第23話 記憶の混濁
クロエは王宮の使用人に案内されるままについて行き、ゲルトにだけ聞こえる声で囁いた。
「ジョエル王子に一方的に強制終了されたわね」
「国家機密でしょうから、仕方ありません」
(まあ確かに、そんな簡単に知ることが出来るとは覚悟してたけど)
知りたいことは分からなかったが、その夜はすんなりと眠気が襲ってきた。コネクティングルームなので、何かあればゲルトが駆けつけてくれる。
「あー・・・・・・なんのしがらみも無く眠れるって幸せ」
睡魔に微睡みながら呟いた。ここ最近ディオンのせいでまともに眠れていなかったのでクタクタだ。ロジェに会えていないストレスも身体に支障をきたしている。
(国に帰ったらまずロジェに会いたいな)
彼への想いに焦がれながら、クロエはいつの間にか眠ってしまっていた。
「・・・・・・さま、クロエ様!」
「なーに・・・・・・」
クロエはゲルトに揺さぶられて目蓋をほんの少しだけ開けた。
「王子がいらしてます」
「・・・・・・また今度にして」
「ちょっ、クロエ様寝ぼけないで下さい!起きて!」
無理矢理身体を縦にされて渋々意識を覚醒させたクロエ。まだ陽も明けていない早朝だ。
「・・・・・・で、なんですって?」
「王子が来てます」
「はぁ!?どうしてそれを早く言わないの!」
「言いました!!!」
クロエは慌てて上着を掴み、髪を手ぐしで整えて、少し水を飲んでドアを開けた。
廊下にはきっちりと身支度したジョエル王子が、いつもの笑顔で待ってくれていた。
「朝早くにすみません。よければ朝焼けを見ながら散歩でもしませんか?」
「え、ええ、是非」
内心マジか、と思いながらも、こんな時間にわざわざ来たということは何かあるなと思い、一緒に散歩に出た。ジョエル王子に付き人は無く、空気を読んだゲルトは距離を取りながら付いてきてくれた。
「もしかして寝ていないんですか?」
「あなたに話をしようか考えていると夜が開けてしまって・・・・・・でも決めました。あなたには真実を伝えます」
クロエは訝った。
「一体どういうお話ですか?」
「ディオンについてです。彼は母親の死で記憶が混乱しているんです」
隣国に隠れ住んでいるディオンの存在は密やかに噂されており、彼を政治的場面で利用しようとする幾多の人間にも狙われていた。しかし他国で問題を起こせば外交問題に発展することもあって、ある意味隣国という枠組みに守られていた。
だが事件は起こった。ディオンが外出中、彼が口にするはずだった食事をディオンの母親は誤って口にしたのだ。母親は毒の中毒症状に苦しみ生死を彷徨った後、一命を取り留めたものの、それを機にディオンの存在自体に恐怖し錯乱することが多くなった。
それから幾く月か経ち、とうとうナイフを手にした母親は、ディオンを刺殺しようとした。ディオンが死ねば自分も危険に晒されることはなくなると思ったのだ。
襲われそうになったディオンは抵抗し、母親と揉み合った末に、そのナイフで母親を誤って死亡させてしまった。
当時十五歳だった彼は、母親を殺してしまったショックから一時記憶が消失。やがて断片的に記憶を取り戻し、何がどうなったのか彼は、母親は国王からの差し向けられた刺客に殺されたのだと誤認してしまったのだった。
事実のあまりの衝撃に、クロエは驚愕した。
「つまり、母親を殺したのはディオン自身だと?」
「そうです」
「でも彼は、母親に愛されていなかったと言っていました。そんな母親を殺してしまったショックで、記憶が混濁するのでしょうか」
「母親という点ではなく、意図せず人を殺めたという点が問題なのです。彼はまだ、十五歳の少年だったのですから」
そう言われてクロエも口を噤んだ。ジョエルの言う通りだ。殺意も計画性も無い事故で、人を殺してしまったという十字架を背負わされた彼は、きっと想像も出来ないくらい心に傷を負っただろう。
「この話を信じるか信じないかはあなた次第です。でも僕はこれをディオンに伝えませんでした」
言わなかった理由は分かる。知らない方が幸せだからだ。
「それで、あなたがどれだけ憎まれていてもですか?」
残された家族、たった一人の兄弟。ジョエルは本当に心の底からの微笑みを見せた。
「僕を憎むのと、母親を殺した苦しみに苛まれるのなんて、比べるまでもないでしょう」
「・・・・・・・・・・・・」
クロエは言葉が見つからなかった。これこそが、彼の言っていた『自分を捨てる』行為なのではないか。彼は恋人も兄弟も諦めなくてはならない宿命だというのか。
「クロエ嬢、あなたはまだ、別の方が好きなんですよね?」
「・・・・・・もしかして、この話でディオンに気持ちが傾いたらいいな、とか思いました?」
「ええ」
ジョエルはなんの言い訳もしなかった。
「あなたならディオンを支えてくれる良き人になると思いました。同情はお嫌いですか?」
「いいえ、同情をどうこう思うことはありません。きっと目の前の事象が結果なのです。私がどんな経緯で誰と結婚しようとも、その相手は紛れもなく私の夫となる。だから、同情は悪いことではありません。そう教えてくれる人が居ました」
教えてくれたのはロジェだ。ジョエル王子は驚いた顔をして、苦笑した。
「僕もそう考えられる日が来たらいいのに」
「王子ならきっと、誰とでも幸せになれますよ」
「あなたには、何から何まで気を使わせてしまいましたね」
「え?」
「僕のプロポーズを断った時、わざと悪役を買ってくれましたね」
「あれは・・・・・・」
今度はクロエが苦笑いせざるを得なかった。この王子はクロエの考えに気付いていたらしい。
「それなのにまた、あなたに重荷を背負わせようとした。すみません」
「構いませんよ。本当にどうするかは私が決めることですから」
「あと、こんなことを言っておきながら、個人的にはあなたの恋の方も応援してます」
ジョエル王子のウインクに、クロエは虚をつかれた。
「僕には立場という壁が邪魔をしたので、あなたには本当に恋を叶えて欲しいです。すみません、僕、矛盾しまくりですね」
きっとどちらもジョエル王子の本音だ。人はこうした矛盾を抱えて生きていく。彼はそれを素直にクロエに伝えたまでに過ぎない。
「世の中って難しいですね、気持ちだけじゃどうにもならないなんて」
「ええ、本当に、気持ちだけじゃどうにもね。・・・・・・今日は朝陽が眩しいですね」
ジョエル王子の目が朝陽に当たって、光る何かが見えた。彼は泣いていた。それはきっと、朝陽が眩し過ぎるせいだ。
「そうですね、本当に眩しい」
そう肯定して、涙には追及しなかった。




