第31話 傷心のワイン
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ロジェの家には、妻を選ぶ時にしきたりがある。その内の一つが、パーティーだったのだ。そしてその後日、先日招かれた令嬢達が一堂に会する場で、ロジェは一人の妻を選ぶ。
これはロジェがリリアーナを主に選んだ時に似ている。あの時はロジェの父が学園に掛け合い、特例で生徒の中から主を選び出した。あれはこれを模倣したものだったのだろう。
そして今日がその一人を選ぶ日だったのだが、クロエは腰が重かった。ゲルトがそれとなく尋ねる。
「行かれないのですか」
「・・・・・・・・・・・・」
「クロエ様」
ゲルトの声はあくまで優しかった。窘めるのではない。ただクロエの選択を尋ねている。だからこんな答えを出してしまったのかもしれない。クロエはため息混じりに呟く。
「行かないわ」
立ち上がって部屋のドアノブに手をかける。
「どちらに?」
「テラス。・・・・・・ゲルト、ローズから貰ったワインを出して頂戴」
「かしこまりました」
こういう時ゲルトは何も聞かず、クロエのワガママを聞いてくれるのだ。
どこで何を聞きつけたのか、日が沈んで星が煌めき出した頃、ヘクターが面白がるような目付きで笑っていた。
「よぅ、傷心でヤケ酒なんて、とうとう俺と同じ穴のムジナだな」
「あなたが傷心のせいでアル中だったなんて初耳だわね」
ローズから貰ったワインはもう底を尽きたにしろ、クロエはワインボトル一本空けていた。
もうグラスに注いだ半分くらいしか残っていなかったが、ヘクターはしっかりウイスキーを持参していた。ゲルトの用意したグラスに注いでグラスを揺らす。
「どうしてロジェの屋敷に向かわない?」
「出来レースなんですって。多分ロジェのお父様は私を選ぶわ」
ヘクターはウイスキーを呷いだ。
「馬鹿だなぁ、伯爵に啖呵切ったくせに、そんなことで結婚のチャンスを逃がすのか?出来レースがなんだ、あの難攻不落のロジェと結婚出来るならなんだって利用しろ。個人的なこだわりなんて捨てちまえ」
クロエはヘクターを睨んだ。
「こだわりを持つから叶えられない?いけない?」
ワイングラスをぎゅっと握り締める。
「そのこだわりが、私を私たらしめる要素なの。どんなに転んだって私は誇り高い人間で、これがただの独りよがりだってのは知ってる。
でもそれこそが、『私』という存在なのよ!」
(正直今でも怖い。自分は本当に自分の意思で生きられているのか。今この瞬間すら『創られた』ものなのじゃないかって)
リリアーナからこの世界の秘密を聞かされ、もうリリアーナが未来を知らないと分かっても拭いきれない疑念。自分は本当に自分なのか。そもそも自分とはなんなのか。
今までずっと神が創造主であると考えていたくせに、どうしてこれだけは納得がいかないのだろう。
(───でも疑っていても仕方ない)
目の前の事象が真実。多分この面倒な性格何もかもが自分なのだ。ならそれを受け入れよう。この世界に抗うと決めても、自分という存在は否定しない。これがクロエの結論だ。
ヘクターは苦笑いした。
「あーあ、お前は誰に似たんだか。やっぱり母親似はイレールの方か」
「あっそう。何よ、私よりちょっとお母様との付き合いが長いからって、マウント取らないでくれる?」
「悪い悪い」
時々こういうことを言うのがムカつく。自分には母の記憶が無いのに、ヘクターはしっかり覚えているという。
というか何勝手に一緒に飲んでいるんだ。酒を持参してるのが用意周到すぎてムカつく。
(あーだめ、とにかく腹が立ってきた。もう何に怒ってるのか分からない)
アルコールの酔いが回ってきたのだろうか。
「だいたいねぇ、あなた私に結婚しろって言うけど、自分は独身だなんて説得力の欠片も無いわよ」
「俺だって色々あるんだよ」
「色々ってナニ?」
ヘクターはチラリとクロエの髪を見て、視線を外した。
「昔惚れた人が居たけど、既婚者だったんだよ。ろくでもない女に引っかかっちまった」
「あれこれ手を出すからでしょ、バーカ!」
「出す前だよ。てかお前酔ってるな」
ため息混じりに呟いた。
「今まで本気で好きになったのはあの人だけだった。だから結婚しなかったら、いつかあの男と別れて俺と結婚してくれる日が来るかもしれないって思ってた。子供が出来てもまだ諦めなかったのに、ある日死んじまった」
「・・・・・・・・・・・・」
クロエはワインを見つめていた。
「でも、お前の場合ロジェは生きている。こだわりを持つのもいいが、とにかく死んでから後悔すること無いようにしろよ」
「・・・・・・ヘクター」
「なんだ」
「このワイン美味しいのかよく分からない」
「お前さては話全く聞いてなかったな?」
ボトルのラベルを見てヘクターはギョッとした。
「おい!よく見たらこれ幻のワインじゃねぇか!分からないなら飲むな!てか俺にちょっとは残しとけよ!!!」
***
クロエはパチッと目を開けた。
(暑い・・・・・・)
背中には毛布が掛けられていた。ムクっと起きて、テーブルを見つめた。まさかテラスで寝ていたのか。
(早い時間から飲んでたけど、今はちょっと酔いが覚めてるわね)
すっかり夜は更けている。クロエはふと、前に座っていた人物と目が合った。ワインレッドの瞳は闇夜のせいで感情が見えない。いや、彼はいつもそうだ。
「・・・・・・ヘクター?」
「公爵と見紛われるとは、今日は随分酔ってますね」
「もしかしてロジェ?」
「そうです」
笑ってしまった。夢だろうかと思ったが、火照った頬と冷たい夜風が現実だと告げる。目の前の人物がちゃんと本人だということか。
「今何時か分かる?」
「午後十時です」
意外と時間が経っていなくて安心した。それにしても。
「どうしてここに居るの」
「あなたこそ、どうして屋敷に来なかったんですか」
「・・・・・・・・・・・・」
クロエは黙った。説明しづらい。そもそもロジェはもう、妻を選んだのだろうか。それなら何故ここに居るのか。色々疑問が脳内を駆け巡る中、ロジェは静かに呟いた。
「───俺と結婚しませんか」
その言葉を聞いてクロエは思わず吹き出した。
「アハハ!嘘よ!」
喜ぶどころか可笑しさが込み上げてくる。
「どうしてそう思うんですか」
ロジェは表情を見せず、淡々と尋ねた。
「私を選んだのはあなたのお父様で、あなたじゃない。そうでしょう?」
クロエは視線を鋭くする。
「私は、『私のことが好きなあなた』と結婚したいの。・・・・・・ごめんなさいね、愛じゃなくて恋で」
「え?」
「人ってそうそう変われないの。私は愛して欲しい欲張りで、生まれながらに悪役で、全然あなたの気持ちなんて考えてなかった」
真っ直ぐロジェを見つめたクロエは、苦々しい気持ちで一杯になった。
「ごめんなさい、またワガママを言っているわ」




