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短編  作者:
1/1

うごき

ヴェルヴェっっとアンダーグラウンドはオールウェイズ満点を出してくれる。

今まで周りより好きだったものは2つだけ。1つはスポドリ。塩分と水分を両立して接種できるから効率が良いから。糖尿病になるという指摘もあるが、準引きこもりなので無問題。今更健康を気にしてどうすると言った感じだ。もう一つはネットだった。私の知らない場所で起きている知らない話が、ネットと言う媒体を通して、無作為に選ばれた情報たちが頭の中を刺激する。文字に起こしてみると、中々怖く見えるが、実際は世界中でみんながやっていること。そう。みんなが。

お気に入りはWIREDと東洋経済オンライン。そして5chのまとめ集。常日頃更新されているこれらのサイトで、社会に参加しなくても、新しい技術、商品、観念、病気、アーティスト、功績。全てを知ることが出来る。知っているだけで、内情を知らないものも多いが、まあそこまで追いかけたいとも思わなかったりする。まあそこまでの労力をかけたくないというべきか。それが間違いだとしても、最悪分かりさえすれば良いのだ。

俺は家のベランダを開け、外に出た。最近、起きたと思ったらカラスが鳴いていて、ついに昼夜逆転のサイクルが復活してきたなと思ったりした。というのも、始め昼夜逆転だったのがどんどんずれてきて、1ヶ月前に、一般人と同じ生活サイクルになった。そして、戻ってきた。1ヶ月前のほうが頭痛とか体の異常は少なかったから、心身共に健康的だったのだが、今の不健康さが逆にしっくりくる。まあカッコつけてるだけなのかもしれないが。

静かにタバコに火を付ける。銘柄はアメスピ。吸うための時間が長いのがいい。タイパを重視する現代社会では毛嫌いされているが、僕にとってのヤニはあくまで暇つぶし程度なので、可燃時間が長いほうがむしろ助かるのだ。本当だったらCBDのジョイントとか葉巻が僕の求めているものなのだが、あいにく、それらは高くて国の保護のみで生活している僕からしたら、予算オーバーだ。ただ、自己破産の手続きをしている僕に物欲はなかった。

家が貧しかった。しかし、大阪の芸人みたいに話の種になるような貧しさではなかった。んで、先公にも勧められ、そこそこ頭が良かったので、奨学金をもらい中堅大に行った。そして、碌な大学生活を送らず、就活に見事に失敗し、バイト生活をしていたものの奨学金に追われることが嫌になり、辞めて、今、自己破産の手続きの最中というわけだ。ついでに精神科医を言い負かし、軽度障害の診断書ももらっておいた。まあこんな性格だし。就職できたといった感じだ。

僕は沈みゆく夕焼けを静かに見つめた。自分がそれを見ていることに罪悪感を感じるくらい綺麗な夕焼けだった。下劣な僕は徐ろにスマホを取り出し、写真を取った。ファイルを除いてみると2週間前にこれと同じような夕焼けを、ほぼ同じ構図でとっていて、自分という存在を少し情けなく思ったりしたが、2週間前より綺麗に取れていたので、今の自分を許す事ができた。できれば、誰かに褒められたいが、まあSNSに投稿するまででもない。自己満でいい。

タバコの火が消えたのを確認した後、灰皿に擦り付け、蚊が入って来ないようにぴしゃりと窓を締め、中に入った。眼前のPCは24時間常に付けっ放し。もうシャットダウンするのも面倒になってきてはや2年。新しい情報があったら検索。隅々まで見通した後、ホームを更新。ジャンルは様々、語っても意味がない政治から、Vtuberの炎上まで。興味があるものがあればニュース板にスレ建て。それが毎日の日課だ。廃人と言ったらそれまで。全てを知った気になるのは割と快感なのだ。実際は偏った固有名詞で踊っているだけに過ぎないが。

僕はニートであるのと同時に格闘家であるようにも思えてくる。自分が増え続ける新語をなんとか理解しようと画面の前に張り付くばっているファイターに思えるのだ。現状それに耐えきれなくなり、ノンデリ発言、糞ツイートを連投する輩が多く生息していると考えると幾分マシに思えてくるのだ。思えば現代は、概ね無限に製造され続ける名詞で成り立っているように思える。好き嫌いせず、全てをブラックホールみたいに吸収しようとする僕はかなり優秀なのかもしれない。

新語は覚えるか知らないかの2択だ。暗記科目とは似て非なるもののような気がするが、最近知る/知らないの線引きがしっかりしすぎているようにも感じる。知ってるのが常識で、知らないのが馬鹿なのだ。僕はまごうこと無き社会不適合者だが、日々情報を噛み殺し、消化し続けているからであろうか、これでも多くのネットコミュニティで受けいられる存在になりつつある。とすると、僕は確実に腐っているが、廃れてはいないのかも知れない。

そんな事を考えながら、今日も元気よく巡回していると、僕のラインがけたたましく鳴った。なんだ。司法書士の木村(古くからの友人で、今回の自己破産を友だち価格で請け負ってくれた)からかと思ったが、名前の欄には高橋と書かれていた。しかも筆記体で。絶対僕に釣り合わない人からだと言うことが明らかになり、怖くなった。まず高橋って名字がいすぎてよくわかんない。ただ、通話する訳にもいかず恐る恐る電話を取ることにした。

「はい。足立ですが。どうかしました。」

「セイ元気してるかー。高校の先輩だが。憶えてる?」

思い出した。出したくなかったけど。高校時代。文学研究サークルの部長であった高橋だ。下の名前は…憶えてない。とにかくロン毛で陰キャなのに陽キャのふりをしたがる高橋さんだ。

「まあ。なんとなくは。って、どうしました。」

「いや。なんか余所余所しいな。というか、最近何やっとんの?」

思い出したしまった。僕は彼女が嫌いだった。というか彼女のこのズケズケと内面に侵入してくる図々しさのせいで、2回くらいサボったのだ。

「いや。特にこれと言ったことは。」

「またまた〜。」

うん。嫌いだ。don't likeではなくhateといった感じ。何度会っても馬が合わない。とにかく嫌いなのだ。

「いや。本当ですよ。」

「まあ。そんなことどうでもいいや。」

こういう人使いの荒さが僕のhateをvery hateに加速させてくる。はっきり言って不快でしかない。

「あんさー。文学研究サークルのメンツで同窓会やんだけど。お前来る?」

「あー。今金ないんでー。パスで。」

こういう時は下手な嘘よりも確固たる事実が一番聞くのだ。こうすればいくら何でも誘いづらいだろう。第一木村以外まともにサークルの連中と喋ったことがない。

「奢るけど?」

高橋は年でこうも安々と禁忌を犯すのだ?なんでこうも空気が読めない。形勢逆転、飯を奢られるという誘惑に抗い難い自分がいる。くっそ。深く息を吸う。僕はこんなにも落ちぶれたのかと惨めな気持ちになった。はぁ。気分が悪い。

「わがりましたよおお。行けば良いんでしょ。行けば。」

「その意気だ。上野の磯丸水産。20:00集合。以上。」

と言われた次の瞬間、無慈悲にも電話を切られた。そうだ。僕と違って彼女は社会人だった。忙しいのだ。きっと時間が僕より何倍も貴重なのだ。配信をフルで見られる時間なんてあるわけがないのだ。やはり生きづらい社会だ。何年間も使ってなかった、スマホのメモ帳にメモを取る。こんなの大学生活以来だ。とか考えると、同窓会がジャック・デリダの入門講義のように感じた。なんか笑えてくる。いや。笑えるわけ無いか。

クローゼットを三週間ぶりに開けた。が、残念なことに外出用の夏服が一枚もなかった。太ったか否かの問題じゃない。夏服というものがスーツ2着だけだった。始めはまあ良いか。とも思っていたが、ワイシャツ3着全て洗濯前なことに気づき、絶望した。再考すると、私のような分際がスーツを着て大衆居酒屋に赴こうなどドレスコード的にアウトだと思い、GUとか格安な服屋で新しい夏服でも買おうと心に決めた。時刻は18:00まあ、出発してもいい時間帯だ。

取り敢えず、着ていたパジャマから、高校時代から使っているニューバランスの外行きとは思えないジャージにさっと着替え、最低限の外出は可能となった。スマホでスイカの残高を確認する。3000円弱。江戸川→上野間程度なら飲み物を買っても困らない距離。これなら安心だ。最近愛読している漱石日記とスマホを片手に、外界へ足を踏み入れた。太陽は沈みかけで太陽光は敵ではなかった。むしろ味方といえるくらいのルクス量だった。

最寄りの江戸川駅に着いた。ずっと部屋にいたせいか、僕は都内の湿度を舐めていたかも知れない。18:20である事が理解しがたいくらい蒸し蒸ししていた。ただそれより怖かったのは、ほぼ全員がながらスマホ?をしていたこと、一体、この人達は何を求めて、必要以上に機敏に動いているのであろうか。無為自然を体現しつつある僕は、彼らが不愉快なマリオネットにしか見えなかった。人間性とはなんだろうと改めて定義したくなるような、酷たらしい惨状だった。

改札口を通過し、駅で総武線を待っている間、僕は、2人のJKらしき、おにゃの娘が駅の改札で、「はい。real」と言いながら写真を撮っているのに気づき、写真に映らまいと2,3歩下がったり、駅員とおじちゃんが不要な口論を繰り広げているのを目撃したり、待つだけでこんな忙しいのかと、不快な気持ちになった。この忙しさは今も昔も変わらないはずだが、趣向がちょっと違う気もしてならない。昔は心技体で動いていた感じがあるが、今は「している」だけな気がしてならないのだ。何か、感情を高ぶらせるような、活気に満ちている感じがないのだ。何にしたって、どこかずれていて、冷淡な感じがする。文明に私達がついていけないような。懐古厨(老害)の戯言かも知れないが。というか、僕が一番冷めきっているし。。。

運良く座れたので、ラッキーと思い、意気揚々と漱石の日記を開いた。思えば、漱石との出会いは高校時代、心を読んだときからで、割と長い付き合いである。僕は彼の洞察力の高さ、そして、それが起因して作られる大衆哲学的な世界に引かれて、今日までたくさんの作品を読ませてもらった。東大に行くほど頭は良くなかったが、聖地巡礼として道後温泉には行ったりした。今生きていたら、彼はどのような視点で物語を書き始めるのだろうか。そんな事を考えながら、ふと上を見上げたら、電車内広告が揺れているだけだった。

荒川を電車が通り過ぎようとしていた時、彼の日記で興味深い一文を発見した。来たる20世紀に対して「内を虚にして大呼するなかれ。真面目に考へよ。誠実に語れ。摯実に行へ。」という文を自分に向けて綴っていた。要は、自戒として彼が求めたのは「・・・考える、…語る、…行う」ってことだった。シンプルだが、21世紀の人間の中に僕含めて、これを常に実践している者はどれほどの数いるのだろうか。いや。いない。むしろ減少傾向といえる。全部まともに生きるのには不可欠な言葉のはずなのに。

これこそが生きるのを窮屈に感じてしまう理由なのかも知れない。我々は自らが編み出した言葉に圧迫され、窒息死しているだけに過ぎないのだ。ただ動くだけで人は大きく変わる生き物なのだ。新しさなんかいらない。そこで存在し、ただ足掻けば良いじゃないか。そういう浅はかな期待が数日分の僕の活力になろうとしているのだ。僕はまざまざとその文を見続けていた。じーっと巨石のように固まって何十分も眺め続けていた。

気づいたら終点にいた。駅には、一刻も早く乗りたげな会社員や学生がうじゃうじゃといる。こうはなりたくないと思いつつ、自分は動かなすぎだよな思いつつ。席を立った。今までずっと凝り固まっていた筋肉がほぐれた気がした。ドアが開く。駅を照らすライトが必要以上に眩しく感じた。

「歩くか」

一歩一歩が、これまでの日常を超えているように感じた。これが”足取りが軽い”というやつか。今まで味わったことない感じがする。

このまま気持ちよく改札を抜けたかったが、ある疑念が生まれてしまった。僕は1週間後の自分がこの事を忘れたしまうかも知れないという疑念が。だから、どうしても、この出来事を脳に刻み込ませたかったのである。故人が自分を戒めたように、僕は僕を戒めたかった。そのわがままを通すため、この日記の一番後ろにあった余白ページに、88円のボールペンでこう書きつけたのだ。

「もう少し思考を働かせ、もう少し人に己を語れ。社会に囚われるな。自分のうごきを第一に考えろ。」と。

何か思いついたので短編を書きました。欲しかった本が届いたので、これまでの戒シリーズも書きます。が、新シリーズも思いついたのでそちらも、書きます。誤字脱字があったら教えてください

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