第20話 母親への執着心
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その日の夕方、クロエはゲルトを連れてヘクターの屋敷を訪ねた。アポイントは取っていない突然の訪問だったが、ヘクターは在宅で、他に誰も居なかった。使用人も、家族も居ない。ただ国王の弟ではあるので、護衛の騎士が何人か屋敷を警護している。
「困るなぁ勝手に来られたら」
許可も取らずに入って来たクロエにヘクターは頭をかいた。クロエは伯爵令嬢で有名なので顔パスだ。
「どーせ女と遭遇するかもしれないからでしょう?私だってあなたの家なんて好きで来たんじゃないわ」
「遭遇するだけならまだしも、誰かとベッドで寝てるとこに部屋に入ってこられたら、イダッ!」
ヘクターの頭にリンゴが直撃した。勿論投げたのはクロエだ(リンゴは後でヘクターが洗って責任持って食べます)。
「ちょっと聞きたいことがあって来たのよ」
「まーた、そんな時だけ俺の所に来る」
部屋は酒の匂いは消えないが、部屋はとても綺麗に整理されている。特にヘクターは音楽が好きで、部屋に様々な楽器が揃えられている。
棚に並ぶ本もほとんどが楽譜や音楽についてのものだ。部屋だけ見ればド真面目そうな人間が住んでいそうなのに、理想と現実は天と地ほど違う。
「ちょっとディオンについて聞きたいのだけど」
「ああ、お嬢との縁談な」
「知ってるなら話が速いわ。洗いざらい全部教えなさい」
「じゃあ代わりにピアノ弾いてくれ」
「いいわよ」
クロエはさっさとピアノの鍵盤に向かった。ヘクターのことだからそう言うと思って、あらかじめ練習してきたのだ。
膝に手を置き、一度深呼吸してからペダルに足を置いて鍵盤に触れる。クロエが選んだのテンポが速い長調の曲。曲を弾いていると段々日頃の鬱憤があふれ出てきて、次第に激しい弾き方になってきた。
「荒れてんなぁ」
「最近ロジェに会いに行くのを邪魔されて、ストレス溜まってるんですよ」
弾いてるクロエに代わってゲルトが補足した。
「なるほど。でもそこがいいね。会いたいけど会えない。つまり焦らしプレイだ」
クロエは力一杯にジャーン!と鍵盤を叩いてヘクターを睨んだ。
「口からワインが溢れて死ねばいいのに!」
「そんな死に方なら本望だ」
怒鳴られてもヘクターはケラケラ笑っていた。やはり今日も昼間から酒盛りだったようだ、完全に酔っている。
「ヘクター様、あまりクロエ様をからかわないで下さい。あと下品です」
「はいはい。で、ちゃんと弾いてくれたからなぁ。何から話そうか」
「まずディオンの過去からよ」
「知っての通り、ディオンは隣国の国王の落とし子だ」
ヘクターは新しいワインを開けながら質問に答えた。まだ飲むのか、とクロエとゲルトは思ったが黙っていた。
「認知こそされていないものの、その影響力は計り知れない。政治的に利用しようとした人間も多く居た。そしてその結果、ディオンの生みの母親は殺された」
「母親が?」
「本来はディオンを狙ったのだと考える方が筋だ。ただその時、不幸中の幸いと言うべきか、ディオンは外出していて難を免れたんだ」
「どうしてディオンを狙っていたのよ。そもそも誰に殺されたの?」
「狙った人間は分からない。でも狙われる理由は簡単だ。ディオンはジョエル王子にとって邪魔な人間だからだ。こういった理由で、隣国では非公式の跡継ぎはすでに何人も死んでいる。・・・・・・これが普通なんだ」
飲み干されるワインを眺めながら、クロエは座って肘をついて顎を乗せる。
「兄弟が殺されるのが普通、ねぇ。ま、王宮内のいざこざは普通の感覚じゃないものね」
今この国にそれが無いのは偶然だ。単に王族が少ないという理由からで、過去の歴史を見れば醜い争いを極めている。
「あくまでも隣国では王宮で生まれた人間が跡継ぎなんだ」
「じゃあ何、ディオンは私と結婚したら命の保証でもされるの?」
「いいや、結婚を決断させたのはお嬢の父上である伯爵だ。伯爵は彼に、娘と結婚すれば爵位を用意すると言ったらしい」
クロエは目を剥いた。
「爵位を!?それ、そのままそっくり私にくれたら解決じゃないの!」
何故結婚してから、それもディオンに爵位を与えるよう取り計らうのか。
「そりゃ他人の為に爵位を手に入れるのは簡単じゃない。大事なのは、非公式であってもディオンが隣国の王族の血を引いているということなんだ。その点を踏まえればギリギリ爵位を用意出来るだろうという考えだな」
「明言してるあたり国王とすでに密通済みで、爵位を確約してるのね」
「国王はお嬢の父上に弱いからな」
確かにクロエの父は数ある伯爵家の中でも屈指の影響力を持つ。
「とにかく伯爵はお前に結婚相手をあてがいたいだけなんだ」
「じゃあ、ディオンはどうして爵位が欲しいのよ」
「死んだ母親の為に隣国に復讐したいんじゃないのか?」
その辺は適当に答えられた。最後に疑問符を付けるな。
(母親の為ねぇ・・・・・・)
正直クロエにはその母親への執着が分からなかった。クロエの母はイレールを産み落として衰弱死した。
それは誰が悪かったというものではなく、そう天命が定められていたのだと父は言っていた。クロエもそう納得している。
記憶の中の母はおぼろ気で、恋しさは記憶と共に薄れていた。
「でも、あの男がそんな義理人情のある人間には見えなかった」
「まあその辺は、情報だけじゃなんとも言えない。後はお嬢が自分の目で見て確かめるんだな」




