支配人と隣国の王子
今夜もまたレストランを開く時間がやってきた。こだわりの内装に、腕を見込んで連れてきたシェフ。そして支配人の自分。
伯爵家の娘クロエによる投資を得たローズは、順調に売上を伸ばし、経営も軌道に乗った。
鏡で身なりを最終チェックし、今日の一番客を迎えた。その客にを見てローズは目を見張った。
彼がこの店のことを知っているとは思わなかったからだ。もう一年近く会っていなかった。
ローズの反応をどう取ったのか、八つ下の彼は柔らかく微笑んだ。端正で美しい顔に青い目の隣国の王子。彼の名はジョエル。
「安心して下さい、今日は一人の客として来ました」
ハッとして、ローズは支配人として背筋を伸ばした。
「失礼致しました。いらっしゃいませ、ご案内致します」
ローズはジョエルを奥の特別室へと案内した。ここは周りから見えない個室になっており、防音対策も出来ている。立場上お忍びでやって来る客も多く、ローズの判断でここへ案内する。
「メニューはいかがされますか?」
「シェフのオススメコースで」
「かしこまりました」
シェフが腕によりをかけて作った料理。このレストランでは前菜からデザートまで、他の店には無い料理を提供する。皿を運び、ローズは丁寧に料理の説明をした。ただ食べるのではなく、その料理に隠れている物語を知ることで、料理に奥深さが出る。ジョエルは珍しそうに目を輝かせながら料理を口にすると、口元をほころばせた。
彼は本当にただの客だった。黙々と料理を楽しみ、料理について以外の会話はして来なかった。やがてコースは終わり、別れの時間が訪れる。
「当店の料理はいかがでしたでしょうか」
「とても美味しかったです。何より気持ちのいい接客でした。流石ですね」
ローズはホッとした。
「ありがとうございます」
するとジョエルが少し躊躇って、
「・・・・・・実は最近、婚約しました」
そう報告した。
───知っていた。それは偶然にもクロエが教えてくれたことだった。彼女はローズがジョエルの元恋人だとは知らない。だから求婚された話や、ジョエルに他の婚約者ができた話はただの世間話のつもりだったんだろう。
勿論ローズからしても、さほど大きな出来事ではない。
「そうなんですね、おめでとうございます殿下」
「もう、名前では呼んでくれませんか」
ジョエルのしょげた子犬のような声にローズは内心呻いた。
(頑張れ私、ここで折れたら今までのことがなんの意味もなくなる・・・・・・!)
「お客様として来て下さったんですよね?」
もう恋人ではないのだ。そもそも恋人であっても、分不相応が過ぎた。ローズは貴族の娘とはいえ、爵位は無い。何より八個も歳上だなんて論外だ。
二十四の彼ならすぐにローズを忘れてくれる。そう思っていた。
なのにジョエルは少し俯いた。
「・・・・・・すみません。本当は、あなたに祝って貰ったら諦められると思って来ました。卑怯でしたね」
ローズは胸が苦しかった。首を横に振って否定する。どうしてこの人は。
「いいえ、私は殿下の将来を案じていました。殿下が前に進めるなら、どうってことございません」
「あなたはいつも僕に与えてくれますね。僕には何も出来なかったのに」
不意にクロエと話した恋と愛を思い出した。与えることが愛。彼は与えられていただけだと思っているのか。ローズは苦笑した。
「いいえ、本当に愛を与えてくれたのは殿下です。それを私のワガママで拒絶したんです。私のせいで苦しませてしまったことを後悔しています。それなら、最初から関わるべきではなかった」
「───苦しみは愛した誇り、だそうです」
「え?」
苦笑するジョエル。
「友人が言っていました。だから僕はこの苦しみを永遠に手放すことはありません。この苦しみを背負って、また幸せも探します」
ローズは目を見張る。
(何か、変わった)
ジョエルという人間は、淡々としているようで、意外とウェットでネガティブだった。だからローズと別れてからも、もしかしたら深い穴にはまって出られないような苦しみに苛まれるのではないかと、本当は心配していた。
けれどもそれは思い違いだったようだ。素直に安堵した。
「だからどうかあなたも、幸せになって下さい」
ジョエルの言葉に、ローズは微笑んだ。
「はい。またのお越しをお待ちしております」
「ええ、また来ます」
全ては社交辞令だと分かっている。もう二度と会うことはない。けれどもきっとこれは間違っていない。別れたから得る何かもあった。
「ありがとう、ジョエル」
見送る背中に、聞こえないようにそっと呟いた。




