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第29話 暗雲立ち込める

 壁には鹿の剥製や、家宝の剣が煌めいていた。機敏な動きの使用人達の雰囲気は独特で、一切の怠惰も許されない。家の主であり、厳格な父が許さないからだ。


 そしてその父は屋敷の中でも特別豪華にあつらえられたリビングにて、ワインの風味に酔いしれていた。しかし過去の追想によりその表情は曇り、眉間にシワを寄せていた。


「四年前、お前に主を定めろと言った時、まさか子爵の娘を選ぶなんて思ってもみなかった」


 リリアーナを蔑む口ぶりだった。父は自分が国王を主に定め仕えているという矜恃と優越感から常に傲然と構えている。ロジェはこの男のこういうところが大嫌いだった。


「元より()()()がお前を連れ出さなければ、最初から王子の剣として生きることも出来たのにな。余計なことをしてくれた」


 無言で耐えていたロジェも、この言葉で流石に黙っていられなくなった。


「父上、俺は王子に仕えられなくても構いませんでした。それにリリアーナ様を主として選び、悔やんだことなど生涯一度もありません」


 するとこの反論が父の癪に障ったのか、より表情を険しくした。


「それが問題だったと言っている。しかしまさか結果的に王子妃となり、将来の王妃とは。お前も意外に運があったらしいな」


「全てはリリアーナ様の実力です」


 父はフンッと鼻を鳴らした。


「なんとでも言えばいい。全ては結果論なんだからな。・・・・・・それよりも、次なる使命は分かっているな?」


 ロジェは顔をしかめた。そろそろこの話が来ると思っていた。


「縁談、ですか」


「そうだ。この家に産まれたからには、子をなし、血を絶やさず伝統としきたりを守らねばならない。十日後、パーティーと称して嫁探しの場を設ける」


 勝手に決まっていた予定と、それがすでに決定事項であることに眉をひそめた。


(いつもいつもこの人は・・・・・・)


 思わず拳を握り締めた。


「そこに俺の意思はあるんですか」


「重要なのはお前の意思ではない。この家の安泰だ。しかし、私が集めた中では好きに選ばしてやる。あの伯爵令嬢も含まれているぞ」


 ロジェは耳を疑った。伯爵令嬢とはまさか。


「クロエ様ですか?」


「そうだ。噂に聞くと彼女はお前に気があるようじゃないか。あの家の力は絶大だ。上手く取入れ」


「・・・・・・結婚相手は自分で決めます」


 父は目を細めた。


「相変わらず意固地な奴だ。やはりあの女の血が濃い」


「なら別に子をなせばよかったではありませんか、伝統としきたりの為に」


 すると父はテーブルを拳で叩きつけた。


「黙れ!余計なことは言わずにさっさと立ち去れ」


 言われた通りにロジェは部屋を出た。実母がロジェを連れて家を出た後、後妻の継母には子が出来なかった。一時は後妻と離縁することも検討されたらしいが、しばらくしてロジェが家に戻されたことで解決に至る。


 逆にその分ロジェに対する期待は大きく、ロジェはそれに応えられなかった結果がこれだ。きっと父と相入れる日は来ないだろうと確信している。



 ***



 あるレストランに立ち寄った。主にVIPしか訪れることのないここは、クロエが投資しているレストランだ。


「いらっしゃいませ、お待ちしておりましたクロエ様」


 クロエは、にっこりと笑みを浮かべた女支配人に迎えられた。


「久しぶりね、ローズ。経営の方はどう?」


「クロエ様のお陰で順調にございます」


 数年前、どう資産運用しようか考えていたところ、父の知り合いから、レストランを立ち上げようとしていた彼女を紹介されたのだ。人柄が良く、人を見る目もあり、今まで違う店で働いていた経歴もある。ただまだ三十二という若さから、資金を集めに難航していたのだ。


 クロエは彼女の人間性を信じ、経営を任せたところレストランは見事に繁盛した。確かにオーナーはクロエと言えるが、経営にはほとんど携わっていない。


「私はお金を出しただけ。あなたの腕が良いからよ。流石、敏腕支配人じゃないの」


「勿体ないお言葉です。今日はお食事は?」


「ごめんなさい、さっき食べてきてしまったの」


「そうでしたか。ではこちらをお持ち帰り下さい。わざわざ隣国の僻地まで行って、手に入れるのに苦労したんですよ」


 そう言って奥から持ってきたワインに、クロエは目を見張った。ローズの人脈は広い。その彼女が苦労するくらいの品物とは。


「勿体ないわよ。店で出しなさい」


「いいえ、これはクロエ様の為に手に入れたんです。この前の誕生日パーティーに出られなかったお詫びと、二十歳のお祝いです。受け取って下さい」


 そこまで言われて断る理由は無いだろう。


「では頂くわ。ありがとう。ご飯は食べたけど、お茶だけ頂いても構わない?」


 クロエの言葉にローズの顔がぱあっと明るくなった。


「勿論です!シェフが腕によりをかけて作ったケーキもお付けしますね!」


 奥の特別席に招かれ、クロエはケーキと紅茶を用意された。ふわりと立ち上る湯気に茶葉の香りが乗って、微かにケーキの甘い香りも入り交じる。


「どうぞ」


 ケーキはチョコレートをベースにしたもので、余計なものは入っておらず、ただ微かに金箔が乗せられていた。それがより上品さを醸し出す。


「うん、美味しいわ。あなたが見込んで連れて来たシェフなだけあるわね」


「頑張って口説き落とした甲斐かいがありました」


 ふと、口説くという言葉でディオンの『恋と愛』の話を思い出した。ローズは容姿端麗、才覚もあって経験も豊富そうだ。彼女ならその真意が分かるだろうか。


「ねぇローズ、ちょっとした相談なんだけど」


「なんでしょう?」


「恋と愛の違いって分かる?」


 ローズは軽く目を見張って、微笑した。


「『求める』か『与える』か、でしょうか。恋というのはどうしても相手からの好意を求めてしまい、愛に変われば相手に自分の全てを与えたくなる。私はそう思います」


 クロエはチクリと胸が傷んだ。


(確かにそう、私はずっとロジェに求めることばかりしている)


「ローズは誰かを愛せたことはある?」


「どうなんでしょうね。前の恋人は少々ワケありで、私から十分に愛を与することは出来ていなかったかもしれません」


 それは意外だと思った。彼女の器用な性格なら、恋愛も順調そうだが。


「あなたにとってい人じゃなかったの?」


「いいえ、あの人は類まれなる立場に居て、何もかもを手にして、本当に私には勿体ないくらいの人でした。

 でも私は恋愛よりも、仕事をしたかったんです。仕事は私の誇りそのもの。私は自分で幸せを掴み取ると、ずっと信じてます。・・・・・・残念ながらその信念が彼との別れを決断させましたが」


 ローズは肩をすくめた。


「それで結婚の機会を逃しちゃって。自業自得なんですけどね。だからクロエ様は私の代わりに好い人見つけて早く結婚して下さいね」


 ローズはクロエの恋愛事情を知っている。しかしそう簡単には頷けなかった。


「でも私はまだ恋だって言われたの」


「なるほど・・・・・・恋がダメな訳ではありませんよ。恋で結婚をする人も大勢居ます。ただ恋()()だと、いつか相手に求めるばかりになってしまうかもしれませんね」


 クロエはため息をついた。


「私って本当にワガママなのね」


 するとローズは小さく笑った。


「何が正解かなんて分かりませんよ。恋の中で愛模索しながら進むのだって、一つの方法なんですから」

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