321.エヴァンスの罪
ルーナとの修行には、常に俺が付き添っているわけではない。
四六時中そばに居ては、逆に彼女を追い詰めてしまうだろうし、彼女からも「私だけに構わず、オルンさんも自分のやるべきことをやってほしいです」と言われているため、その言葉に甘えている。
俺がいないときは、シオンやオリヴァーが彼女の修行に付き添っている。
だからこそ、今は俺自身の鍛錬に集中する時間だ。
「胸をお借りします、キリュウさん」
そう言って木刀を構えると、キリュウさんはわずかに口角を上げ、すっと腰を落とした。
「えぇ、遠慮は要りません。どこからでも掛かってきてくだされ」
俺は駆け出し、間合いを詰める――が、単純に斬りかかるつもりはない。
キリュウさんの間合いに踏み込むより早く魔術を発動し、地面に【反射障壁】を展開した。
スピードを殺さず、予備動作無しで上空へ跳躍する。
太陽とキリュウさんの間に割り込む形になり、彼の頭上に影を落とす。
俺はすぐに【影操作】を再現して足元から奇襲を仕掛けた。
キリュウさんは一瞬たりとも俺を視界から外さない。
にもかかわらず、落ち着いた動作で影を躱し、余裕すら感じさせる。
「……やっぱり避けるか」
驚きはあったが、想定内でもある。
俺はすぐさま【転移】を発動した。
次の瞬間、俺の姿は掻き消え、遮られていた太陽光がキリュウさんに差し込む。
それが目くらましとなり、彼の視線をわずかに切らせる。
その死角に転移した俺は、勝機を逃さず木刀を振るった。
――届く、そう思った瞬間。
俺の目の前に現れたのは、俺が振るったものと同じ木刀。
それはキリュウさんから繰り出されたものだった。
目の前で寸止めされている。
だが、俺の木刀が届くよりも先に、彼の木刀が俺を捉えていたことは間違いない。
「っ……参りました」
木刀を下ろしながら、思わず苦笑する。
これが……後の先ってやつか。
キリュウさんは木刀を引くと、涼やかな眼差しで俺を見据えた。
「剣も魔法も工夫は悪くありませんでした。しかし、目が語りすぎていますね」
目が語りすぎ――つまり、視線から俺の行動を予測していたということか。
ほんの一瞬の焦りや欲をも読み取られるのなら、剣も魔法も届かない、か。
……完敗だな。
キリュウさんは木刀を背に回すと、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「……何か収穫はありましたかな?」
「はい。たくさんありました」
俺がそう答えると、彼は満足げに頷いた。
「それは良うございました。……しかし」
ゆったりとした声音のまま、だが鋭さを秘めて言葉を続ける。
「どうして魔法による面攻撃をしなかったのですか? 刀を振るしか能の無い儂を相手にするなら――剣が届かぬ場所から、一方的に攻め立てるのが最適解でしょう?」
なるほど、確かにそうだ。
だが俺は首を横に振る。
「それはそれで、対処できる手札をキリュウさんは持っているのでは? ……それに、これは実戦じゃなくて模擬戦なので。だからこそ、キリュウさんの得意分野で戦いたかったんです」
「ふむ……」
「一つに偏らず、多様な戦い方ができるのが俺の強みです。でも、だからこそ――自分にはない〝極められた強さ〟を識っておきたかったんです。その力を上回る戦いをするためにも」
キリュウさんはしばし黙し、それから朗らかに笑った。
「ふふ……なるほど、そういうことですか。オルン殿の欲するものがよく分かりました。実戦では対峙したくない相手ですな」
冗談めかした口調に、俺は苦笑しつつも木刀を握り直す。
武の極致はまだ遠い。
だが――必ず届いてみせる。
「では、もう一本お願いしてもいいですか?」
「えぇ。何度でもお付き合いしましょう」
◇
キリュウさんとの稽古を終えた俺は、不死鳥の社へとやってきた。
本殿に祀られた大きな水晶が、薄青い光を放つ。
その水晶からは、まるで翅を広げた火鳥の羽根のように無数の術式が浮かび上がり、社の空間を埋め尽くしていた。
記号と線が重なり合い、通常の魔術式とは違う文字列で紡がれた紋様が、静かに、しかし確かに意味を持って動いている。
その一部を読み進める。
「やっぱり……クリスの推測通りだ」
思わず呟くと、空間が震えたように見えた。
『――また来ていたのね、オルン』
ティターニアの声が俺の脳裏にふわりと乗る。
その声は柔らかく、しかしこちらの思考を遮ることなく、言葉だけが直接届いてくる。
「あぁ。なるべく早く、術理の解読を進めないといけないから」
俺は空中を泳ぐように流れる文字と、羊皮紙に書き留めているメモを見比べながらティターニアに返答する。
文字列はまだ半分ほどしか判読できていない。
通常の魔術式と似通っているところもあるが、ほとんど違う言語体系だ。
解析には骨が折れる。
『……そう。それで? 収穫はあったの?』
「あぁ。読み解けたのはまだ一握りだけど、優先して調べたい節に当たりをつけていって、ようやく識りたいものが見えた」
ティターニアが少し間を置いて、『識りたいもの?』と問う。
念話には興味が混ざっているように感じた。
「――長距離転移がもたらす世界への影響だ」
言葉にすると、社の空気がさらに引き締まるような気がした。
術式の一端を指で辿る。
「魔術の中には【空間跳躍】という転移魔術がある。この魔術は任意の場所へ瞬時に移動できるが、距離は百メートル前後が精々だ。だが、《アムンツァース》や《シクラメン教団》が使う転移には、その限界を取っ払った長距離転移がある。それにはいくつか制約はあるにせよ、明らかに通常の魔術体系から逸脱している」
『つまり……魔法に近い、ということ?』
「そうだ。クリスは以前から、教団が長年にわたり、毒素――つまり魔力濃度を高めることを目的にしていると疑っていた。魔力濃度が高まれば、術理の負担は増す。そして、長距離転移が魔力濃度を高める一助になっているのではないか、という推測だ」
『で、それが当たったのね?』
「あぁ。ここにある術式の一部は、転移痕の残滓を記録している。そして、それには長距離転移のたびに術理へ微小な亀裂を刻んでいることが示されている。超越者が魔法を行使する際と同様の事象だな」
『だったら、魔法自体がダメということにならない?』
「厳密にはな。だが、超越者が空けた穴は、すぐに塞がれている。だというのに、教団が使用している長距離転移によって空けられた穴は、塞がるまでに時間が掛っている」
ティターニアの念話がふっと静まる。
『それで、今の段階ではどの程度進んでいるの?』と彼女が促す。
「ここからは推測になるが、教団が本格的に動き始めているということから、魔力濃度が規定値に達していると考えて良い。その状況でこのまま継続して、長距離転移が乱用されれば――空気を入れすぎた風船が破裂するように、術理の壁が一気に裂ける可能性がある」
『それは……貴方の望んでいる終局とは違うね』
「あぁ。俺たちは最終的に壁を壊すことを目標にしている。でも、それは準備を整えた上での話だ。準備が完了するより先に壁が壊れれば、それは――人類の絶滅を意味する」
俺の言葉にティターニアの念話が長く沈む。
やがて彼女が、『それは最悪の事態ね。どうするつもり?』と問うてくる。
「まずは術理を書き換えて、長距離転移そのものを封じる」
『そう。なら、手を貸してあげる』
念話に込められた真剣な響きに、俺は深く息を吐いた。
「助かるよ。ありがとう、ティターニア」
『ウチは傍観者を辞めて貴方に協力するって決めたからね。今のウチでもこれくらいの手伝いならできる』
彼女の声は、柔らかいのに揺るがない確固たる意志を孕んでいた。
水晶から迸る術式が、複雑な円環を描きながら空間を満たしていく。
『では始めましょう。ウチが流れを安定させるから、オルンは書き換えに集中しなさい』
「わかった」
俺は掌を掲げ、水晶から溢れる術式の環に干渉する。
ティターニアの魔力が光の粒となって舞い、乱れる流れを鎮めていく。
その隙に、俺は符号の連鎖を書き換えていった。
淡い震動と共に、円環が音もなく組み替わる。
やがて術式の奔流は静まり、次第に術式が水晶玉の中へと飲み込まれていく。
『……これで長距離転移はもう使えなくなったわね』
「助かった。ティターニアのおかげだ」
『どういたしまして』
俺は術式の静まった水晶に視線を落とす。
まだまだ術理の全貌は掴めていないけど、ひとまず最優先に処理しておくことは無事に終わった。
「――よし、それじゃあ次だ」
『次? まだ何かやるの?』
「あぁ。次は、この世界に生きる人間全員に、外の魔力への耐性を付与するための準備だ」
『……本当にそんなことが出来るの? それは、魔力について一番深く識っていた主――アウグストでも成しえることはできなかったのに』
ティターニアの念話には、率直な疑問が混じっていた。
彼女の疑問も尤もだ。
「もし俺がアウグストさんと同じ条件にあったなら、たぶん俺にもできなかっただろう。だけど、アウグストさんの時と今では、決定的な違いがある」
『決定的な違い?』
ティターニアがオウム返しする。
「それは――今この世界に生きる人間は全員この世界で生まれたということだ。詳細は複雑だから省くけど、要は今の人間は術理と繋がりを持っている。そして、術理の世界独自の技術である魔術は、人の氣や遺伝子にすら干渉することが出来る」
『氣については分かる。支援魔術の基本六種は氣に働きかける魔術だから。でも、遺伝子にまで干渉できるなんて聞いたことは――』
ティターニアの念話はそこで途切れ、言葉が途切れた先で何かを思い当たしめすように、ふっと小さな声が漏れた。
『――あぁ、オリヴァーか』
彼女は実例に気づいたようだ。
俺は静かに頷く。
俺とオリヴァーは従兄弟の関係だ。
俺の母の兄の息子がオリヴァーで、つまり彼もアウグストさんの子孫に当たる。
約二十年前、日に日に勢いを増す教団に焦った《アムンツァース》の一部――過激派と呼ばれていた人たちが最低なことを思いつく。
それが、邪神を討つために、人工異能である【魔力収束】と共に、人工的に《おとぎ話の勇者》の先祖返りとなるよう設計された、いわゆるデザイナーベビーを作ることだった。
そうして誕生したのが、――オリヴァーだ。
その遺伝子操作魔術は、じいちゃんが理論立てて、父さんが完成させた。
そして、オリヴァーがまだ母親のお腹の中に居るときに父さんによって行使された。
《アムンツァース》の誤算はオリヴァーが生まれた直後に、天然の先祖返りである俺が生まれたことだろう。
少し脱線するが、幼少期に俺に施された封印魔術も、この遺伝子操作魔術の応用だ。
アクシデントによってオリヴァーを抑える必要が出来た場合に施される予定だった。
それを両親が独断で俺に施した。
俺は、両親もじいちゃんも尊敬しているが、彼らの全ての行動を肯定することはできない。
しかし、責めることもできないだろう。
「ティターニアも分かったんじゃないか? 俺がやろうとしていることに」
『……術理と人間の繋がりを利用して、全員に〔破魔〕を宿すのね』
「そうだ。術理を操作すれば、世界の構造を変えることもできる。その〝世界〟の中には人間も含まれている」
『……とんでもないことを考えついたわね』
念話には驚きと警戒が混じっている。
「……自分でもそう思うよ。当然だけど、これを行う前には万全に万全を期すつもりだ。……まずは、俺自身で試す」
俺は視線を動かし、自分の胸を軽く押した。
「ちょうど、妖力を操れるようになりたいと思っていたわけだしな。妖力は遺伝子に刻まれた機構によって封じられている。この機構をどうにか無力化する方法を模索する」
水晶の光が静まり、社の空気が再び落ち着きを取り戻す。
未知への不安はある。
だが、止まるわけにはいかない。
この一歩が、外の世界へと繋がる礎になると信じているから。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次話もお読みいただけると嬉しいです。







