260.悪魔
◇ ◇ ◇
《羅刹》スティーグ・ストレムを追って、俺は大穴から少し離れた地上へと転移した。
「……雨?」
直前まで晴れ模様だった空は雲に覆われていて、小さな雫がいくつも落ちていた。
「島の外への転移を阻害する結界とは、やってくれましたね」
不機嫌さの入り混じった声が聞こえてきた。
その声の方へと顔を向けると、そこにはいつもと変わらない邪気のなさそうな笑顔を浮かべているスティーグが立っていた。
「お前はすぐに俺の前から逃げるからな。今回は逃がさねぇよ」
「やれやれ。仕方ありませんね。あまり気乗りはしませんが、お望み通り少し遊んであげましょう」
スティーグが無造作に手刀を振るう。
その腕の軌道に沿うように超圧縮された水が、斬撃となって俺を斬り裂くべく襲い掛かってくる。
建物だろうが簡単に両断することが出来る上に目視が難しい厄介な攻撃ではあるが、ネタが割れれば脅威でも何でもない。
水刃は俺に届く前に掻き消えた。
それを見ていたスティーグの表情が僅かに歪む。
「俺が転移阻害の結界を張れている時点で気づけよ。そんな単純な攻撃が、今の俺に通用するわけないだろ」
「……半信半疑ではありましたが、これは認めざるを得ないようですね。……しかし、つい先日まで力の使い方がなっていなかったというのに、この短い時間のうちに貴方に何があったのですか?」
スティーグが疑問を口にする。
コイツの目線では、俺とスティーグが最後に接触してから一カ月も経過していない。
最後に接点を持ったのは、スティーグがダルアーネで《博士》オズウェルを処分という名目で殺害したあの時だ。
あの時の俺はスティーグに全く相手にされていなかった。
前回のツトライルでの敗北からもわかるように、あの時は雲泥の実力差があったのだから、俺の急激な変化に疑問を持つのも当然だろう。
「死にたくなるような経験をしただけのことだ」
「…………ふむ。色々と疑問は残りますが、これは少々本気を出さないといけないようですね!」
スティーグが臨戦態勢を取る。
それと同時に空に穴が開き、数体の水竜が姿を現した。
今のスティーグに島外への干渉は不可能だ。
だとすると、この水竜はさっきの迷宮に存在していたやつらか。
「やる気になったところ悪いが、もう遅い。とっくに勝敗は決している」
帝国の《英雄》フェリクスの異能である【引斥操作】を行使して俺の周囲の重力を強めた。
空を飛んでいた水竜たちは突然の重力変化に順応できず、地面に引き寄せられていく。
雨が降り続けているこの場所は、雲によって太陽の光が遮られている。
それは、この辺り一面が日影であるということ。
ログの異能である【影操作】を行使して、地面から影でできた無数の槍を出現させる。
それが地へ墜ちた水竜の身体を串刺しにした。
「異能の同時併用ですか。なら、それを利用させてもらいましょう!」
スティーグは水竜と違って、地面に膝を着けることなく増幅した重力に耐えていた。
そのまま空から降ってくる雨の雫を弾丸のようにして撃ち下ろしてくる。
俺は【念動力】で雨の弾丸を受け止めながら、シュヴァルツハーゼを構える。
刀身に氣を纏わせ、空を斬るように全力で振るう。
俺が放った斬撃が雲を割り、青い空が姿を見せた。
「っ!?」
それを見たスティーグが驚きの色を示す。
「ようやく見られたよ、お前の薄気味悪い笑み以外の表情が」
「下等種の分際で……!」
スティーグが身体を震わせながら、忌々し気に俺を睨みつける。
「お前が俺にどんな感情を向けようが勝手だが、お前が生き残れる道は一つ、俺の要求に応じることだけだ」
「要求?」
スティーグが訝しむ顔になった。
「そうだ。俺はお前らを滅ぼしたいわけじゃない。出来ることなら共存したいと思っている。お前ら悪魔とも」
スティーグは人間ではない。
先ほど胸を貫いたのに、普通に動いていることが何よりの証拠だろう。
「思っても無いことを宣うなよ、人間。我々を『悪魔』と呼ぶお前が、我々との共存を口にするな! 我々は、人間の発展に寄与していた妖精だ!」
世間で語り継がれているおとぎ話では、勇者と呼ばれていたアウグストさんと複数の仲間、そして妖精が協力して邪神を討伐したとされている。
しかし実際のところ、妖精には人間に味方をする者と邪神の味方をする者の二種類に分かれていた。
当時の人間はその二種類の妖精を区別するために、味方する者を『妖精』、敵対する者を『悪魔』と別々に呼称していた。
そのため、悪魔も妖精と本質は同じものだ。
「いや、お前らは悪魔だ。人間を滅ぼそうとしているお前たちを、俺はまだ妖精とは呼べない」
俺がそう言い切ると、スティーグの表情から笑みが完全に消えた。
これまでの常に笑みを浮かべていた人間味の一切ないスティーグはどこにも居なかった。
人間と悪魔――妖精は、生物的には全く違う種族だけど、同じように理性と感情を持っている。
本質的にはすごく似た種族だと思う。
こうしてスティーグと対峙して、それを強く感じた。
「……本当に人間という生物は、救いようが無いな」
「そういうお前たちは高尚なのか?」
「少なくとも、世界を腐らせることしかできない下等種よりは、幾分かマシであることは間違いない」
今の言葉は、スティーグがこれまでに発したどの言葉よりも感情が乗っていたように感じた。
「そうか。お前の本音が聞けて良かったよ。お前も自分の信念に基づいて行動しているんだろうな。それじゃあ交渉は決裂か?」
「聞くまでも無いだろう。だが、お前には感謝しないといけないかもしれないな。やはり人間は滅ぶべき種族だと再認識させてもらえたからな!」
スティーグが声を上げると、彼の怒りに呼応するかのように、島を囲っている海が荒れ始めた。
天に届くかのように高い波が迫りくる。
「お前が俺の要求を突っぱねてくれて安心したよ。もしもお前が応じていたら、俺はお前に対する怒りをずっと燻ぶらせていただろうから。――俺は人間が笑って過ごせる未来を掴み取るために戦うと決めた。人間を滅ぼそうとしているお前は俺の敵だ」
島を飲み込もうとするほどの波を前に、スティーグの排除を決めた。
直後、波はその形を失った。
大粒の雨のようにその場に降り注ぐ。
「いつの、間に……!?」
スティーグが口の端から血を零しながら、力なく呟く。
その身体には無数の斬撃を受けたかのように、大量の斬り傷が刻まれていた。
【冥府之黒夜】を受けても、胸を剣で貫かれても、ほとんどダメージが見受けられなかったスティーグだったが、この攻撃には耐えられなかったようでその場に倒れ込んだ。
「言っただろ。『とっくに勝敗は決している』と、『お前の生き残れる道は俺の要求に応じることだけだ』と」
俺がスティーグに突き刺したシュヴァルツハーゼの刀身には俺の氣を纏わせていた。
剣で貫いた際にスティーグの身体に、纏わせていた氣を打ち込んでいた。
その氣をハルトさんが得意としている内部破壊のように操って、内部から奴の身体を斬り刻んだ。
「お前は人間を舐め過ぎだ。確かに魔力に関してはお前らに軍配が上がる。だが、氣についてはこっちに分がある。人間の身体を乗っ取っているとはいえ、死体には氣が巡っていないからな。感知することもできなかっただろ」
妖精や悪魔は通常この世界に直接干渉することができない。
干渉するには人間を介する必要がある。
そこでスティーグは死体を依り代にこの世界での活動を可能としていた。
この世界に顕現するよりも能力は劣るだろうが、自身を顕現させた時のように肉体の死と自身の死が紐づくことも無い。
だが、これはスティーグ一人でできることではない。
死体が腐敗しないようにベリアの異能である【永劫不変】が使われているだろうし、そもそも身体に入り込むためには、また別の異能が必要となる。
教団は数年前にキョクトウで内戦を引き起こし、その後、影からかの国を支配している。
その理由はこの世界の根幹部である〝不死鳥の社〟を押さえるためだと思っていたが、それ以外の理由もあったみたいだな。
「氣ですか。相変わらず忌々しい力ですね。……いいでしょう。今回は貴方に勝ちを譲りましょう。ですが、残念ですね。私の身体はこれだけではありません。また別の場所で会いましょう。その時は絶望の底に叩き落としてあげますよ」
再び笑みを絶やさない余裕綽々といった雰囲気に戻ったスティーグが、俺に別れの挨拶をしてきた。
スティーグは悪魔であり、俺が切り刻んだ身体は単なる外装に過ぎない。
また別の死体に乗り移ろうと考えているんだろう。
スティーグから、奴の本体である魔力が外に出てきた。
それは煙のように空へと立ち上りはじめ、どこかへ去ろうとしている。
「お前は俺の話を何も聞いていなかったんだな。言ったよな? 『今回は逃がさねぇ』って」
そう、逃がさない。
コイツはここで確実に斬り伏せる。
「――【魔剣合一】【終之型】」
シュヴァルツハーゼを魔剣にしてから身体に取り込む。
それから体内を巡る氣と掛け合わせる。
肉体に収まりきらなかった〝力〟が身体から漏れ出る。
力に触れた身に纏う衣服が魔衣へと変わった。
俺の周囲に蒼黒い電光が迸る。
新たな魔剣を作り出し、それを握る。
同時に【魔力収束】と【精霊支配】を行使する。
スティーグが依り代にしていた死体の近くを漂う魔力が、青空のような色を帯び始めた。
それは徐々に人の形を帯び始め、空色の青年が姿を現す。
「なにっ!?」
スティーグをこの世界に顕現させた。
想定外だったのか、スティーグは困惑したような表情をしている。
「これで、ようやくお前を葬れる」
魔剣を構え、刀身に〝力〟を集約させる。
「……っ! オルン・ドゥーラ!」
スティーグが声を上げながら俺に襲い掛かってくる。
だが、もう遅い。
「――破魔天閃 !」
悪魔を消し去るための力を天閃の要領でスティーグに放つ。
スティーグを捉えた漆黒の斬撃が爆発的な衝撃波へと変わる。
衝撃波が消えると、そこにあったあらゆるものが消滅していた。
◇
「……ぐっ!? ごほっ、ごほっ!」
スティーグが本当に消えたか確認していると、全身に激痛が走った。
堪らずその場で膝をつく。
咳とともに血を吐き出す。
(やっぱり幽世に居た時のようにはいかないか……!)
即座に【魔剣合一】を解除するが、全身に毒が回っているかのように体組織が破壊され始める。
「こんなところでは、死ねない……!」
【時間遡行】を行使して、身体の時間を【終之型】を使う前の状態まで巻き戻す。
「……っ! はぁ……はぁ……はぁ……」
身体の崩壊を防いだことで、全身の痛みが徐々に引いていく。
【終之型】は絶大な力だ。
おそらくこの状態の俺に敵う者は居ない。
だが、この力は諸刃の剣だ。
自分の身体すら破壊する力であるため、使いどころは見極めないといけない。
と言っても、必要に迫られれば躊躇なく使うつもりだが。
躊躇ったことで大切な物を失ってしまっては本末転倒だからな。
屈みながら息を整えていると、足音が近づいてきた。
「終わった?」
近くまでやってきたフウカが問いかけてくる。
「あぁ、終わった。そっちはどうだった?」
「こっちも問題なく終わった。《戦鬼》はオルンの推測通り吸血鬼を模した魔人だった。鬼の力のみを斬ったから、死んではいないけど、これで無力な人になったはず」
「……そうか。不殺を貫いてくれてありがとう、フウカ」
立ち上がりながらフウカにねぎらいの言葉をかける。
「うん。《羅刹》は殺したの? アレは悪魔だからオルンの不殺の対象外だから殺しても問題ない相手だったけど」
「いや、殺してはいない。妖精や悪魔は、人格のある特異な魔力をコアとした魔力の集合体のようなものだから、その特異な魔力と他の魔力の繋がりを断ち切った。だから意識はあるけど、魔法の発動といった外部への干渉は何一つできなくなっている」
「何もできずにただ意識があるだけってこと?」
「そんなところだな。アイツは俺の大切なモノを奪ったんだ。死以上の苦しみを味わい続けてもらう」
「そう。それがオルンの望んだアイツの結末なら、とやかく言わない。……それで、次はどうするの?」
「教団の動き次第だが、スティーグが消えたことに関しては【霊魂干渉】の異能者であるナギサ・アサギリならすぐに気付くはずだ。そうなれば自ずと教団にも俺が力を取り戻したことを知られる。そうしたら各地で迷宮の氾濫が始まるだろうし、次はベリア・サンスを排除だな」
ナギサ・アサギリとは、今のキョクトウを治めるアサギリ家の当主だ。
元々はキョクトウを治めていたシノノメ家の分家で、神事を司る家であった。
数年前にそのアサギリ家は自らを筆頭にクーデターという名の内戦が引き起こされた。
その内戦で、フウカを除くシノノメ家の人間は全員亡くなってしまっている。
フウカ曰く、このクーデターの裏にはフィリー・カーペンターが密接に絡んでいたらしい。
まぁ、アイツの異能なら内部分裂を引き起こすことも容易だろう。
「私の身内が迷惑をかけてごめん」
「フウカのせいでも、彼女のせいでもない。状況的に無理やり従わされている可能性が高いんだから。彼女は自らこんなことするような子じゃないんだろ?」
「うん。誓ってこんなことを好き好んでやる子じゃない」
「だったら、解放してやらないとな」
「うん。絶対にキョクトウを取り返す」
そう言うフウカの顔はいつもの無表情ではなく、強い意志の宿ったものだった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次話よりしばらく(恐らく3話ほど)フィリー視点のエピソードとなります。
なお、次週の更新はお休みとなりますのでご承知おきください。
次話もお読みいただけると嬉しいです。
また、気が向いたら感想よろしくお願いいたします!







