第26話 猫の手も借りたい
***
クロエはゲルトに手当されながら、手が震えていた。
「ディオンはもしかしたら、私との揉み合いで昔の記憶を思い出したのかもしれない」
走り去ったディオンの顔が頭から消えない。悲痛な、泣きそうな顔。『母親』だとか『あの女』と呼んでいたのに、ディオンは『お母さん』と言っていた。
彼が母親を殺してしまったのは少年だった頃の彼。その罪に押し潰されずに過ごせるはずがない。
「どうしよう、私のせいだわ」
クロエの震える手に、ゲルトはそっと手を重ねた。そのあたたかさに涙が溢れ出てきた。
「クロエ様のせいじゃありません。あれは不可抗力です」
「でも思い出すべきじゃない記憶だったのよ!」
ジョエル王子だって、兄であるディオンを心底心配していた。自分が憎まれてでも彼の心が軽くなるように努めていた。なのにそれを自分が全てぶち壊してしまったのだ。
「クロエ様があの決闘を申し込まず結婚していたからと言って、あの男が救われたとは思いません。
過去というのは、いつか必ず自分で折り合いをつけなくてはならないものなのです。ディオンには今がその時だっただけです」
「でもディオンはもしかしたら、ヤケになって隣国に行くかもしれない」
たとえ国境を封鎖しても、抜け道はいくらでもある。そもそもそんなことをするには、ディオンに反逆する意思があると示さなければならない。
「ディオンを探さなきゃ。あの人、本当に国王とジョエル王子を殺すかもしれない!でもどうしたらいいの!?」
俯いて涙をこぼすクロエに、おずおずとゲルトが気まずそうに提言した。
「クロエ様、非常に癪な話なのですが・・・・・・あの方に相談してはいかがですか?」
「え?」
クロエはゲルトを見やった。
「・・・・・・リリアーナ様です。クロエ様はよく、リリアーナ様と話した後、何かを解決することが多いですよね?」
***
日が沈みかけ、王宮は明日に備えて慌ただしかった。ギリギリまで準備することがあるのだろう、人の動きが絶えない。いつも感じていた時間のゆとりが全く存在していなかった。
その上クロエはリリアーナの周りの人間から要注意人物として見られていたので、あまり歓迎されなかったが、そんなこと気にしていられなかった。
ほとんど無理矢理押し付けた形での訪問となるが、リリアーナだけは気にした素振りは見せなかった。
「結婚おめでとう、リリアーナ」
「ありがとうございます。・・・・・・でも、その顔からして、単に祝いに来てくれた訳じゃないんですね?」
探るようなその目にクロエは頷いた。
「あなたの担任だったディオンって教師、覚えている?」
「はい、覚えています」
途端にクロエの視線が鋭くなった。周りの人払いは済ませてある。
「彼はあなたの結ばれる相手だった?」
ここは彼女の為に用意されたら箱庭だ。ならば担任である彼が無関係でいられるはずがない。
「・・・・・・ええ、そうです。彼も私の『攻略対象』でした」
「聞きたいことがあるの。もしもディオンがピンチに陥った時、どこに隠れるか見当がつくかしら?」
当然の質問にリリアーナは若干首を傾げ、悩ましそうな顔をした。
「ええっとですね、思い当たる節はあります。でも、正確にはどこかは分かりません」
ビンゴだ。これでディオンの居場所が絞り込める。
「どんな些細なことでも構わないわ。後は私が調べるから」
「確か、使い潰された石造りの古城で、近くにアネモネが咲いている場所です。近くに川もあったかと」
城跡となればかなり限られてくる。地形と照らし合わせて調べれば割り出せる。
「ありがとう。恩に着るわ。事情は後日また話すから」
そう言って去ろうとしたクロエをリリアーナは引き止めた。
「あの、ディオン先生は過去にお母様を・・・・・・」
途中で切られた言葉にクロエはハッとした。それだけ聞けば、ジョエル王子の話が本当だったことは明白だ。
「ええ知っているわ。この話は私に任せて。あなたは幸せの中で佇んで、ユーグ王子のことだけ考えていなさい」
「大丈夫なんですか?」
クロエはニッと笑った。
「誰にモノ言ってるの?・・・・・・と言っても、私があなたにこんな口をきけるのも今日が最後ね」
明日になればとうとう、彼女は王子の妃となる。なんの未練も無いが、複雑であることに変わりはない。学園では立場が下だった彼女は、いつかこの国の頂点に立つ。
こんな日が来るなんて、あの頃は全く思っていなかった。
テーブルの上に誰かからの花束がいくつも置かれていた。使用人も忙しくて中々花を生ける時間が無いらしい。そこからクロエは花を一本抜いて、リリアーナの髪に挿した。
「結婚おめでとう、リリアーナ。ユーグ王子の期待を裏切らないでね」
「勿論です、クロエ様」
リリアーナはしっかりと頷いた。




