297.八咫蛇討伐戦
◇ ◇ ◇
(さて、どう戦うか)
俺はヤタノヘビを見据えながら、作戦を組み立てていた。
相手の首は八つもある。
そのくせ、その一つ一つがありえないほどにでかい。
一本の首に意識を割きすぎれば、他の首がまたハネミヤを狙うかもしれない。
全方向に注意を払いつつ攻撃する――単純にして至難の戦いだ。
そこへ、空間が歪むような音が響いた。
次の瞬間、風と共に二つの影が俺のすぐ横に現れる。
「――加勢に来た」
「――強力な魔法が使える人がいた方が良いよね」
背後から女性の声が二つ聞こえた。
振り返るまでもなく誰か分かる。
フウカとシオンだ。
「助かる。ちょうど手が足りなかったところだ」
二人が来てくれたことで作戦の幅が大きく広がる。
「それにしても、フウカ。身体は大丈夫? ……傷は癒えてるみたいだけど、服がひどいことになってる」
シオンがフウカに問いかける。
確かにフウカの身体に目立った外傷はない。
しかし、和服は所々が裂けており、今にも破れそうなほどに傷んでいた。
おそらく、回復魔術で応急処置は済ませているのだろう。
でも、魔術では衣服までは修復できない。
これまでどんな攻撃も無傷で凌いできた彼女をここまで傷つけるなんて、キリュウさんの技量の高さが伺える。
だが、それでもなお、フウカは立っている。
別れたときよりも、どこか清々しく見えた。
彼女は、なにかを乗り越えたのだろう。
「……少し、動きづらい」
フウカが小さく呟く。
その言葉に、シオンが穏やかに微笑んだ。
「ジッとしてて。【時間遡行】で服を元に戻すから」
そう言いながら、シオンが異能を行使する。
空気がわずかに震え、フウカの身体を包む空間が揺らぐ。
裂けた袖が、糸を巻き戻すように自然に繋がっていく。
擦れた裾が、綻びを解くように滑らかに整っていく。
ボロボロだった和服が、キョクトウに降り立ったときと同じ、整った姿に戻っていた。
「ありがとう、シオン。助かった」
「どういたしまして」
その穏やかなやり取りを見届けて、俺はフウカに声を掛けた。
「フウカ、あの八つ首の蛇はこの国の神話に出てくる怪物らしいが、何か知ってるか?」
「私は知らない。でも、ナギサが何か知っていると思う」
「彼女は今どこに?」
「ハルトと先生と一緒に居る。ハネミヤの南西付近」
俺がハルトさんたちの気配を探っていると、ヤタノヘビが動き出した。
「っ! まずは、あいつの情報を収集する! 俺が右から四本の首、フウカが左から四本の首の相手だ。シオンは俺たちの支援とハネミヤへの攻撃を防いでくれ!」
「了解」「任せて!」
俺たちは三方向へと同時に動いた。
◇
俺は右側の首を引き付けながら、隙を見て【精神感応】を再現する。
シオンとフウカ、そしてナギサ・アサギリと思われる少女をパスで繋ぐ。
『ナギサ、聞こえる?』
フウカが念話でナギサに声を掛ける。
『え、姉さまの声が……。フウカ姉さま、今どこにいるの!?』
『今はヤタノヘビと交戦中。オルンの異能でナギサに話しかけてる』
『オルン……? って、国際指名手配されてる《魔王》のこと!?』
『そのオルンで合ってる。でも大丈夫。私の仲間だから。さっきのブレスを防いでくれたのもオルンだよ』
『そ、そうなんだ』
『それで、ナギサはヤタノヘビについて何を知ってるの? 倒し方とか知ってる?』
『私が知ってるのは、あくまで神話上のものだから、その通りになるかわからないけど。神話では、八つの首を同時に斬らないと倒せなかった。一本ずつだと、すぐに再生しちゃうんだって』
(試してみるか)
振り下ろされる尻尾や魔力による攻撃を躱しながら近づき、
「――【参之型】」
魔剣を自分の身長を超えるほどの長さの大剣に変える。
「――っ!」
俺の請け負っている四本の首で一番鈍いものを狙って、魔剣を振り抜く。
斬撃に【瞬間的能力超上昇】を乗せて、首を断ち切った。
その切り口が泡のように蠢き、すぐに元に戻った。
「なるほど。再生が早いな」
俺が呟いていると、フウカも同じように別の首へと斬りかかっていた。
だが、そちらも同じ。
断たれたはずの首が即座に再構成されていく。
俺とフウカが接近したことで、自由になった首が口を広げた。
そのまま空気が歪むほどに収束された涅い魔力がハネミヤへと放たれる。
だが、その行く手を遮るように、澄んだ声が響く。
「――魔法戦で私に勝てるなんて……思わないでね」
シオンの右目に幾何学的な模様が浮かび上がり、白銀色の魔力が漏れ出していく。
彼女の周囲の空間に細かく亀裂が走り、その裂け目から、凍てついた世界の冷気が一気に流れ込んだ。
氷霧が舞い、白銀の魔法陣が幾重にも展開される。
周囲の熱を吸い取るかのように、彼女の周りの魔力が魔法陣の中心へと吸い寄せられていく。
魔法陣越しに杖を迫りくるブレスへ向けながら、シオンが魔法を発動する。
「――【絶零之銀葬】」
シオンの杖先から、白銀の輝きが迸る。
空間すら凍てつかせる、冷たく、静かな破壊の奔流。
涅い魔力と白銀の魔力が空中で衝突する。
闇のブレスは凍り付き、削られ、砕け散り、氷片となって弾け飛ぶ。
そのまま、凍てつき貫く白銀の砲撃が、ブレスを放った首を巻き込んで吹き飛ばし、白銀の残光を残して空の彼方へと消えていった。
しかし、シオンが吹き飛ばした首も即座に再生を始める。
『これは、ナギサの言う通り、まとめて斬らなきゃ死にそうにないな』
『だったら、私が斬る』
フウカの念話は静かだが、揺るぎない意志を帯びていた。
『わかった。止めはフウカに任せる。何か準備は必要か?』
『五秒欲しい』
『了解。シオン、背中は任せた』
『うん! 任せて!』
フウカがヤタノヘビから少し離れて、集中力を高めている。
それと入れ違うようにシオンが前に出る。
「――【弐之型】」
魔力を分割させて二振りの魔剣にする。
ヤタノヘビが唸り声のような音を上げ、八つの首がそれぞれ別の方向を向く。
一部はフウカに向かおうと、わずかに身体をひねった。
「させるかよ!」
俺が真っ先に飛び出す。
右の首めがけて接近し、咆哮と共に突き出された顎を二振りの魔剣で斬り払い、誘導するように横へと跳ねた。
その瞬間、もう一本の首が俺に向けて突進してくる。
左の魔剣で受け流し、右で顎下へ一閃を浴びせる。
斬り伏せるには至らないが、充分な牽制にはなった。
そのまま縦横無尽に動き斬りつけながらヘイトを買う。
タイミングを見計らって、ヤタノヘビの上空へ移動した。
そんな俺に攻撃しようと、ブレスを準備し始める。
だが、それは俺に届かない。
ブレスが放たれるより先に、シオンが魔法を発動する。
「【氷霜之銀嵐】!」
氷点下を遥かに下回る銀色の嵐が、通った場所を銀世界に変えながらヤタノヘビに襲い掛かる。
体表の一部が氷漬けになり、動きが鈍った。
「【陸之型】」
二振りの魔剣を弓に変え、収束魔力を矢にして番える。
その矢に異能を乗せて撃ち下ろす。
ヤタノヘビの体を貫いた矢を中心に、空間がわずかに歪んだ。
そこから、周囲の空気が押し潰されるようにして、一気に収縮する。
重力の奔流だ。
矢に込めた異能が炸裂し、見えない圧がヤタノヘビの巨体を押し潰そうとするように襲い掛かった。
その効果は絶大だった。
氷結で動きが鈍った首が、さらに重力の圧力に引きずられるように地へと沈む。
うねるように蠢いていた巨大な胴体も、硬直したかのように動きを止めた。
――直後、桜が咲き乱れた。
(あれが、フウカの妖刀の真の姿か)
フウカのその姿に、俺は息を飲んだ。
彼女の手にある刀の刀身は、これまでの赤銅色ではなく、柔らかな薄桜色になっていた。
その刀身から立ち昇る妖力は、風に乗って宙を舞う桜の花弁を思わせる。
そして、その花弁はフウカの瞳にも浮かんでいた。
圧倒的な存在感を放つフウカにヤタノヘビの首が一斉に動こうとする。
だが、冷気と重力によって身体は満足に動かないようだ。
「二人とも、ありがとう」
フウカは、静かにそう呟く。
そのまま氣を固めた足場の上で妖刀を構える。
一拍置いて、彼女の唇がわずかに動いた。
「――八重桜」
その刹那、目にも止まらぬ速さで振り抜かれた刀が、空気を切り裂く音さえ残さず、ただ一陣の風と共に走った。
風に溶けるように放たれた斬撃は八つ。
それらは桜の花弁のように舞いながら、同時に、確実に、ヤタノヘビの八本の首を断ち落とした。
遅れて落ちる首たちは、斬られたことにすら気づいていないかのように、無言のまま崩れ落ちる。
刹那の後、何かが終わったことを告げるように、フウカは刀を鞘に納めた。
「……終わった」
その言葉を合図に、八つの首と巨体が霧散を始め、風に溶けて消えていった。
快晴の空に滲む薄桜の妖力が、花吹雪となってハネミヤに降り注ぐ。
それは祝福でも赦しでもない。
ただ、国を追われた姫が、誰に告げるでもなく、帰ってきたことを皆に知らせているようだった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次話もお読みいただけると嬉しいです。