酔いどれの公爵
何の催しだったかは覚えていない。彼は初めて少女に出会った。
「は、はじめまして公爵殿下。伯爵家のクロエにございます」
令嬢はまだ五才だった。緊張で顔を赤くしながら小さな体で丁寧にお辞儀する彼女は、それはそれは愛らしい顔をしていた。二人を囲んでいた皆は彼女を微笑ましい顔で見ていたに違いない。
───当の公爵以外は。
「ぜんっぜんなってねぇな、このちんちくりん」
ヘクターの言葉にクロエは一瞬何を言われたのか理解出来ずに絶句した。彼女がマヌケにもあんぐりと口を開けた顔は、多分人生の中でも屈指の思い出に残っている。
「いいか?ガキがかしこまって『公爵殿下』なんて呼ぶんじゃねぇ。ヘクターで十分だ。あと手ぶらで挨拶に来るな、ボトルで酒持って来い」
辺りがざわめく中、ヘクターは手に持っていたワインを呷った。せっかく練習した挨拶を無下にされたクロエはわなわなと震えていた。
「なんなんですかあなた!それが王族のたいどですか!」
「王族だから許されるんだ」
「おうぼうだわ!?」
「覚えとけ、世の中の男はみんな横暴なんだよ」
ヘクターはグラスを置いたかと思うと突如クロエを天高く抱え、その場でぐるぐると回転した。よくある親子の微笑ましい感じではなく、物凄い勢いでクロエを振り回した。
「きゃぁぁぁ!」
「ハハハハハッ!」
周りも止めようにも勢いが強過ぎて誰も近寄れなかった。
後々これがクロエのトラウマとなり、ヘクターのことが嫌いになる直接の原因となった。そしてこれ以降、クロエの中で『偉い人には強気でいかなくてはならない』という精神理念が出来、今のワガママ性格が完成するのである。
(・・・・・・夢か)
ヘクターはベッドから起き上がった。今日は横に誰も居ない。一人で眠ったからこんな夢を見たのかもしれない。
けれども夢にクロエが出てくるのは珍しかった。
(いつも見る夢はあの人なのに、クロエが五才だから亡くなった後だな)
ヘクターは水差から水を入れて、グラス半分くらい飲んだ。
人が居ないと途端に昔の夢を見る。何度も見切りをつけても、つけたつもりになっていて、過去と決別出来ない。だから色んな女と寝て、酒を呑んで気を紛らわせる。
そんなことを繰り返していたバチが当たったのか、結婚だけはどうしても出来なかった。気持ちが前を向かなかった。国王にどれだけ言われても、どんな美女に迫られても(寝たが)、結婚する気になれなかった。
ヘクターの心は、ある一人の女がかっさらっていった。
「とんだ女に引っかかっちまった・・・・・・」
人生において何度も口にした言葉だ。ヘクターは部屋を出た。
※※※
クロエの母の名はレベッカ。彼女が二十歳の時に出会った。クロエと同じ色の髪をしていて、腰まで伸びたその髪が風に流されていた。
振り返ったレベッカを見た時、人生で初めて一目惚れした。まさかもう結婚して伯爵夫人だったなんてことは、一週間も後に知った。どうして最初に手元の指輪に気付かなかったのか、死ぬほど悔やんだ。
その一週間で、ヘクターはレベッカのこと以外考えられなくなった。なにせヘクターもその頃十四の少年で思春期真っ盛りだ。理性など皆無。熱病とはまさにこのこと。
学園時代クロエが思春期で荒れていたというのも、思春期なら仕方ないなと思うので、ヘクターがクロエを責めたことはない。
レベッカは冷静沈着で、ヘクターのことは弟か親戚の子供くらい思っていたに違いない。どれだけアプローチしても軽く流された。多分今なら五割くらいの確率で落とせる自信がある。あの頃は駄々をこねるガキと同等だと思う。
どうしても諦められなかったヘクターは、彼女がいつか離婚して自分と結婚し直すかもしれないだなんて夢を見てしまったものだ。一人目の子供が産まれても、一人ぐらいなら取り返しがきくと思っていた。なんの取り返しかは分からない。思春期だから。
なのに二人目を産んですぐに亡くなってしまうだなんて、あんまりだと思った。涙が止まらなかった。しばらくは誰の顔も見なかった。
善神などありはしない。レベッカを奪ったのは悪魔だ。そして悪魔は自分に心の傷と永遠の孤独を与えた。
レベッカが遺したのは彼女の同じブロンドの娘と、彼女に似た性格の息子。二人を見ていると苦しみを倍増させられる。
二人のせいで彼女が死んだとは思わない。でも、好きだった人とその恋敵の子供なんて見てられない。だと言うのにクロエのブロンドを見ると嫌でもレベッカを思い出す。クロエの先に居るレベッカを見たくなる。
だから彼女の髪を切ったゲルトが憎くてたまらない。勿論彼のせいではないが、とにかく誰かに責任を擦り付けたい。そうしてようやく自分の心の均衡をとれるのだ。ディオンの気持ちが少し分かる。・・・・・・しかし個人的にゲルトとは合わないとも思っている。
初めてクロエと会った時、馬鹿だなぁと思った。
「ぜんっぜんなってねぇな」
心の底から思った。
(そんなオドオドしてるんじゃねぇ)
天国で見てるレベッカが心配してしまう。もっと堂々としてろ、ふんぞり返れ。そんなんじゃレベッカの代わりに長生き出来ない。幼い子供二人をこの世に置いていかなくてはならなかった彼女が少しでも報われるように、ヘクターはクロエの性格を改変したのだった。
※※※
ヘクターは別の所で呑み直そうと思ってある家を訪れた。案の定その家の令嬢は嫌そうな顔をした。
「ちょっと〜なんでこんな夜更けに私の家で呑んでるのよ、帰ってよ!」
「お前の家じゃねぇ、伯爵の家だ」
「どっちも一緒じゃない!ねぇイレールも何か言ってよ!」
後ろから出てきたイレールは淡々としていた。
「帰るまで僕が見張ってるから、姉上は部屋に戻ってもう寝なよ」
「追い出してって言ってるの!」
「どうせ帰れって言っても帰らないよ。それなら居座らないように話し相手になって、早く帰って貰うんだよ」
「イレールお前本当に冷たいよな。つかそんな心無い話し相手なんざいらねぇよ、俺は年寄りか」
「僕らからしたら年寄りです。ヒゲに白髪混じってますよ」
「ウソだろっ!?」
「嘘です」
思わずヒゲを押さえたヘクターは唖然とした。
「真顔でつまんねぇウソつくんじゃねぇ!おいクロエも何爆笑してんだよ!」
「バーカバーカ。おやすみなさーい!」
そう言ってクロエは部屋に戻っていった。
「お前の姉の語彙力なんとかなんねぇのかよ」
「無理です」
「なんでお前は俺が呑んでると寄ってくるんだよ」
クロエは離れるのに、弟のイレールは違う。どれだけ嫌がりそうなことをしても、軽くかわしては懐に入り込んでくる。
ヘクターの隣にイレールは腰を下ろした。
「あなたはみんなが思ってるほど強くなくて、何か弱さをひた隠そうと必死なのが分かるからです」
ヘクターは目を見張って、そしてため息をついた。
「なーに俺のこと知ったかぶってるんだか」
軽く小突いて、つまらない話を延々とした。なのにイレールは相手をしてくれる。これが余計にレベッカを思い出してしまうが、孤独を埋める手伝いをしてくれるのは『イレール』だった。
(重ねちゃなんねぇよな)
すると口に出ていたようで、イレールが小さく笑った。
「それは心に整理をついた時で良いですよ」
何のことか分かっているのか。少し驚いた。
「大人かよ・・・・・・」
「子供です」
やっぱり彼が一番レベッカに似ていて、優しさが傷口に沁みて、自然と笑みがこぼれた。
奪われた心が戻ってくることはない。心はレベッカと一緒にもうあの世なのだ。今もまだ過去を引きずったまま。
でもいつかは、生前の彼女のことを語ってやらねばと思っている。あまりにも優しいこの子と、力強く生きる少女の為に。それだけがヘクターの生きる意味だった。




