九、犯人は二度現場に来る
街灯の鈍い光を受けながら、鍵谷幸太郎はずっと、絵馬を漁る滝田真紀の背中を見つめていた。もちろん、止めようという気持ちがまるでなかったわけではない。しかし、これを止めたところで収まる程度の相手でないことがわかっていただけに、幸太郎はただバツが悪そうに絵馬のすれる音を聞いているしかなかった――。
と、最前までやかましく続いていた絵馬のひしめく音が止み、肩に鞄をかけたままの真紀が、スローモーションでもかかったようにゆっくりと振り返った。
「ど、どうしたんだい」
「……ないのよ。あの女の書いた絵馬が、ないのよ」
目鼻立ちのはっきりした真紀の、うつろな両の目が青白い街灯の明かりに照らし出される。そのあまりの不気味さと、狂気じみた表情に、幸太郎は引きつったような声を上げた。
「滝田さんが勘違いしたんじゃないかい。だってここ、金運成就の神社じゃないか。こんなところに恋愛祈願の絵馬なんて……」
「いいえ、たしかに見たのよ!」
カン高い声が周囲の樹木をこするように響く。そして真紀は幸太郎へ詰め寄り、ブレザーの襟元から乱暴にネクタイを引っ張り上げた。
「な、何するんだ」
「あんたね。あんたが警察に、証拠を売ったのね……そうでなきゃ、ないわけないんだもの!」
男子にしてはやや細身な部類のせいもあって、ほんのわずかな体格の差で、幸太郎は窮地に追いやられていた。ネクタイの大剣と小剣がそれぞれの手に握られると、首元からじわりと、血の気の途絶える感覚が迫ってくる。
「あんたのためを思ってやったのよ、それなのに……」
「だから、僕は知らないんだっ。――滝田さん、きみおかしいよっ」
必死にもがいた幸太郎の右腕が、真紀の右目へあたった。反射で傷へ手をやった真紀は、勢いづいて玉砂利の上へ転げ落ちた。
「本当に僕が好きなら、僕の言うことを聞いてくれよっ。お願いだから、自首してよ滝田さん!」
半泣きで説得を試みる幸太郎へ、真紀は切れた目じりを手で押さえ、左の目でぎょろついた視線を送っていた。が、
「――もうおしまいよ。あんたもわたしも、ここで!」
ブレザーのポケットへ手を突っ込むと、文字通り血の涙を垂らしながら、真紀は右手の中でかちり、という音を響かせた。途端に、細長い銀色を帯びたものがバネのように飛び上がる。どこで手に入れたのか、刃渡りの長いジャックナイフが真紀の指にからめとられているではないか――。
「た、滝田さんっ!」
「最後は一緒、よっ!」
一度目はどうにか翻したものの、武器の持ち合わせのない幸太郎には成すすべがなかった。立ち位置が変わり、街灯を浴びる形になった幸太郎は、真紀の格好の餌食である。
「やめてくれっ!」
「大好きよっ、キーくんっ!」
血で視界の悪いのを気にもせず、ナイフ片手に真紀がとびかかろうとした、まさにその時だった。暗がりになれた二人の目をくらませる、まばゆい輝きが降りかかったのは――。
「――確保おっ!」
訳も分からないまま、残像の残る目で幸太郎が見たのは硬質プラスチックの盾と刺股を抱えた屈強な男たちだった。
「きみ、大丈夫かっ。もう大丈夫だよ」
「……いったい、なにが?」
残像が薄れてきたところで、幸太郎はようやくその場の事情を把握した。刺股と盾を持ったのは防弾チョッキを着た警察官。あのまばゆい光の数々は、ずらりと並んだカメラのフラッシュだったのである。
「おまわりさぁんっ、早く運んでやんなよっ。怪我してたら大ごとだよっ」
誰かの叫び声に、カメラの一団がそうだそうだ、と同調する。味方らしいのはありがたかったが、幸太郎はどう反応したものか、すっかり困ってしまっていた。
「わかってるよっ! ――気にしないでいいよ、君らと同い年の、物好きな連中がいるのさ」
気を遣う警官二人の肩を借りると、幸太郎は駆けつけた二台の片方へ――もう一台には上着をかけられた真紀が押し込められようとしていた――向かう道中、幸太郎は視線の主へそっと目をくれた。見覚えのある、市内の様々な高校の制服が並んでいる。
そして、そのいずれの腕にも掲げられた「学事記者」という文字に、幸太郎はああ、と合点がいった。
学校事件記者、そんな名前で呼ばれる、複雑な組織を営む学校新聞の記者団体があるらしい。外聞をひどく気にする、名ばかりは名門の自分の高校にはないものを目の当たりにすると、幸太郎は肩を落とした。
――結局、問題解決をしてくれるのは、外の連中なんだよなぁ。
良いとも悪いとも、白黒を決める気は毛頭なかった。しかし、同級生の凶行を止める手立てが自分の周りになかっただけに、今の幸太郎には彼らの存在がひどく羨ましく見えるのだった。