302.約束の結実
◇
神楽鈴の音が、再び静かに境内に響いた。
篝火の炎がわずかに揺れ、まるでそれに呼応するかのように、風がそっと櫓の上を撫でていく。
舞が、始まった。
二人の少女は、息を合わせるように一歩、静かに足を踏み出す。
白と緋の巫女衣装が揺れ、灯籠の明かりの中で幻想的な軌跡を描く。
先に動き出したのはナギサだった。
手にした神楽鈴を高く掲げ、音を響かせながら、丁寧に舞を踏む。
その所作は慎ましくも端正で、心を鎮めるような静けさを帯びていた。
続いてフウカが扇を広げる。
一対の扇は、表に淡い桜霞の意匠が描かれ、動きに合わせて柔らかく光を反射する。
彼女の動きはナギサと対照的に、しなやかで流れるようだった。
片手を翻すたびに、扇が夜の空気を裂き、舞の軌跡を美しくなぞっていく。
互いが向かい合うように旋回し、そのまま背中合わせに立つ。
ナギサが鈴を振れば、フウカの扇が広がる。
鈴音が祓いを、扇の流れが祝福を、そう感じさせるような呼吸が合っている。
その流れの中で、ふとフウカが顔を上げる。
灯籠の光に照らされながら、ほんの一瞬、見えた彼女の表情には――満面の笑みが浮かんでいた。
それを見つめていたハルトさんが、わずかに口元を綻ばせる。
「……やっと、笑ってくれたな」
小さな声だったが、それは確かに、彼女の兄のような存在からの、心からの安堵だった。
やがて、舞は終盤へと向かう。
フウカの扇がひときわ大きく翻り、桜の花びらのような魔力が宙を舞った。
それに合わせてナギサの鈴がひと際強く鳴らされる。
二人はゆっくりと歩み寄り、重なるように並ぶ。
そして最後の一歩を踏み、頭を垂れた。
――舞の終わり。
だが、そこでフウカは静かに身を起こし、もう一歩だけ前へ出る。
彼女の手には、すでに扇はなかった。
代わりに、手にあったのは――薄桜色の刀身を輝かせている妖刀、白櫻だった。
篝火の明かりを受けて、白く染まった刀身が、静かに揺れる空気を裂く。
観衆の誰もが息を呑んで、その姿を見つめていた。
フウカは、ゆっくりと構えを取る。
瞳は真っ直ぐに、夜空を見つめていた。
「……この国が、また前に進めるように」
誰に向けるでもない、けれど確かな祈りのような声。
そして、白櫻が振るわれた。
風を斬り裂く鋭い音が、夜空に響く。
桜霞のような妖気が、刀身からほのかに舞い散った。
振り抜かれた白櫻が、やがてその刀身を静かに納める。
音もなく鞘に納まったとき、風が再び境内を吹き抜けた。
そして、静かな拍手が――一人、また一人と鳴り始める。
今度のそれは、戸惑いではなかった。
敬意と、感謝の音だった。
フウカは、それを一身に受けながら、ただ静かに頭を下げた。
◇
拍手の余韻が、静かに夜空に消えていく。
舞は終わった。
人々は誰からともなく、天霊神社の参道をゆっくりと下り始める。
普段は足を踏み入れることのできないこの聖域――霊山の中腹にあるこの神社が、霊舞祭の最終日だけ民に開かれる。
だからこそ、この夜の訪れは特別だった。
静かな感動と敬意を胸に、誰もが言葉少なに帰路についていく。
俺たちは、神社の裏手にある舞台袖でフウカの到着を待っていた。
やがて、白い装束を脱ぎ、肩に羽織を掛けた彼女が、狐面を片手に持って歩いてくる。
その表情は、どこか照れくさそうで、けれど清々しかった。
俺たちが駆け寄ると、彼女は一歩だけ立ち止まり、小さく口元をほころばせた。
「お疲れ様、フウカ」
俺がそう言うと、シオンが目を潤ませたまま、真っすぐ彼女に向き合った。
「……すごく綺麗だった。舞も、宣言も、全部……感動したよ」
シオンの言葉は、まっすぐだった。
「ありがと。――そんなことより、りんご飴は?」
けれど、それに返ってきたフウカの一言は、どこかズレていて、でも、実に彼女らしかった。
ぽかんとするシオン。
俺たちは全員吹き出した。
「……変わんねぇな、お前は」
そう言ったのは、ハルトさんだった。
その声には、呆れではなく、どこか安堵と愛しさが混じっていた。
「櫓の上からハルトが食べてたの見てたから。ハルトだけ先に食べるなんてズルい」
むくれた表情で糾弾するフウカ。
「フウカさんの分もちゃんと買っていますよ」
そう言いながら、ルーナがりんご飴を差し出す。
「ありがと」
フウカが目を輝かせながらそれを受け取る。
俺は改めて思った。
本当に、変わらない。
でも、確かに――何かが、報われたのだと。
石段を下りる俺たちの背を、夜風がそっと撫でていった。
提灯の灯りが並ぶ参道に、夏の夜のざわめきが戻っていく。
三本目のりんご飴を舐めていたフウカが、ふいに立ち止まった。
「……やっぱり、夏の風は気持ちいい」
顔を上げて夜空を仰ぐその横顔は、どこか晴れやかだった。
「夏が、好きなのか?」
俺が何気なくそう尋ねると、フウカは少しだけ考える素振りを見せてから、
「…………ふつう」
と、気の抜けたように答えた。
俺が肩をすくめて笑いかけると、彼女はそのまま小さく息を吸って、
「でも、また……好きになったかも」
そう呟いて、前を向いた。
灯りの向こうへ、ゆっくりと歩き出す。
何が『また』なのか、俺にはわからなかったけれど、ただ、今彼女が笑っていることが嬉しかった。
蝉の声もない静かな夜に、風だけがふわりと通り抜けた――。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
第九章はあと1話残っていますが、次話は第十章へとつながる要素が中心になるので、ここで一区切りと言えるかもしれません。
次話もお読みいただけると嬉しいです。
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あと4か月もすれば放送が始まると考えると、私自身まだ実感が湧きません。
それでも、一視聴者として皆さんと一緒に楽しめればと思っています。
今後も続報があり次第お知らせいたしますので、どうぞ楽しみにお待ちください。






