれないんだよ、と苛立つような空気感が自然に出て驚く。「中原さんの顔の形とか可愛くて好きだし、その性格も好き」
「そのって、どんな?」
「その……俺のことなんてどうでもいいのに話に付き合ってくれるとことか。人が良いっていうか、寛容じゃない?中原さん。そういうところ」
「どうでもいいとは思ってないよ」
「俺ウザいだろうに、優しくしてくれるとこ。そういうのって性格よくないとできないから」
実際は中原の内面なんてほとんと知らない。口から出任せもいいところだ。しかし的外れってわけじゃなさそうだし、俺はちゃんと上手く褒めることができていると思う。そして、こうして好き好き言っていると本当に好きになってくるから不思議だ。いや、初めから中原は好感度が高いけれど、俺は真面目に、実は前々から無意識下では片思いだったんじゃないだろうかと疑い始めている。教室に戻ってきたのが中原以外だったら俺はこんなことしていないであろう確信を持ち始めている。
「ちょっとウザい」と中原は認める。「でも、本気で嫌だなとまでは思ってないよ。好きだって言ってくれるのは嬉しいし。……ホントに私のこと好きなの?」
「うん」
「花峰が鬼崎くんのこと好きだって言ってたけど?」
花峰っていうのは正真正銘の美少女で五組のカースト一軍だが、俺は中原の言葉が嘘なのかどうか考えるより先に「俺はお前が好きなの!」と言っている。自分への驚きの連続だ。でも花峰なんて俺と会話しているイメージがいっさい浮かばないくらい身分違いって感覚が強いし、俺は中原と話している方がずっと居心地いいし自然だと感じる。本当だ。
「あれ、照れる。お前とか言われちゃった」と中原は少し冗談めかす。そして「花峰の話は嘘ね」と種明かしもする。「鬼崎くんを試した。ごめん」
「なんでも試せばいいけど、俺の気持ちは変わらないよ」
「えー……鬼崎くんのことなんて、そんなふうに考えたことなかった」
「俺が地味めだから?」
「そんなんじゃないよ。なんていうか、共通の知り合いもいないし、話したこともなかったじゃん?うちら」
「話したいと思ってたよ」
「……なんかマジで照れてきた。鬼崎くんってけっこう情熱的?」
「わからない」
勢いづいているだけだろう。必死なのと、中原がきちんと話を聞いてくれる相手だとわかったからストレートに喋っているだけだ。こんな自分は今だかつて知らない。
「うーん……とりあえず打ち上げ行ってきていい?」
「え、ダメ」ここで逃がしてなるものか。なんとなく有耶無耶にされそうな気がする。
「時間が押してるのと、少しゆっくり考えたい」
「じゃあ打ち上げ終わってから会えませんか」と俺はまた乞う。
「時間が遅くなるから無理だよ。私、四玄堂だから。打ち上げ終わったらすぐ電車で帰るし」
「俺がそっちまで会いに行くから大丈夫」
「ダメダメ。危ないし」
「打ち上げのあとに中原さんが他の男子にお持ち帰りされそうで嫌」と俺は思ってもみなかったことを無意識で言い、自分でショックを受ける。ありえる。学校祭マジックはまだ解けていないし、俺と同様に最後の大逆転を狙っている奴は二軍や一軍の中にも普通にいそうだ。
しかし中原さんは「ぷっ」と吹く。「あははは! ないから。お持ち帰りって、大学生とか社会人じゃないんだから!」
「わかんないだろ。どうせ竜葉とか、そういうイケイケな奴らと打ち上げするんだろ?」
「少なくとも私は持ち帰られません」
「なんで? 可愛いんだから普通にお持ち帰り対象だろ」
「もう。褒めすぎ……」
「心配してんの!」
「ふふっ……ふう、鬼崎くん、可愛いとこあるんだね。でもちょっと束縛系の素質あるかもね」
「そ、束縛してるわけじゃないよ……」
中原は天井を眺めてから「よし」と頷く。「わかった。じゃあ明日、改めて話さない? 今夜は無理だし、私、帰ったら和訳もやんなきゃだし」
「いや、だから今夜お持ち帰りされたら終わりじゃんて話をしてるんだよ」
「お持ち帰りなんてないから」中原はまた考えるようにしながら歩き、俺との距離を詰める。「心配しないでっていうのと、私を信じてってことぐらいしか言いようがないんだけど」
「…………」
俺は自分勝手にムスッとしているんだけど、中原が静かに詰め寄ってきて俺の手首を軽く握ったかと思うとそのまま顔を寄せ、ほっぺにチュウをしてくる。俺は微動だにできなかった。あれ? なんか来る?と思ったが、いや、まさかな……などと考えている一瞬の間にされた。
「……これが約束の印じゃダメ? 鬼崎くんとの話の続きは明日絶対にするから。予約の証」
中原のふっくら唇が当たった部分が高熱を帯びる。俺は怯みかけるが、中原のこの行動の余熱を確かめたくて中原を捕まえようとする。しかし中原はバックステップで素早く逃げると、「行くね! 明日ね!」と手を上げて教室を出ていく。
俺がもう引き止めなかったのは、中原は俺が不平不満を口にしないか最後までちゃんと目を合わせて確認しつつ教室を出ていってくれたからで、これだけ気を遣わせたらもうあちらのお願いを聞き入れるしかないだろうと思ったのだ。
明日、どうなるかはわからない。だけど今日に限って言えば、俺は見苦しくも最後のチャンスにすがり、去りゆく尻尾を掴んで離さなかったため、学校祭で起こり得るような特別な何かを体験できた。やればできるじゃん。だけど特別な何かを日常にするにはもう俺自身が考えて努力するしかなくて、学校祭は終わるけれどこれは始まりなのだ。俺は未だ熱くなっている頬を押さえる。明日からはこういうチュウももうない。