本編 5
「そのブレイズ国っていうのはどういう国なんだ?」
「砂漠大国ブレイズ、ここセアシェル大陸のほぼ中心に位置していて、大陸内にあるどの国よりも広大な土地を持っているけど、その大半が砂漠なんだ。過酷な環境だからその土地に住む人々もたくましい」
「タフな奴は嫌いじゃないな」
「なぁ、聖女様の姿で粗野な言葉使いするのやめてくれないか?」
旅の道中、愛らしい聖女の姿をしたヤクザに向かってたまらず勇者が本音を口にする。その隣では戦士が大きくうんうんと頷いていた。それまでほぼ何事もなく普通に会話をしていただけに、突然の指摘に戸惑うヤクザは素直に応じてしまう。
「お……、おう……そうは言われても。こっちだって中身は大人の男だぞ。二十五が幼女のフリなんか寒くてできるか」
「見た目は聖女様なんだからそっちの方がむしろ問題ないんだよ。今はまだフォースフォロス神殿内じゃないから、他の信者にことごとく話しかけられて奇妙に思われることもないけど、せめて事情を知らない人間の前だけは年相応の、見た目通りの言葉使いで話してくれないと」
勇者一行は大地母神マーテル教のお膝元であるフォースフォロス内で、何度もヒヤリとする体験をしていた。信仰心の篤い信者が聖女に話しかける度に粗野な言葉使いで応じるものだから、適当に言い繕って難を逃れようとするものの、最終的にはタチの悪い悪魔が聖女に乗り移ってしまって、そのお祓いをする為に長い旅に出るという噂が広まってしまっていた。聖女の体にヤクザの魂が入った直後の女僧侶の反応と全く同じである。
「女の子の話し方をするのが難しいのなら、せめて標準的な言葉なら使えるだろ? オレは聖女様とはほんの少ししか会話したことがないけど、とてもしっかりされているお方だったから。年相応に振る舞わなくてもいいから、せめて男言葉だけはやめてくれ」
懇願してくる勇者にヤクザは苦虫を噛み潰したような顔つきになる。それでも元の顔が可愛らしいのでどうやっても可愛く見えてしまう。ここでは勇者達を頼らなければ何も出来ない。それがわかっているからこそヤクザは従う他なかった。
「ん、まぁ……カタギの喋り方なら、出来なくは……ないかもしれん」
「頑張って」
二十五歳が十七歳に励まされて、なんだか釈然としないながらも勇者一行はついに砂漠の入り口へと近づいてきた。緑あふれるフォースフォロスから一転、段々と緑が少なくなってきて、水気を含んだ土から砂地へと徐々に変化していく。行き交う人々も増えてきた。
勇者の説明にもあったが、ブレイズの土地の大半は砂漠で農作物が育たない。砂漠特有の植物や家畜はいるが、他の国に比べると圧倒的に農作物が不足している。よって各国からの輸入無くして生活が成り立たないのがブレイズの抱えている問題でもある。
その代わりブレイズには戦闘に特化した種族がその名を連ねていた。炎の部族、砂の部族、そしてドワーフ族。ブレイズ国で唯一砂漠地帯ではない中心地、首都の外れにドワーフ族が住んでいる坑道がある。そこには今でも鉱石が採れ、ドワーフ族がそれを加工して商品としている。ブレイズ国でも数少ない生産品の一つだ。そして何よりドワーフ族はその類稀なる頑強さと戦闘能力の高さから、ブレイズの各部族と並んで傭兵としても活躍していた。ブレイズは農作物や家畜の生産よりむしろ、戦闘民族の多い国として傭兵や冒険者となる人間に溢れていた。その為ブレイズ国では完全実力主義の騎士団が出来上がり、その戦闘能力が高ければ年齢問わず騎士団の主戦力として活躍することが許されていた。
ブレイズでは農作物のほとんどを輸入に頼っているので、ブレイズ国に入る検問は常に商人、そして傭兵やギルドの人間が行き来している。荷馬車に食料を積み込んでいる商人、衣料品を積んでいる馬車、護衛任務にあたっている傭兵、冒険に出るギルド所属の冒険者、そして異形の種族もちらほらと見かける。
聖女、もといヤクザは人間以外の種族を目にするのが初めてで、目を大きく見開いてじろじろと凝視していた。そしてそれを小声で注意する勇者。
「ダメだよ、そんなじろじろ見ちゃ。ただでさえ異形の種族は人間からの差別扱いに敏感なんだから」
「まぁ当たり前だけどよ、どこでも差別はあるんじゃな」
それでも横目で見てしまうヤクザに一人の異形の種族、トカゲが人型になった亜人種リザードマンが視線に気付いた様子で近付いてきた。簡易的な鎧を身に纏い、腰には曲剣を差している。見た目から戦闘タイプの職業だとわかった。目はギョロギョロとしており深緑色の鱗はブレイズの強い日差しに当てられてキラキラしている。こちらに近付いてきていることに気付いた勇者は気まずそうに、相手の逆鱗に触れないように笑顔で挨拶を交わそうとした。問題を起こすわけにはいかない。ただでさえここはブレイズ国の検問所なのだ。こんな場所で喧嘩沙汰でも起こそうものなら入国拒否されてしまう恐れもあった。
「そこのお嬢ちゃん、オレのことがそんなに珍しいのかい」
「おう、見たことなかったからな。気を悪くしたのなら謝るぞ」
自分よりもずっと、天を見上げるほどの身長差であるにも関わらず、怖がることなく思ったことを正直に口にしたヤクザ。それを隣で聞いていた勇者は真っ青になる。戦士は表情には出していないが、頬を伝う汗が心情を物語っていた。決して暑くて流した汗ではない。
一触即発になるかと思いきや、リザードマンは大声で笑い飛ばすとヤクザの頭を優しく撫でた。
「なかなか肝の座ったお嬢ちゃんじゃないか。オレはこの見た目からよく凶暴に見られるけどな、本当は美食ギルドのメンバーなんだ。美食の食材を求めるからこんな格好をしちゃいるが、戦闘がオレの主な仕事じゃねぇ。スイーツが大好きなただのトカゲさ」
「お、おう。スイーツなら俺……私も好きだぜです」
そう返すとリザードマンはギョロギョロとした目を細くして笑ってみせ、腰の布袋からお菓子を取り出すとそれをヤクザにプレゼントした。ヤクザはぽかんとしたまま流れるように受け取った。そんなほっこりとしたやり取りを眺めながら戦士は感動の涙を流していた。
(わかる、わかるよリザードマン! オレもこんな見た目だけど本当はお花屋さんになりたくてその資金集めの為に傭兵ギルドに入ったけど、なぜか戦闘能力を買われてブレイズ武術大会参加に誘われて準優勝しちゃって、実力派の戦士として有名になっちゃって余計にいかつくなっちゃって勇者しか友達になってくれなかったから、なんか誤解される気持ちすっごいわかるよ!)
それじゃ、とリザードマンが爽やかに去っていくと、なんかよくわからないが何事もなくてよかったねと言うように勇者がほっと安堵のため息を漏らす。ヤクザも何が何だかわからないまま、もらったお菓子を目にして、ちょっと小腹が空いたから仕方なくそれを食べようと包みを開けた時だ。
「だめよ!」
そう叫ばれた瞬間、ヤクザの手からリザードマンからもらったお菓子を奪われた。
「あっ、何するんじゃ!」
「これを食べちゃだめ。……死ぬわよ」
お菓子を奪った人物は少女だった。黒いとんがり帽子に黒のワンピース、魔女だ。
嵐のような展開の早さについて行けず何が起こったかわからないまま勇者達は語彙力を失っている様子だった。それに付け込むように魔女は真面目な表情で検問所から少し離れた木陰まで来るように促す。どういうことか知りたい勇者達は言われた通り木陰の方まで移動した。
周囲に誰の目もないことを確認すると、魔女はこほんと咳払いをひとつして、それからゆっくりと話し始める。
「あなた、危なかったわね。あれは聖女一行を狙う刺客よ」
「えっ、まさかそんな!?」
「信じられない? それならこれを見ることね」
魔女は手に持っていたお菓子の包みを開けて、それを地面に投げる。するとお菓子にアリが集まってきた。じっと眺める勇者一行。どんどん群がるアリ達はお菓子を食べて、そしてそれを巣穴に運ぼうとした時だった。突然アリ達がお菓子の周囲を暴れ回るように、狂ったように走り回った。それからやがて動きを止めたかと思ったら、お菓子を食べたアリ達は次々と死んでいった。動きを止めたわけではない、死んだのだ。
「こ、これは……」
「見たところあなた、フォースフォロスの聖女……でしょ。その法衣、噂に聞いた幼い少女。神聖な雰囲気、そして屈強そうな護衛二人。間違いない?」
言い当てられて三人はこくんと頷いた。すると魔女はふっと笑みを浮かべて話し続ける。
「やっぱり、おかしいと思ったのよ。魔物の島ダモンから来たリザードマンの戦士が、こんな小さな少女にお菓子をあげるなんてね。ダモン島の人間、亜人種の大半。いいえ、全員が邪教信者だと言ってもいい。邪教信仰者が相対する大地母神マーテルの信仰の象徴でもある聖女に対して、好意的にするはずないもの。敵対勢力なのよ、怪しいと睨んで尾行した甲斐があったというものだわ」
魔女の言葉ひとつひとつをゆっくり頭の中で理解していこうとする。やがて三人はゾッとした。完全に気さくなリザードマンに心を許していたのだから。その様子を見て、魔女は取引を持ちかけるように人差し指を立ててにっこり笑う。
「ねぇ、あなた達さえ良ければあたしも仲間に入れてくれないかしら。あたしは魔女、ヘルメスの魔女の弟子だったから少しは役に立つと思うけれど、どうかしら。さっきみたいな輩に関する情報もきっとあなた達より詳しいし、何よりヘルメスの魔女とブレイズの預言者は親友同士なの。あたしの口添えがあればすぐに面会してくれるかもしれないわ。悪い話じゃないと思うけど?」
そう言われて勇者達は戸惑った。確かに断る理由はなさそうだったし、何より魔女はヤクザの命の恩人でもある。魔女が来なければヤクザはあのお菓子を食べて死んでいたかも知れなかったのだ。そう思うと魔女の申し出は勇者達にとっては非常にありがたいものかもしれない。そう結論して勇者が魔女の手を取ろうとした時だった。ヤクザは勇者の手を跳ね除けさせた。ぺちりと籠手に当たった音からダメージを受けたのは叩いた方のヤクザだった。
「魔女、と言ったか。……俺の目を誤魔化せると本気で思ったか」
「え? え? どういうこと? 何?」完全にテンパる勇者。
「……どういうことかしら、聖女さま?」
魔女は苦笑いを浮かべると、一歩ほど後ろに後ずさる。そしてヤクザは先ほどアリ達を殺したお菓子を指さした。勇者達もその指された場所に視線を移す。今もなおまだ生き残っていたアリはお菓子に群がり、食べて、苦しんで、死んでいくという状態が続いていた。魔女もそれに視線をやる。その目はすでに笑っていない。
「このお菓子、さっきトカゲの兄さんからもらったお菓子とは全くの別物じゃ」
「えぇっ!?」
「俺がもらったお菓子はこんなクッキーみたいな焼き菓子じゃない。しっかり目で確認する前にお前に取られたから断言は出来ないが、少なくとも焼き菓子の固さじゃなかった。お前は俺から奪い取ってからお菓子をすり替えたんじゃ。今もどこかに隠し持っているはずじゃ、違うか?」
「ちゃんと目で確認してないから断言出来ないって自分で言ってんじゃん。リザードマンがあなたにあげたお菓子は、間違いなく、あのクッキーよ」
「しっかり目で確認してないだけだと言ったんだ、見てないわけじゃねぇ。俺が兄さんからもらったお菓子、本当は何をもらったのか魔女の姉ちゃんもわかってるんだろ」
「だから、個包装のお菓子でしょ!」
「奪い取る前に確認せんかったお前が悪いぞ? 俺はお前に奪われる前に、お菓子の袋を開けた後だった」
「……えっ」冷や汗を流す魔女。
「大量のミルワーム入りのお菓子。カサカサしとったからあれ、元気な生き餌じゃな。早くしないとお前が虫まみれになるぞ?」
そう指摘された時だった。魔女の黒ワンピースのポケットからぽろぽろとミルワームが這い出してきて、魔女は甲高い悲鳴を上げた。
「いやああああ!!! 気持ち悪いいいいい! 早く!! 早く取ってえええ!!」
「お前、騙したな!?」
「そんなことはどうでもいいでしょ! 早く取ってよこのバカ!!」
ワンピースにミルワームが這って、それに気付いた魔女が発狂して、勇者は怒り、ヤクザはドヤ顔を決め、戦士はオタオタしながら虫を取り除く手伝いをした。
花屋を志す男は、虫が平気だった。
***
検問所を通ったリザードマンは、少し離れた木陰で楽しそうにしている先ほどの少女を眺めながら嬉しそうにしている。すると検問所に常駐している検問官がリザードマンに話しかけた。
「やぁいつもご苦労さん、美食ギルドも大変だろ。金持ち貴族の為に危険な場所まで食材を取りに行かなくちゃいけないんだから」
「どうってことないよ。その為に頑丈な体で生まれてきたとなれば天職ってもんさ」
「それよりさっきあんた、人間の女の子にお菓子あげてただろ」
「なんだ見てたのか、別に賄賂とかそういうのじゃないから。俺、可愛い女の子とスイーツが好きなだけだから」
「いや、それをどうこう言ってるんじゃないよ。お前さん、まさか自分のおやつをあげたんじゃないだろうね。言っておくが人間の女の子の大半は虫なんか食わないぜ?」
「えぇ!? そうなの!? 悪いことしちまったな……。ミルワーム、美味しいのに」
「共存は苦労するね」