第7話 リリアーナという少女
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今日も今日とて城の演習場へと向かう道中、いつもならウキウキと心躍らせているが、今日のクロエは珍しくしょんぼりした顔で歩いていた。
「ねえ、ゲルト。やっぱり私、あと四十年は想いが通じなさそうよね」
クロエの発言にゲルトは眉を上げた。
「やっぱりヘクター様の言葉気にされているじゃないですか」
ヘクターの言葉がクロエの脳裏によみがえる。
「ロジェは好きになってくれない、か・・・・・・」
確かに、追いかけても追いかけてもロジェは振り返ってはくれない。それどころか鬱陶しそうな顔をする。
しかし好きになってくれないから他の人と結婚するというのもどうなのだろうか。何よりクロエ自身、隣国の王子とはいえ、ジョエル王子にはこれっぽっちも興味が無い。
(好きでもないのに追いかけられるって迷惑なのね。今ならロジェの気持ちが分かる。・・・・・・分かりたくなかったけど)
と、思いつつもロジェの鍛錬を覗く為にオペラグラスを用意する。
「あれ?居ない」
ロジェどころか今日は人数も特段少ない気がする。
「───ロジェ達なら今日は遠征に行っていますよ」
「きゃぁぁぁ!?」
突然声をかけられてクロエは思わず尻もちを着いた。仰ぎ見てみると、そこにはサファイアのような青く美しい瞳。細くて柔らかい髪が風で揺れていた。
「お久しぶりです、クロエ様」
「リリアーナ・・・・・・」
にっこり笑う彼女にクロエはムッとして、ゲルトの手を借りて起き上がった。
「何しに来たの」
「クロエ様がロジェを捜してそうだったので」
ニコニコとしながら言う。この笑顔と愛嬌が愛される秘訣なのだろうか。彼女はロジェの好きではないピンクやリボン、レースの可愛いドレスをまとっている。それでも彼女はロジェの『特別』なのだ。
「いいわよね、あなたは。ロジェに愛されていて」
リリアーナは答えに困ったようで、話を変えた。
「それより、先日のジョエル王子のプロポーズどうなされるんですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
クロエは黙った。つくづく人の癪に障る話題を持ち掛けてくる女だ。
「まさか、お受けになるんですか?」
彼女の焦った表情に、クロエは眉をひそめた。
(どうしてあなたがそんな顔をするのよ)
思わず怒りそうになった自分にハッとした。いけない、平常心平常心・・・・・・。
「ゲルト、少しリリアーナと二人にして」
「かしこまりました」
ゲルトが少し離れた所で待機したのを見届けて、クロエは本題に入った。
「あなた言ったわよね、この世界の全ては定められていて、あなたはそれを知っていたと」
「はい」
ゲルトを離したのはこの話をする為だ。別に口止めをされた訳ではないが、この話はあまり他の人間には言わない方がいいと理解していた。
「ならどうしてロジェに、自分を好きにならせたの?あなたはユーグ王子が好きだった。ならユーグ王子だけでいいじゃない。どうして二人に愛されたのよ」
クロエは困ったように眉を下げ、目蓋を伏せた。
「実はこの世界は、どう行き着いても誰かが不幸になる運命だったんです。その中で唯一、ユーグ王子と私が結ばれることで誰も死なずに終えることが出来たんです」
「だからそうするにはロジェの恋心は必然だったと?」
「・・・・・・クロエ様には申し訳なく思っています」
クロエはせせら笑った。こんな同情ほど惨めなものはない。
「じゃあ誰も死なせない為にユーグ王子を選んだの?本当はユーグ王子を愛していないということ?」
「そういう訳ではありません」
「そういうことじゃない!」
クロエは腹の底が煮えくり返っていた。平常心はどこかに消えた。
「あなた本当はロジェが好きなんじゃないの?だから平和的解決をしたフリをして、ユーグ王子もロジェの心も手に入れた、違う!?」
言ってからものすごく自分が嫌になった。なんて自分は醜いのだろう。こんなのただの嫉妬と八つ当たりだ。汚くドロドロする心が息を荒くした。
「───違います」
リリアーナの真っ直ぐな目が痛かった。
「随分ハッキリ答えるじゃない」
何を根拠にしているのか聞いといてあげようと思った。
「だって私本当は・・・・・・本当はヘクター様をお慕いしていました!」
「へ・・・・・・?ヘクター?」
目をぱちくりさせた。聞き間違いか?いや確かにリリアーナは『公爵ヘクター』と言った。
「何故驚かれるんですか!あの髭と悠々と歩く姿、いつ見ても惚れ惚れしませんか!?」
「しないわ」
クロエの即答にリリアーナはふらついた。
「どうしてですか!?クロエ様なら絶対分かって下さると思ったのに・・・・・・」
「あー・・・・・・」とクロエは理解した。
(この子もあの一定のファン層だったのね)
時々いるのだ、ダンディとか余裕のある男とか名前を付けてしまう人間が。
「残念ながら私にはヘクターの良さは分からないけど、なら、尚更ユーグ王子とのことはどうするのよ」
「確かに私好きだったのはヘクター様なんですが、でも一緒に過ごしていく内に段々とユーグ王子の良い所も見えるようになって、最終的にユーグ王子のことが好きになったんです。それにヘクター様は、見てる分にはいいんですが、実際会うとその・・・・・・」
「酒臭いものね」
「ノーコメントで」
クロエは息を吐いた。
(この子にはいつも驚かされることばかりね)
誰があんなクソ公爵が本命だったと思うだろうか。
「なら、今は本当にユーグ王子が好きなのね?」
「勿論です」
この即答だけで十分だった。クロエはちゃんと、リリアーナがユーグ王子を愛していることを心のどこかで分かっていたから。
(でなければ、私にこの世界の秘密なんて言わないか)
あの時、それだけリリアーナが切羽詰まっていたということだ。




