第13話 ゲルトの母親
***
肌寒い夜だった。風はないが空気が澄んでいて、星が夜空に散らばっていて綺麗だった。テラスに置いてある椅子に座りながら、ぼんやり星眺める。星座はよく知らないが、星を見ているのは好きだった。
「何考えごとしてるんだよ」
「なんで考えごとしてるって分かるのよ」
弟のイレールが片眉を上げて、クロエの前の席に座った。
「テラスでひとり座ってたら考えごと以外に無いだろう。ゲルトはどこに?」
「別にゲルトと四六時中一緒ってわけじゃないのよ。ゲルトは住み込みじゃないんだから」
ゲルトは自宅から通っていた。元々ゲルトは、昔居た通いのメイドの一人息子で、母親が死んだことをきっかけにこの家で働き始めた。
跡を継いだ、という程ではないが、人手が足りなかったので人員補充をしたに近い。住み込んでもらっても構わないが、ゲルトは母との思い出のある実家を気に入っているようなので強くは勧めなかった。
「ライトベリーのケーキだって?」
イレールが面白がるように言った。何故ロジェとの約束を知っているのか。
「どこで聞いたのよ」
「姉上の声がデカいから聞こえたんだよ。にしてもライトベリーねぇ・・・・・・ベルタが時々ケーキ焼いてたね」
ベルタとはゲルトの母親の名前だ。久しぶりにその名を聞いて目を伏せると、彼女の顔がよみがえった。
「そうね。私ベルタのことは好きじゃなかったけど、彼女の作ったあのケーキは好きだったわ」
イレールはくつくつと笑う。
「姉上はベルタと相性が悪かったからね。でもあの人は単に人生が不幸過ぎたんだ。異なった状況に出会っていたらまた違ったかもね」
確かにそうかもしれない。人というのは刻々と変わっていく。けれどクロエは思う。あの時ベルタに出会ったからこそ、ゲルトと出会えたのだと。
***
───五年前。
黒い目をしたメイドのベルタは、ティータイムに紅茶のポットを持ってくる係だった。
「お嬢様、お紅茶をご用意しました」
「ありがとう」
ベルタは五十歳を過ぎているのに、下手をすれば四十に見えかねない若さを持った女性だった。そしていつも張り付けたような笑みを浮かべているのが不自然だった。
「今日も綺麗な御髪ですね。ピンクダイヤの髪飾りがよくお似合いです」
クロエはベルタが苦手だった。毎日作り笑いと一緒に、嘘か本当か分からないおべんちゃらを並べては、機嫌を取ろうとする。むしろその態度こそがクロエの苦手意識を刺激しているのだが、歳上で勤めて長いベルタにクロエもそう強く出られなかった。
「ベルタ、今日は私の部屋の掃除を頼むわ」
「かしこまりました」
適当に言って追い払って、クロエはひとりでティータイムを楽しんでいた。ベルタは口数こそ多いが、仕事の出来は素晴らしく、その実力を買われてこの屋敷でも長く勤められていた。
正直この家は使用人への教育が厳しい。それを耐え抜いて勤めているのだから、ベルタも並大抵の人間ではないのだろう。
ふと別のメイドが追加のお菓子を持ってやって来た。
世間話の代わりか、彼女はベルタの話題を切り出した。
「お嬢様はベルタさんの笑顔が怖くないですか?」
どうやら自分以外にもあの笑顔が作り笑いと気付いていた人間は居たらしい。しかしティータイムは使用人の愚痴を聞いてやる時間ではない。
「私はいちいち使用人の顔なんて気にしないわ」
「失礼しました」
話題選択を間違えたと思ったのだろう、そのメイドは慌てて口をつぐんだ。
「あなた達使用人の間ではベルタは嫌われているようね。どうして?」
これは雇い主の一人として聞いておくことだと思ったので、彼女の話題を続けることにした。するとそのメイドはやはり色々不満があったようで、流れるように口から言葉が溢れ出た。
「ベルタさん、いつもは作り笑いを浮かべていてまだマシなんですけど、日によって態度の差が酷いんです。家庭のことで苦労してるのは分かるんですけど、時々ヒステリックになって、同僚に当たり散らすんです」
「ふーん。その家庭のことって何?」
「息子さんが一人居るんですけど、父親が居ないんです」
これにはクロエも意外だと思った。
「あら、結婚してるのかと思ってた」
「子供を授かったのが先だったみたいですね。でも父親は逃げたみたいです」
ベルタが男性に弱いことは知っていたが、それにしても随分無責任な男と寝てしまったようだ。
「確かベルタは北方の出よね」
「はい。だから名前も北らしいですよね。息子さんの名前もゲルトというらしいです。確かお嬢様より五つ上ですね」
「じゃあ私が十四だから、今十九か」
「はい。なんでもその息子さんが研究院で学んでいるから、お金が入り用らしくて。だからお金が足りなくなるとイライラして、私達だけじゃなくて息子さんにも随分当たってるみたいです」
「なるほどね」とクロエは呟いた。研究院は教育機関だ。いわば研究者を育てる学校。あそこの学費はバカにならないと聞く。
ベルタが日頃からクロエに取り入ろうとするのは、学費の為にも仕事をクビにされない為だろう。しかしこの家での賃金では賄えないはずだ。いつも疲れた顔で働いている彼女は、もしかしたら別の仕事もしているのかもしれない。
そう思うといつもの作り笑いが、少し寂しいものに見えてきた。




