326.【sideステラ】在りし日々③ 名前
――約三年後。
研究室の様相は、以前とはまるで違っていた。
アウグストはティターニアの協力を得て、魔力を増幅させる技術を確立させた。
今では魔力をエネルギー源とした実験都市の建設が進みつつある。
壁一面の端末は整然と光を放ち、ガラスの外には新設された機器たちが立ち並んでいた。
そんな研究室に、久しぶりにステラが姿を見せる。
「ステラ姉さん?」
研究室の中には、アウグストの弟であるべリアが居た。
「べリア君、来てたんだ」
「うん。兄さんが役人に呼ばれたから、留守番を任されてる。全く、兄さんは相変わらず人使いが荒いよ」
「ふふふっ。それだけアウグストが君を信頼している証拠じゃない?」
「信頼、ねぇ。……そんなことより、ステラ姉さん、体調は大丈夫なの?」
「えぇ。今日は落ち着いているから、散歩がてらね。夫も近くに居るから安心して」
「そっか。なら大丈夫か」
「ティターニアはいつものところ?」
「うん、隣の部屋に居るよ」
ステラは頷き、隣室の扉を静かに押し開けた。
中には、以前と変わらず、ガラスに覆われた白い靄が、緩やかに揺れている。
『珍しい客人ね。三か月ぶりくらいか?』
柔らかな声がスピーカー越しに聞こえる。
「そうね。久しぶり、ティターニア。貴女の方は変わりない?」
『ウチは変わらないさ。そう言うステラは、ずいぶん変わった気がする』
ティターニアの視線が大きくなったステラの腹部へと向かう。
『なんとも不思議な感じ。前に会った時よりもより強く感じる。もう一つの命を』
「うん、この前も言ったけど、私のお腹の中には、私の子どもが居るの」
『こういう時は、おめでとう、と言うんだったか?』
「ふふふっ、ありがとう」
ステラは小さく息をつき、ティターニアの近くの椅子に腰を下ろした。
「最近、ようやく調子も取り戻してきてね。だから少し研究室に顔を出しに来たの。貴女にも会いたかったしね」
『無理はしないことね。人間の身体は脆いんだから。今のステラの身体は、ステラ一人のものではないのだろう?』
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫よ」
ステラはそう言って、そっとお腹に手を当てた。
「最近はね、毎日が幸せなの。大きくなるお腹を見て、お腹の中に居る子どもが動いているのを感じて、『あぁ、私は本当に親になるんだなぁ』って」
そう言いながら、ステラが慈しむような表情を浮かべる。
「私は孤児だったから、家族っていうものに憧れてたの。愛する人と夫婦になれて、ようやく私たちの子どもが生まれようとしている。この幸せを誰かに分けてあげたいくらい、今の私は幸せよ」
『……そう。それが〝幸せな顔〟か。ステラにまた教えられたな』
ティターニアの声は、今まで以上に優しいものだった。
『本当に、人間という生き物は、不思議で面白いな』
「ふふふっ。人の素晴らしさが、ティターニアにもわかってもらえたようで嬉しいわ」
『人間全員がステラのような聖人であれば良いのだけど』
「私だって聖人なんて大層な人間じゃないわ。誰にだって悪い側面はあるものだから。そして、残念ながらそういう面の方が目に留まりやすい。だからって、そこだけを見て決めつけるのは早計だと思うし、勿体ないとも思う。だって言い換えれば、誰にだって良い側面があるってことなんだから」
『流石は《聖女》だな』
「あんまりそう言われるのは好きじゃないだけどなぁ」
『――そういえば、子どもの名前はもう決めているのか?』
「ううん。いくつか候補はあるけど、まだ決めかねているの」
ステラは首を振り、少し照れくさそうに笑った。
『名前は親が子に贈る最初のプレゼント、だったか?』
「……覚えていたのね」
『まぁね。なぜだか、この言葉は妙に記憶に焼き付いている』
ティターニアの声は、どこか懐かしさを帯びていた。
「ふふっ……嬉しいわ。あのときは、まだ貴女が〝名前〟という概念に戸惑っていた頃ね」
『そうだったな。……けれど今では、あの瞬間がウチの〝始まり〟のように思える。あの言葉を聞いたからこそ、ウチは今もこうして〝在り続けている〟のかもしれない』
「ティターニア……」
『だから、ステラが悩んでいるのも伝わってきてる。これまで、ステラにはいろいろなことを教えてもらった。ウチにできることなら手を貸すよ』
ステラは小さく笑って、膨らんだお腹に手を添えた。
「ありがとう。名前はね、この子にふさわしい意味を持つ名前にしたいの。――願いとか、想いとか、そんなものを込められるものに」
『想いを込める、か』
「……最近知り合った東雲の姫に教えてもらったのだけど、極東の島国で使われている言語には、一つの文字にいくつもの意味を込めることができるそうよ」
『一つの文字に……いくつもの意味。それは面白いな』
「でしょ? 私もとても素敵だと思ったの。その中にね、〝始まり〟と〝終わり〟が合わさって成る、〝一生〟を表す文字があるんだって」
『……壮大だな』
「そうね。……まぁ、私が暮らしている文化体系からはかなり逸れているから、私の子どもに付けることは難しいんだけどね」
『それは、残念だ。それで? その文字って何なんだ?』
ティターニアの問いに、ステラが微笑みながら口を開く。
「それはね――」
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ひとまず、おとぎ話時代のエピソードはここで一区切りとなります。
次回はルーナのモノローグ回の予定です。
その後、オルン視点へ戻っていきます。
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