五、聞き込み 青海のどか、犯人と目と鼻の先に……!
翌日、登和子の命を受けて北山の鹿鳴館高校へ向かった瞳は、通用門の前に見覚えのある立ち姿を見つけた。太田黒のおっちゃんこと、下鴨署の太田黒部長刑事である。
「まったく、事件あるところに君ら学校事件記者あり、か。恐れ入ったねぇ――」
太鼓腹を隠すダブルの背広に、オールバックに撫でた髪をてらつかせ、太田黒部長刑事は渋い顔をしてみせる。
「そんなにヤな顔しないでくださいよ。こっちだって、キャップとデスクから行けっ、って言われてるから行ってるようなもんなんで……」
一眼レフや手帳の収まった鞄を肩から提げ、入門者用の腕章をとめていた瞳は太田黒へ申し訳のなさそうな顔をしてみせる。もっともこれは、刑事たちを口説く本業顔負けの戦術なのであるが――。
「――若いうちからそんな宮仕えみたいなこと言うんじゃないよ。まあ、例の写真の件じゃ借りがあるからなあ。ついといで」
「どうもすいません……」
ものの数秒で部長刑事を味方に引き込むと、瞳はそのあとについて悠々と鹿鳴館高の中へと入った。その道中、明美は改めて捜査の進捗具合を太田黒から聞き込んだ。
「まあ、ハッキリ言って暗礁に乗り上げてるねぇ。なにせ恨まれるような覚えのない子だというから……。部内での評判も良好で、次期主将候補から外れて悔しがる者こそあれ、恨むようなのはいなかったそうだ」
「そうなると、これは部活外部のほうに疑惑の種があると、そう仰りたいわけで?」
「ハハ、あいにくそこまでは言えんねぇ。確証のないうちに、高校生を直接刺激するような君らの新聞にしゃべるわけにはなあ」
太田黒がそこで話を切り上げると、瞳はそれを惜しがるでもなく、
「それもそうか。――や、どうもありがとうございました。おかげでちょっとはデスクに嫌味言われないで済みますよ。じゃあ、締め切りがあるんでこれで……」
と、喰いつく様子もみせず、おとなしく門の方へ引き下がった。そして、自分へ手を振り、そのまま職員入口の方へ太田黒が消えたのを見届けると、
「記者とスッポン、すぐに離れる馬鹿でなし……って言うけどねえ」
よそ行きの立ち居振る舞いはどこかへかなぐり捨てると、瞳は太田黒の後を追いかけ、吹奏楽部のチューニングがこだまする校内へ足を踏み入れた。そして、吉倉和美と同じ二年生の教室へ何人かの女子生徒がいるのを確かめると、
「ハイ、ちょっと失礼しますよ……」
と、わざと大仰な声をあげて彼女らの注目を集めるのだった。
記者クラブの身分証が功を奏し、その場にいなかった面々も交えて話を聞けそうだとわかると、瞳は彼女らの案内で、校舎の四階にある学生食堂に集合することとなった。
「――どこか遠くに行くより、こっちの方がいいでしょう?」
放課後は喫茶営業に切り替わる学食の、日当たりがいい円卓に集まると、残っていたうちの一人、どことなく館花の伊澄に似た趣の女子生徒が瞳に問うた。
「たしかに、教室よりかは先生に見つからないからねぇ……」
ちょっとしたビヤホールくらいの広さがある学食の、送り火側へ向いた総ガラスの壁面をみやると、瞳は鹿鳴館高校の設備のすさまじさを目の当たりにし、溜息をついた。ちなみに、これとは別に教職員用の食堂もあるのだという――。
「お待たせしました。記者さん、お砂糖は?」
「じゃ、ふたっつ……」
じゃんけんで負けて、人数分の紅茶のカップを運んできた子に、瞳はピースサインを送る。瀬戸のシュガーポットからつまんだ角砂糖が二つ沈むと、瞳はおもむろに話をもちかけた。
「警察の方は部活がらみとは別に、怨恨の筋がありはしないかとにらんでるんですよ。もしも、吉倉さんにからんでそういうハナシがあったら、どんな些細なことでもいいんで教えてもらいたいんです。あとはこっちで裏どりしますから……」
鞄から出した大学ノートへ、瞳はなめて湿らせた鉛筆をそっとあてがった。しかし、元来恨みを買うようなタチでないという太田黒の言葉を証明するように、彼女たちは首を横へ振るばかりだった。
「――あんた、なんか知らない?」
「全然。和美ちゃん、絵にかいたようないい子だもん。彼女にしたいって男子、腐るほどいるし……」
「それそれ。――吉倉さんにアタックして、ソデにされたようなのとかは知らない?」
これはしたり、と筆を走らせかけた瞳だったが、ここからが厄介だった。振られた相手は数えたらきりがないこと、彼女の性格の良さから恨みをこじらせるような相手の覚えがない、という話なのである。
「ちぇー、とことん綺麗に出来てるのなぁ。これじゃキャップにドヤされる」
「むしろ、そんな子だから私たちも不思議がってるんです。いったい、誰があの子を襲ったのか、って……」
盛んに湯気の立っていたカップも、いつの間にか熱気を失っている。味の悪くなった紅茶を前に、瞳と生徒たちは途方に暮れているのだった。
瞳が鹿鳴館高校の学生食堂にいたのと同じころ、セーカイこと青海のどかはラッシュアワーのただなかにある河原町通りをアテもなく歩いていた。
――お呼びでないのに来る観光客ほど、じゃまっ気なものはないであるなぁ。
一歩進めばキャリーケースを持ったサングラスの金髪女性、一歩のくとザッカーバーグの出来損ないのような一団が控えている――。ここ十年ほどの間に、市民にとっては日常の風景と化していたものの、だからといってこの混雑に慣れる、というようなことはなかった。
――京都府が腰ィ上げて規制かけりゃあイチコロだろうけど、うっかりしたら府の財政までイチコロになりかねんであるからなぁ。
過激なことを考えながら、のどかはミーナの脇から新京極へ入り、いったん人の波が途切れたのをよいことに背筋を伸ばした。ちょうど居酒屋や小料理屋が書き入れ時になろうという頃合いで、あちこちの店先にのれんがかかり出している。
「寿司を食うには金がなし、うどんを食べたら腹が出る……。ドトールでもよるであるかな」
鞄の中でがまぐちを握ると、のどかは寺町京極の方から北へ戻り、MOVIX京都の隣にあるドトールコーヒーの門をくぐった。
「……お?」
Lサイズのアイスコーヒーを手に、奥まった座席へつこうとしたのどかは目を見開いた。ちょうど視界の左端、壁一枚奥がトイレになっているあたりにいる鹿鳴館高校の制服を着た男女のペアが、不穏な空気をまとっているのである――。
――痴話かもつれか、はたまた……?
生徒をして「校認ゴシップ紙」などと言われるほどのきわどい記事と編集方針が売りの堀川高校新聞である。その記者であるのどかが、こんなおいしいシチュエーションを前にして黙っているわけはなかった。周りのお客が二人を気遣ってそっと離れたのを見て取ると、のどかはひそひそと話をする二人へ、鞄から出した小さなガンマイク付きのマイクロカセットのレコーダーをトレイの上に忍ばせ、三つ隣の壁際の席で盗み録りを始めようとした。当然、これは違法行為である。
ところが、録音のモニターに使うイヤホンが鞄を漁っても出てこない。これでは音量のチェックがしようがないと、のどかは諦めて録音を止そうとした。と、
「――知らないっ、そうやってずっとウジウジしてればっ!」
何か気に障ることを男の方が口にしたのか、女子生徒は甲高い激昂ののち、その場から立ち去ってしまった。手元のカセットレコーダーについた音量メーターが真っ赤に輝き、声のすさまじさを静かに語っている。
――やあれやれ、録音中断か。欲を張ると碌なことないであるなぁ。
コーヒーへつけていたストローをくわえたまま、あとに残った男子生徒をのどかは横目に眺めていた。その可哀そうな男子生徒も立ち去り、文庫本の下からようやっとイヤホンが出てくると、のどかはテープを巻き戻してイヤホンを差し込んだ。どうせ大した内容でなければ消してしまおう――その程度のつもりだった。
ところが、流れてきたやりとりを聞くうちに、のどかは頬から熱気の失せていくのがだんだんとわかった。そして、イヤホン一杯に女の激昂が轟くと、
「き、キャップに言わねば……!」
飲みさしのコーヒーを返却口へ乱暴に置くと、のどかは荷物を抱えてトイレへ駆け込んだ。そして、用心しながら錠をおろすと、携帯の電話帳を乱暴に開き、見知った相手を呼び出すのだった。
「――き、キャップ、一大事であるぞっ。鹿鳴館高校事件の犯人らしいやつを見つけてしまった……」