325.【sideステラ】在りし日々② 誕生
二人がやってきた隣の部屋には、壁一面の電子機器が明滅しながら、次々と数値を表示していた。
規則正しい電子音が響く中、その奥には大きなガラスケースに収められた隕石の欠片が鎮座している。
「ひとまず、現時点での成果をまとめましょう」
ステラが言うと、アウグストは肩を竦めた。
「へいへい……分かってますよっと」
軽口を叩きながら、端末を操作してデータをまとめ始める。
――そのときだった。
『これは、なんだ……?』
低く澄んだ女性の声が、聞こえた。
「……? ステラ、なんか言ったか?」
「……い、いいえ」
首を横に振るステラ。
彼女とアウグスト以外、この部屋には誰もいない。
なのに確かに聞こえた女の声に、ステラの背筋がぞわりと冷えた。
『……お前たちは、なんだ?』
再び声が響くと同時に、モニターに映っていた数値が一斉に跳ね上がる。
規則正しかった波形が、異様な乱高下を繰り返した。
「な、なんだこの数値は……!」
見たこともない数値の動きにアウグストが驚き目を見開いた瞬間――ピシリ、と鋭い音が室内に響く。
隕石の欠片を囲っていたガラスに、亀裂が走っていた。
思わず視線を向ける二人。
亀裂の向こう――ガラスケースの中には、白い靄のようなものが揺らめいていた。
『……ワタシは……なに……?』
モニターに備え付けられていたスピーカーから、声が聞こえる。
「……コイツの、声か……?」
「まさか……」
「でも現に、大きく変わっているのはこれだけだ」
ステラは小さく身震いした。
未知の存在と対話しているという事実が、肌を刺すような緊張を呼び起こす。
靄は形をとろうとしながらも、まだ不安定に揺らめいている。
『ここは……知らない……何も、わからない……』
その声には困惑と恐怖の色を帯びていた。
「……なるほどな」
アウグストは腕を組み、状況を冷静に俯瞰していた。
「おそらく、こいつも状況を飲み込めてないんだ。目覚めたばかりで戸惑ってる感じか?」
『……目覚め……た……? ワタシが……』
「俺の声も、向こうに聞こえているのか。……会話もできそうだな」
ステラは息を詰め、アウグストを見た。
「アウグスト……本当に、大丈夫なの……?」
「分かんねぇ。だが、俺の推論が当たっているなら、ステラが居てくれて助かったかもな」
「どういう意味……?」
「コイツは生まれたばかりの子どもみたいなもんってのが、俺の推論だ。さっき俺一人で確認したときはどの数値も異常値を出していなかった」
アウグストは画面を指差し、真剣な声で続ける。
「そして、俺たちが部屋に入った直後も規定値だった。つまり――異常が発生したのは〝今〟ということだ」
「……それって……」
「そう。俺たちは〝誕生の瞬間〟を観測しているんだ」
ステラは思わず息を呑んだ。
ガラスの向こうで揺らめく白い靄は、まだ形を保つことすら覚束ない。
「状況を飲み込めていないのも当然だ。自我そのものが芽生えた直後なんだからな」
アウグストが冷静に状況をまとめる。
「だからこそ、必要なのは記録と観察……そして、不安を抑えてやる存在だ」
彼はちらりとステラへ視線を向ける。
「俺は研究者だから、性質を分析してデータを積み上げることが専門。そして、感情のやり取りはステラの専門分野だろ」
ステラの表情が納得したようなものに変わる。
「そういうこと」
「お前は子どもの相手に慣れてる。未知の存在でも、今のこいつに必要なのは〝安心感〟だ。――任せたぞ」
ステラは短く息を吸い込み、頷いた。
彼女はこれまで児童養護施設で様々な子どもたちと関わってきた。
ときには泣きじゃくる子をあやし、ときには希望を失って俯く子の手を握ってきた。
――だったら、この存在にしてあげられることもあるはずだ。
強く頷いたステラは一歩前に出て、柔らかく微笑んだ。
「初めまして。私の名前はステラ。こっちはアウグスト。……あなたは?」
白い靄がふるふると震える。
『……わからない……ワタシは……なにも……』
その声には困惑と戸惑いが孕んでいた。
「そっか。それじゃあ、私たちであなたの名前を考えてもいいかな?」
ステラが問いかけると、白い靄は肯定の意を示した。
それを受け取ったステラがアウグストの方を向く。
「……アウグスト、貴方が名前を考えてあげて」
「は? なんで俺が?」
アウグストが目を瞬かせると、ステラは静かに言葉を重ねた。
「名前は、『親が子に贈る最初のプレゼント』なのよ。……だから、アウグストが考えるべき。経緯はともかく、この子は貴方の研究によって生まれたんだから」
「……わかったよ。なら、――そうだな……」
しばし考え、口を開く。
「物語に出てくる妖精の女王の名前を借りよう。――『ティターニア』。お前は今日からティターニアだ」
白い靄がぴくりと反応し、感情の波が柔らかく伝わってくる。
『……ティターニア……? それが……ワタシ……?』
ステラは思わず苦笑した。
「本当に、そういうの好きなのね。エネルギーにまで『魔力』なんて名前をつけるし」
「いいじゃないか。呼びやすくて、分かりやすい。それに――悪くない響きだろ?」
アウグストの声音は、どこか誇らしげですらあった。
◇
――数日後。
研究室の空気は、あの日とはまるで違っていた。
白い靄だった存在は、人間の言葉を理解し、すぐに自在に会話ができるようになっている。
仕事を終えたステラが研究室の扉を開けると、澄んだ声が聞こえてきた。
ティターニアの傍には新たにスピーカーが設置されていて、彼女はそこから声を発している。
『主、ステラがやってきたぞ』
「……え?」
ステラは思わず立ち止まった。
聞き間違いかと思ったが、声ははっきりとそう告げている。
「い、今……なんて?」
『……?』
「アウグストのこと、『主』って言ったの……?」
『あぁ。アウグストがそう呼べって言ってきたから』
机で端末を操作していたアウグストが気まずそうに顔を上げる。
「……あー……その……」
「アウグスト!」
ステラの声が鋭く跳ねた。
「いつからそんな呼び方を……!」
「いや、俺が強制したわけじゃないぞ? 最初にちょっと冗談で言ったら、気に入ったみたいでな。もうずっと『主』呼びなんだ」
『結構気に入ってる』
「気に入ってるって……!」
ステラの抗議もどこ吹く風、ティターニアは無邪気に靄を揺らしている。
「ま、本人が嫌がってないならいいじゃないか」
「良くないでしょ!」
『ステラ、ワタシは本当に気にしていない。無理強いもされていないから安心してくれ』
「……っ!」
ステラは額を押さえ、深いため息を吐いた。
そんな彼女を横目に、アウグストがにやりと口角を上げる。
「そういや一人称の話なんだけどさ、『ワタシ』って普通でつまんないよな」
『そうなのか? では、どんなのが良い?』
「ちょ、ちょっと! またそんなことを!」
『構わない。面白そうだ』
そこからアウグストの提案会が始まった。
「『アタシ』とか? 『余』ってのも威厳があるな」
『……しっくりこないな』
「じゃあ『ボク』? いや、『わらわ』?」
『……それも、何か違う』
「ん~、どれも合わないか……」
頭を掻いたアウグストは、ふと隣にいるステラを見て、にやりと笑う。
「そうだ。『ウチ』ってのはどうだ?」
「っ!?」
ステラの顔が瞬時に赤く染まる。
「だ、だめ! それは……!」
『ウチ……? 響きが良いな。気に入った』
「ティターニア! それだけは、やめて!」
ステラは必死に反対するが、その必死さがかえってティターニアの興味を惹き立てた。
『なんでそんなに必死に反対する?』
「だ、だって、それは……」
「……ステラが子どものころに自分のことをそう呼んでたんだよな」
「アウグストぉ……!」
『なるほど。なら、決まりだ。これからワタシは自分のことを『ウチ』と言うことにする』
ティターニアは嬉しげに宣言し、ステラは赤い顔を両手で覆った。
一方、アウグストは楽しげに笑いをこらえきれずにいた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次話もお読みいただけると嬉しいです。







