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第9話 塞翁が馬



 ***



 舞踏会当日、宮廷楽士が美しい音色を奏でていた。人々はその音色を聞いて、ある者は聞き入って、ある者は音色に合わせて優雅にダンスを踊っていた。


 色とりどりのドレスが裾を揺らし、なんとも言い難い幻想的な風景を創り出している。


 そしてクロエもその中の一人。青を基調としたドレスに、首元にはダイヤが輝き、ブロンズの肩までの髪も少し編み込まれて少し凝った髪型になって目を引いた。


「クロエ様今日は一段とお綺麗ね」


「だってほら、ジョエル王子からプロポーズされたそうじゃない」


「じゃあやっぱり結婚をお受けするのね」


 人々は密やかに噂していた。そしてとうとうジョエル王子本人が現れて、美しい顔には優しげな笑みが浮かんでいる。


「一曲踊って頂けますか?クロエ嬢」


「ええ、勿論」


 クロエは優雅な仕草でジョエル王子の手を取った。申し込まれたダンスは断らない。クロエは慣れた足取りでワルツを踏んだ。


 裾の長さなど、苦ではない。彼女には己を魅せる道具なのだ。ここまで堂々としたダンスを踊れる令嬢は、今夜の舞踏会でも指折りの数だ。


 そして曲が終わると、まるで空気を読んだかのように少しの間が空いた。ジョエル王子もこのタイミングを逃さない。


「クロエ様、この前のプロポーズの答えを聞かせて貰えますか?」


 もう一度、この前のようにひざまづいたジョエル王子に、クロエはニッコリと微笑んだ。


「王子、残念ながら答えはノーです」


「え?」


 そう驚いたのはジョエル王子、そして周りの人間も同様だった。まさかそんなありえない、と。


「ごめんなさい、私には想い人が居ます。それに───いかに王子と言えど、たかが数回あったくらいで私を落とせると思ったら大間違いよ!!」


 赤い薔薇のような唇を吊り上げて笑ったクロエは、誰がどう見ても悪女にしか見えなかった。


「私は安くないのよ、ジョエル王子」


ジョエル王子は一瞬ポカンとして、眉を下げて苦笑した。明らかに言葉に困っていた。


「気持ちは変わりませんか?」


「ええ。これっぽっちも」


 クロエの意思は揺るがないと知って、ジョエル王子は立ち上がった。


「そうですか。非常に残念です、是非我が国で女神となったあなたと婚姻を結びたかったのですが・・・・・・」


「いいえ、きっとこれで正しいのです。だって私は女神なんかじゃなくて、本当は悪魔ですから」


 だから気に病むことなく次の女性に行って下さいね、と心の中で付け足しておいた。


 言うまでもなく、フリーとなったジョエル王子を令嬢達が野獣のような目で狙っていた。ジョエル王子の頭からはクロエの存在はすぐに消えてしまうだろう。



 ***



「ぐす、ぐす・・・・・・」


「自分の言葉で傷付くなんて。それなら最初から言わなきゃ良かったのに」


 ゲルトは呆れた目付きでクロエを見やった。舞踏会の会場から外に出て、城の中庭で涼んでいたところ、クロエはポロポロと泣き出した。


「だってぇ・・・・・・私か悪役にならないとジョエル王子に恥かかせちゃうじゃないの。それにあの人は本当に慈悲深いわ。私あの場で殴られることも覚悟していたのに」


まさかあんなにすんなり引き下がってくれるなんて思わなかった。


「でもよりによって、あの時近くにロジェが居たとは」


 ゲルトの言葉にクロエは頭を抱えた。そう、あの悪女っぷりをしっかりロジェは視界に収めていたらしい。ジョエル王子から離れようとした時バッチリ目が合った。何故今、よりによって今、この近くを通らなくてもよかったのに。


 ゲルトがしゃがんでクロエの涙を拭った。


「あんまり泣いてたら目が腫れますよ」


「どうせこの後は帰るだけだもの・・・・・・」


 と、言っていると背後から、


「───じゃあ俺と踊らなくていいんですか」


「ろっ、ロジェ!?」


 驚き過ぎて声がひっくり返った。


「どうしてここに?はっ!ゲルトあなたね!」


 ゲルトは面目なさそうに謝った。


「申し訳ございません。まさか泣いてしまうとは思っておらず、サプライズのつもりで『時間があったらクロエ様とダンス一曲だけお願いします』と言っておいたんですが・・・・・・」


「そういうことならサプライズじゃなくてちゃんと報告しなさいよね!あーもうどうしよう、目も鼻も真っ赤だわ!?」


 目元も鼻も熱を持っている。ギャーギャー騒いでいるとロジェはきびすを返した。


「忙しそうなので帰りましょうか」


「あー!待って待って!一曲お願いします!」


 裾を掴んで引き止めると、渋々ながらも手を出して貰えた。


「私と踊って貰えますか?」


 クロエは指で涙を拭って、精一杯微笑んだ。


「喜んで!」


 微かに聞こえてくる音楽、月明かりの下は誰にも邪魔されない特等席だった。


「今日はどうして踊ってくれるの?ドレスでも酷い顔だから、女々しい基準には当てはまらない?」


「女々しいっていうのは服装とか見た目の話じゃないんですよ」


「え、そうなの?」


 正直髪を切ったのは少し惜しいと思っていたので、ちょっとだけショックだった。


「でもそうですね、学園を卒業したあなたは、何か変わったと思います」


「え、じゃあ私と結婚───」


「しません」


 ばっさりと切り捨てられたが、今日はそれほど悲しくなかった。まだまだロジェの攻略には程遠いが、スタート地点くらいには立てただろうか。


 そんなことを考えながら、今日は彼の顔を間近でとっくり見つめていたのだった。


(美しい・・・・・・)


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