高望みする婚活令嬢は、平凡な令息と出会い「まあ、こいつでいいか」と妥協する
今宵、王宮で夜会が開かれる。
子爵家の令嬢ジュディ・エスペルはいそいそと準備に取りかかる。
しなやかなウェーブのあるモカブラウンの長い髪と、凛々しさとあどけなさを兼ね備えた美しさを身につけた彼女。
シックな青いドレスを纏い、気品も漂わせ、準備は万端。
ジュディには野心があった。
なんとしても、将来性のある令息と知り合い、そのハートを射止めてみせる。
父ジョルトフがそんな娘に声をかける。
「ジュディ、今日は夜会かい」
「ええ、そうよ。今日こそ私に相応しい殿方を見つけなくっちゃ」
「相応しい、か。ちなみに相手に望む条件などはあるのか?」
「そうねえ……。まず爵位は侯爵家以上、長身で、髪はさらりとした金髪がいいわね。あと馬に乗れることも必須、乗馬を教えてもらいたいもの。剣術や槍術にも長けていて、当然顔は美丈夫。ああそれと、使用人は最低でも50人はいて欲しいわ」
「……」
ジョルトフは絶句する。
「いくらなんでも高望みしすぎでは……」
つい、こんなことまで口にしてしまう。
これに対し、ジュディは眉を吊り上げる。
「なにを言ってるの、お父様! 貴族が高望みしないでどうするの! 私は平凡な人生なんてまっぴら。必ずや素晴らしい殿方を射止めて、超一流のセレブになってみせるわ」
意気揚々と家を出たジュディに、ジョルトフはぼそりとつぶやく。
「たかが子爵の娘に、それほどの男がなびくわけなかろうに……。まあ、挫折を知るのも、いい勉強になるか」
***
父の心配はまさしく予想通りとなった。
夜会に出席したジュディは、まるで自分の思ったようには立ち回れない。
まず、彼女のお眼鏡にかなうようなスペックの男などほとんどおらず、いたとしても大抵は――
「違う女とお話をしている……あれじゃ割り込めないじゃないの」
場慣れしている他の令嬢に先を越されてしまう。
爵位が高く優秀な令息には、卑近な言い方をすれば、早々にツバをつけられてしまうのだ。
それでもどうにか彼女の望むスペックに近い令息に近づけたとしても、
「エスペル家? 聞いたことがないな。申し訳ないが、今夜は色々な人と話したいので……」
軽くあしらわれてしまう。
ジュディは高望みをするには、身分も、力量も、経験も、何もかもが不足していた。
結局、この日、彼女は社交らしい社交をこなすことはかなわなかった。
しかし、彼女は諦めなかった。
夜会が開かれれば必ず参加し、どうにか自分の望みを叶えようと尽力した。
だが、そういった必死さも、高貴な社交の場ではかえって逆効果である。
水中では必死にバタ足をしつつ、水上では気品のある自分を演出する。こんな器用な振る舞いをするには、ジュディはまだまだ未熟だった。
挫折に次ぐ挫折。
そんな実りのない日々が続いたある夜会で――
「あ、あの……初めまして」
一人の青年がジュディに話しかけてきた。
「あなたは?」
「僕はフリンク・ヴィッシュと申します。実は前々からあなたのことが気になっていて……」
ジュディはフリンクをじろりと眺め、値踏みする。
年は同じぐらい。髪は癖のあるくすんだ赤毛、身長も平均的。顔立ちは温和だが、二枚目と言うには物足りない。
この時点でジュディの望む条件を何一つ満たしていない。
ため息が出そうになる。
「失礼ですが、家柄の方は?」
「え、と……子爵家の出身、と言えばいいのかな」
子爵令息だった。彼女の望む“侯爵”以上ではない。
とはいえ、もう少し情報を引き出そうとする。
「あなた、乗馬はできて?」
「馬には乗ったことがないですね……。牛にならあるんですが」
「牛!?」
ジュディは思わず大声を出してしまう。
気を取り直して質問を続ける。
「剣や槍の心得はあるかしら?」
「そういうのはちょっと……」
武芸にも自信はなさそうだ。
「家に使用人は何人ぐらいいらっしゃるの?」
「一人いますね」
たった一人かよ。ジュディは落胆する。
ジュディの理想からすれば、あまりにも“低い”存在だった。
以前の彼女ならば、冷たくあしらっていただろう。
しかし、ジュディも成果の出ない夜会に参加する日々に疲れ切っていた。
そして、こんな考えが頭をよぎる。
まあ、こいつでいいか――
ジュディはフリンクの手を取る。
「一緒に踊りませんこと?」
「いいんですか!?」
「ええ、楽しみましょう」
ジュディの数々の努力はこれまで実らなかった。が、それは高望みしていたからの話。
相手が夜会慣れしていない子爵令息であれば、落とすのはあまりにも容易かった。獅子を倒すために訓練した戦士が、たとえ獅子は倒せなくとも、狼ぐらいならば十分倒せるレベルになっているように。
一緒に踊り、お喋りをし、酒を嗜む。
この日の夜会が終わる頃には、フリンクはすっかりジュディの虜になっていた。
「ジュディさん。よかったら今度、街をデートしましょう!」
「ええ。よろしくてよ」
顔が火照っているフリンクを見て、ジュディは“これは結婚までいける”と確信する。
ジュディの手練手管に、フリンクは完全にのぼせ上り、あれよあれよと婚約まで事は運ぶ。
晴れて教会で式を挙げるも、ジュディの笑顔はどこか冷めていた。
それもそのはず。彼女にとってこの結婚は、“大妥協”の結果なのだから。
そんなことはつゆ知らず無邪気に喜ぶフリンクを見て、ジュディは心の中でつぶやく。
まあ、こいつでいいか――
***
ジュディはヴィッシュ家に嫁ぐことになったわけだが、その領地はとんだ僻地だった。
ヴィッシュ家の屋敷の周囲には、荒れ地が広がり、まだ開拓途中のような村がぽつりぽつりと点在するだけ。
覚悟はしていたけど、ひどい場所ね。舌打ちさえ出そうになる。
夫のフリンクはというと、毎日のように鍬を持って出かける。
唯一の使用人である青年カボックと、農耕用の牛を引き連れて。
そして、村人たちと一緒に大地を耕す。
明日の実りを信じて。
ジュディはそんな夫を眺めながら、こうぼやいた。
「どこが貴族なのよ。ただの農夫じゃない」
しかし、そんな日々に愚痴一つこぼさず、毎日笑顔で屋敷に帰ってくる夫を見て、ジュディの心に少しずつ変化が訪れる。
夕食時、ジュディはこう切り出す。
「あなた、私にも農作業をやらせてくれない?」
「……!?」
フリンクは目を丸くする。
「君は嫁いできた身だし、そんなことはやらなくていいんだよ」
ジュディには留守を任せ、夫人として不自由のない生活を送ってもらうというのが、フリンクのスタンスだった。
「でもね、私だけ何もしないで、皆が出した成果だけを享受する日々っていうのも居心地が悪いのよ。お願いだから、やらせて」
「しかし……大変だよ?」
「私だって、結婚前はダンスのレッスンをこなしてきたのよ。体力には自信あるわ」
「ダンスと農作業はだいぶかけ離れてる気がするけど……」
「いいから。私を愛しているのなら、参加させてちょうだい」
ジュディの意志は固く、翌日から彼女も農作業に参加することになった。
小さめの鍬を用意してもらい、ジュディが初めての土耕しを行う。
「えいっ!」
予想以上の土の固さに驚く。
両腕が痺れる。
一瞬、手伝ったことを後悔する。
しかし、それ以上に毎日こんな作業をしている夫フリンクを始めとした男たちに尊敬の念を抱く。
やっぱりやめると言えば、フリンクは嫌な顔一つせず了承するだろう。
だが、ジュディは“やめる”という選択肢を脳内から打ち消した。
一度決めたことなんだから、やってやる。
「よいしょぉ!」
己を奮い立たせ、もう一度鍬を振り下ろす。
先ほどよりも深く土に突き刺さった。
「いいぞ、ジュディ! その調子だ!」
フリンクからの声援を受け、ジュディは鍬を振るい続けた。
なぜ、彼女はこんなことをしているのか。
貧乏くじともいえる土地の開墾に励む夫や領民たちへの敬意か。
土を耕すことに、かつて婚活に情熱を注いでいた自分を重ね合わせているのか。
あるいは夫フリンクを“大妥協”扱いした自分への罰か。
答えは一つではなく、おそらくさまざまな感情が入り混じり、ジュディは鍬を振るっている。
日が沈み始める頃、鐘が鳴り、作業はストップする。
ジュディの両手はマメだらけになっていた。
しかし、彼女は夫に言った。
「明日もやりますからね」
「ああ、よろしく頼むよ」
フリンクも、ジュディの好きにさせてあげようと決めた。
彼女が音をあげたのであればともかく、やめさせるのは彼女を侮辱することになる、と感じた。
この日からジュディは毎日開拓作業に参加し、ついには手にマメができることもなくなった。
その頃になると――
「おう、どうどう」
ジュディは農耕用の牛を乗りこなすようになっていた。
彼女が手綱を操ると、牛は嬉しそうにどこまでも乗せてくれる。
使用人のカボックも驚いている。
「いやー、すごい。奥様はぼくら以上に牛に懐かれてますね」
「ああ、ジュディのおかげで本当に助かってるよ」
フリンクもうなずく。
今や彼女も立派な戦力。それもエースといっていい。
ジュディはそんな二人を手招きする。
「さあ、今日も張り切っていくわよ!」
ジュディは牛に犂を引かせたり、自ら鍬を振るったりして、畑を耕す。
一日中働いて、泥のように眠る。これを繰り返した。
ジュディが嫁いでから、この領地は活気づいた。
よそから嫁いできた美しい娘が汗を流して、自分たちと一緒に野良仕事に精を出してくれている。
これが領民たちにとっては、実に刺激的な燃料になったのだ。
作業にも熱が入り、土地は飛躍的に豊かになっていった。
ジュディとフリンクは子宝にも恵まれた。
男三人、女二人を授かり、いずれも健康に成長。
長男は次期当主を担える貫禄と責任感を身につける。次男は学者、三男は芸術家の道を歩む。
長女と次女も無事嫁ぎ先が見つかった。
特に次女は、かつてジュディが“高望み”した条件を全て満たす令息に見初められることができたが、当人はあくまで「愛する人と結ばれて嬉しい」というスタンスだった。
ジュディはそんな娘を誇らしく思った。
時は流れていった。
***
ジュディとフリンクが出会ってから数十年、二人は屋敷の外の長椅子に並んで腰かけ、今やすっかり緑豊かになった領地を眺めていた。
ジュディのモカブラウンの髪は淡さを帯び、顔には皺も刻まれた。しかし、かつての面影を残す美しい老婦人となっていた。
夫フリンクも、温和な顔立ちはそのままに、威厳ある老紳士といえる風貌となった。
こうして一緒にいられるのもあと何年だろうか、という段階だ。
ジュディが夫に語りかける。
「ねえ、あなた」
「ん?」
フリンクは優しく応じる。
「実はお墓まで持っていこうとしていた秘密があるんだけど、今ここで話しちゃおうと思うわ」
「なんだい?」
ジュディは穏やかな笑顔で――
「私ね、これでも昔は高望みだったの。結婚相手は絶対金髪の人で、馬に乗れて、使用人も沢山いる人でー……ってね」
「ホントかい」
自分がまるで満たしていない自覚はあるので、フリンクは苦笑する。
「だからね、夜会であなたに話しかけられた時も正直いって全く惹かれなかった。だけど私ももう相手探しに疲れてて、“まあ、こいつでいいか”って思って結婚したわ」
「そうだったのか。できれば墓場まで持っていって欲しかったなぁ」
こう言いつつ、フリンクは嬉しそうだ。
妻が昔からの秘密を暴露してくれたことに、喜びを感じている。
それはもちろん、今までに積み重ねた二人の夫婦仲があってこそのものだろう。
ジュディはさらに続ける。
「それでね……。もうすぐ私たちはお別れすることになるだろうけど……生まれ変わっても、“まあ、またあなたでいいか”って思ってるわ」
フリンクはほんのりと頬を染めると、
「光栄だね」
と返す。
ジュディとフリンクは見つめ合う。
そして、今の言葉が現実になることを願うように、ゆっくりと唇を重ね合わせた。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。