悪役令嬢は婚約破棄され、転生ヒロインは逆ハーを狙って断罪されました。
読んでくださり、ありがとうございます!
予定よりも長くなってしまいました…。
我が国の皇太子が婚約破棄をした。
彼の婚約者だった公爵令嬢が、とある男爵令嬢に嫌がらせをしていたのが発覚したのだ。
事は、貴族が通うこの学園に男爵令嬢が編入してきたことから始まった。
彼女は急速に我が国の皇太子である、ローランドと親しくなり、そしてそれが面白くなかった公爵令嬢が嫌がらせをするようになったのだ。
最初は嫌味を言うだけだった。
だがローランドや側近たちが揃って男爵令嬢を庇い立てたことにより、彼女の嫌がらせはエスカレートした。教科書を破り、机を汚し、最後は夜会に着るはずだったドレスを切り刻んだ。そしてその瞬間をたまたまローランドや側近たちに目撃され、皇太子妃としての資質を問われ………婚約破棄に至る。
ローランドたちが注意するのは当たり前のこと。自分の婚約者が、将来の国母が下の者を虐めていれば、彼らは注意するに決まっている。見て見ぬ振りは出来ない立場だ。
だが彼女はそれが許せなかったのだ。
では、その後ローランドと男爵令嬢のロマンスが始まったのか、というと、それも違った。
男爵令嬢はローランドだけでは飽き足らず、側近たちにも色目を使ったのだ。
ローランドは彼の人と婚約破棄をしたばかりだったため婚約者はいなかったが、側近たちは皆、婚約者がいた。そしてその婚約者たちは揃って高位の令嬢たち。もちろん、彼女の行動は問題となった。
だが婚約破棄したばかりの皇太子の気持ちを慮り、大事にしなかったのだが……それが良くなかったのだろう。
彼女は先月の夜会で盛大にやらかした。
挨拶のために我が国に来ていた隣国の王子に自分から馴れ馴れしく話し掛け、しなだれ掛かり、胸を押し当て………それはもうやりたい放題だった。最悪外交問題にもなりかねないこの行為に、国王や大臣は大激怒した。
男爵も国王に目をつけられてはどうにも出来ない。
彼女は親にも見放され、ひっそりと修道院へ送られたのだ。
彼女は送られる直前まで大騒ぎし、「ローランドを落としたんだから、隣の国の王子もハーレムに入れられるはずだったのに!」「私がヒロインなんだから、みんな私のことが好きになるはずでしょう!?」「この際ローランドだけでいいわ!ローランドのものになってあげるから修道院へは行かないわ!」などと、不敬な上に慎みもない発言を繰り返していたという。
結局ローランドが彼女の下へ行くことはなく、彼女はそのまま修道院へ送られたのだった。
あれ以来、ローランドは毎日昼休みになると中庭のベンチで何もせず、ただ座っているのだ。
いえ。一見、本を読んでいる。読んでいるように見えるのだが………ページが捲られたことは無い。
きっとひとりでいたいのだろうと思い、そっと触れずにいたのだが、1ヶ月もその状態が続くとさすがに心配になってしまう。
そこで、私は意を決して彼に話し掛けることにした。
私が話しかけたところで元気になるとは思えないけれど、気晴らしにでもなれば……と、思ったのだ。
ベンチに近付くと、ローランドの後方で佇む従者が私に気付く。
今は立場上馴れ馴れしく話したりは出来ないが、彼は昔からの知り合いで、小さい頃はよくローランドと一緒に三人で遊んだものだ。
彼は私が近付くと少し驚いたような表情を見せたが、すぐに頭を下げた。
拒否しないところを見るに、ローランドから『誰も近付けないように』という命令は受けていないようでホッとする。
いや、むしろその困ったような顔から、『主人をお願いします』と言っているようにも見える。
……私の妄想かしら。
「お隣、座ってもいいかしら?」
私が声を掛けると、パッと驚いた顔でローランドが私を見上げた。
相変わらず、美しいお顔ねぇ…。
小さい頃は中性的で女の子と見間違うような美少年だったけれど、今はそこに男性らしさと色気が加わって、思わず見惚れてしまうほど美しい。
風に靡く柔らかそうな金髪は陽の光を反射してキラキラと輝き、鼻梁もスッと通っている。肌もきめ細かく、滑らか。どんなスキンケアをしているのかしら?
瞳は王家特有の紫色。神秘的な、星の瞬きを閉じ込めたような、そんな…言葉では言い表せない色と煌めきで、吸い込まれてしまいそうになる。
驚いた顔すらも美しいってすごいわ。むしろ見開いた目がくりっとしていて可愛い……と、思ってしまう私は不敬極まりないわね。
そんな美しいお顔が、驚きの顔から微笑みへと変わる。この顔をこんなに近くで見るのはいつ振りかしら?
「やぁ、久しぶり。シャーロットから話しかけられるなんていつ振りかな?」
ローランドも同じことを思っていたらしい。それはそうよね。
「ローランドが10歳の時に婚約してからだから、7年くらい……かしら?」
「酷いよね。子供の頃はあんなに一緒に遊んでたのに、婚約した途端に僕のこと避けてさ」
小さい頃とは比べ物にならないくらいかっこよく、色っぽくなったローランドが子供みたいにむくれている。可愛いわ。
「だって最初にあなたとの婚約の話が挙がっていたのは私だもの。仲良くしていたら彼女が嫌な気持ちになるわ」
そう。始め、ローランドと婚約するのは私のはずだった。私も公爵家の令嬢で、小さい頃からローランドととても仲が良かったから。
でも、結局婚約したのは彼女。
どうやら、どうしても王家に嫁がせたかった彼女の両親がいろいろと根回しをしていたらしい。
うちはどうしても王家に嫁がせたいとかは無かったから、そういうことは一切していなかった。だから仕方がないし、悔しいとかは全く無い。友達が遠くに行ってしまったような気がして寂しかったのは事実だけど。
ローランドが婚約してからは出来るだけ接触を避けた。だって自分の婚約者が他の女性と……しかも婚約するはずだった女性と仲がいいなんて気分がいい訳ないもの。
でも、彼女はもう婚約者ではなくなってしまった。
「何の本を読んでるの?」
読んでいないと分かってはいたが、なるべく当たり障りない話題へと変える。
嫌な思い出から出来るだけ遠ざけるために。
「これ?これは『啓蒙的合理主義と歴史主義の両面から見る国富論』だよ」
「難しい本を読んでるのねぇ」
「そんなことないよ。ケーヴィルの本は読んだことある?」
「あるわ!とても身近なところからクローズアップしていて、とても読みやすかったもの」
「この作者はケーヴィルの弟子なんだ。ケーヴィルの思想から派生した彼独自の思想と、全く違う思想を否定せず、その両面から国の豊かさについて言及した本だよ」
「まぁ!面白そうね!」
「今度貸してあげるよ。ちょっと読むのに時間がかかっちゃってるんだけど……読み終わったら貸してあげるね」
「………楽しみにしてるわ」
時間がかかってしまっているのは、きっと婚約破棄のことや男爵令嬢のことで頭がいっぱいだからだろう。
遠慮して気まずくなるのも嫌なので、本を借りる約束を受け入れる。まぁ、ほんの口約束だし、きっと彼の頭は婚約破棄や男爵令嬢のことでいっぱいだろうからすぐに忘れてしまうだろう。
本の流れから、暫くケーヴィルの本や経済の本、政治の本について熱く語り合う。ローランドの知識がとても深くて、つい盛り上がってしまったのだ。
するとローランドが、ふふっと小さく笑った。
「『難しそうな本』だなんて、随分な謙遜だよ。シャーロットも難しい本をたくさん読んでるんじゃないか。そんなにたくさん本を読んでる人はそうそう居ないよ」
「あっ、やだ。こんな話、人とすること滅多に無いから楽しくなってしまって……ごめんなさい。気を悪くしたかしら?」
「えっ?なんでそう思うの?」
「よく家庭教師や両親に言われるの。女が政治や経済に詳しくてどうするんだって。知識のあり過ぎは可愛くないって」
ついつい話が楽しくて夢中になってしまった。
可愛く見られたい……とかは無いけれど、元気付けるために話しかけたのに疎ましく思われていたら、本末転倒だ。
「そんなことを言う人がいるの?僕はそうは思わないけど。むしろ話が合って楽しいし、見聞も広がるし」
「でも普通、それは女性に求めるものではないでしょう?男性同士で盛り上がるものだわ」
「そうかなぁ?じゃあ、女性は何について語るの?」
「ファッションや流行、噂話………かしら」
「それは疲れそうだ……」
「………………………………………………………………ちょっとだけね」
嘘。すごく疲れる。
正直、ファッションの話はともかく、噂話は好きじゃない。
真実もあるのだろうがデマも多いし、何より当人がいないところでその人の話をするのはなんだか気がひける。
「女性の世界も大変なんだね」
「そうね…………。だからまぁ、確かに女が政治や経済について詳しくても、使うところは無いわね」
「うーん、でも知識は一番の武器だから。あって困るものではないよ。それに、使い道は意外なところにあるかもしれないよ?」
「意外なところ?」
にっこりと笑って言うローランドの後ろで、従者がわざとらしく咳払いをする。
「?」
「ごめんごめん、なんでもないよ」
「???」
私が訳もわからず首を傾げれば、ローランドは「うっ」と小声で呻き、片手で口元を隠すと何事かを呟いた。何と言ったのかは聞こえなかったけれど、ほんのり顔が赤い気がする。
「もしかして体調悪い?ごめんね、気が付かなくて」
「えっ?違うよ!?すごく元気だよ!」
本人はそう言うが、慌てているところを見るとかなり怪しい。
心労が溜まっているところに私が無駄に長居してしまって疲れさせてしまったのかもしれない。
「そろそろ昼休みも終わるし、私はお暇するわ」
「えっ!?」
何故かショックを受けたような顔をするローランド。
ローランドは優しいから、私に気を遣わせてしまったと思ったのかしら。
大丈夫の意味を込めて、私は出来るだけ優しい笑みを浮かべる。
「か、かわ………!」
「川?」
「い、いや、なんでもないよ」
何かはぐらかされたような気もするけれど………本当にもうそろそろ休み時間が終わりそう。
私はわざと仰々しく淑女の礼をする。
「では、皇太子殿下。御前を失礼いたします」
礼をしたままローランドを見上げてふふっと笑うと、今度は胸を押さえて蹲るローランド。
やっぱり具合が悪いの?え?違うの?本当に?そう………?ならいいんだけど。
「ねぇ、また明日も話せないかな?」
「え?明日も?」
「ダメ?シャーロットと話していると、心が休まるんだ」
しゅんとした顔で上目遣いにお願いされると弱い。
本当は婚約破棄したばかりのローランドに妙な噂が立たないように、今日一日だけのつもりだったんだけど……二日くらいいいかしら?
「分かったわ」
「っ!ありがとう!明日もここで待ってるね」
満面の笑みで言われてしまえば……まぁいいか、と思ってしまう。
昔から私はローランドに弱いのだ。
そうして、次の日も私達は中庭のベンチで楽しくお話をしたのだが…………。
「え?明日も?」
「うん。この前読んでた本が読み終わりそうなんだ。貸すって言ってただろう?」
「ええ、まぁ、そうだけど………」
「やっぱり、ダメかな……?」
「…………………………………………ダメじゃないわ」
「良かった!」
やはり私はローランドに弱かった。
ローランドのためにも頻繁に会うことは憚られるのだが、どうにも断れない。
そしてローランドもそれを分かっているのか分かっていないのか、その後も「シェフがクッキーを焼いてくれるっていうから」「この論文について意見が聞きたいから」「ケーヴィルの本が出たから」と、なんだかんだと理由をつけて会うこととなった。断れない私が悪いのだけど……。
「今度一緒に夜会に出てくれないか?」
「それは流石に駄目だと思うの」
今回は夜会のお誘いだった。
夜会って、今度開かれる王城の夜会よね?その夜会の中でもとりわけ格式の高い夜会で一緒に出れば、あらぬ噂が立ってしまうわ。
そう説明すれば…またもローランドはしゅんとして、悲しげな仔犬になってしまったわ。
やめてちょうだい。可哀想で頭を撫でたくなってしまうわ。
「でも、僕はあんなことがあっただろう?ひとりで出ていけば可哀想なやつとして見られてしまう」
ごめんなさい。私も今、あなたをそんな目で見ていたわ。頭を撫でたいとか思っていたわ。
「君なら立場的にも前の婚約者と並び立つし、皆が納得する」
「立場的にはそうかもしれないけど、私では力不足だわ」
「?何故そう思うの?」
「だって私、彼女みたいに華やかでもないし、男爵家のご令嬢みたいに可愛らしくもないし」
「それ、本気で言ってるの……………………?」
「当たり前じゃない。私と出たら笑われてしまうわ」
ローランドの元婚約者の方は、輝く金髪を見事に巻いた、青い瞳が華やかなゴージャス美女。
そして男爵家のご令嬢は、ピンクのふわふわした髪に赤色の瞳を持つ、小動物のよつな可愛らしい少女。
「私は何の色もない髪にそこらへんの草と同じ色の瞳の、見た目が地味な公爵家ってだけの令嬢だもの」
「「いやいやいやいや!」」
あら。珍しく従者の彼も会話に参加してきたわ?
「君の髪は銀色!瞳はエメラルドグリーンだよ!」
「目立たない色だわ」
「いや、目立ってるよ!?」
「悪目立ち……………?」
「違うから!!」
らしくもなくローランドが焦っているわ?
でも私の色合いは本当に本当に目立たない色合いで、夜会に出ても男性から声を掛けられたことなどほぼ無い。だから滅多に男性と踊ることはなく、お友達と会話をして帰るのが常なのだ。
「だから公爵家の娘なのに婚約の話も全然出ないの」
「あー、そこを気にしてたんだね………。それは、本当に……………ごめん。虫除けの結果が出てたっていう事実は喜ばしいけど…………ごめん」
「虫?」
虫って何かしら?そしてローランドは何に対して謝っているのかしら?
「兎に角君は誰よりも美しいよ。皆が君に目を奪われる程に。そうだな……君の美しさは妖精のような美しさ、かな。可憐で、神秘的だ」
「ふふっ。お上手ね」
「本当なのに………」
ローランドは口も上手くなったのね。皇太子になるにはお世辞も必要ってことかしらね。
「君の自信をそこまで消失させるとは思っていなかったよ…………本当に申し訳ない」
「さっきから何に謝っているの?」
そして従者は何故ローランドをジト目で見ているのかしら?
「これはやっぱり僕が責任を取るしか………」
「え?なんて?」
「……………いや、なんでもないよ」
よく聞き取れなかったのだけど、満面の笑みで聞くことを阻止されてしまったようだわ。
もう………さっきから分からないことばかりだわ。
「ねぇ、お願いだよ。夜会に一緒に出てよ」
「でも、それは………」
「僕とじゃ、嫌…………?」
「うぅっ」
や、やだ………とうとう垂れた耳と萎れた尻尾が見えるわ。
「ね?お願い」
「で、でも…………」
「君しか頼れないんだ」
「ゔ………………」
私よりも大きいのに、しょぼんとした彼は小さくて可愛い仔犬にしか見えない。私は、私は……………
「あなたのその顔に弱いのよ…………」
「っ!じゃあ……!」
「もう………しょうがないわね」
「ありがとう!!」
「きゃっ!」
ローランドは嬉しさのあまり、思わず、といった風に私を抱きしめた。
やだ、仔犬はどこに行ったの!?すっぽりと包み込まれてしまったわ!?いつの間にこんな立派な男性になってしまったの!?うわぁん!いい匂いがするぅ!!
私は内心パニックだった。
ローランドもやっと自分の行動に気付いたのか、パッと離れる。
「あっ、ごめんね!嬉しくて、つい」
「い、いえ………………大丈夫よ」
自分でも分かるくらい赤くなっていて、顔が上げられない。
だって仕方がないじゃない!私、男性に免疫がないんだもの!
まだ赤いものの、いつまでも俯いてはいられないと、顔をそっと上げれば。
「?」
一瞬だがニヤリと笑ったローランドの顔が見えた気がしたのだけど………気のせい、かしら?今はいつものにこやかな顔だわ。
「ドレスは僕が贈ってもいい?」
「ええ………………あ、いえ!そこまでしてもらうわけにはいかないわ」
ついボーッと考え込んでしまっていたわ。
「僕がお願いしてるんだ。ドレスは贈らせて?」
「で、でも、婚約者でもないのに………」
「僕に格好つけさせてよ。ね?」
「…………………………………………分かったわ」
そんなに可愛くお願いされては断れないわ。
「ありがとう!」
「ふふっ。お礼を言うのは私の方でしょう?」
「そんなことないよ。夜会、楽しみだね!」
「ええ、そうね」
満面の笑みで言われれば、細かいことはもうなんでもいいや、という気持ちになってしまう。
私はローランドに弱いのだ。
***********
「すごく………すごくすごく、綺麗だ………………!」
「ありがとう。ローランドも格好いいわ。でも、このドレス……」
「家まで迎えに行きたかったな………ごめんね、ひとりで来させてしまって」
「いいのよ。こんなに格好いいローランドとふたりで馬車に乗ったら、私緊張してしまうわ。でも、このドレス………」
「の、乗りたかった…………………………!」
「うふふ、何言ってるの。それよりこのドレスがね?あ、ちょっと?聞いてる?」
さっきから聞こう、聞こうとしているのに私の聞くタイミングが悪いのか、全然聞けないわ。
ローランドの今日の装いは、白の夜会服。銀糸で縁に細かな刺繍が施され、カフスなどのポイント、ポイントにはエメラルドグリーンがおかれている。
そしてローランドに送ってもらった私のドレスも白色。ふんわりとしたシフォン生地が幾重にも重ねられ、可憐さと可愛らしさを演出している。白地を彩る刺繍は金色で、身につけたアクセサリーや、ドレスに縫い付けられた宝石は紫色。
ねぇ、これってもしかして、私の自意識過剰でなければ……………お互いの髪と瞳の色、よね?元婚約者の方もローランドの色のドレスはお召しになってなかった気がするのだけど………私がこのドレスを着ても大丈夫なのかしら?私、婚約者でもないのに。
………………と、聞きたいのにずっと聞けずにいるのだ。
ローランドとは会場の入口でついさっき会ったばかり。彼の装いを見て、自分と対になっていることに初めて気付いたのだ。
私達の格好を見たら、きっとみんな誤解してしまうわ。
「やっぱりダメな気がするわ。…………うん、やっぱり今日は欠席しま…………」
『ローランド・ランゲルス皇太子殿下、シャーロット・ルーバイム公爵令嬢!』
ど、どうしましょう!?もう呼ばれてしまったわ!こんなことになるならもっと早めにローランドと合流すれば良かったわ!そうしたら着替えるなり帰るなり出来たのに………!
私の焦る心の内など知る由もなく、ローランドが輝くばかりの笑顔で私の手を引く。眩しい!
「さぁ行こうか、シャーロット」
「あ、いえ、でも……」
ガチャッ。
あぁ!無情にも目の前の扉が開いてしまったわ!?こ、これはもう、とぼけるしかないわ………!
私はローランドに手を引かれ、何食わぬ顔で会場へ入る。内心はパニック&冷や汗ダラダラだけど、貴族の笑みを貼り付けて、優雅に。お淑やかに。
「みんな君を見てるよ」
「…………………………………………でしょうね」
ちょっと返答が恨みがましくなってしまったのは仕方がないと思うの。
手を引かれたまま、フロアの中央へ進む。め、目立つ………!
「一曲ご一緒願えますか?」
「………喜んで」
としか言えないわ!だってこんなフロアの真ん中で、皇太子を振るわけにはいかないじゃない!それにしても誘う仕草が格好いいわね!んもうっ!
タイミングを見計らって音楽が流れ出し、私達は流れるように踊りだす。流石、皇太子。リードが上手いわ。
「気軽に自分の色のドレスを贈るものじゃないわ」
踊りながら、ローランドにだけ聞こえるように囁く。
「ごめんね、嫌だった?」
「嫌………ではないけど、そういうことじゃなくて。皆が勘違いしてしまうわ」
「勘違い」
「私達は恋人でも婚約者でもないのに」
嫌ということはないわ。本当よ?でもローランドは皇太子。変な噂が立つのは良くないわ。ただでさえ今は婚約破棄に男爵令嬢とのスキャンダルに騒がれている真っ最中なのに。将来の信用に関わるわ。
「わざとだとしたら、どうする?」
「えっ?」
わざと………?何を言っているの?
私が問おうとした瞬間、くるりとターンさせられる。んもうっ!これこそわざとね!?
そして、曲が終わり礼をする。
先程の話があやふやになってしまって、私がジトリと睨むも、ローランドはしたり顔でニヤリ。
「もう一曲踊ってくれればお答えするよ?」
「…………………………………………遠慮しておくわ」
一度の夜会で二曲踊れるのは配偶者か婚約者のみ。ここで踊れば私が新しい婚約者と見なされてしまう。
「残念。僕は踊りたかったな」
「それは、どういう………?」
「失礼。ローランド皇太子殿下、ご挨拶よろしいですかな?」
ローランドに真意を問う前に、彼に挨拶をしたい人たちが集まってきてしまった。
「もう一曲踊りたかった」とはつまり、ローランドは私と婚約者になることを望んで………るわけ、ないわね。
「私は休憩しているわね」
「えっ?ちょ………!」
このままローランドの隣にいては質問攻めにあってしまう。私は小声で伝えると、そそくさと彼の側を退く。壁際に……行ってもきっと誰かに捕まるわね。ここはバルコニーに避難しましょう。
「ふぅ」
途中、シャンパンのグラスをもらって外へ出ると、春の優しい風に頬を撫でられ、気持ちが和らぐ。徐ろにシャンパンを月にかざせば、ふわりふわりと軽やかに輝く泡が空に昇る。
「なんだか夢のようだわ……」
「私もよ」
私の小さな独り言に力強い相槌が打たれ、驚いて振り向けば………そこには、ローランドの元婚約者が。
家柄も良く、まだ学生。そして男爵令嬢に直接手を出してはいないことから、婚約破棄はされたものの罪には問われていない。だがまだ謹慎処分中のはずだ。なぜここに……?
「あなた、人の場所を奪っておいて随分と楽しそうね。こんなの、悪夢だわ」
「………私は奪ってなどいませんわ」
「よくも、ぬけぬけと………!」
こ、怖いわ!!!!!!!
彼女は親の敵かのように私を睨みつけ、拳を握りしめている。時折ギリリと聞こえるのは奥歯を噛み締める音かしら!?!?
「ローランドの隣は私のものなのよ!それなのにあんたなんかに………!しかも、そのドレス!!婚約者でもないくせに!!」
その点につきましては至極ごもっともでございます!!!私も自分がこのドレスを着るのはオカシイと思ったんです!思ったんですけどぉ!!
「皇后になるのはこの、私なのに!!皇后になって皆に傅かれるのは、この、私なのに!!」
「……………えっ?」
「将来ローランドを傀儡にして、我が公爵家がこの国の頂点に君臨するはずだったのに!」
「ええっ!?」
その発言は駄目じゃないかしら!?公爵家の方々の謀反を疑われてしまうわ!?
もしかしてあなたローランドが好きで男爵令嬢に嫌がらせをしていたんじゃないのね!?確かに大昔に皇太子が平民と結婚した例も一度だけあったけど………あれは例外よ!?あの代の国王の権力が強すぎたから叶ってしまっただけで、今、あれをやったら国王もただでは済まないわ!?現にあの時の国王も、すぐに失脚しているわ!?
「あの小娘が邪魔しなければ!…………いいえ、お前さえいなければ今頃私はローランドの隣に戻れたのに!!」
「それは違うわ」
「なっ!?」
私が反論したのが意外だったのか、驚いた顔をしたあと………の、睨み、怖い!!!!!!
「あなたはもう、ローランドの横には戻れないわ。皆に罪が露呈してしまったもの。皇后には相応しくないわ。例え人に奪われようと、力尽くで奪い返してはいけなかったのよ」
「そんな綺麗事………!」
「綺麗事?いいえ、違うわ」
私はニヤリと笑う。出来るだけ悪い顔に見えるように。
「あなたは堂々としていれば良かったのよ。何も無ければそのままローランドと結婚して、将来皇后になったのはあなた。万が一ローランドがあの男爵令嬢に心変わりしたなら公爵家の権力を以てして、ローランドを訴えればいい」
「訴えたって何も変わらな……「変わるわ」
私の突然の威圧感に狼狽える彼女の言葉に言葉を被せる。そしてバサッと扇を広げ、口元を隠す。目元は半月状に細め、彼女を見下ろすことも忘れない。
「公爵令嬢を差し置いて浮気などした者に付いていく者はおりません。他の家も黙ってはいないでしょう。そうなればローランドは失脚」
「失脚してしまっては、私は………!」
「あら、お忘れ?王家に現在、男児はローランドだけ。彼が失脚すれば、自ずと次に白羽の矢が立つのは………」
「私の、弟………?」
「その通り」
だってローランドのせいであなたの名誉が傷つけられるんだもの。王家の血筋である、あなたの家門から次の皇太子が出るのは自然の流れ。悔しくとも、あなたが皇太子の婚約者となった時点で、他の家は何も文句は言えない。
「だからあなたは堂々としていれば良かったのよ。だってあなたの婚約は契約。理不尽に権利を奪われるようなことはあってはならない。そして女にうつつを抜かして契約違反するような主導者を我々は許さない」
「そんな………」
彼女は公爵令嬢。王家の次に尊い出自なのだ。
彼女が拘っていたものが「ローランドの愛」なら話は変わってくるが、彼女が拘っていたのは権力。例え皇太子が真実の愛に目覚めようと、我が国から彼女が一方的に蔑ろにされることはない。彼女は自分で自分の権利を捨ててしまったのだ。
あんなにも握りしめられていた拳は、今は力なく垂れている。私はゆっくりと近付き、そっと彼女の手を両手で包み込む。
「あなたは謹慎処分になっただけ。まだやり直せるわ」
「そんなわけないじゃない。だってもう、ローランドの婚約者には戻れないんだもの」
「我が国に拘らなければいいのよ」
私は悪い顔を解き、にっこりと笑う。
「先月来てた隣国の王子、知ってるでしょう?彼、昔からあなたのことが好きなのよ」
「………………………は?」
「ローランドの隣にいるあなたをいつも切なそうな顔で見ていたのよ」
「…………………………………は?」
「隣国の皇后を目指すのもいいんじゃないかしら!」
「……………………………………………………ええっ!?」
あらやだ、お顔が真っ赤!
「もしかして、貴方も彼のことを………!?」
「んなっ!?いえっ!そそそ、そんなわけ……!」
「キャー!そうだったのね!やだ、両想い!?素敵!!」
「いえ、でも!本人から言われたわけじゃないし!そ、それに私なんて……問題を起こした公爵令嬢だし………」
しょぼんと項垂れていく彼女。やだ、可愛い。
「大丈夫!言わなきゃバレないわ!」
「えっ!?バレるわよね!?」
「バレないわよ。学生のいざこざなんて隣国にまで届かないもの」
「そんなわけないでしょう!?」
「あなた………」
私はスッと目を細める。明らかにビクッとする彼女に、わざとやっておいて少し傷付く。
「先程の勢いはどこにいったの?あなたの覚悟はそんなもの?」
「!」
「国の頂点に立ちたいならば、それくらいの覚悟を持ってるんでしょう?」
「そ、そりゃ…………!」
うろうろと彷徨っていた目が、力を宿して真っすぐ私を見据える。
「分かったわ。彼の心が本当に、わ、私に向いているのかどうかは、ともかく、として………」
吃った。可愛い。
「私、諦めないわ」
「ふふっ。あなたは凛としてる方が素敵よ」
まるで一輪の薔薇ね。素敵。
だがすぐに凛とした雰囲気から一転、もじもじと何か言いにくそうにし始めた。これもこれで可愛いわ。
「そ、その…………八つ当たりしてごめんなさい」
「いいのよ、気にしてないわ」
「本当に?」
「もちろん!」
「それでその、こんなことしておいてこんなこと言うのもなんだけど、良ければ、その………私と、お、お友達になって、くれない………?」
「まぁ!もちろんよ!」
やったわ!美し可愛いお友達をゲットしたわ!
私がほくほくとしていると、コツコツと足音が近付く。
「話はまとまったのかな?」
「ローランド」
実はかなり序盤から彼が居たことは知っていたが、ここでローランドが出てきては大事になってしまうと判断し、視線で制止していたのだ。
彼女は想定外の展開にかなり狼狽えている。ここは友達の私が助けてあげなくては!
「大丈夫よ。あなたがここにいることは私達以外誰も気付いてないわ。言わなければ大事にはならないわよね?ローランド」
「ははっ。シャーロットには敵わないな」
笑顔で圧を加えれば、ローランドは困ったように笑い、了承してくれる。
でもきっと彼は最初から大事にするつもりなど無かったはず。だってこの場にはローランドと従者しか入ってこなかったもの。きっと誰も入らないように配慮してくれたんだわ。
「令嬢にこれを預かっているんだ」
「これは……?」
「隣国の王子からのラブレターだよ」
「えっ!?」
隣国の王子からのラブレターを、元婚約者であるローランドが持ってくるって………どういうこと?
私達の疑問を察知したのか、ローランドが説明してくれる。
「実はね、この前の夜会で彼に言ったんだ。『婚約破棄したけどどうする?』って。そうしたら後日、この手紙を預かってね。本当は本人に会って話したかったらしいんだけど、まだ君は謹慎処分中だったから、やむなく手紙を僕に託したんだ」
「えっ……!てことは、私のしたことは全部………?」
「あぁ、話したよ」
「そ、そんな………!」
顔を青くしている彼女。でも、知っててラブレターをくれたんだから、何の問題も無いのではないかしら?
現に震える手で手紙を読み始めた彼女の青かった顔は、読み終える頃には鮮やかな赤へと変わっていたから。
「へ、返事を書くために早く帰らなくちゃ……!」
「うふふ、良かったわね」
「ええ、本当に………ありがとう」
「私は何もしてないわ」
「あ、ちょっと待って」
帰ろうとした彼女を呼び止めたのはローランド。
ローランドは彼女にずいっと顔を近付けると、それはそれはいい顔で笑った…………のに、なぜ背筋がゾクッとするのかしら?
そして耳元へ何事かを囁いた。
『今回はシャーロットに免じて見逃してあげる。でも次またシャーロットに絡んできたら……………殺すよ?』
「っ!!」
彼女は一気に顔色を悪くし、「ははっ……最初からこの国の皇后は無理だったのね」と、自嘲気味に笑った。ローランド、何を言ったの?
その後彼女はくるりと私を見ると、「あなたも大変ね……」って、え?何が?
「今後、あなたに何か困ったことがあったなら、我が公爵家が出来得る限り力になるわ」
「そんな、公爵家でだなんて……!」
「その時は必ずお父様を説得してみせるわ」
「…………ありがとう。そんな大事件が生涯起こらないことを祈るわ」
「大事件でなくとも力になれるわ?後ろ盾とか」
「どういう状況かしら…………」
私が目で問うも、にっこりと笑顔でかわされてしまったわ?そしてなぜかローランドは満足そうな顔。
「とりあえず今日は失礼するわ。シャーロット嬢、またね」
「ええ、また!」
手を振ると………えっ!?そこから帰るの!?大丈夫?え?来たときもそこから来た?あー……気をつけてね?お茶会?あ、うん。行く行く。行くから前見てちょうだい。危ないわ。
彼女はバサリとバルコニーの柵を超え、するすると木を伝い降りて…………何事もなかったかのように優雅に帰っていった。………嘘でしょ。ギャップ萌えが過ぎるわ。
「流石シャーロットだね」
「え、私?」
すごいのは彼女では?まるで間者だ。
「また人を誑し込んだ」
「誑し込むって………なんだか人聞きが悪いわね?」
「皆君を好きにならずにいられないんだ。罪だね」
「ふふっ、何よそれ。皆私を好きになってたら、今頃婚約者のひとりやふたりいたはずよ」
私は肩をすくめてみせる。
本当は婚約者なんて欲しいとも思ってはいないけど、あまりにも声を掛けられなさすぎるのも悲しいものがあるのだ。そう説明すれば、ローランドがにっこりと笑う。
「ねぇ、シャーロット。君は政治や経済に明るくて、人の気持ちに敏感で、荒事を収めるのが旨くて、人誑しだ」
「褒めてる?貶してる?」
「そんな君に、ぴったりな婚約者候補を紹介するよ」
「えっ?」
ローランドからの紹介。それはきっとローランドも認めるちゃんとした人なんだろう。そうなんだろうけど、なんだか………
「………………遠慮するわ」
「何故?」
「だって…………………」
あぁ、何故かしら。泣きたくなってきてしまったわ。淑女として、人前で泣くわけにはいかないのに。
「あぁ……ごめんね、シャーリー。泣かないで?」
「泣いてないわ………」
ローランドが私を愛称で呼ぶ。そしてそれはそれは嬉しそうにどろりとした笑顔を浮かべ、両手で私の頬を包み込んだ。
「シャーリーは悲しいんだね?僕に婚約者を紹介されるのが。そうなんだろう?」
「………………………」
違う、とは言えない。だって違わないから。何故?と聞かれると分からない。分からないけれど嫌なのだ。
すると増々ローランドは嬉しそうに笑む。その表情はとても甘ったるくて、溶けてしまいそうな錯覚を覚える。
「ねぇ、僕が紹介しようとしていた人が誰だか気にならない?」
「気にならないわ」
「ふふふ、そっか。気にならないか。でも聞いて?その人はシャーリーのことが大好きで大好きで、何としてでもシャーリーを手に入れようと、ずぅっとずぅっと画策していた人なんだ」
「……………そんな酔狂な人いないわ」
「いるよ。ここに」
「………………………………………………?」
ここには私とローランドしかいない。私は首を傾げる。
「あぁ、シャーリー可愛い」
「可愛くなんてないわ」
「可愛いよ。世界一可愛い。大好きだよ、シャーリー」
「…………えっ!?」
ローランドが、私を?嘘でしょう?
「嘘じゃないよ。ねぇ、シャーリー。僕以外から『好き』を求めないで?僕が、僕だけがずっとずっと君を好きでいてあげるから。ね?お願いだよ」
「え、待って。頭が追いつかないわ」
「君はただ『はい』って言ってくれればいいんだ」
「ええ………」
はいって言ったらどうなるの?私はローランドの婚約者になるってこと?
「でもそうしたら私がローランドのお嫁さんになってしまうわ」
「嫌?」
「嫌とかそういうんじゃなくて………」
「じゃあ、お願い。シャーリー…………ね?」
「ゔっ」
「ねぇ、僕ともう一曲踊って?」
しゅんとした仔犬のようなローランドが、ダンスに誘うように手を差し伸べる。その潤んだ瞳には確かな不安が見える。そんな顔、ずるいわ。
私は観念し、その手に自らの手を重ねる。
「……………喜んで」
「っ!ありがとう!!」
ローランドは弾けるような笑顔を浮かべた。
その笑顔に、胸がキュッと苦しくなる。
私はローランドに弱いから、仕方がないのだ。
そういうことにして、今日も私は自分に言い訳をする。
………結局私はローランドといたいのだ。
私達は、再び手に手を取り合って、キラキラと輝くホールの中央へと移動する。皆の視線が集まるのを感じる。
「やっと捕まえた」
「やっとって………」
「シャーリーは僕がずっと手をこまねいて見ているだけだったと思う?」
「え?」
「これは偶然ではなく、必然的な結果だっていうことだよ」
「…………どこからあなたの仕業なの」
「さあ?どこだろうね?」
「えぇ…………?」
ローランドの気持ちを知った今だから分かるのは、夜会のエスコートも対になったドレスも、恐らくわざとだったってこと。
ローランドはそのことを言っているのではなくて?もっと以前からあなたの仕業だったこと?もしかして婚約破棄も………?って、まさかね。
「あとは君に僕を好きになってもらうだけだ」
耳元で囁かれた言葉が甘すぎて、クラクラする。
ローランドが見たこともないほど嬉しそうに笑うから、まあいいか、と細かいことはどうでも良くなってしまう。
やっぱり私は、ローランドに弱いのだ。
ローランド側からのお話も投稿する予定でしたが、ちょっと悩み中……。
需要がありそうでしたら書こうと思います。
優柔不断ですみません。書くスピードが遅いもので……。
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