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一、ある雨の日の記者クラブにて

劇中、メインで活躍する「七女通信」の面々は、別作品「鴨川浮音捕物控」の登場人物、新聞部部長デスク三宅薫の仲間たちです。三宅デスクは本作中には出てきませんが、これを覚えておくと両作品をなんとなく、ニヤニヤしながらお楽しみいただけるかと思います。

現場班長(キャップ)、今つきましたぁ」

「お、ご苦労さん。――そいじゃ、またあとで」

 俗に「ガリ電」と呼ばれる、ダイヤルの代わりに呼び出し用のハンドルをつけた電話の受話器を戻すと、キャップこと村松登和子(むらまつとわこ)は後輩・帆村由香(ほむらゆか)のブレザーの肩めがけ、真新しいタオルを投げた。夕立の雨粒が親の仇のように窓ガラスをたたく、そんな天気のとある午後のことだ。

「――おつりもらって、さあ行こうと歩きだしたらこの雨ですよぉ。傘くらいもってけばよかった」

 あちこち継の当たったソファへ腰を下ろすと、由香はもらったタオルでツインテールを拭きながら、向かいのテーブルへ置いたレジ袋をにらむ。袋はすぐ近くのパン屋のもので、中にはタイムサービスで安くなった菓子パンが山と入っている。

「リョウさんとトウちゃん、今日はどこ行ってるんでしたっけ」

 あと二人いるメンバーの不在に、由香が行き先を尋ねる。すると、登和子はベリーショートの前髪からパッと手を離し、事務椅子の上でくるりと翻った。

「――おリョウさんは新体操の合同練習の取材、ヒトミンはそのカメラでくっついてったよ。デスクが特ダネつかんだとか言って、カメラのやつを横取りしたんだ。その代理だよ……」

「ハハ、キャップ、デスクにだけは勝てませんもんね」

「ホム、あんまり口が過ぎると、あんたの好きなメロンパン食べちゃうよ――」

「うわっ、それだけはご勘弁を……」

 すると、そういいながらじゃれつく二人の元へ、高級そうな革靴の足音が一つ、かろやかに近づいてきた。

「ごきげんよう――登和子さん、お暇かしら?」

 広い部屋をパーティションで区切った六畳強ほどのスペースへ、長い髪をロールに巻き、手に扇子を携えたセーラー服姿の少女が、しゃなり、という音も聞こえてきそうな調子で顔をのぞかせる。

「ようお嬢。おたく、ここで油売ってていいの?」

 焼きそばパンの包みをはがそうとしていた登和子が、手を止めて尋ねる。

「今日は非番なんですの。なんとなく、時間を持て余したからクラブへ顔を出したわけで……それより、よかったら一局お手合わせ願えませんこと?」

 左手で碁石を置くジェスチャーをすると、登和子はしばらく考えてから、

「先に支度しててよ、これ食べたら行くから……」

「ありがとうございます。いただきもののコーヒーがありますから、二人分淹れておきますわね」

 それだけ言い残すと、お嬢こと大倉真澄(おおくらますみ)は、かろやかな足取りで給湯室の方へかけて行った。

「――さあて、今日はどっちが勝つか、天のみぞ知る」

「今みたいなざあざあ降りじゃなきゃいいですけどねぇ」

「余計なお世話! ホム、あとの電話番は任せた……ほいじゃ」

 登和子が焼きそばパンへと意識を集中させてしまったので、由香はへいへい、と返事をしてから、目当ての甘食へ手を付けた。ほかのスペースからも、似たような調子の歓談の声、ときにはやや激しめの声がただよってきたり、上がってきたりしている。

「――どう思う、やっぱりオレはこっちのコの方がかわいいと思うんだけど……」

「――おハンら、エロ本読むか原稿書くかどっちかにしんさい」

「――無茶言わないでくださいよ! そんなことして、出禁になったらどうする気ですか……はい、はい……仕方ない、ナナツウの三宅さんに相談してみますよ……」

「――お前らがのんびりやってるからだよ!学校のホームページに先越されて、恥ずかしくないのか!」

「――次の記事は、美術部交流特集とかにしましょうよ。あ、それとも書道部のパフォーマンスとか……?」

 将来の京都市、ひいては日本をしょって立つ高校生への文化行政の粋な計らい――世にも珍しい、高校生新聞用の記者クラブ「中京(なかぎょう)記者クラブ」の詰めている建物は、そこだけがひどく、活気と熱気を帯びている。

 とはいえ、今日のような天気となればそれもさほど長続きはしない。暇を持て余している面々の勝負をのぞきだすギャラリーの増えるのは、時間の問題だった。

七女通信(ナナツウ)のキャップまたも敗れる……見出しが浮かぶのう」

「やかましいっ。千本のっ、とっととおたくの姐御を回収してってくれないか、さっきから邪魔っけでしょうがないんだ……」

 コーヒー片手に碁石をもてあそんでいた登和子は、さきほどから茶々を入れる週刊千高(センコウ)のキャップ、姐御こと田蔵美由紀(たくらみゆき)をのけるよう、後輩の記者へ叫んだ。

「見苦しいですわよ登和子さん、負けるときは、なにがあったって負けるんですから。――さ、どうします?」

「やっ」

 痛いところをつかれて、登和子はとうとう手から碁石を落としてしまった。正直なところ、打開の一手は見当がつかない。

「――おっ、やってるねえ。また負け戦?」

「テイっ、あとで覚えてろ……ここから勝てないわけはまだないのだっ」

 買出しに出ていたらしい玄武タイムスのキャップ、テイこと黄村定一(きむらていいち)の冷やかしを目もくれずに返すと、登和子は再び盤上へ意識を集中させた。すると、

「――ただいま。おや、キャップまたやってるのかね」

 覚えのある声がしたのに、登和子は一瞬顔を上げた。自分のところの記者であるおリョウとヒトミンこと、反田涼(たんだりょう)戸川瞳(とがわひとみ)の二人が取材から戻ってきたのだ。

「おかえりぃ。――これで負ければ通算……十回から先は覚えてないや」

 碁石をつまんだまま、腕組みをして負け越しを思い出す登和子だったが、

「誘う私もどうかと思いますでしょうけど、なんやかんやと言いながら参加なさる登和子さんには負けますわ……しぶとさという点では特に」

「にゃにおう」

 扇子片手の真澄の指摘に、登和子は負け越しを数えるのを止めて碁石を盤上へと投じた。そして、案の定それが負け戦の記録更新となってしまった。

「週刊千高特派員、中京記者クラブ発至急電……七女通信キャップ、館花(たちばな)新聞キャップとの囲碁勝負にまたしても負ける。こんなとこでどうじゃろうの、おリョウさん」

 肩へよれたブレザーをまわした美由紀が、くせのかかった長い髪をゆらしながら涼へ尋ねる。涼は涼で、メガネについた雨露をハンカチで拭きながら、

「いいんじゃないかねぇ、そちらでガックリ来てるうちのキャップがゆるせば、だけれど」

 と、返事の矛先を登和子へ移す。登和子の答えはもちろん――。

「駄目に決まってるじゃないっすか、おリョウさん……」

「だ、そうだ。――さて、お茶でも淹れようかね、キャップ、田蔵の、おっと、お嬢も……どうするね」

「私にも一杯、お願いしますわ」

「すまんのう、一杯もらえるかな……」

「よしよし……」

 そう言って給湯室へ涼が向かったのを合図に、やかましかったギャラリーはすっかり霧散してしまった。あとには、それぞれの部屋から次号の打ち合わせのやりとりが細々聞こえてくるきりだった。

「んで、おリョウさん、ヒトミン、どうだった……?」

 六畳一間のスペースへと引っ込み、記者クラブのメンバーが顔をそろえたのを見ると、登和子は湯呑を置いて、二人へ取材の様子を尋ねた。

「まあ、ぼちぼちというところかねぇ。取材するほどの熱気があるでなし……この天気でみんな、やる気はいまいちだったかなあ。ねえ、トウちゃん?」

「タンさんの言う通りでしたねー。みんなイマイチで、出入りのコーチだけが空回りというか……」

 手鏡をにらみ、手櫛で七三の前髪を直していた瞳も、涼の意見に同調する。場所の換気が悪かったのか、ひどく湿気のこもった体育館での練習で、新体操部の面々にはどうにも動きの切れがなかったらしい。

「写真だと、その辺がいまいちわかりにくいねえ。――まあ、気乗りしないだろうけど、ひとつ頼みますよ、おリョウさん」

「キャップにそういわれちゃ、仕方がないねえ。この分の埋め合わせは、なにか面白そうな取材で頼みますよ……」

 登和子の脇をつつくと、涼は鞄に収まった二〇〇字詰めの原稿用紙、俗にペラと呼ばれるそれを机へ置いて、さらさらと鉛筆を走らせ出した。瞳は登和子と写真の打ち合わせをすませると、さっそくそれをデスクへ送る手はずを整わせだした。そして、後に一人残った由香は、ソファの隅でぽつんと、膝へ手を置いてパーティションを見つめるきりだった。

「――由香ちゃん、どうかしたのかね」

「ヘッ?」

 記事の送信も済み、用の済んだペラを雑紙入れへ放り込んだ涼が、眼鏡を直しながら尋ねる。元来のおっとりした動きに加え、髪に交じった淡い銀髪のせいで年寄りじみた感じがある涼は、いわゆるヌシのような風格がある。そんな相手に呼び止められて、一年生の由香はすっかり固まってしまった。

「――なに、取って食おうとは思わないよ。しかし……あんまり心がお留守では、他のものに付け入られかねないよ。病気だとか、悪いやつらとかに、なあ」

「は、はあ……」

 涼は肺の病気で留年しているため、学年上は登和子と同じながらも、実のところ部の最古参ということになる。長老、とでも言った方が正しそうな彼女の言葉に、由香はどうしていいか内心戸惑っていた。だが、涼は別段怒るでもなく、いつものおっとりとした調子で、こう続けるきりだった。

「まあ、そう気にしなさんな。たまにはこうして、何も用事のない時がある。そういうときはそっと、外線が鳴りやしないか見ておけばいいのだよ……」

 そういって、涼が由香の目線をさそったのは、編集部直通のガリ電の横に並んだ、二台の外線である。年季の入った黒電話に真っ白い色味のプッシュホン――。普段は外に取材に出ていた面々からの連絡があるくらいで、大した情報が回ってくることは少ない。

「あれはいつだったかねえ。キャップが大急ぎで電話を取って、よくよく見たら送話と受話の上下がさかさまだったのは」

 昔を懐かしむ涼に、由香はキャップの意外な失敗を聞いてクスリと微笑んだ。とうの登和子は不機嫌そうな顔をするばかりだった。

「まったく、人の古傷をえぐってからに……」

「そう言いなさんな。完全無欠の村松キャップにも、こんなかわいい時代があったということを伝えておかないと……」

 涼がそこまで言いかけたところで、腰を折るように黒電話のベルが鳴り出した。

「はい、こちら記者クラブ……」

 いくらか緊張がほぐれたのもあり、由香は威勢よく受話器を握った。別段、由香はなにか大きな話が飛び込んでくるような期待など、微塵ももちわせていなかった。ところが、その日に限って実に奇妙な、おかしな出来事が中京記者クラブの面々に降りかかってきたのである――。


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