第32話 ロジェとゲルト
クロエが立ち上がると、毛布がバサりと地面に落ちた。そして自分の部屋に戻ろうとするが、その足取りはおぼつかない。
ロジェが手を差し伸べかけたが、どこから湧いて出てきたのか、ゲルトが千鳥足のクロエをキャッチした。そして子供を抱えるように抱っこする。するとクロエは自然とゲルトの首にかじりついてそのまま眠ってしまった。
「あーあー、やっぱりまだ酔ってますね」
クロエを抱えたままゲルトはロジェに向き直して、苦笑した。
「あんまりクロエ様をイジメないでくれ」
ゲルトはロジェに対しては、いつもこういうラフな話し方をする。それに何か思ったことは無いが、住み込みではない彼がまだ屋敷に居たことに驚いた。
「夜なのにまだ居たのか」
「ヘクター様が帰ってから帰ろうと思っていたが、お前が来たからな」
「目付け役か」
「別に何か疑った訳じゃない。酔い潰れたクロエ様を運んでから帰ろうと思っていたんだ」
無表情のロジェにゲルトはニヤリと笑った。
「お前こそ、こんな時間に来るなんて珍しいじゃないか。その様子だと誰も選ばずに来たんだろ」
「・・・・・・・・・・・・」
「どんな理由で選ぶにしろ、せめてクロエ様を傷付けないでくれ」
その口調だと、まるでクロエを選んだことには反論は無いというふうだ。時々ゲルトは主人の意見に反する思考を持つ。
「お前はどうして彼女に仕える。他にも仕事はあっただろう」
その質問に肩をすくめた。
「深い理由は無い。ただ母が先に仕えていたんだ」
ロジェは軽く眉を上げた。それは初耳だった。
「別に跡を継いだ訳じゃないがな。でも母が生前、クロエ様は誰の使用人の悪口も言わないと言っていたのを思い出した。単なる好奇心からここに来たが、それは事実だった。この人は大事な所で絶対中立の立場を崩さない」
「学園時代を見てた俺には想像がつかないな」
むしろロジェからしたら、クロエは派閥の中心人物だった。
「あれは思春期だ」
「なんでも思春期で片付けていいのか」
「まあ確かに、この人はワガママで横暴なところもあるけど、困っている人間に無意識に手を差し伸べられる人でもある。その奥に潜んでいる感情がなんであれ、母を亡くした後の俺を呼んでくれたのはこの人なんだ」
ふと、クロエが前に話していた同情の話を思い出す。もしかすると彼女が話していた人物はゲルトのことだったのか。
「それに、クロエ様ほど欲望に忠実な人は居ないだろ」
「それは褒めてるのか?」
「褒めてるよ。お前の主のように分かりやすい優しさも良いが、俺はこの人の面倒臭い人間らしさが好きなんだ」
ゲルトの顔は心から嬉しそうな笑顔だった。ロジェには到底計り知れない感情だったが、クロエが彼を引き寄せたことに相違は無い。彼女は一体どういう人間なのだろうか。自分が知っているのは、ほんの一部なのかもしれない。
***
ロジェの父は昔から厳しかった。とにかく体裁にこだわり、些細なことも許せない器の小さな男だ。前妻である母はそんな父に耐えきれず、ロジェを連れ出してほとんど無理矢理離縁した。
なのでロジェは十歳まで母に育てられることとなる。父に見つからないように身を隠す為、貴族であった母は身分を偽って平民のように働いていた。
しかし良家育ちだった母は体調を崩しがちになり、やがて病気になって働けなくなってしまう。そして涙ながらにロジェを父に引き渡したのだ。
『ごめんなさい、ごめんなさい・・・・・・あなたを大人になるまで育てたかったけど、あなたにこれ以上不自由な生活はさせられない・・・・・・』
最後の最後まで母は泣きじゃくっていた。父は体裁を気にして母も引き取ろうとしたが、頑なに拒んだので実家で療養することになった。
そしてロジェは父と継母に育てられることとなったが、すでに物心がついており、騎士家の伝統や考え方が微塵も理解出来なかった。
唯一の救いは、継母には子供が出来なかった後ろめたさから、ロジェとあまり関わりを持たなかったことだ。単純に視界に入れたくなかったのだろうが、それは逆にロジェの心を楽にした。
しかしどんなに父に反逆して勝手に生きようとしても、権力には逆らえない。無理矢理学園に送り出され、決められた通りに主を探さされた。
その中でリリアーナだけは、変わらなくていい、そのままでいいと肯定してくれた。彼女はロジェの女神だった。
だからロジェは彼女に忠誠を誓うと『決めた』。
(なのに何故、今俺の頭の片隅にクロエ様が居るのだろうか・・・・・・)




