八、古都・夜の大追跡
クラブに戻った登和子の連絡で、ドトールで監視カメラの確認に行っていた涼と敦子のもとへのどかが合流したのは、あと十数分で放送が終わろうという頃だった。
「おリョウさん、それでカメラの方はどうだったであるね……?」
「そりゃあもう、ばっちり写っていたよ」
息せき切って尋ねるのどかに、涼は店員に無理を言って出してもらった、監視カメラのスクリーンショットを内ポケットから取り出した。A4サイズのコピー紙には、ちょうど問題の二人を俯瞰するような構図の一コマが刷られている。
「よおしよし、これなら面通しは確実であるな。――二人とも、お疲れのとこ恐縮だけれど、さっそくラジオ局の方に行かねばならん。あともう少しで、局から奴らが出てしまうからなぁ」
人通りの増す寺町京極の往来を横目に、のどかは涼と敦子を引っ張り、隣の新京極へ歩き出した。そして、宝飾店の二階からぶら下がった「エフエム新京極」という看板を一べつすると、ここは私が……と、涼が記者身分証を手に階段を上がり出した。
街の煙草屋に似た受付窓へ出ると、涼は自分たちの素性を伝え、放送に出ている俳優たちに取材がしたい、と架空の理由をでっちあげた。応対に出た事務員は涼たち学校新聞記者の訪問を喜び、
「ええ、かまいませんよ。もう少しで終わりますから、どうぞ中でお待ちください」
と、そのまま三人を小さな応接間へと通したのだった。
「よかったらどうぞ、大量に刷ってますから皆さんにも……」
ホルダーに収まった紙コップのコーヒーとともに、くだんの事務員が持ってきたのはコピー刷り、ホチキス綴じの台本だった。あと数分で終わる放送を横目に、涼たちは中表紙の配役一覧へ目を通す。役名と俳優の名前、その下に所属する劇団や学校の名前がずらりと並んでいるのだ。
「――これじゃないかな?」
「メイド役の……滝田真紀。やっぱり鹿鳴館高でしたね。で……ちょっと、おリョウさんこれって」
「うーむ……!」
文字を指で追っていた敦子の指摘に、涼は口を真一文字に結んだ。同じ鹿鳴館高校からの出演者で、「その他」という枠の中に鍵谷幸太郎という名前が躍っているのだ。
「キーくんのキーは、鍵のことだったのだな。そうなると……」
「面通し、一挙両得ってわけじゃないですか。こりゃいけますよ……」
にやける敦子に、のどかもしきりに頷く。やがて、モニタースピーカーから流れていたエンディング曲が終わり、スタジオとの仕切りになっている部厚い防音扉が鈍い音を立てて開いた。
「みなさん、お疲れさまでした。出演料をお渡ししますので、いつものようにお願いいたします」
給仕をしてくれていた事務員の呼びかけに、台本片手の劇団員、制服のままスタジオ入りした演劇部員たちが小さな判子をポケットから取り出した。
「役者さんたち、すぐにお金が欲しいって方が多いんで、うちはずっと手渡しなんです。受領印を押して、封筒をお渡し、ってわけでして……」
「なるほど、当日払いというやつであるか……」
そっと耳打ちをしてくれた事務員の言葉に納得すると、のどかは涼たちに、取材の旨を伝えようとささやいた。
「――みなさん、放送の方お疲れさまでした。七女通信と堀川高校新聞の者ですが……」
「わ、記者さんが来た!」
セーラー服を着た、お嬢こと真澄と同じ館花女子の生徒の声に、他の出演者たちも湧きたつ。生放送の終わった高揚感にくるまれた俳優陣は、快くカメラの方へ顔を向けてくれた。
「――やあ、ほんとに素晴らしかったですよ。この感動の冷めやらぬうちにすぐ現地へ飛べって言われましてね。あ、あとでサインくださいね!」
本心五分、お世辞二割五分、といった調子で声をかけながら、メモを取る涼や敦子の後ろで、のどかはギャラリーの顔を一眼レフで写し撮る。そして、封筒の中身を覗き、やや不満げな顔をする女子と、それをなだめる男子のペアを見つけると、のどかは慣れた調子で連射モードのスイッチを押し込んだ。
「……これだけとっとけば、イチコロであるなぁ」
ファインダーの中に収まった渦中の二人、滝田真紀と鍵谷幸太郎の顔を、のどかは満足そうに見つめた。ところが、モニターで撮れ高を確認したほんの一瞬ののち顔を上げると、そこにいたはずの二人が霧のように消えていたので、のどかは血の気が引いてしまった。
「お、おリョウさんちょっと……あの二人、どっか行っちゃったんですよ」
鉛筆を走らせていた涼へのどかがささやくと、涼はあたりを見回し、本当だ、と頬をひきつらせた。
「……弱ったな、万が一ということがなければいいが」
「ま、万が一ィ?」
「考えてもごらんよ、二人ともひと悶着あった後にスタジオ入りをしてるんだ。そのあと何かしでさないと誰が保証してくれるんだね」
「――まずいっ!」
ネックストラップをはすにかけ、カメラを脇に提げたまま、のどかは大慌てで階段を駆け下りた。しかし、どこを見渡しても、それらしい二人組の姿はない――。
「油断したなぁ、青海のどか一生の不覚である……」
右手に力を籠めると、のどかはその場で拳を空ぶった。と、その時であった。
「あれ、セーカイさん?」
「……おやぁ?」
呑気な声に振り向くと、そこには七女通信の記者・由香の姿があった。三時過ぎから見かけずにいたところからすると、どうやら今日は非番であったらしい。
「ちょっと厄介なことになってんであるよ。例の鹿鳴館高事件の、ホシらしい二人連れ見失って……」
「え、ちょっと待ってください。それって、封筒握りしめたカップルみたいな人たちじゃありませんか?」
「ほ、ホムちゃん、どうしてそれを知っているであるかね――」
二人が放送局から出たところなのを由香が知っているわけはない。直感的に、のどかは問題の二人を由香が目撃したと確信した。
「さっき、そこのかに道楽の前で走って来た女子高生に突き飛ばされたんですよ。こっちが転げたのを気にも留めずに、降りた人と入れ替わりにタクシーへ飛び乗ってました」
「――まさかホムちゃん、ナンバーかなにかまでは覚えておらんであるなぁ」
すると、薄い期待をぶつけたのどかに、由香はとんでもない爆弾を突き付けた。
「古都タクシーの一一〇七号車です! こっちが転んで起きられないとこへ排ガスを吹きかけられたから、会社に文句言ってやろうと思って覚えたんです」
言われてみれば、由香の制服からはLPガスの薄い香りが漂っている。思いがけず降りかかった幸運に、のどかは由香を引っ張りラジオ局へ舞い戻った。
「おリョウさん、アコっ、二人の乗ったタクシーをホムちゃんが見ておったであるぞ」
「わあっ、どったのユカッペ、ガスくさいじゃないの」
「アコさぁん、聞いてくださいよぉ……」
驚く敦子に半泣きの由香が事情を話している間、涼とのどかはそれぞれのキャップ――登和子と昌史の元へ電話をかけた。
「――わかった、それじゃあこっちは、同じ古都タクシーの車を拾って、無線を聞きながらと行こう。すまないがキャップ、段取りは任せたよ」
「了解した、さっそくおリョウさん達とおっかけるであるから、姐御やテイさんたちにも人をよこす準備だけを頼んだであるよっ。――ホムちゃん、アコさん、出発するであるぞっ」
局の中に残る出演者や事務員へ一礼をすると、四人は大急ぎで、三条京阪の駅へ向かうアーケードめがけて走り出した。そして、運よく三条河原町の丁字路で古都タクシーの車を拾うと、おリョウたちは行き先も告げぬまま、身分証をちらつかせて車を発進させたのだった。
「――なにっ、うちの車に殺人未遂犯人が……!」
「そうなのです。いまごろ、会社の方にも連絡が行っていると思いますから、じきに全体向けの無線も入ると思いますが……」
助手席に収まった涼が、坊主頭に制帽をのせた運転手へ説明していると、藤井大丸を過ぎたあたりで全体連絡の無線が飛び込んできた。
『一斉連絡、一斉連絡、三条のかに道楽の前でお客様を乗せた車は至急連絡願います』
「なるほど、本当だ。――そのうち反応が出てくると思いますから、ボリュームを上げておきましょう」
運転手の計らいに礼を述べると、涼は助手席のヘッドレストへ頭を沈め、登和子へ電話をかけようとした。すると、
『こちら一一〇七号車、該当するお客様二人は、つい三分ほど前に西洞院で降車しました――』
降って湧いた情報に、車内はざわめき立った。西洞院となれば、発端の地である御金神社は目と鼻の先ではないか。
「こちら七〇七号車、現在学校事件記者の方三名を乗せて走行中。すぐに現地に向かいます――。お嬢さん方、それでいいですか?」
無線を切り、バックミラーと涼の方をみやると、運転手は器用にハンドルをかえし、御幸町の細道へ車を突っ込ませた。
「この時間はこっちの方が早いですよ。で、西洞院はどちらへ?」
「御金神社へお願いします。――おリョウさん、それで異存はないであるな?」
鏡越しにのどかの顔を満足そうに見つめると、涼は揺れる窓辺のつり革へ手を伸ばし、悠々たる調子でフロントグラスをにらむのだった。