本編 4
女僧侶の機転により、勇者達は異世界人の魂が宿った聖女“ヤクザ”と旅を出る許可を得ることが出来た。
聖女の身柄はマーテル教会の権限により自由に行動出来ないことになっている。聖女の命を狙う輩がいないとも限らないからだ。
しかし異世界人であるヤクザには、それが理由だと思えなかった。この世界の常識も、この宗教であるマーテル教がどれだけの権力を持っているのかも、聖女という存在がどれだけ重要なのかもわかっていない。
そんな中でヤクザが察したこと。それは彼らにとって聖女とは教団の所有物でしかないということだ。
それが気に入らなかったからヤクザは彼らに反抗した。自分が今動かしている肉体の持ち主がどんな人物なのか、会ったことなどないので感情移入することなど無理な話だ。肉体の持ち主に対して同情したわけでもない。
ただ『彼らの態度が気に入らなかった』からだ。
ヤクザという稼業は相手に舐められたらおしまいだ。常に自分たちが優位であれ、相手に弱みを握らせるな、それが鉄則でもあった。もちろんそれだけではない。
これはヤクザが尊敬してやまない親父、組長の言葉だった。
『カタギにこそ善人であれ』と。
ヤクザとして反社会的組織に属して組長の言葉を聞いた時、彼は耳を疑った。仮にも社会に反する組織に自ら望んで入った人間が善人になれなど、誰も笑わない冗談だ。しかし組長は本気だった。
もう昔のようなヤクザ稼業としてやって行くことは出来ないと。
ならば少しでも弱い者を助けられるような存在になれば良いと、組長は笑い飛ばしながら宣言した。
この人に拾われなければ自分はの垂れ死んでいたのかもしれないという、その恩義の為に彼は組長の言葉を自分自身の矜持として尽くしてきた。
(つまり、俺はこの幼女を救わんといかん。その為には知識も土地勘もなさすぎなんじゃ。どうやらこいつらはこの幼女の本当の味方のようじゃからの、利用させてもらう!)
そんなヤクザの腹の内を知らず、勇者の戦士は新しい仲間が出来たことに安堵して旅の準備をしていた。彼らは元々出立の準備は整っていたので、あとは聖女としての手荷物や武器など、それらを女僧侶から手渡されて荷物の仕分けを行なっている。
「えっと、こっちは聖女様の衣類少々が入ったカバンですね。これは聖人用の杖ですか。聖女様が扱うものだからもっと性能の高い武器を持っていかれるのかと思ってました」
「大司祭様曰く、聖女様には女神マーテルから授かりし聖なる杖が封印の祠で眠っているということです。メインとなる武器になりますから、まずはその聖杖を手に入れることが先決のようですね。……勇者様のおっしゃるように、もっと威力のある武器があるはずなのに。きっと機嫌を損ねてしまったせいですわ」
「ケツの穴の小さい奴じゃのう」
「そこ! 聖女様の愛らしい顔でそんな下品な言葉を発したりしないでくださいます!?」
「お前もいちいちうるさい女じゃのう! そんなことじゃ男も逃げていくぞ」
「結構です! 私は女神マーテルにこの身を捧げる誓いを立てていますからご心配なく!」
「もったいないのう、黙ってさえいればいい女なのに」
ヤクザがしれっと口にした言葉で、女僧侶は顔を真っ赤にした。褒められると思わなかったせいか、外見を褒められたことがないせいか。途端に彼女の態度がやんわりとした口調へと変わっていく。
「と、とにかく。聖女様の魂ではないということなので、これまで培ってきた神聖魔法などがあなたにも扱えるのかどうか少し気がかりです。この旅はとても危険なものです。魔法は絶対的に必要となる戦力。少しおさらいをしましょうか。えっと、何てお呼びしたら?」
ここに来てやっと、初めて名を聞かれたヤクザは本名を名乗った。
「○∋#∮*$*」
「……はい?」
「だから、○∋#∮*$*だって!」
「すみません。発音が良く聞き取れなくて。お名前だけものすごく難解というか」
名前を言っただけで急に相手が聞き取れなくなったことを不思議に思ったヤクザは、逆に彼らの名前を訊ねてみた。すると彼らが名乗った単語だけ不思議と聞き取れず、まるで機械で音声にモザイクをかけたような、非常に聞き取りづらい発音に聞こえて何と言ってるのか全く検討がつかなかったのだ。
「こいつは一体どういうことだ? 名前だけ何言ってるかわからねぇなんて」
「もしかして人物名に限って異世界とこちらの世界とでの翻訳のようなものが通じなくなってるのでしょうか?」
「それは一体どういうことなんですか?」
「つまり、この世界に存在する私達と、異世界人であるこの方。転移した魂はこことは全く別の世界からこちらへやってきたのです。おかしいと思いませんか。なぜ私達の世界の言葉と、この方が使用してる世界の言葉がこんなにスムーズに通じるのか」
「あぁそういえば、突然の出来事だったから気にしなかったけど、言われてみれば確かに。エルフでさえ現地語を話されたらオレ達では何を言っているのかわからない。そういうことか!」
「……おお! (なるほど、全部神様の奇跡で片付いてると思ってたから不思議に思わなかったな。聖女様だから普通に会話出来てるだけかと思ってたけど、そうじゃなかったのか! 完全に理解した!)」
女僧侶は順を追って説明した。
つまりセアシェル大陸に住む人間達が使う言語、ディオソロス語。そしてヤクザが住む地球に存在する日本の言語である日本語。日常会話、一般的な名称などは共通言語として翻訳された状態で通じ合うことが出来る、神の奇跡とした。しかし固有名詞、たとえば個人の名前に関してはなぜか翻訳が複雑化され、そのままディオソロス言語と日本語で発音されてしまい、相手にとっては何と言っているのか認識が出来ないのだ。
耳で聞こえても言葉のひとつひとつが聞き慣れないものなので、名前だけがわからない状態になっている。
「じゃあ聖女様のことを何て呼んだらいいんだ? 中身がおっさ……知らない人だから聖女様って呼びにくいんだけど」
「今おっさんて言おうとしたな勇者テメェ」
「いや、ははは」
「それです!」
「は?」
勇者とヤクザの何気ない会話で女僧侶はまたもや機転を働かせた。
「役職名で呼び合えばいいんですよ。どうせ名前が通じないんですから。役職名ならそうそうかぶる人なんていないですもんね」
「オレなら勇者か」
「ほいじゃあ俺はヤクザ、か?」
「戦士……(ちょっと待って、戦士なんてそこら中にいると思うんだけど? 変な名前とか付けられるの超イヤなんですけど?)」
焦る戦士に対して、全員が何の疑問も抱かず「戦士」で満場一致した様子だった。皆、さほどこだわりはないらしい。
「そいじゃ、勇者くんに戦士さんよ。いっちょインチキ占い師んところへカチコミに行きますか」
「インチキ占い師じゃない、預言者様だって。ていうか、勇者くんって? なんでオレくん付け?」
「だってお前ガキンチョだろ、どうせ高校生くらいの歳じゃないんか」
「あ、その高校生っていう名称は聞き取れる。何で? まぁいいか、高校生ってのが何なのかわからないけど、オレはもう元服の儀式を終えてるの! 十七だよ、十七!」
「何じゃ、やっぱクソガキじゃ」
にべもなく言い放つと、勇者はそれ以上何も反論出来ずにいた。そんな勇者の隣で自分がさん付けだったことにずっと引っかかっている戦士さんが、どうして自分はさん付けなのか聞こうか聞くまいか考えあぐねていた。
しかし戦士のそんな心境など誰も気付くはずもなく、女僧侶は勇者達の目的などを簡潔にまとめて送り出そうとした。
「とにかくあなた方には聖女様を元の肉体に戻すことをしていただきたいのですが、その為には預言者様に会って話を聞いてもらわないといけません。当初の目的は預言者様がおられる砂漠大国ブレイズを目指すといいでしょう。ここからまっすぐ西の方角です。勇者様達は元々ブレイズの出身とのことなので道に迷うこともないはずです。預言者様は国王付きの賢者様でもあるので、教会側から謁見許可願の親書をお渡しします。マーテル教会大司祭様の刻印があるのですぐに通してもらえると思います」
「なんか罠でもあるんじゃないのか? 俺はどうもあのおっさんは好かん」
「それでも大司祭様を信じる他ありません。親書無しで謁見しようと思ったらどれ程かかるかわかりませんし」
女僧侶も大司祭による聖女への扱いが気になっているところなのだろう。これまでの信心を失う程ではないがそれはあくまで女神マーテルへの信仰心であり、大司祭自身を信仰しているわけではない。
それが言葉ひとつ表情ひとつに見え隠れしていたがヤクザ達はあえてそれに触れることはなかった。
「ブレイズへの入国許可証、謁見許可願の親書、そしてわずかですが旅の資金です。どうぞお受け取りください」
女僧侶はじっとヤクザ……聖女を見つめると、何も言わず見送った。
勇者達も世話になった礼と、必ず聖女(の肉体)を守るという約束を交わし、離宮を後にした。離宮を出てからもメインロードでは相変わらず信者達が聖女に向かってありがたがるように挨拶をしていく。その様子はもう勇者達は少し慣れた様子であったが、意識が戻ってからそういったことを経験するのは初めてだったヤクザは妙に声をかけられることに戸惑っていた。
そんなヤクザの姿を珍しく思い、勇者はくすりと笑いながら訊ねた。
「さすがのあんたでもこれだけ親しさを込められたら驚くのか? なかなか可愛いところがあるじゃないか」
「ヤクザは職業柄、人から好かれん立場じゃからの。つい射程範囲内に近付かれたらこう、体が勝手に戦闘体制に入ってまうんじゃ」
「信者に暴力振るうのだけはやめてくれよな」
戸惑う姿が「好かれて動揺している」ではなく「反撃するかもしれない」という理由だったことに、勇者は思わず釘を刺した。聖女の体で暴力行為なんてされたらいよいよ庇いきれない。
このままヤクザの魂を宿した聖女と旅をすることが、平穏無事で済むのかどうか非常に怪しかった。
***
聖女とヤクザの魂が入れ替わった同時刻ーー。
セアシェル大陸西部にあるヘルメス国は風の聖地とも呼ばれており、断崖絶壁の名所と呼ばれる程高低差の激しい地形をしていた。その中でも比較的平坦な土地に居を構える魔法使いがいた。
かつては大魔法使い、大賢者、精霊の使いとして名を馳せた一人の老女。齢百歳を超える彼女の容姿は見目麗しく、二十台と言っても誰もが信じて疑わない妖艶な外見をしていた。
これも魔法、魔力の賜物であり、誰にでも真似が出来る技術ではない。永遠に美しくありたいという彼女の熱心な願望故に編み出された秘術であり、他人に施せることが出来ない技術の集大成だ。
そんな彼女が眉間に大嫌いな皺を寄せて怒鳴り散らしている。魔物でも討伐しようかという魔力の塊、ウィンドブレイドという風の魔法を連発し、相手を殺傷せしめんとする勢いだ。
「ウィンドブレイド! ウィンドブレイド! ウィンドブレイド! さっさと戻って来なさいこのバカ弟子が!」
「へっへーん! だーれがあんたの言うことなんか聞くもんか! 今まで従ってきたのは全部オカネの為に決まってんでしょう!」
殺されかけているというのに余裕の表情で魔法を避けて逃げて行こうとする少女がいた。魔女特有のとんがり帽子に黒のミニワンピース。茶髪に白い肌、緑の瞳。外見はごくごく一般人であるが、その身のこなしと魔術に対抗する技術は只者ではなかった。
「この恩知らず! あんたが私を尊敬してるって言うから弟子にしてやったのに!」
「あんたが年齢の割に純粋で助かった」
「あら、そう?」
「そういうとこ、ほんとチョロいのよ」
「きいいっ! あんたはそういうとこ本当に可愛くなかった!」
そんな口喧嘩が続いてる中でも二人の魔術合戦は繰り広げられており、周囲にあった小高い崖がいくつか跡形もなく破壊されていた。
魔法使いが住まいとしている土地は、元々は崖と崖の間にあった場所に建てられていたのだが、魔術の訓練や今のように魔術合戦をすることによって崖はどんどん破壊されていって、こうした平坦な土地が出来たのが真実だ。本来なら雨風に何百年もさらされ、削られ、絶壁の崖が少しずつ無くなっていくようなものだが、ここだけは人間の魔法によって短期間で削られてしまったようだ。
これでもヘルメス国の断崖絶壁群は世界遺産とされている。しかし彼女達はそれを一向に気にしない。よくも悪くも二人の性格は非常に似ていた。当人達はそれを決して認めようとはしないが。
「神の御業により真の聖女が降臨したという証である神々しい光と共に顕現した聖遺物、それを奪って金儲けしようだなんて許されない行為よ! 恥を知りなさい!」
「あの光が神様によるものだって誰が言ったのよ。あれは世にも珍しい貴重な物が出現したから、欲しい奴は取りに来いって言ってるようにあたしは思ったけどね!」
「都合よく解釈するんじゃない! この罰当たり!」
「それこそお互い様でしょ! とにかくあたしはここを出てくから! 今までありがと、お師匠様」
「待ちなさい! この守銭奴魔女がー!」
美魔女師匠の叫びも虚しく、守銭奴魔女は意気揚々と旅立っていった。
全ては自分の欲の為に。
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